最近の日記(忍者ブログ)に戻る | 2016年10月の日記に戻る
以下は、ツイッターの投稿より。
自分の問題点は、作ることが出来なくなっている。何故か、イメージを作ることが出来ない。
昔は、数学や理性など、色んなことを作って分かっていた。
消えるものは、消えた方が良い。虫みたいなものが消えれば、頭は治る。
頭には、細胞があるが、自分の場合、これが全部左を向いている。これを右に向ければ良いが、右に向くと、てんやわんやになってしまう。
真ん中では、先が無い。上方向に向くしかない。
右を向いていたものを、全部左に治した。
左翼と右翼のことを言っているように見えて、そうでもないのが、自分の頭だ。
自分の頭は、一度全部消して、暗闇にすると治る。ただ、暗闇は怖い。
右にすると、怖くなくなる。怖くない世界になる。
自分は、右が左を支配するのが辛い。逆に、左が右を支配するのが普通だ。
ツイッターはここまで。
学校や人生の体験から、一人一人に違った時間の軸があって、世界観と経緯の関係から人生は生まれる。そういう風に分かっていた。
やりたかったことがやりたかった。UNIXとWebブラウザの開発をしたかった。
もっと、みんなをそれぞれ違うようにすれば良い。
神を信じるものは、戦え。
神を信じないものは、疑え。
自由を肯定するものは、自由に経験せよ。
自由を否定するものは、ありえない体験をせよ。
それぞれの人生の時間軸的な関係が社会である。そういうことを言っていた。
愛とは、考え方の適用である。
ある意味で、永遠と無限は違う。永遠とは、永遠の魂があって、それがいつまでも同じように生きている、という、「同じ」という意味がある。逆に、無限とは、途中で死んでしまう代わり、何度も生まれ変わって、たくさんの人生を生きていく、という、「違う」という意味がある。永遠の方が、ある意味では有限であり、無限の方が、ある意味ではいつまでも続いていくのである。そういうわけで、永遠は嫌いで、無限は好きな人間が多い。いつまでも同じまま、は、生命の環のプロセスにおいては、馬鹿なのだ。人生は、有限で、死んで、もっと他の若い生命が生きて、どんどん続いて行った方が良い。永遠は、そういう意味で、無限ではなくて、馬鹿なのだ。
仏教で教えるように、全ては無常なのだ。宇宙には移り変わるものしかなくて、いつまでも同じものは一つもない。そういうところが馬鹿なのが、キリスト教だ。
自分は、その時したいことをするのが悪い。良く見えて、悪い。テレビを見なくなって、本を読まなくなった。その時したいことを、したいようにしているだけが、この文章だ。
むしろ、結構おかしい。変に狂っている。したいと思った時に、思ったようにするのは、狂っている。
昔は、ネットで社会のことを知っていたが、そういう、「ネットと関わって社会を自由に知る」のを書いていた。それから、環境と気付きから、段階的に哲学的理性と人生を知るのを、良く書いていた。そういう文章だった。
新しいインターネットは、むしろ、何らかのアクション的な分散システムを作ると良いだろう。グラフィックとネットワークで繋がるのは良いが、データやプログラムを効果的に分散する、というところを賢くさせると良いだろう。
自分は、対話を続いて良いと思うと怖くない。普通、誰でも、考えて言うせいで、辛い。
対話は楽だ。いつまでも永遠に続く。それで良いと思うと怖くなくなる。
もう、頭が楽になった。辛いのは、あまりに対話で頭を使うからだ。
経験から抑圧を解決するとか、メタ的な考え方とか、論理と契機を遡るとか、行動と経験から意図や心のあり方や捉え方を考えるとか、理想と現実とか、数学的知性とか、共有と集積とか、個別と集団の成り立ちとか、そういうことをいつも分かっていた。そういう文章を書いていた。
