最近の日記(ツイッター)に戻る | 2017年1月の日記に戻る

=2017-01-16=

そろそろ止めにする。そろそろ、ツイッターではなく、何か別の手段で自分を表現したい。忍者ブログをまた続けるかもしれない。忍者ブログはこちら:schwarz1009.blog.shinobi.jp
posted at 23:08:31

あとは、昔は、ネットを見ながら、主と奴、創造性のある体験、経験的認識、社会と価値観、意識の自在性、歴史の実環境、そして自然な変化の可能性のようなことを、経験的に分かっていた。その上で、思考力をつけ、「どんな環境にでも適応出来る適応性」を持っていた。それが、そのまま、自由になった。
posted at 23:07:48

これでは、信念を持った左翼が賢く見える。右翼はそれらをいじめる。だが、右翼も悪いわけではない。左翼は、2ちゃんねるのような環境で、色んな経験をして、馬鹿なことばかりいくらでもしている。右翼は、そういう2ちゃんねるの左翼を2ちゃんねるで倒しているだけだ。
posted at 23:06:38

ある意味、イスラエルのユダヤ人は、神の奴隷になりたいのだと思う。自らを奴隷にして、みんなを奴隷の平等にするところがある。そこがドイツ人に嫌われている。だが、今の時代、ユダヤ人差別は流行らない。
posted at 23:05:53

ただ、それをしている右翼が多いから、話は無用に複雑になる。ある意味で正しいのは、明らかにこの世界は自由であるべきだ、人権を守り、誰にも不安を与えないものであるべきだ、そして、それを感じ取り、思いやる心だけは、平等であるべきだ、と言う、基本となる平等な信念なのだ。
posted at 22:37:44

悪いとは思うが、右翼や支配者を否定して、自分のような支配も否定して、自分とは別の次元で、「理性的になること」をしてほしい。それは、単純で、自由で、穢れの無い、制限の無い、正常な世界観だ。
posted at 22:36:41

だが、何を考えても、支配者が良いことになってしまうのは、僕がその支配者だからだ。だから、これで右翼が良いことになってしまう。それは、その僕が、間違った支配をしているから、それ自体があまりに悪いからだ。本当に理性的になる、と言っておいて、その理性と行為が間違っている。
posted at 22:35:58

本当に理性的になることに、条件は必要ない。だが、誰かが勝手に支配して良いものではない。支配者を否定するのも間違いだが、何も考えず盲目的に肯定するのも間違いだ。それは、みんなの普遍的価値観をおざなりにしている。それは、支配者から見て、絶好の利用手段となり得るだろう。
posted at 22:34:58

ある意味、みんな、考える力と意志の疎通の力を失ってしまった。本当は、きちんと考えるべきなのだ。そのために、「本当に理性的になること」が大切であって、それは小手先の支配や、局所的な見解や、先を見ていない意見ではない。それは、一握りの人間のものでもなければ、神のようなものでもない。
posted at 22:33:55

僕は、日本は、右翼のような考え方をそろそろやめて、人権と権利を守るようになった方が良いと思う。ある意味、右翼を演じる時代は終わった。ここからは、本当に自由な社会を作っていく。日本人が全く違った人種で、いじめや自虐史観をせず、民族を愛すると良いのは分かるが、人権とそれは矛盾しない。
posted at 22:32:20

人権を守れ。
posted at 22:31:10

世界モデルと言うか、論理モデルと言うか、言語モデルと言うか、想像力や環境のモデルと言うか、そういうものを、一通り仮想的に作っただけだ。それしかしていない。その上で、全部経験して、全部見て、全部行動して分かっていた。哲学的人生のようなことは、経験の積み重ねと仮想化から分かっていた。
posted at 21:55:56

昔は、世界モデルを作っていただけだ。数学的な積み重ねの世界モデルを作っていた。モデルを作りながら、世界全体を把握していた。それだけの人間だった。馬鹿だったが、それで分かる人間だった。
posted at 21:53:54

ほとんどは単なる判断基準だが、たまに色んなことが分かることはあるだろう。本当にこの社会がクズで、だけど、可能性としては良い社会にも出来るのが、良く分かるだろう。見ていると、みんなは何も分かっていない。だけど、ほとんどの人間は、どこかで気付いている。それは、先輩たちだからだ。
posted at 21:27:30

