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=2016-09-25=

秩序を破壊することが出来るのなら、秩序を作ることもきっと出来るはずだ。

同意し、意見し、環境を守り、社会を築き、それぞれが関わり合うことから、秩序が生まれる。

そのために、相手のことを自分のことのように愛すること。

時に、平和より、支配したり、抗ったりする方が、良いことはある。

みんなをいじめ、奴隷にし、支配して殺す悪い国より、良い国が勝った方が良い。

世界的に見て、勝つべき強い国が勝つべきだ。それが、自分の国であるべきだろう。

民意を自由に委ねることが平和だ。自由な平和は、何よりも優れている。

会社で役割分担をするのは良いが、組織と言う単位になって戦うのは、良くない。

あくまで、個人として、自分の自由として、世界を変え、戦うべきだ。

組織や金や軍事力で戦うのは、良くない。個人の自由の方が良い。

それに、自分の力で考えるべきだ。それぞれが自由に出来るように、社会を作れば良い。

ある意味、個人の自由を許すことが平和だ。ある意味、国家主義の指導者も同じだ。

自由に好きなように出来る個人でも、経験し、社会を知ることで、全員を超えられる。

ある意味、組織では好きなことは出来ない。個人でやった方が出来ることもある。

おそらく、そういうものが、オープンソースだ。

参加するのは良いが、自由を制限するのは良くない。個人の自由なままで共同体を作ること。

昔は、そういうものを、協力の考え方だと言っていた。

社会を知る、ということは、自由を知る、ということだ。

自由とは助け合いであり、個々人の自由の集積と世界の個人としての共有だ。

個人レベルで、手助けのようなことをしていると、賢くなる。

自由は正しい。自分が出来るようになって、人々を吸収すると、王のように能力が高まる。

能力のある人間が、能力で出来ることをする。そして、学び、教わる。それだけで良い。

神のように分かることは出来る。だが、確かな方法と心の作用から分かることしか分からない。

社会のことを良く知って、全てを経験から分かることが出来る。

悪い人間は、個人主義が分かっていない。個人の自由、という発想が無くなっている。

社会を作るためには、共同体や組織を作る必要もある。だが、理想は、環境が自然に生まれ、自然に助け合うような、そういう個人主義の助け合いのシステムを作ることだ。

個人主義者は、賢くなる。きちんと賢い人間になる。

哲学は、それが何をもたらすか、それが何を意味しているか、考えると出来る。

個人主義は、哲学をするとっかかりになる。そういう風に、賢い人間が分かる。

考え方と見方を変えることで、経験的に分かることが出来る。

そこでも「出来る」ことが重要だ。何が出来るのかから、何が知り得るのかが分かる。

自由とは、全員の共同体の自由を、全員の平等な自由を制限せずに作ることだ。

昔は、発想と理解から、色んなことが出来る人間だった。

もの、認識、社会を、説明とモデルから、知性で分かっていた。そういう理性があった。

認識の段階的発展のようなことを、環境的な自然の成り行きから分かっていた。

そして、抑圧の無い自由な社会を目指していた。

最近(と言ってももう昔)は、新しくなりながら、全部作って信じて分かっていた。

何もかも全部作って、全部信じる。そういう風に分かっていた。

ノートは、今日も2ページだけ入力した。

自分は、どうでも良いとらわれやこだわりをやめて、どうでも良いと思った方が良い。

怪我や病気とか、社会や脳が正常か異常かとか、自分が悪いとか自分のせいとか、そういうことはどうでも良い。

ニキビや虫歯、引き篭もりのようなことがどうでも良い時点で、意味がない。

特に、精神の病気は治らない。精神病は仕方ない。

みんなより馬鹿だからと言って、困ることはない。

地球も、自分の命も、1つしかない。今と言う時間は今しかない。

昔は、そういうことを、実感で分かっていた。

なんか、全部どうでも良い、って感じがしちゃう。

辛いのが嫌だというけれど、そんなに辛くはなくなった。

何もほしくない。今のまま、楽が続いてほしい。

死ぬなら、喜んで天国に行く。ただ、地獄には行きたくない。

生きるなら、まともな善人になりたい。

自分は、心理学をそんなに排除するのがおかしい。心理学的に考えれば治る。

認知や環境の捉え方を考えないと、安心出来ない。

おかしい人間が賢いのは、おかしなことをする人間が賢いだけだからだ。

普通の人間は、馬鹿だ。

ノートに、もう6ページ入力した。

昔は、世界、立場、階層、環境のようなものを、全部作っていた。

男より、女の方が良い。その方が、賢いことが出来る。男は、いくらでも出来るように見えて、すぐにやる気をなくす。女に戻った方が良い。女は何も出来ない代り、総合的能力がある。

昔は、自分を神だと思っていた。それで、世界と対話し、導いていた。

昔は、病気や解決不能な問題を、全部解決していた。自分なりに治して、あらゆる角度で発想する。昔は、そういう、全ての解決法が分かって、発想を出せるようになっただけの人間だった。パターンや想像力とは、そういうことを言っていた。

その上で、自分から病気になって、自分でおかしくしたのを自分で治した。だが、それくらいが解決出来ない、解決不可能な問題だった。

今思うと、ただ、自分が別のことをやれば良いだけだ。それこそ、当たり前のことを、そんなに考え続けるのが悪い。「仕方ない」の一言で終わりにすれば良い。

ただ、それは難しかった。あれは、自分の全てをかけて、全力で戦っていた。失った全てのものが、取り戻せないものであることが悲しかった。本当に、悲しいせいで完全におかしくなっていた。

昔は発想法の基礎を作っていたが、最近は全部の角度からあらゆる具体的な発想を作っていた。

足は、女になっているだけだから、治さなくて良い。