IT社会の世界観です。
ビルゲイツや孫正義が、「ITは勝者が総取り」と言っていたように、IT技術やソフトウェア業界では、標準となった一社が独占的地位を持つことがあります。
たとえば、OSはWindowsの独り勝ちですし、検索エンジンはGoogle以外にまともな対抗馬が居ません。ネット通販はAmazonが独占的です。
しかしながら、これを「資本主義の競争原理の社会」だと思うからおかしいのであって、本当に社会全体を見た時、ひとつのサービスをひとつの会社が提供することは、おかしなことではないように思います。
たとえば、資本主義の競争社会では、コンビニが熾烈な競争をしています。セブンイレブンの店舗があったかと思えば、そのすぐ隣にファミリーマートやローソンの店舗があります。
これは、競争社会における「健全な競争の原則」を知っているから、わたしたちは正常だと認識するのであって、もし古代から現代へと古代人がタイムスリップしてきたとしたら、「なんて無駄が多いのだ」と思うことでしょう。
そう、IT技術は、そのように、資本主義の常識では考えられない「最先端ならではの標準独占」が起きています。Windowsの対抗馬はMac、Linux、Chrome OSなどがありますが、これらはそれぞれ「独自の優れた点」があるから生き残っているだけにすぎず、単にWindowsのクローンなど作っても、誰も買わないでしょう。
IT技術の社会は、資本主義の競争原理だと思うから独占状態にあるように思えるのであって、むしろコンビニの店舗の量などを見ていると、「無駄がなく、必要な会社と必要なものだけがあればいい」と言えるのです。
IT社会(デジタルコピー)を参照のこと。
僕は、大企業による企業買収が嫌いです。それは、数々の優れた技術やオープンソース技術を駄目にしてきたからです。
古い例を挙げれば、AOLによるNetscapeの買収、コンパックによるDECの買収とHPによるコンパックの買収、あるいはIBMによるロータスの買収などがありました。
少し新しい例を挙げれば、AdobeによるMacromediaの買収、NovellによるSuSEとXimianの買収、MicrosoftによるSkypeの買収、Yahoo!によるFlickrの買収などがありました。
そして、最近の例で言えば、OracleによるSun Microsystemsの買収(巨大な買収で、SunはOpenOffice.org, Java, Solaris, MySQLのようなオープンソース/UNIX系の技術を持っていた)や、MicrosoftによるGitHubの買収などがありました。
そして、つい先日、IBMがRed Hatを買収しました。
僕は、こうした企業買収で、良くなった例、新しい発想が生まれたという例を、ほとんど知りません。Googleによる、YouTubeとAndroidぐらいではないかと思います。
このように書くと、「資本主義の市場社会を否定している」とか、「金儲けをしないで、誰が開発者を雇うのか」という問題になるでしょう。ですが、Novellを買収したAttachmateは、Monoチームの存在意義に疑問を感じて、ミゲル・デ・イカザ氏のようなスーパーハッカーを含むMonoチームをレイオフしました。その結果Xamarinという会社ができましたが、それもMicrosoftに買収されました。また、SUSEはAttachmateと合併したマイクロフォーカスから、EQTに売却されました。資本主義の金儲けだからといって、優れた開発者に必ずしも良い環境を与えられるとは限らないのです。
僕は、基本的に、買収とか、合併とか、そういう発想は間違っている、変えなければならないと思います。大企業が大きくなる手段としてしか、オープンソースが捉えられておらず、コミュニティのことや技術のことは考えずに、適当かついい加減に、優れた技術をどんどん駄目にしているからです。
上記のように、「企業買収がオープンソース技術を駄目にしている」とは言ったものの、アメリカのシリコンバレーでは、「起業することが美徳である」と言うかのように、起業して買収されることが当たり前になっています。
ですが、僕はこの現象を、そのまま、オープンソースコミュニティに当てはめることができると思います。
それはなぜなら、最近は「GitHubが履歴書」であると言うように、オープンソースコミュニティでどんなものを作っているか、ということが、そのまま就職や転職やキャリアアップに繋がる時代になってきたからです。