そういうわけで、思弁哲学者は賢くない。自分がそれを個性的、独自的だと思う、その思いが何故生まれてくるのか、そこから、人生を生き、社会を知るのが、思弁哲学者だ。
posted at 21:23:30

定義とは何か?共通性とは何か?普遍性とは何か?絶対性とは何か?それぞれを規定するものは何か?何が何を対応づけるか?それをするということは、何を意味しているか?
posted at 21:22:51

何故自分がそれを思うのか、個人的観念としてその理由を考えてみよう。そこから、哲学が始まる。人々は何を思うか?自分はその人々に何を出来るか?自分は世界の中でどこに居るのか?自分がこういう人間だったということは、社会をどういうものだと規定するか?自分がすることは、正しいのか?
posted at 21:22:09

見ていると、みんな、信じる方法が分かっていない。信じないを信じても意味がない。もっと、信じる方法を考えた方が良い。そのためには、誰もが言うような一般的なことを信じるより、誰も言わないような自分個人の思いを信じた方が良い。自然に、そういうことを考えるものだ。
posted at 21:20:57

ただ、それではつまらない。簡単に抽象的なことを言っても、正しくない。自分は、考えているようで、昔考えたピースを巧みに使っているだけで、「今、何も考えていない」。だから、今、考えた方が良い。
posted at 21:19:55

ある意味、誰かほかの人が、あなたの生き方を知り、見る、と言うことがまず不可能だ。そして、完全に客観的に自分のことを見ることも不可能だし、覚えていないことや忘れてしまったこと、思い違いの方がはるかに多い。正しい生き方とは、ある意味、自分の思う偉大で栄光ある生き方をすれば良い。
posted at 21:19:12

ある意味、考えても仕方がないとはいうが、そうでもない。好きなように考えれば良い。そうすると、本当に正しい生き方とは、誰が見ても正しいように生きることだが、それはある意味、成り立ちとして不可能だ。誰が見ても正しい生き方なんて、存在しないし、成り立たないだろう。
posted at 21:18:09

本当に正しい生き方とは、あなたの生きたいような生き方、で良いのだろうか?あなたは本当に自分の思う正しい生き方をしているのか?そうでないとしたら、可能なのはどんな生き方なのか?ある意味、自分の今の現状でも、結構良い生き方をしているのではないか?だから、宗教は、信じるだけになる。
posted at 21:17:17

ある意味、「そんなことは考えなくて良い」のが分からない人間が多い。「そんな考え方で考えなくて良い」とか、「もっと違う自分になった方が良い」こともある。本当に正しい生き方とは、その考え方、「自分を常に監視し、変えていくこと」にあるのだと思う。だが、その正しい生き方は、失敗作だ。
posted at 21:16:04

そういう風に考えていると、ヘーゲルより、ウィトゲンシュタインに近くなってくる。ただ、ウィトゲンシュタインはもっと賢い。本当に言えることは、「自分が何故自分であるのか」と言う、「答えに意味のない問い」にある。哲学とは、その「問いの問題自体の共有」にあるのである。
posted at 21:13:35

自分から離れることは出来ない。それは、自分だけの真理ではないのだ。みんなも、自分自身から離れることは出来ない。世界に見えている現象は、ほとんどがその真理に尽きる。総理大臣であろうと、総理大臣の自分から離れることは、一秒たりとも出来ないのだ。
posted at 21:12:36

あなたはあなたである。そこに、幾千の成り立つ真理がある。同時に、あなたはあなたでしかない。そこにも、幾千の成り立つ真理がある。
posted at 21:11:30

経験とは、自分が自分であり、自分が自分のことを知っており、自分が自分のことが出来る、と言う意味でも、その見た社会そのものが歴史であり、見た社会の変化そのものが社会の変化である、と言う意味でも、自分のことを高めるが、その経験は後々、自分の全ての過ちとともに、地獄となって自分を襲う。
posted at 21:10:39

You can all and you know all about yourself!
posted at 21:06:36

Why do you know about the why? Why do you make the why? Why not?
posted at 21:05:56

