最近の日記(ツイッター)に戻る | 2016年11月の日記に戻る

=2016-11-27=

あとは、最近は地獄だ。終わることのない暗闇だ。抜け出せる気配はないが、徐々に出口に近づいているのだけは確かに分かる。
posted at 22:47:35

そろそろ、終わりにする。今日も楽しかった。明日もこんな一日になると良い。頭が辛くなることはあるが、それはある意味、懐かしい痛みだ。
posted at 22:47:07

この文章には、唯一物理が足りない。昔は、体験的、感覚的に物理が分かっていた。自分のモデルを知りながら、実体験で宇宙の意識を知る。何故か、「宇宙にある全ての社会と体験」のように意識を経験で分かった。人間の心を解明し、宇宙を意識で分かる、「人間物理学」をやっていた。
posted at 22:46:31

何より、数字を使うより、文字を使った方が、より数学的になる場合もある。それが、算数と代数学のいいところだ。8と言う数字を、8と言う意味だけではなく、「猫のひげ」のような意味で使っても良い。そこから、「犬のひげ」を割り算で出しても良い。計算とは、そういうものだ。パソコンは正しい。
posted at 22:42:28

数字は、別に一次元的でなくても良いし、数字でなくても良い。あ+かは、横方向の足し算と、縦方向の足し算を同時に考えても良い。四則演算は一次元的な量で考えることも多いが、二次元や三次元の場合もある。
posted at 22:41:43

あとは、昔は、支配される、自由になる、それによって決まる、それによって必然的に決定される、それは決められ得る、などを考えていた。
posted at 22:40:10

何も知らないようで、全て知っている。実地的な環境、オープンソース社会の実例、数学の考え方と成り立ち、物理的プロセス、意識の歴史と現象学、哲学的意見、国家モデル、そして発想法と想像力、全て知っている。完全に全て知った人間が自分だ。
posted at 22:30:49

ある意味、自分は本当に統合失調症だ。統合だけが出来ていない。部分的に考えるのが、そのまま大学になっている。精神が宇宙の全てになっている。それは、統合が出来ない、と言う病気のせいで、賢くなった。
posted at 22:29:53

分からない。数学は、もう少し、目的を考えて手段を共通的方法にした方が良い。総和を考える、と言う意味において、順列とグラフと積分は同じだ。微分は分からない。微分は、分数や累乗と同じだ。それを、「総和記号」と「変化記号」として、それぞれの場合は全て、統合的変化が出来るようにすべきだ。
posted at 22:29:07

良く考えると、何もない。重力も無ければ、エネルギーもない。人間は何を見ているのだろう?哲学者は、この世界を全くありえないものだとするが、その尺度が人間的過ぎる。もっと、非人間的にならなければならない。虫から見た世界を見るぐらい、キモい体験をしなければ分からないのだ。
posted at 22:27:49

数学はまともだ。僕が思うに、「数字を同じだと思う」と言う発想があるなら、別の発想も考えられる。「自然な結果は、前提と結果が同じではないか」と考えられる。「同じ法則なら、場合が違っても同じことが言える」と考えられる。「法則なんかなくて、全てはそれぞれのマクロ的成り立ちだ」と言える。
posted at 22:26:50

数学とは言うが、ある意味、気付きと発見のような数学だった。数学的論理性から、「その論理が成り立つ時、それは再利用出来る」と言える。そして、「同じことを決める時、それは実体と可能性に分かれることで、表記や実際の姿と表層の姿は違うことが取り得る」と考える。そして、可能性を考えていた。
posted at 22:25:28

おかしく全部分かっていた。思考や認識がおかしくなったり、制御不可能になったりする。分かっているが、あれは治らない。あのまま、死んだ方が良い。そういう人間だった。
posted at 22:23:52

昔は、おかしく狂っていた。動体視力が無くなって、場所認識がおかしくなった。それが世界を支配する。それは、神が治した。神は、天使とか、イスラム教とか、宇宙とか、おかしなことを言うが、僕は、その時代に分かっているせいで、何でも未知が全部分かる。反応と言葉遣いがおかしくなっていた。
posted at 22:23:21

それから、すぐに分かったと思うのが間違っている。自分は最近、そこがおかしい。すぐに分かったと思って、書くのがおかしい。もっと理性的に、まだ何も分かっていないとして、忘れて、同じことを疑って考えるべきだ。
posted at 22:22:23