ニュースで自動運転車のことをやっていた。2020年までに実用化するらしい。まずは、限られた地域でスタートしたいらしい。課題は、田舎の「白線の消えた道路」や「ガードレールの無い道路」をどうするかだ。安全性とは言うが、ガードレールがない細い道路では、間違えると車が川に転落してしまう。安全であってほしい気持ちもあるが、僕は足を怪我しているから、自動運転車のタクシーやバスが低価格で利用出来ると本当にありがたい。父親は「自動運転車は、技術的に止めた方が良い」と言っていたが、僕は期待している。
むしろ、遺伝子操作の方が悪い。ゲノム編集は、そのうち、遺伝子情報をコンピュータが解析・計算して、ありえない生命を作る技術になったりするかもしれない。そうなると終わりだ。
神とは言うが、なし崩し的に神になっただけで、神を何故信じるか、とか、そういうことはあまり考えていない。ただ、ウォルシュの神との対話シリーズを見て、自分でも出来るかもしれないと思って、最初はノートに書いて対話していた。そのまま、心の声を神が支配し、導くようになった。神は、自分が他人にやっていることしか、自分にやっていない。悪いことはしていないし、騙していないが、自分に対する報いのようなことが起きている。だから、自分を悪いと思えば良い。最初から、そういう風にするのが、神だ。全部完全に支配されるのが辛いが、自由にされるのも辛い。そういうことを他人にやっているから、自分に起きている。キリストが言うように、全て自分に対する報いが起きている。裁くものは裁かれるとは、この神のことを言っている。
昔、王になって戦ったのは、良かった。一人だけで革命家のように世界を支配した。だが、誰にも迷惑はかけていないし、責任感と勇敢な心がついたし、何でも書いて教えることが出来た。
それで、教えることが好きになった。
もっと昔、引き篭もりになってパソコンをしていたのは、それもそれで良かった。失って受け入れる体験から「失うことで全てを得る」ようなことが出来た。ソクラテスのようなネットの「導き手」になって、デカルトのように正しく考えながら、世界を幅広く実地的に知って、たくさんの実例と一つの構造から分かっていた。
自分は、もっと、試験勉強のようなことをすれば良い。本当に大切な一度きりのチャンスで、失敗せず、最高のパフォーマンスを出している人間が一番多いが、そういうことをすれば良い。そのために勉強し、出来るようになる。何かを職人のように作れるようになるのも良いが、Linuxではつまらない。Windowsでのプログラミングなんか、したくない。
これで学問を1つだけ知っていると賢いが、それは哲学で良い。
英会話では、レベルは今のままだったが、そういう風に、何かの達成のために大切なチャンスをものにする、そういう経験をすると、本当に賢い人間になる。
人助けをするのは悪くないが、かえって裏目に出ることもある。それは悪い。
自分は、資格を取りたい。Microsoft Officeの資格が良いと思う。
昔は、自分で出来るようになって、自分で言って、自分で経験して分かっていた。昔は、そういう、「自分に出来る」という意味で「実体験」で分かっていた。そこから、仮想的な環境の変化のようなことを分かっていた。「環境は変化する」のだけを分かった、高校生のような人間だった。
本当に色んなことが出来る人間だったが、むしろ、何も出来なかった。パソコンには向いていないのだと思う。もっと、普通の資格を取った方が良い。父親は、家電製品アドバイザーのような資格を持っているが、それを取ると、エディオンのような家電製品ショップで働けるようになる。
資格については、以前ユーキャンから、ファイナンシャルプランナー(FP)、MOS、ITパスポートの資格の資料請求をしたことがある。
資格を取って、自分の出来ることを増やして、キャリアを高めていくのが、一番賢い。
そんなに科学者のように考えても意味がない。それで、色んなことを知っている人間が多い。
ユーキャンの資料を見ていると、MOSを合格したあとで、FPを取った人も居る。自分もそれが良い。