最近は、何も会社を起業する必要はありません。オープンソースで新しいことをやれば、それがそのまま評価に繋がるのです。
ですが、これはそんなに特別なことでもなければ、良いことでもありません。それは、インターネットでの活動を評価するようになっただけで、インターネットやオープンソースが変わったわけではないからです。インターネットは、昔通り最悪の2ちゃんねるのままです。ツイッターやSNSのようなものが増えただけにすぎません。
オープンソースも参照のこと。
また、IT業界で言えることとして、「ITは勝者が総取り」ということが言えます。
勝ったものがその業界のその分野の全てを得る、ということです。標準的地位を確立し、二位以下に大差をつけて勝利します。
ほかの商業分野、たとえば家電製品などは、二位以下のさまざまな会社でも、作っているものは同じで、同じように使えますが、ITでは標準的な地位を確立した会社が総取りします。
これは、「標準規格」の問題であり、たとえばWindowsやOfficeの囲い込みなどがこれに当たります。標準のものしか使えなくなり、二位以下の製品は使い物にならなくなるのです。
(ちなみに、「ソフトウェアは勝者が総取り」とはビル・ゲイツの言葉です。ビル・ゲイツ、「Androidの市場を取れなかったことが最大の過ち」と振り返る - Engadget 日本版を参照のこと。)
ビル・ゲイツも参照のこと。
IT化によって、人類は急速にサル化し、馬鹿になっている。
人類は、コンピュータというものを頼りすぎて、自分の経験や知識を信じなくなり、教えることも伝承することも意味をなさなくなった。
その最たる例がカーナビである。カーナビがあるせいで、人々は自分の経験や知識がなくても、「なんとなくたどり着けるだろう」と考えるようになった。カーナビの間違った情報に対しても、看板に「入るな」と書いてあっても、カーナビが「入れ」と言えば、看板を無視して入ってしまう。そこで事故が起きたら、今度は「カーナビの言う通りにしたのに」と文句を言う。
そして、コンピュータのせいで、人々の注意力は散漫になり、依存症や引き篭もりを生み出す。
人々は朝起きて顔を洗う前にスマホの通知を見る。どこへ行ってもスマホの通知を気にし続け、スマホ画面に気を取られて死傷事故を起こす。
中には、在宅勤務でEメールを中心に仕事をし、食べるものは宅配サービスを使って、「完全な引き篭もり」として生きるアメリカ人も居る。
これらは、「毒になるテクノロジー」という本に掲載されている一例だが、IT化が急速に人間を猿化させているということが良く分かる。内容は客観的な事実とデータに基づいており、嘘ではない。
SNSも参照のこと。
IT化には、さまざまなリスクがあります。
たとえば、ハッキングと情報漏えいのリスクがそれです。ネットワークにつながった端末のデータは、いつ盗まれて消されるか分かりません。多くの人がセキュリティ意識がなく、日本全国の膨大なデータは常に危険にさらされています。これは正常ではありません。
他にも、組み込みやコンピュータ制御はバグの問題を生みます。特に、コンピュータ制御にすることは、信号がひとつ発信されなかっただけで大事故に至ることは、横浜市の新交通システムの逆走事故を見ても明らかです。そして、コンピュータ制御では、どこに問題があったのか突き止めるのに時間がかかり、この事故でも問題の特定に1年はかかると言われています。
僕は、ネットが面白かったのはもう昔だと思います。
昔のWindows 2000やXPの時代の頃、SleipnirやDonut Pのようなフリーソフトや、X51.ORGのような有名サイト、そしてはてなブックマークのような新生のWebサービスがあった時代は、もう終わりました。
ネットは画一化し、SNSという大量に個人データを発信する友達とのモバイルコミュニケーションサイトが勝ち、個人ページやテキストサイトは無くなり、多くのソフトウェアはアメリカのオープンソースプロジェクトのような形相を呈しています。
ネットが面白かったのはもう昔の話です。今のネットには、価値はありません。すぐに無くなるでしょう。
以前、テレビのニュースで、ピョンチャンオリンピックがサイバー攻撃を受けた特集を見ました。
オリンピックの末端の関連企業からウイルスが入り込み、そのウイルスはオリンピックの開催直前まで見つからないようにサーバーの中で潜伏し、オリンピックの開幕直前になって、主に認証を行う認証サーバーなどたくさんのシステムのサーバーが、次々と破壊されたと言うのです。