治さずに治せば治る。ある意味、そんなどうでも良い部分を治すのではなく、もっと別の部分を治した方が良い。
posted at 22:21:44

数学の1+1を2ではないと言うが、僕が考えるに、論理的に同じな仮定と結果になるなら、同じだと考えるべきだ。僕が思うに、数字ではなく、文字や論理的意味でも、同じように考えられる。あ+2=うと出来るし、あいーい=あだと出来る。そういう風にも、考えられるのだ。数学は否定すべきでない。
posted at 22:21:08

あとは、僕はまだ死なない。何故か、二回目の人生が終わった。普通は、ここから馬鹿になる。僕の場合、もう一度最初からする。それこそ、僕だけは無限に繰り返す。僕だけは永遠なのだ。
posted at 21:31:22

しいて言えば、「みんながなるべき思いやりの理想」を書いていた。そういうものを書いて、多様性とか、優しさとか、人格者とか、理想の社会を書く。何かが、汚染されたようにおかしな心だったが、純粋な純愛だった。
posted at 21:30:47

昔は、同じ発想と言うよりは、完全に同じになって分かっていた。そういう、何にでも変われるような心を持った経験豊かな人間だった。それが、指導者になって、全てのことを執り行っただけだ。
posted at 21:24:27

むしろ、考えていると、虫から生まれたように見える。良く考えると、虫も、キモいのは個性が全くないからだと思う。そうすると、最初が虫だった可能性はある。最初は、地球と同じ環境を、生命と言うコンパクトな体に詰め込むような、そういう生命だった。だから、今でも地球は生きている。
posted at 21:23:50

そういうわけで、何故か優性主義者のようなものをいくらか書いたが、生命は多様性であって、それぞれにはそれぞれの優れた点が一つあり、それは不可分のものであって、比べるものでもなければ、優劣があるわけでもなく、それぞれが価値ある生命なのだ。
posted at 20:51:55

みんな、黒人は原始生活を送りながら、白人は文明生活を送り、アジア人は共同体で古代のように暮らせば良い。それが一番良い。ドイツは間違っていないが、ある意味、考え方がおかしな方向に行ってしまったのが間違いだ。
posted at 20:50:54

それぞれが多様に、それぞれの個性を持って、それぞれが生きながらえた。そういうわけで、それぞれが多様に暮らすべきだから、白人の文化を黒人に押し付けるのも間違っている。
posted at 20:49:59

ある意味、アジア人は、集団で適応する、横並びの平等が得意だが、白人は本当に本当にそういうものが不得意だ。だが、戦い合いだけではなく、白人はアジア人のようなものを国として目指し、アジア人は白人のようなものを国として目指すところがある。助け合いで、ウィンウィンなのだ。
posted at 20:49:08

ただ、そうでもない。そういう風にはなっていない。
posted at 20:48:08

あとは、黒人も、白人も、アジア人も、何かが優れている。だが、これも、動物を見れば良く分かる。黒人は、環境への適応能力が高い。爬虫類のようだ。そして、白人は、独立性が高い。哺乳類のようだ。そして、アジア人は、どんな場所にでも適応し、集団で努力する。昆虫のようだ。
posted at 20:47:58

だが、そういうことを言っていると、既存の生物学と何も変わらないものになってしまう。この生物学は、平凡生物と言う最初の生物から、それぞれの多様性物が生まれて、個性が生まれていった、と言うところが核心だ。
posted at 20:46:35

あとは、可能性の全て、と言うとおかしいと思う。虫と魚と他の動物は、速いうちに分かれたのかもしれない。
posted at 20:46:31

生命の賢い点は、六本足や四本足の生物は多いが、八本足となると少ない。それは、おそらく、そんなどうでも良い部分は統一して、個性豊かな部分を伸ばす。だから、生活の上でも、どうでも良い部分を完璧にするより、自分の個性を伸ばした方が賢くなる。
posted at 20:44:58

ある意味、ユダヤ人の男から生まれた、と言うよりは、ユダヤ人の男が創った、と言っても良いかもしれない。ユダヤ人にはしっぽが二本あって、一つのしっぽが植物に、もう一つのしっぽが虫になった。そして、それらは、可能性の全てとなるように運命づけられていた。
posted at 20:43:52

