格差を是正しながら教育を抜本的に変革することで、優れた社会秩序を作ります。
労働地域党(Labor and Local Community Party)のページです。
大学と言うものを、どこかの組織に金や試験で入る、と言うものでなく、全員が標準的に所属している社会を構築します。
全ての日用品と生きるために必要なものは無料で配給します。
ですが、名前は悪いかもしれませんが「人頭税」を取ります。それぞれの家庭で、一人当たり10万円を国に納めなければなりません。
ですが、心配はいりません。それぞれへ与える給与は、必ず10万円以上のものになります。
会社に「入る」と言う概念も必要ありません。誰もが最初から死ぬまで、「公務員」として会社に入っている社会を目指します。
全員を公務員として、全員雇用を実現します。失業者は現れません。
会社のやっていることを公開し、ブラック企業が現れた時は全員で対抗します。
また、そもそも、平等でない働かせ方は出来ないようにし、全員を正社員にします。
出来たら、幹部への投票など、国民が会社の経営に参加することも出来るようにします。
今の中等・高等教育は、試験勉強と受験への対策ばかりで、意味のある教育になっていません。
このままの教育が続いていたら、子供たちは自分のように学校に行かなくなってしまいます。
教育を受けられる権利を与えるだけではなく、教育の内容そのものを改善します。
まず、小学校の教育では、以下の科目を継続して教えます。
1.国語
2.算数
3.理科
4.社会
5.体育
中学校・高校の教育では、以下の科目をもっと豊富にやります。
1.哲学・宗教
2.医学・心理学
3.プログラミング・UNIX
4.政治経済(自国だけではなく、外国の政治体制も含む)
5.歴史・外国文化・語学
6.文学
7.総合科学(数学、物理、生物、地理などを総合的に学ばせる。今の科目から削減し、他の科目の方に重点を置く。)
8.パソコンスキル
9.デザイン
10.農業
11.音楽(ピアノ、ギター、ブラスバンドなど)
教育は、国がカリキュラムを全部決めるのではなく、「きっかけ」を与えることで、「自分が本当にやりたいことが出来る」ような教育を目指します。
きっかけを与えるために、多様な経験をさせます。そして、「自分が本当に何をやりたいのか」を知られるようにします。
自分が本当にやりたいことが決まったら、それをきちんと出来るように、周りが知識と環境の整備を手伝います。
教師が学ばなければならないことを学ばせるような今の教育ではなく、この世界を自分の夢とともに自分の力で知っていけるような、幅広い心と深い愛による教育を目指して行きます。
たとえば、先の科目でプログラミングをやりたいと思った子供は、プログラミングのことだけをやっても構いません。自分の好きなことを伸ばしていける教育を目指します。
大学は、今のような4年制のきちんとした大学とは別に、「自由大学」と言う自由な大学を作ります。
これは、専門科目をきちんと勉強する今の大学とは違って、完全に自由に勉強することが出来ます。
いつでも、理系、文系、社会系、芸術系、工学系などの全ての科目の講義を、受けたい時に自由に受けられます。
また、社会の労働や経済政策のような体験も出来ます。
専門学校のような科目(コンピュータ、デザイン、音楽、映像、調理、医療など)もあります。
もちろん、今までのようなきちんとした講義を受けて、自由に研究室で研究することが出来ます。
実現するために、IT技術を活用します。
一つの科目の講義を、オンラインの動画・音声として学生全員が学習出来るようにします。
過去に行われた講義は、アーカイブから全部視聴することが出来ます。
IT技術を活用することで、合理的に講義を作ることが出来ます。ヨーロッパの歴史の科目は一つで良いので、中国やイスラムなどの歴史科目を幅広く作ることが出来ます。
僕は放送大学生ですが、放送大学のネット配信授業を参考に出来ると思います。
動画で授業をすることの最大のメリットは、どこでもインターネットさえあれば授業を受けられる点です。カレッジを各地域に作る必要はありません。
その気になれば、中学生や高校生の年齢から自由大学の授業をオンラインで見ることも可能です。
学習に際して単位などを登録する必要もなく、好きな時に好きなだけオンラインで授業を受けられます。
そして、さらに、大学をきちんと出た大人のために、より緩やかな「学習コミュニティ」を作ります。
