マスコミの世界観です。
ジャーナリズムとは、真実を報道するということです。
この世界のどこで何が起きているか、一般的な国民が誰も知らないことを調査し、その調査に基づいて、真実を国民にありのまま伝えること、これがジャーナリズムだと僕は思います。
そして、この「真実」という言葉が重要です。なぜなら、今のマスコミは、真実を報道するという、ジャーナリズムの基本ができていないからです。
今のマスコミは、真実を報道するのではなく、過度に偏ったバイアスから、切り取られた真実だけを報道しています。真実といっても、国民の考える真実ではなく、「マスコミの考える国民ウケする真実」を報道しているのです。
このようなマスコミは、すでにジャーナリズムではありません。今のマスコミは単なる煽り立て屋であり、ジャーナリズムの風上にも置けないのです。
僕は、日本のマスコミには、視聴者が「実際には支配されているにもかかわらず、政治ショーに参加しているような錯覚を抱く」という弊害があると思います。
そもそも、民主主義の政治体制が何が自由なのかと言えば、本当は政治思想に基づく選挙や投票の仕組みが自由なのだ、ということは分かります。
ですが、今の日本の民主主義では、自らの一票だけで政治が動くというのは、そう多くありません。
どちらかというと、民主主義の何が自由なのかと言えば、コミュニケーションとしてのメディアとのやり取りが自由であるかのような幻想を抱かせる、ということにつきると思います。
政治家の言動を監視し、専門家やコメンテーターの意見とともに政治家の政策や責任を報道するマスコミは、視聴者が見ていると、自分が政治家と同じ立場、あるいは政治家よりも上の立場になったように思い込み、「政治ショーに参加している」かのような錯覚を抱きます。
マスコミの報道を見ているだけで、さも自分のためにその報道があるかのような錯覚を抱き、自分がマスコミの報道を見て考えているということが、ひとつの「自由」を生み出す、これがマスコミの特徴です。
しかしながら、これは幻想にすぎません。マスコミに、幻想を見せられて、自分たちの国家は正しい国家だと洗脳されながら、常識、生活、人生など、すべてを支配されてしまうのです。
僕は、このような日本のマスコミはとても危険だと思います。今でこそ、マスコミは公共の組織ですが、これがナチス・ドイツのようなファシズム国家になったとしたらどうでしょうか。支配者がマスコミを支配してしまえば、人々は完全にロボットになってしまいます。マスコミは、そのことに気付いていながら、おごり高ぶって、逆にロボットにすることで社会が自由になり平和になると思い込むようにしているのです。
ここまで、マスコミを否定するようなことを書きましたが、日本のマスコミは民主主義のためによく頑張っています。
ジャーナリズムとは、真実を報道するということであり、それは民主主義の根幹を成しています。もし、マスコミがまったく存在しなかった場合、民主主義が成り立つことはありません。あるいは、社会主義国家や軍事主義国家の独裁政権下だったとしたら、これほど「自由な報道」はできません。
マスコミが自由で、かつ馬鹿であるからこそ、日本は民主主義を保てているのだと知っておきましょう。
日本のメディアというのは、権力の監視と犯罪の報道に偏りすぎているところがあるかもしれません。
政治家の批判と凶悪な犯罪の報道ばかりメディアで発信し続け、本当に大切なことを議論していないところがあります。
ですが、僕は日本のマスコミは良くやっていると思います。さまざまな情報を人々に与えながら、楽しい番組をきちんと作っています。日本のマスコミは頑張っていると思います。
僕の将来を考えるに、僕は文章を書くのが好きだから、経済学を専門に勉強して、大学を卒業して、ジャーナリストになって、新聞社に入る、という可能性もありかもしれない。
ファイナンシャルプランナー(FP)の資格を取っても良いだろう。
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