僕の昔を考えると、「全部のものになりたい」と言う欲求が極めて強かった。全部のものになる、と言う発想は、人間の自然な感情だ。
posted at 20:36:38

ある意味、哺乳類なんか何も優れていない。毛がたくさん生えていて、暑苦しい。最初は冬の生活に適応するために生まれたのだと思う。子供を可愛がるのは、他の生命と比べて、生活のために環境に適応する割合が低いからだ。独立性が高い生命が、哺乳類だ。逆に、虫や爬虫類は、独立性が低い。
posted at 20:28:22

ただ、最初が青虫だった可能性は低い。青虫は、おそらく、平凡生命が「退化して進化する」ことを望んだ、一つの形態に過ぎない。逆に、人間が良く似ている。人間は、「進化して退化する」ことを望んだ、一つの形態に過ぎない。
posted at 20:26:51

最初に居た生命は、おそらく、白人の男だった。神とは言うが、その白人の男が神だ。ユダヤ人かもしれない。そして、神話におけるエデンのように、体から骨を取り出して、それを女にした。だが、そんな宗教の物語にすると、つまらない。僕は、平凡生命は、巨大青虫か、普通の魚のような生命だと思う。
posted at 20:26:07

おそらく、最初は小さくて平凡な生物が、一匹居たのだと思う。たぶん、一匹だけだと、寂しかった。そして、増えていった。だが、賢かったのは、植物と言うプラットフォームを思いついた。植物を通して循環することで、生態系の調和が図られる。植物は動物より後から生まれたのかもしれない。
posted at 20:23:27

だが、見ていると、虫や魚にも、とても優れた機能を持った生物は、本当に多いのだ。それらが、最初は平凡生物だったと思えば、生命の目的のようなものが良く分かる。あらゆる可能性の全てのものになりたい、と思っただけだ。
posted at 20:07:15

ただ、個体のサルから、色んなサルが生まれていった、と言う発想は良く分かる。それは素直に進化だ。だが、その前が爬虫類だったとは、疑わしい。爬虫類は、個性のある生物であって、全く違うルーツを持っているが、どちらかが優れているわけでは決してないのだと思っている。
posted at 20:06:23

僕は、進化論は嫌いだ。神が創造したとも思わないが、最初の生物は宇宙人か何かの創造者が創ったのかもしれないと思う。僕は、「多様生物が平凡生物から徐々に増えて、個体ごとに優れた点を作っていった論」の支持者だ。人間はサルから進化していない。人間は平凡生物から直に個性を持った。
posted at 20:05:09

そういうわけで、それぞれきちんとやっている。生物は、助け合うことも多い。弱肉強食の強きものが弱きものを殺すだけのものが生物ではないのだ。生物とは多様性の構築であり、どんどん個性のあるものが生まれて、あらゆる派に分かれて行くような、そういう活動なのだ。
posted at 20:03:17

NHKの生物の番組を見たが、ある意味、爬虫類だからと言って、哺乳類に負けるわけではなく、優れた点を持っている。僕は、進化をして爬虫類から哺乳類に分かれて行ったのではなく、何の個性もない「平凡な生物」からそれぞれが個性を持って優れた点を持つようになったと考える。
posted at 20:02:11

悲惨な障害者と付き合っていると、賢くなる人間が多い。悲惨が賢い。
posted at 20:01:08

悲惨が賢いから、今から賢くなる。昔の自分と同じが出来る。昔は、2ちゃんねるを見ながら、経験を重ね、色んな人間と匿名で絆を培って分かっていた。そういう青春だった。
posted at 20:00:43

こういう悲惨な人間は、放っておくと、おかしな革命を起こして馬鹿になる。それが、神になって、治る。治ってしまうと、何も賢くない、意味の無い普通の人間になる。もう一度悲惨な環境になると賢くなる。悲惨な中学校と言う環境が賢かったようだ。
posted at 19:28:19

要は、悲惨な人間にならないと、賢くならない。環境を変えられない悲惨な人間になれば、誰でも分かるのが、こういう普通の人間だ。
posted at 19:26:56

もっと、みんなで考えて、意見を言えて、その意見がきちんと反映されるように、参加可能で自由になった方が良い。そういう、権力で平等に勝つのが正しい。そこが分かると分かる。
posted at 19:26:28