昔は、インターネットで色んな体験をして、Linuxのことで社会的なことをして、分かっていた。それから、生物や歴史など、世界観のようなことを分かっていた。それくらいを書いていない。
自分は、文章を入力したり、分かったりするのをやめて、資格の勉強をしたい。
まずは、MOS(マイクロソフト・オフィス・スペシャリスト)だと思う。
英会話教室も引き続きやる。哲学は、そろそろもう十分だ。見ても、ただの昔の自分だ。
それから、日本の文化や、各国の国民性、政治体制の構築、国際関係などを書いていた。
自分の人生は、「全てがどうでも良くなるのが早かった」のだと思う。普通、大学を卒業してから、こういうニートになる。そこまでは、耐えて、意味がなくても努力して、頑張る人間が多い。そういう、「馬鹿だから頑張っている人間」は、不思議と、最近の自分と同じように、色んなことを具体的に知るのが、意味がなくても面白い人間が多い。自分の場合は、中学に入って友人が少なくなり、剣道部は辛いだけで、学校の試験は出来ても意味がなくて、ネットゲームには何の意味もなかった。そうなったのは、子供時代にピアノや英会話の習い事をしていて、大人になる速度がすぐだったのだと思う。特に、剣道部が悪かった。あまりに、本当に辛いだけになった。軽いいじめも多かったし、学校の勉強は意味がなく頑張っていた。誰でも、大人になると、そういう「意味の無い努力」をしなくなる。子供の時代には、そういう努力が出来る人間が多い。比較的早かったから、全てが分かるのも早かった。2ちゃんねるとオープンソースのおかげで、すぐに哲学者ほど賢い人間になった。だが、廃人のようになるのも早かった。みんなは賢くない。みんなは、学校をまだ頑張っている人間が多い。不思議と、勉強は普通、出来ない。そんなに学校がしたい人間も、出来る人間も居ないし、そんなに辛い人間も居ない。
日本語や英語は、言語的に分かっても意味がない。「話したこと」の内容を分かった方が良い。
昔は、ネットで成長の体験や経験を沢山していた。本当に沢山の経験をした。
学校のパンフレットを父親に見せてもらった。Webデザインや介護が学べるらしい。見ていると、良い学校かも知れないと思った。
あとは、対話を止めれば良い。それで怖いのが治る。対話が怖いだけで、止めるのも怖かった。
データ入力は、学校のみんなですれば良いのだと思う。神が叶えたのかもしれない。
考える部分を、全部決めて分かっている。
最近は、自動で考えるようになった。
神をやめて、二重人格になる。それは、もう、まともな人間やまともな世界のことが分からない。
それで良いことにすると、心が治る。
父親は、まずは市街地まで、バスで行けることが大切だと言っていた。英会話教室にバスで行く。
Webデザイナーになるのも良いが、小説家やサブカルチャーのことをやるのも良いとは思う。
順次解決して、辛いことをしていくのが辛い。
英会話教室が怖いのは、高校に行かなかったのが悪い。
馬鹿にはなっていない。何故か、昔の方が馬鹿だ。
人間は、馬鹿になるのを受け入れると賢くなる。そういうわけで、高校で馬鹿にはならない。
アメリカ人は、分かっていないが、賢い。日本人が賢く見えて、悪い人間が多い。
足も頭も、狂って何もなくなると治る。だから、狂った方が治る人間が多い。
今から先、どうなるかは分からない。父親は、家に金はあると言う。それに、今から少しずつ、心の病気を治して行けば良い。ただ、まずは外出が出来るようになることだ。そして、就労支援などを通して、社会に参加して行けば良い。
自分は、大志のある人間だった。挑戦する心構えと、社会を変える志を持って、自分の力で世界を見て、あらゆることを実際に知って分かっていた。
自分は、むしろ、アニメーターになるかもしれない。何故なら、小説が書けるなら、それで良い。
