ホビーパソコンに関する世界観です。古いコンピュータ(2.パソコン)も参照のこと。
昔のコンピュータ技術に詳しい父親の話を参考にしています。
ホビーパソコンは昔の趣味や娯楽のためのコンピュータで、事務処理といった実用面ではなく、玩具として楽しむことを目的とするパソコン。
BASICなどでプログラミングを行い(時にC・FORTRANのような高級言語や、マシン語でのプログラミングも行った)、雑誌などにプログラムが掲載されることでプログラミングの腕を競った。
アメリカのApple IIが草分け的存在で、日本では各社による独自仕様のホビーパソコン市場があった。
BASICも参照のこと。
日本では、DOS/Vが現れるまで、さまざまな会社による分裂したホビーパソコン業界が存在した。
日本国内では、日本電気(NEC)・富士通・シャープの3社が特に覇権を争った。パソコン御三家という場合この3社(あるいは富士通の代わりに日立)を呼称する。
NECによるパソコンシリーズ。日本ではPC-8800/PC-9800による寡占状況にあった。
少し前のFreeBSDではPC-9800シリーズに対応していたことで有名である(2011年2月にリリースされた8.2-RELEASEまで)。
シャープのX68000は、当時のファンに支持されたシャープのマイコン。モトローラの16bit CPUに、MS-DOSの前身となるCP/Mが動き、FORTRANも使え、カセットテープドライブも搭載していた。
IBM-PCとIntelのハードウェアが普及していくのにつれて、シャープだけはモトローラのCPUを使っていたので、独自性から通が増えた。いわば「Apple教団」の日本版のようなものである。
同じシャープのMZシリーズなどとともに、シャープは一大ファン層を獲得した。
2024.12.21
日本IBMによる、日本語の表示できるPC/AT互換機。ソフトウェアだけで日本語に対応し、PC/AT互換機で日本語を扱うことができた。
DOS/Vが出る前は、日本語の問題から、各社によってさまざまな機種が乱立した「鎖国」の状態が続いていたが、日本IBMによって「開国」し、日本でもIBM PC/AT互換機が普及した。
DOSも参照のこと。
パソコンで大きな勢力を持っていたのはNEC、富士通、日立、シャープ。
シャープのMZは、NEC、富士通、日立のような他のパソコンと違い、OSをテープで供給するなどの独自路線を行い、マニア向けに支持が高かった。
だが、一般的だったのはNECのPC。NECのPC-88/PC-98は、早くから実用性に力を入れ、分かっている人でなくても分かりやすくしたり、フロッピーディスクを早くから提供したり、N-BASICというBASICのインタプリタ(Nと言う名前はついているが実際はMicrosoftの作ったBASIC)やDOSを乗せるなどし、「パソコンと言えばNEC」と言われるまでの地位を築いた。
NEC PCはゲーム会社などからゲームも良く提供され、ゲームのPC-88とビジネスのPC-98と言われた。
だが、そんなNECも、IBM PC/ATにやられてしまった。そこまでの資産は全部パーである。早くからIBM PCに取り組んだのは東芝のダイナブック。
IT企業(日本)も参照のこと。
ホビーパソコンの特徴として言えるのは、みんなでゲームを作りまくったということです。
日本のホビーパソコンでは、マシン語やBASICのような小さな言語を用いて、ゲームを作ることが、ホビーパソコンを使って遊ぶ主流の遊び方でした。
特に、PC-8800/PC-9800シリーズでは、たくさんの草分け的な「ゲーム職人」が居て、それがアスキーのような雑誌に掲載され、「マシン語とBASICだけでどれだけ高度で効率的で小さなゲームを作れるか」ということが、競い合われていました。
たとえば、以下の雑誌の特別号では、たくさんの当時のゲームが掲載されており、参考になります。眺めるだけで楽しいです。
ゲーム開発も参照のこと。
ホビーパソコンを、単なるおもちゃのようなパソコンだと思って、軽んじてはいけません。
当時のホビーパソコンの世代が、今のIT技術を支えているからです。
残念ながら、僕はホビーパソコンの世代ではありません。僕が子供だった頃は既にWindowsが存在し、小学生ぐらいの時にはWindowsがありました。
ですが、Windowsの開発者であるビル・ゲイツはまさにBASIC世代です。
みんな、今のIT技術を支えている「ベテランエンジニア」は、みんなホビーパソコンにかじりついて、どのようにすれば目的の機能をゲームに追加することができるのか、頭と手を使って試行錯誤してきた人々ばかりです。
確かに、PHPやJavaScriptを用いた今のIT業界のほうが、新しいでしょう。ですが、やっていることは変わりません。「10年、20年経ってもやっていることは変わらない」とプログラマの人は言います。
インターネットがまだ社会にとって一般的になる前、パソコン通信と呼ばれる原始的な通信技術があった。文字だけのやり取りで、共通規格もなく、同じ機種の同じソフトウェアでやり取りする通信技術で、ニフティのようなプロバイダが提供していた。電話回線を用いて通信していた。
インターネットの(大学などではない一般の利用の)初期は、マイクロソフトのWindows 95などから始まるが、当時のインターネットは全てがグローバルアドレスで繋がり、データを共有すると知らない誰かがグローバルに読み書きできるような危険なものだった。
(自分の書いたFacebookより。)
ブロードバンド、メーリングリスト・ネットニュースも参照のこと。
僕の母親も小学校でのプリントを作成するのに使っていたが、Windows以前から、ワープロと呼ばれるコンピュータは存在した。
当時のワープロは、OSや標準という考え方は無く、入力、編集、そして印刷ができる統合的なコンピュータで、フロッピーディスクに専用のデータを保管し、今よりもずっと遅い白黒のプリンターが内蔵されており、DOSのような黒画面で表示を行い、データのやり取りは印刷した紙で行われた。そのままでは印刷したインクがすぐに薄くなるため、コピー機などとともに用いられた。
はじめてかな漢字変換システムが登場したのは、1978年の東芝のワープロである「JW-10」で、発表された9月26日は「日本語ワープロの日」とされている。630万円と高額かつ巨大だったが、それまで日本語タイプライターで決め打ちしていた出版業界などに需要があった。この東芝が開発した変換技術が、パソコンなどで今でも当たり前のように使われている。
ワープロが終わってMS-DOSが普及すると、こうした入力システムはFEP(フロントエンドプロセッサ)と呼ばれた。MS-DOSやWindows向けに、一太郎で有名なジャストシステムなどがFEPを提供した。Windowsになってからは、このようなシステムはIMEと呼ばれるようになり、Microsoft付属のMS-IMEと、ジャストシステムのATOK(Linux版もあります)が広く使われるに至った。
ワープロは個人やビジネス向けに広く販売されたが、PC-98シリーズのMS-DOSや、PC/ATのWindowsなどの普及とともに衰退した。
Officeソフトウェアも参照のこと。
家庭用ゲーム機である、ファミコンやゲームボーイなどは、Windowsが普及する少し前から、日本でも販売されていた。
テレビゲームも参照のこと。