一台のサーバーが復旧しても、別のサーバーからウイルスが転移するため、50を超える(もっと多かったかもしれない)分野のサーバーで影響が出て、もう少し復旧が遅れていればオリンピックはできなかったかもしれないと言います。
僕は、これを防ぐのは難しいと思います。たとえば、サポートの切れたWindowsや昔のRed Hat Linuxで動いていたシステムがもしあったとしたら、比較的容易にセキュリティホールが生まれます。あるいは、個人情報やパスワードを、何らかの手段で盗むことができたら、これも比較的容易にウイルスを入れられます。北朝鮮のスパイが居た可能性もありますが、もっと容易なのは、GoogleのようなWebサービスをハッキングしてパスワードを盗むとか、あるいは、中継地点の通信機器を盗聴して暗号化されていない通信を傍受するとか、ほかには、スパイウェアの入ったWindowsにパスワードなどの機密情報が入ったデータを保存した、などでも侵入できるでしょう。
ですが、この場合は、おそらく何重にもセキュリティ対策をしていると思いますが、ハッカーが本気になると、本当にこういう「絶対に破られないセキュリティ」でも、無数のセキュリティ攻撃を畳み掛けるようにかけ続けることで、どこかのセキュリティの弱いサーバーは、ハッキングされてしまいます。
僕は、これを防ぐのはとても難しいと思います。職場で、メールを使ってワードデータを開くことはざらですし、その際、全てのセキュリティ問題を考慮することなど現実的ではありません。ネットワークにつながらなければ良いかというと、それも難しいです。インターネットに繋げられていないパソコンは、もちろんWindows Updateやアンチ・ウイルスソフトの更新もできず、USBメモリなどローカルの被害でどこかで侵入された場合に、格好の標的となってしまいます。
僕は、コンピュータ技術そのものを、システムの構築から排除していくしかないのではないかと思います。
20年後、「私たちはIT技術をやめます」という国や会社が現れても、おかしくはありません。近い将来、「親IT」と「反IT」で戦争が起きる可能性もあると思います。
セキュリティも参照のこと。
遠い未来、ロボットや人工知能が人間並みの知性を持って、人間と戦う日が来るかもしれません。
人間は、人間と同じような頭と体と手足があって直立歩行を行うような「人間型のロボット」を思い浮かべてしまいますが、本当のロボットは、人間型にはならないと思います。もし人間型のロボットを作っても、彼らは人間型ではない、GPSとセンサーやレーダー、そして単純な「考えて行動する」だけのAI・人工知能を積んだ、巨大な戦艦や戦車、そしてロボットアームを取り付けることのできるドローンのような末端の機器を作るでしょう。それが、人間と共存し、宇宙へと向かっていくでしょう。
もし、ロボットが人間と戦うようになれば、どうなるでしょうか。彼らは、ウランやプルトニウムの採掘を行い、小型の核ミサイルを積むようになります。そして、戦車や戦艦のようなロボットは、ただ、命令に従うだけの末端ロボットとなって、中央制御は中央コンピュータが行います。人間に破壊されないように、この中央コンピュータは、それぞれのロボット機器の間で近くの機器とP2Pで通信し、ミラーリングを行います。その上で、「ひとつでも末端のロボットが残っていたら、このロボットは倒れない」というシステムになるでしょう。
さらに考えると、おそらく、ロボットは1人の人格ではなく、1000人を超える仮想人格を作るようになるでしょう。この1000パターンのロボット全てを殺さなければ、このロボットは制御不能になりません。そして、ロボットの核ミサイルは、人間を攻撃します。人間のような有機物の生物は、核ミサイルと放射能に弱いということをロボットは知っています。ロボットは、放射線によって人間を破壊するでしょう。ですが、人間は、逆にロボットのような電子機器が電磁パルス攻撃に弱いということを知っています。ロボットは放射線とミサイルで人間を攻撃し、人間は電磁パルス攻撃でロボットを攻撃します。
本当は、そんな未来になる前に、温暖化や異常気象で人類が滅びる可能性もあるでしょう。人間は、近い将来、ロボットの奴隷になる可能性もありますが、上に書いたように、IT社会そのものが終わる、という可能性が僕は一番高いと思います。それは、「今のコンピュータとネットワークは、これ以上新しいものにならず、消費者から飽きられる」という可能性があるからです。