このコミュニティは、カンファレンスや講習会、あるいは同好会やクラブのようなものに近いです。
同時に、きちんとした講義を行うべきところでは、自分の大学で学んだ基礎以上の発展的内容を学ぶことが出来ます。
大人なら、誰でも講師になることが出来ます。
そのように、自由大学と学習コミュニティを併せて自由化し、教育を自由にしていきます。
ただし、矛盾するようですが、教育の過度なIT技術への依存はしないようにします。
特に、IT技術は学生の間で自分たちで作るようにして、大人のための授業や講師などは、講習会やブースを設置するなどして現実世界で行っていきます。
そのために、学生の作ったソフトウェアは出来るだけオープンソースにしていきます。
全員を平等に大学に入れて、誰でも一流の教育を受けられるようにするために、大学受験制度は廃止します。
また、高額な授業料も必要ありません。誰でも無料で大学に入ることが出来ます。
また、過度に知識を与えるだけでは、人は賢くなりません。きちんと「自分の頭で考えるための知性」を与える必要があります。
僕は、そのために、「デカルト的な考え方を教える」ことを必須科目とします。
哲学的な、コギト問題(われ思う、ゆえにわれあり)や方法的懐疑だけではなく、座標や累乗など、デカルトのように考える知性を与えます。
また、その上で、たくさんの資料を与え、コミュニケーションから社会を構築する方法を学ばせます。
そうすることで、子供は健やかに、「自分の力で科学や世界を考えられる人間」となります。
あとは、子供たちには、この文章を読んでもらいます。それを国語の時間としましょう。
子供たちには、本当にたくさんの資料と経験を与え、それをコンピュータを使って読むことを学んでいきます。そして、その人の立場になって考えると言うことはどういうことなのかを教え、従属されるだけではなく、自分の手で自由に学習する、と言った機会を与えることで、指導者の器のある賢人を輩出します。
学校では、いじめられた子供のために、全員に「いじめられた時のための心得」を教えます。
それは、「周りに相談する」「やられているだけではなくやりかえす」「いざとなった時は喧嘩することも出来るような技術と能力を持つ」ことです。
いじめっ子といじめられっ子をただ大人が諭すだけでは、いじめは無くなりません。
いじめられた時の備えと心得をいじめっ子もいじめられっ子も同時に教わることで、いじめと言うものが「相手に無条件に勝てる」ものではなく、「いじめられっ子が優位に立つことも出来る」ようにしていきます。
子供たちには、「自分の手で考えること」を優先して学ばせます。
そのために、算数や数学の問題を解くだけの無意味な受験的教育を止め、考えるための時間的余裕と、考えるための手段を与えます。
考えるための手段とは、研究の手段です。特に、オープンなコンピュータとインターネットを与え、子供たちに自由を与えます。
いじめへの対策として、学校でいじめなかった生徒には特別の待遇を許し、大学への進学に関しても特別編入枠を用意します。
逆に、いじめた生徒には難関大学や一流企業に入ることを出来なくするか、難しくします。
いじめの中核メンバーは、退学処分にします。
教師に関しても、いじめを黙認した教師はクビにし、二度と教師の活動が出来ないようにします。
逆に、いじめのない学校には特別の予算と教員の拡充を許し、もっと大きな学校になれるようにしていきます。
同様に、ブラック企業に加担した人間も、他の会社に転勤することを出来なくし、ブラックでない優れた企業には政府から特別の名誉を与えるようにします。
そのようにして、いじめっ子には罰を、いじめなかった善良な人間には特別待遇を与えていきます。
ただし、「いじめられっ子がいじめっ子になった場合」については、「いじめ返すことも悪である」とはせず、相手への正当な反撃をみんなで助けていきます。
また、僕は一度学校からドロップアウトしてもやり直せる社会を作ります。
今の学歴社会というのは、最初から最後まで全て学校のレールに従うのが前提となっており、どこかでドロップアウトすればそこで終わりです。
これでは、学校以外の人生を生きられません。
一度学校からドロップアウトしても、僕はそうした人々のための専用の学校を作ります。再入学は何度もできます。これを「やり直し可能制度」と僕は呼びます。学校にはやり直し可能制度を作るべきです。