最近の日記(忍者ブログ)に戻る | 2016年9月の日記に戻る

=2016-09-23=

レベルチェックを受けてきたが、レベルは今のままの6だった。

あまり考えず、単語だけで受け答えしたのが悪かったのかもしれない。

最近は、公私混同、と言うよりは、世界と自分が同じになっている。

世界と自分を違うにした方が良い。

みんなを生かした方が良い。そんなに死ぬのはおかしい。

環境を知ることで自由になるとか、自然から多様性が生まれるとか、「成長と発生の環境論」のようなことを書いていた。

原因と結果から出来るようになって、法則を見出すと言っていた。

昔は、神のように賢かった。社会と人生と宇宙のことを全部分かっていた。

創造的でダイナミックな時代の中で、環境を知って、ギリシャやフランスのような、国家的、歴史的な環境の意識のことを、具体的に分かっていた。

良いと悪いが逆になっている。そんなに引き篭もりが良いわけがない。

自分のことを制限したり、我慢したりするのではなく、我慢せずに自分の力を発揮すれば良い。

昔の自分なんか、ただ消しているだけだ。疑って、消すだけで分かっている。

だから、もっと作れば良い。作って考えれば、哲学が出来る。

放送大学の現代哲学の講義を聴いている。

内容は難しいが、現代人がいかにして哲学するか、考える。

哲学は、「何かを信じる時、何が起きているのか」を考える。昔の自分は、そう考えた。

本当に、自分は作れば分かるのが分かっていない。構造を作ると、良く分かる。

日本の近代(江戸時代から明治時代)は、西洋に比べて遅れていなかったらしい。

それは、知らなかった。

僕は、西洋に比べて、格段に遅れていたのが、いきなり新しくなったと思っていた。

自分は、普通、説明や論理で、思考的に考えるのが分かっていない。大学できちんと分かる。

昔は、その人の自由にさせるとか、環境を良い方向へ導くとか、そういうことを言っていた。

人生は、自由へと向かっていく、と言っていた。

ただ、そういう自由は、何かがおかしい。全く何も分かっていないように見える。

もう少し、みんなのことを知った方が良い。みんなの方が色んなことが分かっている。

自分は、まともに賢くなりたいなら、哲学より、もう少し普通の学問をやった方が良い。

ただ、自分の専門は哲学で良いとは思う。英語、ピアノ、哲学をやれば賢い。

昔は、自分の実体験のようなことを考えて、成長を信じて分かっていた。

自分が体験して知り得ることは、他人も知り得るはずだ、と考えていた。

自分は、自分の生きる道を信じないのがおかしい。

要は、出来そうなことをすれば良い。そういう子供が多い。

ピアノや英語は出来なくみえて、出来る。哲学も悪くない。それらを信じれば良い。

自分が一番作家が出来る。そう信じて文章を書けば良い。

だが、むしろ、他人の話を聞いたり、本を読んだりした方が良い。

馬鹿に見えて賢かったのが、昔のLinuxとオープンソースだ。夢を信じていた。

何度も繰り返し挑戦するのは良いが、むしろ、たまにで良いから、継続してやった方が良い。

自分は、「賢い人間になりたい」と思うのは間違っている。「実のある経験をしたい」と思えば良い。

賢い人間は、止めた方が良い。こういう人間が賢いだけだ。

むしろ、賢い人間が良いなら、今のままで賢い。

もう少し、馬鹿になった方が、楽しい体験が出来る。良い体験をすれば良い。

自分は、この世界のものから、何か探す気持ちを持たないのがおかしい。

この世界にあるものの何かが、自分にとって良いものである可能性がある。

普通、子供はそういう風に考える。好奇心と開拓の心がある人間が多い。

夢が無いなら、そういう風に世界のものから探して行けば良い。

自分は、全部「出来る」だけを考えている。それが、一番意味がない。何もしなくなる。

人間は、場所と時間としていることが違う。

情報サイトを作りたい。内容はまだ決めていない。

プログラミングは、会社のコードをコピーして使うのだから、オープンソースでも同じだ。

昔の自分は、ものと社会を応用的に考えれば良い。それで誰でも出来る。

色んなことを知って、疑いようのないところまで疑った方が良い。

良く考えると、この世界は、ほとんどが神を賛美しているだけだ。

英語は、もっと自分の力で長い文章で説明することが出来ると、良い。

会社はあった方が良い。自由経済は、会社が賢いだけだ。

そのうち、何か、情報サイトを作りたい。

自分の問題は、色んなことをしているように見えて、人生に目的が無い。

昔は夢があった。最近は夢が無い。

大学の教養を追い求めるのは、止めた方が良い。教養は意味が無い。

もう少し、人生に目的を持った方が良い。

最近は、答えが分かるようになった。何でも正しい答えを言えるようになった。

昔は、環境、関係、状態、仮想から、人間の道理のことを分かっていた。

そもそも、子供時代から変わる人間が居ない。そこを元に戻すと治る。

治る時に、治さなければ良い。

神は、自分を作り変えている。それを止めれば良い。

スパンをもっと長くすれば良い。一秒を数秒にすれば良い。それで、もう正常だ。

自分は、そういう、正常だと思うのが普通なのに、正常でないと思いたいのが悪い。

昔の時代に起きた出来事も、起きるべくして起きている。

おそらく、その環境に自分が居たとしたら、自分も同じことを信じるだろう。

だが、神ではない。神や宗教を信じるのは間違っている。

自然に、相対的に、その時の条件や基盤のようなものから、現象は起きている。

そういう、基盤的環境のようなことを、作って分かっていたのが、昔の自分だ。