数学のような論理表現が、昔得意だった。そこらへんがヘーゲル的なのだったのだと思う。
posted at 21:03:55

ある意味、全ては「定型表現」だ。そして、数学は、「設計的マクロ」だ。
posted at 21:03:32

This is good for you and god for you!
posted at 21:02:18

Do you make the why?
posted at 21:01:44

Did you get and have the why?
posted at 21:01:24

良く分からない英語のようなことを言っても、面白くはない。書いている自分は、高揚感に浸っているのだ。
posted at 21:00:42

Do you know why about this? Is that good in the why?
posted at 21:00:16

why why why... Do you know why?
posted at 20:59:40

ふふふ・・・。なんとなく楽しくなってきたぞ!(普通、ツイッターはこういう風に使う)
posted at 20:59:22

僕が思うに、ハイデガーはもう少し良く考えるとヘーゲルと同じになる。気付いていないものを「存在しない」と言う行為は、もう少し良く考えていると、むしろ、自分の一部である「世界精神」になるのだと思う。僕は、昔そういうことを考えていたが、昔は哲学者なんか全く知らなかった。哲学は賢くない。
posted at 20:58:33

自分でも、「何でしょうかね」と言う発言をした。もう少し、考えないといけないなと思う。喪失が狂っているだけで、自分は分かっていない。
posted at 20:56:05

ただし、そこから生み出される「心の造形物」は、情熱、愛、平等、自由、思いやり、革命、破壊、衝動のような、「ポジティブなようでいて、攻撃的なもの」になってしまう。ある意味、芸術家のような人間はそういう人間が多い。世界を見て、冷静に人々の意見を聞くこととのバランスが求められる。
posted at 20:48:37

そして、全てのことをして、全てのことを考えて、全知全能の神のビジョンを手にするが、そこにあるものは、喪失、虚無、無意味と言った、否定的なものばかりだ。そこまで行っても、どこにも行っていないのだ。それも、正しい人生の一つの側面だ。そういう人間が多い。
posted at 20:47:38

ある意味、新しい自分になる体験を一度した人間には、本も、教師も、家庭も職場も必要ない。そのまま、この世界を見ているだけ、していることをしているだけで、自然に正しい人生へと向かうことが出来る。
posted at 20:46:40

喪失から共同性を見出す、とヘーゲルが言っているが、僕は、本当にこの世界を否定することが世界を築くための原動力になると思っている。自分の人生を否定することで、自分の人生を前へと進められる。世界が嫌いな人間は、否定と言う感情から新しい世界へと自分を導いて、新しい自分になれるのだ。
posted at 20:45:46

不確実なことを信じないことが、逆に不確実なことを信じさせる。それは、ある意味で、正常な人間の理性を高めた状態であって、理性が本当に衰えると、信じない代わり、世界に興味を抱かなくなる。愛の反対は憎しみではなく、無関心だと言う、ドラマのような言葉は正しい。
posted at 20:44:30

争いとは、自分のことを信じるがゆえに、自分の別の側面が見えていない、あるいは見ようとしないことから来る、偏愛の感情なのだと思う。
posted at 20:43:13

平穏無事で居られることが良いかと言うと、そうでもない。荒くれた、波乱万丈の人生を生きることも、本当に面白い。自分の引き篭もりの殻にこもるのは、悪いことに見えて、そんなに悪いことじゃない。だけど、みんなと一緒に戦いの中で生きることも、悪いことに見えて、そんなに悪くない。
posted at 20:42:38

最近は、そういうところが極端になっていると思う。
posted at 20:41:34

自分が思っていることを、その通り他人が言っても、面白くもなんともない。大切なことは、多様性と、意見をきちんと与えてくれることであって、権威や権力が必要かと言うと、そうでもない。ある意味、2ちゃんねるでも良いのだ。ただ、自分を肯定する気持ちがあることは、逆に大切なバランスでもある。
posted at 20:41:16

知とは知ることを諦めないことであり、希望とは解決を諦めないことだ。そして、おそらく、生きるとは、人生を諦めないことだ。
posted at 20:37:54

誰も分からない。分かる人間なんか居ない。分かりたいなら、自分で分かるしかない。昔、賢かったのは、昔の昔が賢かっただけだ。
posted at 20:32:15

真実なんて、誰も知らない。
posted at 20:31:41

反面、この世界は馬鹿だ。この世界にあるものは、ガラクタ、骨董品、ゴミ、老人、そして屑鉄のようなものばかりだ。それは、昔の時代が悪いのだ。昔の平成のようなクズ時代が、この地球をクズにした。それが、一番悪い。
posted at 20:31:23

議会制民主主義など、クズだ。クズと言わないのがおかしい。国会なんか何も賢い点が無い。議員が賢いと言う思い込みは、騙されている。本当は、議論するべきなら、井戸端でも出来る。
posted at 20:30:15