もっと、自由な中で、協調性を持ち、相手のことを考えること。ある意味、みんなが賢いのが悪いのだと思う。馬鹿な人間は、何も分からなくても楽だからだ。
posted at 19:25:25

あまり意味がないが、僕が分かっている。自由が悪いだけだ。
posted at 19:24:50

資本主義が悪いのか、社会主義が悪いのか誰にも分からないが、何故かどこの環境もそういう風におかしい。パソコンが悪いように見えて、パソコンより昔からだ。人種が悪いように見える人間が多い。
posted at 19:24:35

日本には、他の環境に移りたくなってパニックになる人間が多い。子供には、環境が変えられないことでおかしな病気になる子供が多い。それは、日本中、どこでもそうだ。何が悪いのか良く分からない。
posted at 19:23:51

どの環境も、そんなに良くないから、今の環境で良い。家が好きなのは間違っている。
posted at 19:22:55

何故か、ブッダは子供のことを言っている。ブッダは、子供より賢い。
posted at 19:18:51

昔のように、感情のコントロールで分かる人間は、子供にしか居ない。
posted at 19:18:35

子供は、心の中で自己主張をしたがるが、そういう時期はそれで良い。それで新しいことを自分の中に吸収していく。大人は、そういう人間は居ない。大人は、耐え忍ぶ人間が多い。それが、楽だ。大人は、辛く見えて、楽だ。
posted at 19:17:34

もう一人で考え込まなくて良いから、楽にはなると思う。親も楽になる。
posted at 19:15:57

自分は、そんなに安心を求めるのが間違っている。怖い方が色んなことがある。
posted at 19:14:53

仕事は、やりなれていないから、辛いと思う。それから、施設はおかしな人間が多いと思う。
posted at 19:13:00

母親や父親と一緒に居ると、疲れるし、怖い。自立した方が良い。分かるべきことなんか、銀行預金ぐらいしかない。
posted at 19:10:19

僕は、明日、就労支援施設で体験の仕事をする。色んな人が居るとは思うが、目標の仕事を頑張りたい。悲惨な人間が多いかもしれないが、そういう人間は、大人が多い。そんなに怖くない。
posted at 19:08:13

あとは、空想的社会論のようなことを考えた。考え方を原理・法則として、可能性の基盤を作って、具体的な「宇宙概念」を全部創造していた。
posted at 19:04:39

この言語は、includeだけではなく、HTMLのタグのようなものを模すことによって、本当に美しいコードになる。既存の関数型計算機を超えるような、デザインのようなプログラム処理機になる。逆に、計算機ではなくなる。
posted at 18:28:17

僕は、関数に引数を与えて実行し、返り値を取る、と言うプログラミングスタイルが、すでに古いのだと思う。実際は、コード片をいつでも挿入可能にして、データはプログラムと分けて、データ型にし、実行する時は、ブロックに実行コマンド宣言をかけて実行する、と言う風にするべきなのだ。
posted at 18:09:54

速度が必要なところではCで書く、と言う話は良くする。だが、速度を犠牲にしてでも、安全に落ちずに動くために、Javaで書く、と言うことはあまりしない。僕は、基本的な記法は統一して、そのように、適時適当にプログラミングスタイルを変える、「複合コード」があっても良いと思う。
posted at 18:06:20

この宇宙にあるものは、何かの存在の型を取った存在のようなものだ。それは、夢の世界であるように見えて、例えば、2ちゃんねるもただのクズの掲示板でなく、それなりの何かの本質を持った存在なのだ。それが、この宇宙だ。
posted at 18:05:05

IBMが言っているように、「自ら思考出来ること」はこれからの先の世界で戦うために、必要だと思う。昔の自分は、経験から自然に思考出来るようになって、そして、その思考を全部書いていた。
posted at 18:04:13

ただ、社会主義は悪い。そんなに不可能なものを実現したいのはおかしい。まず不可能で、次に意味不明だ。きちんと自由主義にすべきだが、成長や競争より、コミュニティを重視する助け合いの社会を作ってほしい。「コミュニティ法」を作るべきだと思う。
posted at 16:00:38

