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=2017-01-30=

みんなのことを本気で守った。それが賢かった。

考え方は、作用的な相乗効果の考え方だった。みんなで作る、自由に作る、協力して作る、それぞれ作る、経験から作る、ゼロから作る、すでにあるものを改善しやすくする、みんなの意見を取り入れる、など。そういう考え方を、プラットフォーム的に適用させていた。

僕は、経験的に、分かることが辛くなっている。つまらないことは分からなくて良い。

辛い時、頑張らない方が良い。辛い時に頑張っていると辛くなる。辛いのが生きるようになる。

怖いことが怖い方が良い。辛いことが辛くない人間が辛くなる。

辛いことは、怖い方が良い。怖い人間は賢くなる。

今日は、作業所で早くから仕事をして、歯医者に行って、買い物に行ったせいで、本当に疲れた。

Illustratorのプロ技デザインの本を買った。きちんとプロになった方が良い。

パソコンは止めた方が良い。パソコンは、詐欺のように儲けているのが悪い。

作家を続けながら、デザイナーとして生きるのが良い。もう、これ以上、あまり何もしない。

もう、新しい人格も作りたくない。そんなに死ぬほど頑張りたくない。普通に、楽に生きたい。

頑張らなくて良い。今まで、本当に物凄く頑張った。その自分を、楽にして終わりだ。

昔は、自由な知性で考えながら、「そうだったのか」と言う経験的な体験をして、この世界を分かっていた。

自分は賢い。もっと自分のことを賢いと思った方が良い。自分は、昔から、全部分かっている。いつもの自分は、世界のことを、時間的、構造的に、全方位から全部分かっていた。昔の自分は、仮想的な「人間の側にあるもの」としてのフィクションを分かっていた。もっと、自分に自信を持った方が良い。今、日本語が分からないと言うとおかしい。難しい話が分からないだけで、日本語は分かっている。普通のことが分からないのは、賢いからだ。

昔は、人間の持つ自己意識としての認識のようなものを、想起的に分かっていた。それから、自由な経験の中で、人間のことが全て分かった。宇宙を解明して、全てを分かった。最近は、神と対話したり、永遠の文章書きの経験をしたりしている。むしろ、昔の自分より、今の方が賢い。今を、賢いと思うべきだ。今の自分は賢いだろう。もっと、今を信じた方が良い。もし、こんな環境がこうだったらどうなるか、とか、そういう風に思いつきで分かっていたのが昔だ。そういう風に、漠然と考えても良いだろう。最近は、そこまで緻密な文章を書くことが多かった。

あとは、ヘーゲルのような、精神の成長を書けば良い。僕は、「変革」と言う世界を変えたい、と言う気持ちと、「自己実現」と言う気持ち、そして、世界の中で自分が置かれている「立ち位置」と言う気持ちから、能動性、変革性、合理性、功利性、自由、平等、愛、真実、解明、喪失、共同体感覚、理想と現実、悟り、そして運命のようなことを知った。ヘーゲルのように書ければ良いとは思うが、僕はそこまでそういう時代を覚えていない。この文章で分からない点は、ヘーゲルを読んで補って欲しい。

おかしな点はある。昔は、意識で歴史を分かっていた。最近は、巧妙に支配して戦う。そこらへんがおかしいだけだ。ニキビが増えたのは、風呂に入らなかったからだ。どうにかしてニキビを治したいが、新陳代謝を良くすれば治るような気がする。細胞の活性化をすれば良いのかもしれない。あるいは、細胞の中にばい菌や汚れがたまっているような気がする。僕の似顔絵は、イラストだからかっこよく見えるだけで、本当に見ると酷いニキビ顔をしている。見れたものじゃない。それに、頭も馬鹿だから、恋愛は出来ないだろう。結婚はしない。

昔は、意識によって、場の歴史を分かっていた。根源的に分かっていた。トランプのイスラム教国からのアメリカへの入国禁止から言えるのは、「力」と「正義」が同じだった時代の終わりだと思う。力は、容赦なく、弱者を貶し、陥れ、抑圧する。そこには、これまでのような民主主義的な正義は無い。正義の無い力の時代になった。だが、僕が思うに、力がいくら強くても、勝つのは正義だ。正義としての弱者、力としての強者と言う、ここから先は正義と力が戦う時代になるだろう。