平和とは、それぞれが戦った上で、勝者が定めることだ。敗者には、平和を定めることは出来ない。勝者が全員の責任として、平和にする必要がある。それが、平等だ。
posted at 20:29:33

そういうわけで、自ら馬鹿になるのが一番賢い。馬鹿になると、賢くなるものだ。馬鹿を治していると、どんどん馬鹿になる。馬鹿を作って、馬鹿になることこそ、馬鹿から逃れる道である。馬鹿が良いわけではない。馬鹿から逃れるために、自分から馬鹿になると言う出口が存在するのだ。
posted at 20:28:41

頭は、限界を克服することで高まる。
posted at 20:27:52

運命とは、真実を知るために、人々が持っている好奇心であると同時に、世界の自己による判断化であり、判断基準は共有することから独自の高い判断へと昇華する。それが、運命的に決まってくる。
posted at 20:27:41

愛とは、信頼することだ。それぞれを信頼しなければ、何も出来ない。そもそもが、信頼出来る社会を作らなければならない。そのための努力と言うのが、自由な発展の意味であるだろう。
posted at 20:26:55

平和で自然な世界になって、それぞれが関わり合いながら、愛や思いやりの心を持って、必要最低限のものを生産し、公平に分配し、働いた分だけ報いがあるようにせよ。それを、もっと基本的な部分から、具体的な部分まで、平等に、自由に、適切に行え。
posted at 20:26:22

僕は、馬鹿を治すせいで馬鹿になった。自分だけではなく、みんなも、自分が馬鹿を治すせいで、どんどん馬鹿になっている。もっと、普通に馬鹿になった方が良い。普通に馬鹿になると、賢い構造的な知性がつく。それが賢い。
posted at 20:25:21

自分は、もっと遠近法や透視図法のことを勉強したいと思う。パースが描けないで、デザイナーになれるわけがない。今、色んなサイトを見ているが、明日作業所に相談したい。
posted at 20:24:43

ある意味、真摯な姿勢を見せること。こちらが真剣になれば、相手も真剣になってくれる。いきなり北方領土とか、そういうことを言うのではなくて、本当に信頼出来て、「北方領土を返し、相手の国の利益が自分の国の利益になるのだ」と実感させるようにする。それが、社会的兵隊の役割だ。
posted at 18:31:08

諜報員や工作員と言うのかもしれないが、「社会的兵隊」のようなものを作っても良い。それは、日本のことを海外それぞれの国で紹介し、融和的な姿勢を見せて、みんなと一緒に新しい世界を作っていく、そういう機能を持たせる。昔から、僕はそういう風に、ボトムアップ的な社会変革を考える。
posted at 18:30:05

あとは、昔は「環境の意味」のようなことを良く考えていた。潜在的可能性から、場所と心を推論し、時間と基盤における実存性と発展のための条件を考えた。ある意味、本当に自由が好きだった。自由になれる自由があると考えていた。何かが二次元に見えるのは、二次元しか見なかったからだ。
posted at 18:16:00

ただ、あまりアホなことを言っていると、馬鹿な過激派に見えるから、あまり言わない方が良い。ネットから中国人を変えていくのは、意見だけではなく、色んな影響力の風上へと立って行使すれば、可能性はあるだろう。ロシアから北方領土を奪還するのも、SNSを使ってやれば出来るかもしれない。
posted at 18:14:31

そういうわけで、SNSは本来の「政治」と言うものに対するあり方に近いところがある。今の世界では、戦争と投票と言う「勢力圏と多数決」だけではない、もっとじかにコミュニケーションと影響力を行使する、そういう「現場の政治利害」を解決することが出来る力があるのだ。
posted at 18:13:27

昔の自分は、心理学的に社会を作ると言っていたが、そういう風に、いろいろと、みんなの力で社会をまとめることは出来るだろう。殺傷だけが戦いではないのだ。みんなの力で、合意形成と利害の対立を解決し、それぞれが利害を一致するところで合意する、それが政治なら、ネットで社会を形成すれば良い。
posted at 18:12:33

ある意味、社会的兵器によってロシアや中国を倒すことは出来るかもしれない。全員に、日本の優れた近代技術と社会を分からせる。日本の優れた国民性を分からせる。金や影響力を日本が握って、人民の動きを日本が独自に監視する。不思議と、民主主義とネットの力があれば、出来るような気がする。
posted at 18:11:13