ある意味、金なんか無くしてしまえば良い。
posted at 15:59:40

それでは社会主義とは言う。だが、自由ノルマとは、みんなが自由に決め、自由に働き、自由に仕事を選べる、みんなのための権利だ。システムとして実現するのは難しいと思う。
posted at 15:58:56

それから、経済の活動は、同一労働同一賃金をベースとした、「本当に自由で等価な労働力を全員に保障する権利」を与えて、「全員に平等にものが与えられる権利」もあると良い。会社では、自由ノルマを行い、スーパーマーケットを国営化して、全員に平等に食べ物を与える。
posted at 15:58:06

同時に、僕は「教育法」を作ってほしい。むしろ、学校なんか、行きたく無い人間は行かなくてすむようにしてほしい。もっと実りのある別のことをしたい。
posted at 15:56:40

ある意味、「政治家制度法」や、「恒久平和法」とともに、「軍事力確保法」のようなものを作って、矛盾なく、それらは互いに対等な法律であり、それを以て憲法にする、と言う風にすれば、憲法は平和で義務や軍事も同時に持つことが出来る。ただ、ある意味ペテンのようだ。
posted at 15:55:31

あとは、「政体法」と「選挙制度法」のようにしても良い。
posted at 15:53:45

「権利法」と「義務法」でも作れば良いように思う。言っておくと、僕はニュースなどの情報だけでこの文章を書いているから、憲法草案に目は通していない。それで問題があれば申し訳ない。今、そこまでする気力がない。
posted at 15:53:10

ただ、憲法が義務や全体主義に傾いてしまうと、政治家がどんどんおかしなことをするようになる。それは、誰が見ても避けなければならないのに、政治家の甘えによって、意味の無い条項をどんどん付け足す。そんな権力者では、国民は本当に自由にはならないだろう。
posted at 15:52:03

そういうわけで、憲法で人権を保障しながら、他の法律で義務を保障するようにすれば良い。ただ、それはある意味、ただやり方を変えているだけだ。
posted at 15:51:07

憲法を改正するのは悪くない。だが、義務ならば、憲法ではなく、憲法以外の方法で、ある意味、自由でない法律を作って、そこで決めるべきだと思う。憲法には、政治家をどのように選び、どのようなことをし、どのようにだけ従えるようにするか、と言う、立憲主義の政治家を制限するものを書くべきだ。
posted at 15:50:35

本当は、「奴隷でない労働体制」と、「選挙や市場経済ではない、本当に賢い制度」を目指すべきなのだと思う。それに、政治家は色んな方法を知っているようで、革新的な発想を知らない。もう少し、新しいシステムをどのように作れば良いか、現状を良く見て分析するべきだ。
posted at 15:49:32

自民党の憲法草案も悪い訳ではない。完全に新しい、正しい国を作りたい若者たちの意見を取り入れているのだと思う。だが、それは、ある意味、何もないゼロからやってしまうと、権利より義務、制限より自由、縮小より拡大、停止より変化になってしまう。それは、賢くない。
posted at 15:48:33

ある意味、制度は馬鹿だが、それは実質を馬鹿だと言うことはしない。要は、資本主義の金による経済なんか、最初からいつでも馬鹿だ。金は金だ。賢いものは、産業技術だ。働く人間は奴隷だ。むしろ、そういうところを、一度全部見直した方が良いと思う。
posted at 15:47:40

自分の力で考えることは大切だが、考えれば分かると言えるものでもない。
posted at 15:46:41

ただ、良く分からない。賢いものが何一つ存在しない。そこがおかしい。大人は馬鹿を賢いと信じている。そんな大人が子供に資本主義のルールを教える。それが、全部間違っている。
posted at 15:46:19

社会主義は、人間のクズだ。
posted at 15:45:43

ある意味、ソ連を理解出来なくして、馬鹿にしているのも、それはそれでおかしい。社会所有を、スターリンのものだと言うが、本当の理論は誰も知らない。そういうものを日本人が馬鹿だというが、馬鹿だ。ソ連も馬鹿だが、日本も馬鹿だ。ただ、社会主義はやめた方が良い。
posted at 15:45:32

白人式の資本主義は、何かがおかしい。株式市場はギャンブルだし、選挙はただの人気取りレースになっている。何かがおかしい。何故か、それらが馬鹿すぎるのに気付かないようにしているのだと思う。
posted at 15:44:22

