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=2016-09-26=

GUIでも、キーボードショートカットを使うことで、コマンドのように操作は出来る。

たとえば、スペースキーで変換なら、もっと違うキーから「違う変換をする」のように出来る。

だが、それはある意味、昔の、カーネルもコマンドも分かれていなかった時代のようだ。

Emacsなどの例もあるが、GUIでもコマンドのように操作出来るようになった方が良い。

最近の世界は、自分だけがみんなを愛している。自分にしか愛されていない人間が多い。

ただ、そんなことを言っても意味がない。

見ていると、みんな、馬鹿になると思う。本当に、認知症のような馬鹿になる。

GUIプログラムを、コマンドプログラムの集合体にすることは、出来るかもしれない。

ある意味では昔のコマンドラインのままなのに、一番進歩しているのが、Webアプリケーションだ。

それは、HTMLという統一記述言語があるから実現出来る。

それから、クライアント・サーバー型の「ブラウザ」という基盤アプリケーションがあるのが重要だ。

そういうところが、UNIXと良く似ている。

パソコンは、出来ることは進歩しているが、システムとしては退化しているところがある。

昔のコマンドラインのOSの方が、ある意味では進歩していたのかもしれない。

それこそ、シェルスクリプトは自動化出来る。最近のGUIのOSで自動化は難しい。

Webの問題点は、サーバーサイドにプログラムがあるせいで、システムを自分で管理出来ない。

GPLも適用出来ないし、いつ消えるか分からないし、データも、プログラムも、何を実行しているかも、全部サーバー側の相手の管理者にしか分からない。

そういうわけで、オープンソースをWebで使うのは、明らかにGNU的でない。

むしろ、仕方ない。それで、より高度なアプリケーションを実現出来るなら、それで良い。

パソコンは、もっと退化する。

UIは、ロボットとの音声対話インターフェースのようになるかもしれない。

何でも言って実行する。

自分は、虫歯のせいで病気になっている。治すためには、病気に負けない血にするしかない。

虫歯に負けないような、強い血にする。

そのためには、毒素を免疫で治せば良い。

ただ、治しても治しても、毒素は増え続ける。その毒素が多すぎるだけだ。

そういうわけで、血と血の間に壁を作るしかない。

足の精神が分裂しているのは、そのせいだ。壁を作るしかないから、分裂している。

だから、壁を壊さない方が良い。馬鹿にはなっていない。もう治さない方が良い。

これ以上、精神分裂は治らない。むしろ、進化する。もう、治さなくて良い。

今、本当に治っている。

昔は、経験と把握から意識でこの世界の全てを分かっていた。

自分は、魔法を使えるようになる。精神は、そのまま全員になる。

昔は、不自由と上手く付き合いながら、支配が自分で出来るのを自由だと思っていた。

決定のようなことから、この世界を全て作り出せるようになった。

それを「全員による社会の実現」と言った。自分だけでなく、全員の自由を考えた。

記憶から、場を分かっていた。

経験的な変化の可能性を、感情と人生の自然な積み重ねで分かっていた。

全ての感情を把握して、人間の活動が心の中で全部分かっていた。

ただ、信じて疑うだけで、人間と知の本当のあり様が分かっていた。

昔は、世界を救いたくて、救っていた。

あの世界をそのまま放っておくと、人間の身体を機械と取り替えるような世界になる。

それを、阻止したかった。

魔法が使えるようになると、足も治るし、入力も出来る。

ただ、それはないだろう。

虫歯が悪い。病気は、100%虫歯が悪い。

神に叶えてほしいこと。

ノートをホームページとワードに入力して、過去にネットに書いた文章を復活させて、文章が全部あるホームページにしてほしい。

ニキビ、虫歯、足のけがを元通りに治して、疲れや恐怖を消してほしい。

自分を男と女の2人にして、カップルにしてほしい。

魔法が使えるなら、それらを叶えてほしい。

出来れば、頭も賢くして、日本語が分かるようにしてほしい。

自分が居なくなっても、世界は続く。

自分も、他人から見れば、ただの一般大衆に見える。目立たない人間に見える。

