ブログの世界観です。
ブログとは、Web日記を公開するサービスのこと。
昔のインターネットでは、インターネットで自ら情報発信をする手段は、ホームページと匿名掲示板とブログぐらいしかなく、ブログを書くことがインターネットに情報を発信する「ネット有名人」の証であるかのようなものだった。
ブログを開設するには、二つの方法がある。ひとつは、Amebaなどのブログサービスに登録し、ブログをレンタルする方法、もうひとつは、tDiaryなどのブログエンジンをサーバに公開して、自分でサーバにブログを構築する方法である。
だが、最近のインターネットは、ツイッターやSNSといった新しい「友達と繋がるためのシステム」が大きく普及し、またYouTubeやTikTokやニコニコ動画のようにテキストではなく動画配信によって繋がり合うサービスが普及したため、テキストで個人個人が日記を書くというブログサービスは、以前に比べれば下火になったと言える。
だが、一部の人は今でもブログを書いており、はてなブログなどはSNSと同じ「読者になる」という機能を搭載し、はてなブックマークやツイッターなどとの連携機能をつけることで、今でもインターネット界の流行企業として存在し続けている。
はてなを参照のこと。
Googleによるブログサービス。
FC2によるブログサービス。
忍者ツールズによるブログサービス。
Amebaによるブログサービス。
Amebaによるおしゃれなサイトを作成するサービス。
gooによるブログサービス。
ブログサービス。
ブログサービス。
Tumblrはブログのほか写真やリンクなどさまざまなものを投稿・共有できるSNSサービス。
CMS・ブログエンジンを参照のこと。
お気に入りのブログを参照のこと。
昔のブログサービスには、決まって「トラックバック」という機能がありました。
これは、ある人が書いたブログの記事について、別の人が関連する記事を書いた時に、「あなたの記事に関連する記事を書きました」ということを、コメントのように連絡する機能。
ブログのトラックバック欄を見ると、必ずたくさんのトラックバックがついている。それを辿っていくことで、関連するブログ世界の記事を一望することができる。
昔は、そうしたトラックバックという面白い機能がありましたが、はてなブックマークのようなWebサービスや、ツイッターやSNSの「フォロー」や「いいね」や「リツイート」や「ハッシュタグ」などの機能に次第にとってかわられるようになりました。
僕は、トラックバックはとても面白い機能だったと思っています。特にX51.orgからトラックバックを参照したりして、「ブログとブログが繋がる」という機能を既に実現していたのです。
僕は、最近の、ツイッターやSNSを中心とするインターネットが、好きではありません。
僕は、昔の、ブログや匿名掲示板を中心としたインターネットが好きでした。
特に、昔は、オープンソース関係のさまざまなブログがあって、それぞれのブログでオープンソース関係のプロジェクトを開発者の皆さんが頑張っておられて、とても面白かったのを覚えています。
そして、インターネットの匿名掲示板も、昔のほうが面白かったです。ログを見たり、スレッドの中で雑談をしたり、すべてが目新しくて、斬新で、「バーチャルだけのみんなの世界」として、とても面白かったです。
今の、ツイッターやSNSは、僕は好きではありません。ツイッターやSNSは、「友達関係」という人間関係をネット上のバーチャルな世界で実現していますが、僕はかつての面白かった「バーチャルにしかない文化」がなくなり、単なる個人のツイートを「友達」としてチェックするだけになってしまいました。
すなわち、かつてのバーチャルな文化は、すべて死んでしまったのです。
そして、今、僕が不幸な理由は、すべて、そうしたかつてのバーチャルな文化が死んだことによって生じています。
僕はかつてのインターネットが好きだったにもかかわらず、インターネットはいつの間にか、既にまったく違うものになってしまいました。
そして、僕はそうした新しいインターネットに、適応することができず、かつての旧来のインターネットという「帰るべき場所」を探しているのです。
あるいは、僕はYouTubeという動画配信サイトは好きです。その理由は、YouTubeはいくらか昔のサービスに近いからだと思います。YouTubeは、チャンネルから動画が配信されるという仕組みが、昔のインターネットに近いのだと思います。僕はYouTubeぐらいには適応できています。
僕は、ツイッターやSNSが嫌いです。かつての、ブログと匿名掲示板の時代が好きでした。そのような素晴らしい文化は死んでしまったのでしょうか。
本当のことを言えば、僕のせいでかつてのオープンソース文化は死んでしまったのかもしれません。かつてのインターネットを抹殺した元凶は僕かもしれません。それならば、それはさらに悲しいことです。まったく僕という存在は、生まれてはならない存在だったのでしょう。僕は生まれてはならなかったのです。
2023.02.18