ある意味、白人式の教育だからそうなる。白人は、人権侵害しか出来ない。
posted at 15:42:18

教師が悪くなるのは、教師は人権侵害をするからだ。ただ、それを言うと、ちょっと言い過ぎだと思う。洗脳、というよりは、人権侵害だと言えば良い。
posted at 15:41:53

学校教育は、人権侵害だ。自由になって、人権を守れ。ただ、それは今の制度のままいきなりやるとまずい。おそらく、もっと色んな形での子供の生活の過ごし方や教育のし方を、みんなで考えるべきだ。
posted at 15:39:44

自分のすることは、自分で決められるべきだ。まさに、自由が学校への防衛策だ。
posted at 15:37:37

ある意味、子供が学校に行くしかないのは、子供の人権を無視しているところがある。そのせいで、人権侵害のような悪質ないじめが起きる。イギリスの植民地政策のせいではないと思う。
posted at 15:37:15

僕は、Linuxは問題が起きた時にすぐにマニュアルとFAQを参照出来るべきだと思う。そこを工夫して作っても良いかもしれない。
posted at 14:19:27

英語の関係代名詞は、集合の中で、もっと違うグルーピングをどんどんしていく、と言う発想になるのかもしれない。
posted at 14:18:42

子供に学校なんか行かせない方が良い。特に、英会話やピアノは、子供がしてもあまり意味がないところがある。僕が思うに、習い事をさせるなら、むしろ、学校なんか要らない。学校に行く無駄な時間を、習い事の教室のために使っても良い。学校に行くか行かないかは、自由に選択出来るようにすべきだ。
posted at 14:04:00

環境を変えることによって、人間は人間を超えられる。事前に作り出すことによって、限界よりもっと多くのことが出来るようになる。事前にものを作ってしまえば、それを使うだけで何でも出来る。賢い人間は、事前に作ることが得意な人間が多い。
posted at 14:02:47

むしろ、ウソをついた方が賢い。そんなに当たり前のことばかり言っていると、ただの普通の人間に見える。
posted at 14:01:50

あとは、もう、ウソのようなことを言えば良い。地震は、反動の可能性がある力とエネルギーが、どこの地盤のどこの深さにあるかを突き止めれば、すぐに予測出来る。出来ないのは、地盤が巨大すぎるからだが、それは難しくは無いと思う。
posted at 14:00:58

子供は、一度、何もしない経験をすると、賢くなる。いつもしていると、子供は何も分からない。一度社会から離脱して、何もしない経験をすると、子供は自分の行動と経験から成長するようになる。甘やかさず、自由にさせることが、一番子供のためになる。
posted at 14:00:02

ある意味、社会主義は社会主義で、強者に依存する政治の仕組みだ。
posted at 13:59:11

スーパーマーケットを国有化し、平等に食べ物を与えれば、最小限の変更で社会主義が実現出来る。ある意味、銀行にお金を預けているのは、資産をみんなに管理してもらう、と言う意味で、社会主義的だ。社会主義はおかしなものではない。強者に弱者が助けてもらうだけだ。
posted at 13:58:49

いつも感謝したり、怒ったり、助けたり、頼ったり、傷付けたりしている人間は、依存しているのが悪いのが分かっていない。問題は依存にある。依存は、馬鹿になって、狂う。家族のことなんか嫌いで良い。自立すると、楽になって、良い人間になる。
posted at 13:57:32

世界は、死をやめて、活動すべきだ。
posted at 13:56:28

成長のようなことを、自然に考えた。
posted at 13:56:14

社会は、それぞれが可能性を発揮し、社会と環境を作り出し、自然にありのまま生きられるようにすべきだ。そういう、自由なマスターへと至る人生のようなことを、昔は良く書いていた。
posted at 13:56:05

いつも、そういう、考え方の網羅のような文章を良く書いていた。全員で改良するか、人々を参加させるか、みんなで決めるか、一人がきちんと考えるか、ルールやシステムに任せるか、自由にするか、などを言う。
posted at 12:22:59

そんなに、ピースを集めるように書く意味がない。ランダムに書いているだけなのに、最後まで読むと全てが繋がる。その上で、概念で多面的に全体を全体で分かる。そういう、考え方的に賢い文章が、これだ。
posted at 12:22:04