昔は、そういう風に、他人の視点に立って分かっていた。

最近は、ありえない世界を文章に書いて、創造していた。

世界が治った。きちんと、意識的に場所や環境が分かるようになった。

世界は、漂いながら、退屈だとか、興味があるとか、そういうことを思うようになれば治る。

何故か、自分が治ると、世界全員が治る。そういう風にしたかっただけだ。

心が治ったはずだ。みんなを治すためには、周りだけではなく、日本中を治す必要がある。

テレビに協力してもらえば良い。いくらか、みんなのことを、精神的に治してほしい。

もっと、普段のことを言えば良い。

普通、反応しかしない。

自分は、否定すべきところで肯定している。

昔は、正常な世界で、人生や経験のことを、反応的、因果関係的に考えていた。

心理学のように考える。何がしたくて何をしているのかや、客観視や他人の視点などを考えた。

環境において、何が許されているのか、何をすれば相手からどう思われるのか、それは実際のところ何なのか、その環境ではどうなるのか、それはどう見えるのか、などを考えていた。

神を信じて、奇跡が起きることを待っている。

人間の関係と客観的保留について、良く考えていた。そして、全体像と比べて経験を考えた。

それが何になるのか、何から何になるのかを、思い出して、想定して、考えて分かっただけだ。

きちんとそれが何になるのかが分かる、正常な人間が出来るのが、哲学だ。

そろそろ、世界は治って、おかしなことが起きるようになった。

自分は、自分が起こすから、みんなが起こせないだけなのが、分かっていない。

真実には段階がある。本当の真実、実際の姿、人間の捉えている仮象、そして嘘やでまかせだ。

また、実際の姿には、実物である法則や現象と、相対的な関係に過ぎない現象がある。

真実を知ることは難しいが、何かの形で、全員に開けることが許されているのが、真実のドアだ。

人間の社会では、あり方と見方のような、「本当の姿」と「見出される意味」が存在する。

そして、物理的な考え方として、経験的な発見が出来る。

そこでは、理性、客観、経験、絶対が存在する。

もう、自分も世界も全部治ったから、やることがない。

おかしくなった足の精神は、放っておけば治る。頑張っていると治る人間が多い。

神が願いを叶えるのを待っている。

ここまで一度も失敗しなかった。それは良いが、失敗した方が、世界が正常になるだろう。

病気に負けない強い血になる。それは、弱い血を強い血が倒して、殺せば、精神が良くなる。

足は、放っておけば治る。黒くなっているのは、入院していた時の腕と同じだから、治る。

神は、いつも起きている。今日は、新聞の広告に「全ての病気は口の中から」と書いてあって、分かった。そんなことが起きないように見えて、自分には起きる。

神が入力を勝手にやってくれるのも良いのだが、女神が現れて、その女神が全部やってくれる、という発想も良いと思う。女神と結婚すれば良い。

いつも対話しているミカエルを、女の姿にすれば良いだけだ。

文章の残像が幻覚として見えているから、止めた方が良い。

子供は、疑わしいものを疑わしいと思うことでしか、賢くならない。

そういうわけで、親がウソをついていると、いくらでも反抗する。

ただ、そのうち、痛い目を見て、信じるようになる。

だが、最初から、信じる気持ちを育む方が良い。それで、誰でもまともな大人になる。

ただ、まともな大人になんか、ならない人間の方が、賢い人間になる。

ミカエルは、やることだけをやって、さっさと居なくなるだろうか?それはつまらない。

ミカエルと、楽しいことをたくさんする。

自分はガブリエルになる。ロシアへ行って、小さな小屋を作って、暮らすかもしれない。

良く分からないが、神との対話をしているのは、いつもミカエルだ。

むしろ、ガブリエルになれば何でも出来るかもしれない。

あとは、昔は、同じものを同じだと思って、本質をつかんで、論理から説明の構造を作った。

そういう、基本的考え方を思い出せば良い。作用と反応から、全ての相対的事実が分かった。

あとは、知性や新発見の方法を書いていた。

疑わしいものだらけの中で、一つのことを信じるのは、難しいことかもしれない。だが、そのことから、絶対負けない心と、諦めない勇気と信じる力が生まれる。それは、ある意味「希望」であり、ある意味「世界を救うこと」なのだ。