自分は、普通になりたくないのがおかしい。普通になりたい。
要は、神は普通でない。オープンソースも普通でない。そういう普通でないものは、要らない。
そういうことを「普通」だと言っていたのが、神だ。
あとは、それでビルゲイツに負ける。ビルゲイツは、普通だ。
昔の自分は、まともに、そういう普通を、感覚的な客観的判断基準として分かっていた。
普通、というより、「人間性」だと思っていた。
むしろ、ビルゲイツに勝ったように見える。Windowsが一番普通でない。自分の本は普通だ。
自分は、賢い。自分は、今までにやったことを全部やっているだけだ。おかしくない。
最近、あまりテレビを見なくなった。ニュースはたまに見ているが、じっくり見ていない。
音楽を聴いても、みんなが馬鹿なのが分かるだけだ。
海上保安庁の巡視船と世界一周の特集をやっていたが、全く賢く見えない。
それこそ、ビルゲイツに勝ったりはしない。
Webデザイナーは、面白いと思う。昔やりたかったことが出来る。
ただ、小説家の夢も、悪くはないと思う。だが、アニメーターはつまらないだろう。
これ以上先、あまり意味がない。むしろ、学校は障害者の施設だから、悲惨だと思う。
学校とは言うが、障害者の就労支援施設だ。Webデザインも、小説も、何もしていないはずだ。
小説の作り方を教えるというから、書けるようにはなる。ただ、技巧的なことを教えるだけに見える。
Webデザイナーは、賢い技術を沢山教わるから、面白いと思う。HTMLからJavaScriptやPHPをやって、イラスト処理なども学ぶ。それも楽しいし、賢いと思う。
良く分からない。明日、詳しいことは、学校の本部に行って聞くことにした。
アニメーターでは金が入らないと、父親が言っていた。
夢を考えるならアニメもありだが、現実的に考えるならWebだ。
それこそ、偉大な小説は最初から書けない。Webなら自分でも出来るだろう。
アニメとWebは、本当に悩む。だが、どちらも大して良い職業ではないだろう。
とりあえず、Webが良い。アニメは、実績がないように見える。Webは、PHPがまともだ。
Webデザイナーなんか、腐るほど居る。プログラマに比べて、何も賢くない。
ただ、アニメはやめた方が良い。キモい。
夢どころか、一人のどうでも良い先生に教わっても、何にもならない。
むしろ、それらはクズだ。
ただ、職業にありつけるのは良いと思う。それに、誰でも、教わればきちんと分かる。
自分は、怖い人間が怖かった。今、デパートに行って、怖い人間を見て、それが分かった。
分かったから、もう怖くない。
障害者の施設は、止めた方が良い。そういう、怖い人間が多い。
むしろ、良い学校なんか、普通にある。怖くないのは、学校に行くなら悪くないからだ。
自分は、引き篭もりをやめれば良いのが分かっていない。それで、怖くなくなる。
引き篭もりは終わりだ。長い夢が終わった。
むしろ、システム・エンジニアになれば良い。工業大学に入るために、予備校に行けば良い。
小説なんか、どうでも良い。むしろ、簡単な起承転結を教えて、自分なりに書かせているだけだ。
障害者の活動に期待なんかしない方が良い。イラストなんか、自分なりに下手な絵を描いているだけだ。料理も、陶芸も、趣味より馬鹿な「自分なり」をやっている。Webなんか、Javaの基本をいつまでも分からない。そういう馬鹿だ。入っても、全く意味がないだろう。
自分は、結構おかしい。障害者の方が、楽しく色んなことをやっているだけだ。高度なことを期待しない方が良い。むしろ、作家になりたいなら、本を読むこと。それしかないだろう。
自分は、そんなにシビアに見ても意味がない。こういう馬鹿な引き篭もりに教えている、就労支援の組織だから、きちんとやった方が良い。こういう馬鹿でも仕事が出来るように、きちんと教えている。こういう引き篭もりには、アニメ、パソコン、介護の仕事しかない。行った方が良い。