ただ、ある意味、もう全部忘れた。そして、忘れたい。
posted at 12:21:13

正しい解決法は、「右翼でも、左翼でも、神でも、宗教でもない、新しい思想を作ること」だが、最近の現代哲学がそれを出来るようには思えない。僕は、オープンソースからソ連の思想に転んだが、昔のことは忘れていないし、今のことも矛盾無く、独立した新しい思想として取り組んでいる。
posted at 12:20:52

イスラム教徒には、何もかも全てが起きる。ある意味、ドイツ人と良く似ている。
posted at 12:19:11

ただ、僕はイスラム教徒も好きだ。最高に賢い宗教だ。
posted at 12:18:48

そういうわけで、右翼は悪くないだろう。僕は、トランプは嫌いではない。あの暴言王の何も目先のことを考えていない馬鹿は、今から反省して賢くなる。そして、ある意味、本当に一番ありえないことを、信じてやるようになる。そうなると、もう誰も止められなくなる。
posted at 12:18:25

そういうわけで、政治なんか馬鹿だ。僕の心は、政治とLinuxが戦うだけで、死ぬほど怖くなっている。永遠にセックスをするのと同じになっている。だが、何も気持ちよくない。ただ、辛くて怖いだけの、地獄だ。これが、神の愛だ。
posted at 12:17:16

左翼が良い。左翼は世界を救う。潜在的に救える可能性があるのに、何も出来ない左翼は、そのうち独裁的になる。民主主義の可能性は、抑圧と屈辱の中で、この世界の全てを完全に滅ぼすようになる。何故か、ヘーゲル的だ。
posted at 12:16:18

右翼の方が良いように見えて、政治家が右翼になると、誰でも驕りのようなことを言うようになる。おごれるだけが、右翼だ。
posted at 12:15:17

そういうわけで、宗教は馬鹿なのに分かるようになる。ただ、負けて逆を言っているだけなのが分かっていない。言っていることとやっていることが真逆になっている。
posted at 12:14:46

もっと、心のままで素直に感じれば、すぐにみんなに勝てる。宗教は自分から負けるべきだから、こういう風になる。
posted at 12:14:11

宗教は、もっと強くなれば治る。宗教は、無菌状態になって弱くなっている。それは、心が腐っているとも言える。そこまでの弱いだけの存在が神だ。神は弱く見えて、ここまで強い。
posted at 12:13:43

ある意味、世界をもう一度思い出せば良い。この世界が何だったかを思い出せば、自ずと、右翼の方が正しいのが分かってくる。
posted at 12:12:37

ただ、それは悪くない。何でも言えるのは、もう既に分かることが全部分かっているからだ。それが、大人であり、作家だ。
posted at 12:12:03

自分の意見が言えないのは、子供だからだ。それは、賢く見えて、何も分かっていない。どんどん自己主張するのは良いが、普通、こういう風になる。ただ、いつも言っているようにいつでも言える人間が大人に多い。それは、ある意味、「言える」だけの無意味な分かっている人間になっている。
posted at 12:11:40

あとは、ここから先は、神の言っていることが良く分かるようになる。
posted at 12:10:11

自分だけの戦いをしていたのは、革命家のようでもある。ただ、悪いことはしていないし、一人も傷つけず、世界にも関与していない。自分が一番普通の善人だ。
posted at 12:09:48

ありえない世界の歴史から、死後の神の世界まで、スピリチュアル的に分かっていた。本当に神のようなマスターだった。救世主でもあったと思う。
posted at 12:09:00

そして、組織のことは、数学のように、厳密に可能性と成り立ちを考えていた。それを、社会モデル(世界モデル)だと言っていた。
posted at 12:07:30

運命論みたいなものが多かった。人生のことを、ヘーゲルのように全て分かっていた。最初から最後まで、全員分の人生が分かる人間だった。
posted at 12:06:55

あとは、世界と人生を書いていた。世界観と記憶を作って、潰していた。
posted at 12:06:23

いつもは、そういう文章を書いていた。全て、自由だ。
posted at 12:03:41

社会においても、それぞれが平和であり、尊厳を認め合い、合意を形成し、本当に自分にとって一番良い選択を自分が出来ていると実感出来るような、そんな国にしていくべきなのだ。
posted at 12:03:19