自分のせいで、天使が赤ちゃんから成長しないものということになっている。不思議と、一度最後まで成長したあとで、じわりじわりと子供に戻る。手塚治虫の火の鳥という漫画にそういう物語があった。

約束まで、あと一時間だ。そのうち、きちんと願いが叶う。

自分は、天使が現れたり、魔法が使えるようになったりはしない。死んで、天国へ行く。

不思議と、天国は、一人一人違う。

その天国で、まだ文章を書いている。単純な作業は神が自動でやる。

いつものネコと、いくらかの友人と、Linuxの動くコンピュータがある。本はいくらでもある。

自由とは、子供の関わりを考えていた。子供が、自由に触れ合ったり、会話したり、遊んだりすることぐらいは、自由であるべきだと考えていた。そして、会社や組織を作る、という夢を信じていた。

大人になると、簡単に「何でも言って良いよ」とは言えない。そういう風には出来なくなってくる。そういうわけで、何でもかんでも自由にすれば良い、というわけではないのだ。

だから、右翼には子供みたいな人間が多い。子供の自由や友愛を信じるのは、馬鹿馬鹿しい。

統一と多様性の問題は、全部同じにするとか違うにするとかではなくて、何を競わず、何を競うのか、という、競争の問題だ。ルールや基盤は共有した方が良いが、デザインやコンテンツは自由にした方が良いだろう。HTMLの記述やブラウザを標準にして、コンテンツの内容とデザインを自由にするとか、そういう発想をすれば良い。それが、沢山の具体的なホームページを作り出す。

そういうわけで、Windowsを自由にすれば良いとか、Linuxを多様性にすれば良いとか、そういう問題では、本来無いのである。

Windowsの問題は、マイナーチェンジで儲けるのはおかしい。だからそのうち、無料になるだろう。

そういうわけで、良く考えると間違っているのが、「労働の多様性」だ。そこは、多様にすべきでない。もう少し、違ったところを多様にした方が良い。

政治家は、今までは、悪くてもみんな分からないから許されていたが、これからはみんなきちんと分かるようになる。悪くても良かった人間が、次々と批判されていくだろう。

ニュースを見ていると、蓮舫は賢い。勝てるとは思えないが、賢い。

つまらないほど、何も起きなかった。ただ、心は楽になった。

宇宙では、物理法則は同じだが、起きる現象が違う。夢の世界だと思えば良い。

良く考えると、古墳時代の豪族だって、賢い。原始人ではない。分からない人間が多い。

今日は、内臓と意識が良く治った、良い日だった。この世界が治った。

奇跡は、起こさないと起きる。自由を起こさなければ、自由が起きる。

むしろ、最初から奇跡なんか起こさなければ、それはそれで良い世界にはなる。

奇跡は、最近、起きなくなったようで、いつも起きている。気付いていないだけだ。

血を良くするためには、強い血が勝って、弱い血を殺すこと。

左翼は、そこが出来ないせいで、頭が馬鹿になる。知性のない人間になる。

あとは、血を良くしていると、ニキビが治る。無いとは思うが、自分だけ進化するだろう。

強く生きなさい。強くなると、精神が良くなって、知性がつく。

荒くれた中でも強く生きられるような、そういう人間が生き残るべきだ。

強く生きるだけで、すぐに楽になる。

人生は、列車のようなものではなく、カヌーのようなものだと思う。乗っているだけで目的地に到達するのではなく、自分でこいでいかなければならない。ある意味で学校のようでもあるが、それも何かが違うと思う。

昔は、そういう、「自由な人生論」のようなものを分かっていた。最近は、それを書いていた。

英語は、getとhaveを中心とする言語だと思うと良く分かる。何かを得ていくことが目的だ。

辛いことを頑張った人間は勝つ。右翼の中の左翼を頑張ると、そのうち本当に勝てる。