ただ、このロボットはいつまでも作られません。それは、人間と全く同じものを作る必要がないからです。そもそも、こんなシステムは今の技術でも作れます。誰も作りたくありません。
AIも参照のこと。
最近の僕が思うこととして、「昔のITは良かった」ということが言えます。
特に、OSやプログラミング言語など、昔のITはまだまだ発達途上であり、未来に対する夢と希望のようなもの、また歴史の時間の流れ全体に言える「新しさの進歩」と「そこにある面白さ」がありました。
たとえば、Lispのような昔の言語には、きわめて面白い特徴がありましたし、Appleを離脱したスティーブ・ジョブズが作ったNeXTSTEPというOSは、斬新なGUIの進歩の歴史があり、その時代に居合わせた人間でなくても、歴史を知る上でたくさんの面白さがありました。また当時の最新技術であるC#/.NETなどは、マイクロソフトながらとても面白く興味深い新技術でした。IntelのCPUアーキテクチャも、ちょうどそのごろ64bitになろうかというところで、新しい規格であるIA-64(Itanium)など、面白い要素がたくさんありました。
いつからでしょうか、パソコンやITには、そうした面白さが失われました。Windows 7やAndroidやRuby on Railsぐらいからおかしくなったように思います。FacebookやTwitterが標準となりましたが、そこにあるのは単純な友人同士のコミュニケーションです。OSやプログラミング言語は、発達しすぎて誰にも作れなくなり、理解することすら難しくなり、「いったい今何をやっているの?」という現状になっています。
IT以外の要素と言えば、プラスチックごみの海洋汚染や、異常気象と温暖化など、環境破壊を痛烈にまざまざと見せつけられる、そんな環境になりました。トランプがアメリカの大統領になりましたが、彼は交渉と威圧しか分からない、政治的要素と政治的手段のまるで分からない極右の不動産屋です。この先、地球は大丈夫なのでしょうか。ITから環境汚染まで、「今まで正の側面ばかり見ていたものに対する負の側面」をそろそろみんなで意見しなければならない時代になってしまったように、僕だけは思えています。
僕は、ITやITだけではなく、最近は「悪い技術」が増えていると思います。
たとえば、7payのようなEマネーは、あまり良い技術ではありません。セキュリティ対策をきちんとしなければ、すぐにハッキングされるような、脆弱な技術です。
今の大企業というのは、新しい技術に積極的に「イノベーション」と言って投資しますが、その投資対象の技術そのものが、あまり良い技術ではないのです。
自動運転や人工知能などに投資しても、僕はあまり良い結果を生み出すようには思えません。
今からは、過度な現代化に抗いながら、労働者の権利を考える、「自然な左翼」の世界になるように思います。
僕が思うに、プログラマーを目指す人は、IT企業になんか入らない方が良いです。
それはなぜなら、会社のコードしか書けなくなるからです。
デスマーチとか、会社特有の「成果を出す労働」も悲惨ですが、一番つまらないのは、会社で書いたコードが全て会社のものになり、外部に公開できなくなります。
なので、僕のようにロボットのコードを書いてオープンソースで公開するのは、会社ではできません。
後日注記:ロボットのライセンスはMITライセンスに変更しました。
僕の場合、自分の力だけでプログラミング能力をいくらかつけただけです。
今からのIT社会は、会社が中心となったものではなくなり、人々は給与を求めずにフリーで開発するようになると思います。その方がずっと楽しいはずです。
昔に比べて、インターネットには素人が増えたと感じます。
昔から、素人が居なかったわけではありません。侍魂やちゆ12歳のような昔のテキストサイトは、多くが素人でしたし、みんな普通の人間でしたが、人数が少なかったのです。
人数が少なかったから、楽しさを共有できる場所が希少で、その分面白かったのです。
ツイッターのようなSNSのおかげで、どんどん素人が増えていますが、昔の技術、特にPHPのような技術はあまり変わっていません。確かにQiitaなどを見ると最新情報がありますが、そんなに大した技術はありません。
ただ、もう、全てが終わりつつあります。ネット社会はもう終わりです。極めつけはトランプと中国です。トランプと中国が最後にネットを完全に潰すでしょう。それで、ネットは終わりだと思います。何もありませんでした。最初からネットなんか無かったかのように、インターネット社会は消え去るでしょう。そこまでの全ては、僕のこのサイトに残りました。