国は、軍隊が無くても核武装すれば守れると言う人間も居る。それなら、核兵器よりも強い兵器と言うのは考えられないのか?僕は、兵器と言うと殺傷兵器に目が向きがちだが、監視をしたり、コミュニティの意志を合意へと導いたり、そういう、「社会的兵器」のようなものが考えられると思う。
posted at 18:10:01

テレビで見たが、水爆を作ったテラーと言う人間も、賢い代わり、おかしな人間だった。独善的で、一人では何も出来ないのに、自分のことを認めてほしいと、天才ぶってわがままに生きる。水爆の作者がそういう人間だ。そういう発想はやめた方が良い。
posted at 17:50:46

ロシアは、今核兵器を無くすべきだ。そうすると、みんな人類がどんどんロシアにつく。核兵器なしにはアメリカや日本から守れないのは分かるが、核兵器なんかコストと技術力や維持力がかかるだけで、何の足しにもならない。核兵器はやめた方が良い。
posted at 17:49:45

ある意味、最近は中国製品がどんどん質と量ともに上がってきている。富裕層も増えているようだし、労働者が悲惨な労働環境に陥っているのは、アメリカ人のグローバル競争が悪い。アメリカは、そろそろ馬鹿を見ると思う。むしろ、そろそろロシアが核兵器を削減して、良い国になるのではないかと思う。
posted at 17:48:56

見ていると、アメリカ製品と中国製品は、本当に壊れやすい。OSのAndroidなんか、きちんと動かない。アメリカ製品と中国製品は先端技術とパクリが違うが、アメリカは先端技術によって壊れやすいのを隠しているように思う。先端ITと言ってごまかしている。技術力は日本の方が上だ。
posted at 17:48:03

むしろ、もう少し、人間ではなく、キャラクターのような名前にした方が良い。猫のような名前が良い。哲学者がユージ、革命家がルーズ、キリスト教徒がベティ、作家がテルマで良い。
posted at 17:44:43

自分は、本当に、自分が素晴らしい人間だったことを忘れている。社会を見て、一人経験して、本当に社会の全てを知って、救えるほどに能力をつけ、分析する方法を知り、可能性と自然な結露を知った。最近は、自分の身に余ることをしたが、それでも、最後まで失敗せず、耐え続けた。神とも対話した。
posted at 17:42:17

むしろ、日本人の名前をつけたい。哲学者は夢幻愛子(むげんあいこ)、革命家は聖王由現(せいおうゆうげん)、神学者は融宙開教(ゆうちゅうかいきょう)、作家は志万想起(しばんそうき)としたが、何かが凝り固まった変な名前しか出てこない。もう少しあとで考える。
posted at 17:24:07

そういうわけで、いつものように名前をつける。哲学者はヨハン、作家はウォルフガング、革命家はマルクス、神学者はトマスだ。
posted at 17:16:44

これではレーニンやルターに見えるが、自分は善人ではない。ネットを見ながら悪いことを言って、哲学を勉強した人間だ。だが、哲学者のようではあった。本当に、全てのことを「きっちりと全部」考えて、「すっきりと明晰に」分かった。哲学者だったとは言える。本当に哲学者だった自分が好きだ。
posted at 17:14:07

本当に良かった。楽しかった。この世界の全部の存在に感謝をしている。だが、僕は、テレビやネットは嫌いだ。どこにも、見て一番悪く見えるものしかない。最近の若者が、「この世界に映る全てが嫌い」だと言う。それも無理はない。みんな、昔の標準よりはるかに馬鹿になった。
posted at 17:11:46

僕は革命家ではない。作家に向いている。そんなに何も具体的なことは出来ない。理想を追い求め、その美しい理想を他人と分かち合うのに向いているのだ。だから、神にも向いていないし、科学者や哲学者にも向いていない。むしろ、医者に向いている。普通、生活で、家族と医者にしか関わらないだろう。
posted at 17:10:28

それこそ、昔も頑張っていた。革命家のように考えて、本当に一番馬鹿になった世界を、一人で絶対に確実に治せるような、そういう救世主だった。だが、やるべきことは、一つで、それは自分が何でも出来るように、世界を支配し、その中であらゆる全ての体験を創造することだった。革命家ではなかった。
posted at 17:09:24