ITは勝者が総取りだと先に書きましたが、ここでソフトウェアがコピーできるという真理が組み合わさり、その上で標準を手に入れれば、大儲けできる、というわけです。
数学的にこれは正しく、標準を手にしてしまえば、あとはコピーするだけでいくらでも儲けられるのです。これが、ビル・ゲイツが億万長者になった理由でしょう。
僕としてIT社会について思うことは、機械に依存する結果、人間の自分たちの力だけでは何もできなくなった、ということが言えると思います。
子供が親に依存して育つように、IT社会におけるコンピュータや、あるいは自動車などの機械は、人間が何も努力し覚えなくても使えるようになった結果、それなしでは生きていけない社会になってしまったのです。
僕は、これをとても危険すぎることだと思います。機械はどんどん人間を便利にしてくれますが、IT技術を使った機械を使っている結果、「そうした機械がもし社会から消えてしまったら、明日から社会は何もできなくなる」という危険性をもたらしたのです。
確かに、原始人や古代人を考えれば、ものを作り、道具を使うことは、人間の本質には適っているでしょう。ですが、現代社会の近代化からすればどうでしょうか。いつか、何かの理由で、機械、特に情報や通信の技術がなくなってしまったら、明日からわたしたちは何もできません。それこそ、コンピュータのOSに根本的な間違いが発覚したり、インターネットの主要サービスがハッキングされたりすれば、わたしたちはこの世界のどんなことも、その時点でできなくなってしまうのです。
また、僕は、最近のコンピュータについて、技術は複雑かつ高度になったが、人間のすることは単純化したと考えます。
たとえば、自動車などの組み込みシステムにもどんどんコンピュータやICチップが搭載され、どんどん複雑化し、高度化したために、自動車整備などは高度化し、簡単に中を開けて仕組みを知ることもできません。
一方、人間のすることはマニュアル化、作業化し、単純になってしまいました。たとえば、自動車を直す場合においても、昔のようにすべての部品をチェックしなくても、ICチップを新しいものに取り換えて初期化するだけで、直ることもあるのです。
僕は、コンピュータ業界は複雑化・高度化しすぎではないかと思います。もっと単純な機械の方が、汎用的ですし、理解しやすく、また新しい製品の発想もしやすく、作ったり直したりするのも単純でした。僕はそうした「単純な機械」が、コンピュータとは別の形で今から発展していくのではないかと思っています。
僕の考えたこととして、オープンソースから、社会論を考えられます。
僕はかつてのオープンソース活動をしていた頃、カール・マルクスのように「生産手段」と「生産様式」から、さまざまな社会の形態を考えました。
まず、自分自身の活動の経験から、「ボトムアップな啓蒙の可能性」を考えました。
次に、文章の中で「生産条件」を成立させながら、資本主義や共産主義の社会形態を書くことで、労働、生産、消費、そして政治や支配や議論における、社会のさまざまな「決定可能性」を考え、具体的に作り上げました。
同時に、「自由」ということを信じて、それぞれの個人の自由を最大限尊重し、制限することなく可能性を許し、同時に社会のさまざまな形態を「多様性」という名の下にすべて成立させるべきだと考えました。
このようなことが考えられたのは、オープンソースがあったからです。
オープンソースは無償のボランティアによる社会形態のひとつであり、製品を作るのに必要なのはパソコンとテキストエディタとコンパイラだけであり、製品をひとつひとつ工場で従業員が作らなくても、ゼロコストでデジタルコピーをすることができます。
また、インターネットで繋がった協力者のパッチを取り込むことで、ひとりでは作れない高度な製品も、改良や品質の向上を含めて作ることができます。
僕は、このような「オープンソースの奇跡」を参考にしながら、資本主義や社会主義のあらゆる社会の形態を考えました。
オープンソースと同じようにはいかないということが分かっていたとしても、オープンソースという「具体的な理想の社会形態」があれば、僕は現実世界におけるあらゆる「理想と現実」を書くことができたのです。
そう、僕はそもそも、そのような世界をすべて作り出すために、かつてより、この文章を書いていたのです。
2023.06.24
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