それから、色んな人間と戦った。最強の恐ろしい戦いだった。ともすれば、そこで終わってしまう。そこで滅びて死んでしまう。死とともに戦って、死の中で生きている。疲れながら、強くなり、弱みを見せなかったが、本当は、自分がまともな人間で、本当に努力した最高の人間だと言うことを忘れている。
posted at 17:08:21

あとは、色んな哲学を考えた。昔は、心や環境の知性から思い込みを考えたり、心の成り立ちを数学的知性と論理で考えていた。最近は、大量に分かることを増やして、真理を書いて、あらゆることを言葉の知性で膨大に分かっていた。
posted at 17:07:18

そういうわけで、この世界自体には何もないが、あなたには可能性がある。どんどん可能性を潰しながら創っていきなさい。そこに神のご加護がある。そして、無駄なことは何一つない。僕を見れば分かるのに、誰も見ていないのが、哀しいところだ。
posted at 17:04:18

自分が置いてけぼりになりながら、世界のレースを見つめていた。何もどこにもなかった。だけど、その中で自分が思うことは次第に変わっていった。そして、何かを自分なりにするようになった。僕のワンダーランドはそこから始まった。すぐに失敗して、間違った地獄になったが、最後まで考えて頑張った。
posted at 17:03:27

ある意味、僕も僕で悲惨だ。まだ誰にも出会っていない。自分にも出会っていない。それに、何もしていない。何も始めていない。挑戦から継続まで、何もしなかったのに終わっている。ある意味、何も頑張っていないし、最初から最後まで一人だけで生きている。置いてけぼりのまま、一人でまだ書いている。
posted at 17:02:32

そういうわけで、今から僕がこの世界を天国にする。そのために多かったのが、ここらへんの分からない終末だが、それも、僕が「世界観と人格をコピーする」ことで行った。みんな、何も分からなくなって辛くなった。だが、僕本人も、僕がどういう位置づけにあるのか分かっていない。
posted at 17:01:31

みんな、地獄とは悪い人間が死んだ後に堕ちるものだと思っているが、本当は、悪い人間はこの世界のまま、生きているままで地獄に堕ちる。同時に、終末や天国は、死んでから裁かれて行くものだと思っているが、それも間違いだ。現実に終末のような時代が訪れて、天国も訪れる。弱者のために訪れるのだ。
posted at 17:00:40

ある意味、人間と虫と宇宙人が居れば何でも出来るが、僕は、そこに恐竜が居れば完璧だと思う。
posted at 16:58:40

ある意味、地球を照らす明るい飾りのようなものだ。それが、生物だ。イルミネーションだ。
posted at 16:58:01

だから、最初から植物はどこにでも適応するが、動物は汚いところを綺麗にする。逆でもある。本当に、生物の適応力と自浄能力は優れている。地球を綺麗にしたいのだと思う。
posted at 16:57:29

分解や解毒ばかりに目が行って、修復や成長を忘れている人間が多い。きちんと体と精神を修復しないと治らない。植物は病気になりやすい代わり、修復もしやすくて、ある意味、病気に強いのが動物なのかもしれない。僕は医学は良く分からないが。
posted at 16:56:40

虫とは言うが、三位一体だと思えば賢く見える。あとは、みんなが左翼が嫌いなのは、僕が嫌いなのだと思う。僕が悪いのではなく、こんな馬鹿がそこまで強く、そこまで長い間みんなのことを支配して抑圧するのが悪い。
posted at 16:54:40

僕は、小池百合子のやり方が好きだ。問題を完全に明るみにして、全方位から考え、正しい解決をして、自分の手柄にするように見える。僕よりも賢い。自分は、作り直して、普通の発想をするだけだ。だが、小池はここが正念場だと思う。豊洲を白紙撤回にするのか、それとも続けるのかを決めてほしい。
posted at 16:36:19

僕は、脳が3つあるありえない人間だ。虫のように、三体に分かれている。人間、虫、宇宙人の脳がある。まさに、天使のようなことが出来る。
posted at 16:33:53

日本語が分からないのは、本当に、分かったことが多すぎるからだ。分かったことを少なくすると、すぐに日本語が分かる。
posted at 16:33:20

リミッターや制限をかけるのが悪い。それを、治した方が良い。
posted at 16:32:58

治すための基本は、分解、解毒、修復、成長だ。今から、脳と精神を修復していく。足は分解出来た。体中の全ての器官を、分解、解毒、修復、成長させていく。
posted at 16:32:36