ある意味、具体的な社会の方を自由にするのではなく、考えて分析する自分の方を自由にすべきだろう。価値観、平等、権利、人間性、創造性、想像力、実現性、助け合い、集合知、グループ、考え方、ものの捉え方を正しく自由に考えるべきだ。それをいつも書いていた。
posted at 12:02:30

子供が悲惨なのは、親が悪い。子供は、「言いたくない、やりたくない、分かりたくない」しか居ない。親にわざわざ色んなことを言うのが出来ない。そのせいで、いじめられても言えない。何もかも言わせる親のせいで、子供は反発し、泣き出すようになる。言わなくても気付いてあげないといけない。
posted at 11:51:37

日本人の、「お客様は神様」と言う発想は、ものではなく、金を与える方が偉い、と言うことになるが、これは国際的に見ておかしい。それでは、労働者よりも資本家の方が金を出す分だけ偉いことになる。あまりに右翼的な慣習だ。だが、左翼の国では、金を出す方を尊敬しなくなる。それも問題だ。
posted at 11:48:12

ある意味、赤ちゃんは本当に何も出来ない。何も出来ないことが最初から分かっていると、みんな誰でも赤ちゃんになる。
posted at 11:46:54

子供が何も分からないのは、その国の文化を知らないからだ。ドイツ人が日本に来て何も分からないように、子供は何も分からない。だが、感情や理性のようなものは、大人と同じように考えている子供が多い。幼い子供は、大人より賢い。
posted at 11:46:26

知は、作り出されるものだ。
posted at 11:45:31

社会は、それぞれが制度を変えられると同時に、全員が参加して、全員が作り出すような、そういう、「作り出される世界」へとしなければならない。
posted at 11:45:22

自由な社会とは、その組織が関係する制度のようなものを、組織が変えられるように、「自主的に変えられる」こと。だが、そこでは、誰が誰を支配し、優遇するか、のようなことを考えないといけない。自由と同時に、平等であるべきだ。
posted at 11:44:43

そして、民主主義国家におけるそれぞれの国の差異、社会主義国家におけるそれぞれの国の差異を作る。そこでは、それぞれの国が何らかの1つの特性や優れた点を持つべきなのだ。生物学に近い。
posted at 11:10:39

社会主義は終わっているが、それも残した方が良い。最近は、民主主義が破綻したことによって、アメリカから日本まで、全ての国が行き詰まっている。終末のように、馬鹿なことを言う馬鹿が増えている。多様性のある社会が無くなったせいで、そういう、「反知性主義」が増えている。
posted at 11:09:41

ある意味、今の世界の問題は「統一」にある。国のあらゆる考え方を、資本主義的な思想で統一しようとするところに意味がある。王国も、社会主義も、古くていつか失敗したものでも、そういう地域を残して、「多様性のある世界」を作った方が良い。
posted at 11:08:39

不思議な空。不思議な雨。不思議な地面。そこから、謎の植物が育ち、悪魔の光が差し込み、永遠の時が流れ、後悔の自由が生まれる。最近は、僕はそういう人間を生きている。
posted at 11:05:54

疑うことと、支配することは、同じだ。
posted at 11:01:06

信じることと、戦うことは、同じだ。
posted at 11:00:53

ヘーゲルの言う自意識とは、そういう、「自然な成長」であると言える。
posted at 10:59:58

感覚や自我は、自然な成長から知ることが出来る。
posted at 10:59:40

どんな理想を持つべきか、どんな実現をするべきか、などを、社会の経験から自然に考えなさい。自然に知って、自然に経験して、自然に学習して、自然に生きなさい。
posted at 10:59:17

自然にその人が何をなすだろうか、何を望むだろうか、何がなされるべきだろうか、を考えると良い。
posted at 10:57:27

実験すること、思考すること、社会がどんな社会になるかを知ることは、自然な限界の向上だ。
posted at 10:56:51

思考を捉え、視点を捉えることで、全員の「世界観的内側」を知り、吸収することが出来る。それも、限界の向上だ。
posted at 10:56:10

そこでは、社会を心理的経験から変えられる。
posted at 10:55:25

把握し、高まり、自然を自分から「起こす」ことで、全員を超えられる。
posted at 10:55:09

自由とは、数学の創造だ。
posted at 10:54:48

人間は、作り、把握することで、人間の限界を超えられる。状態と言語は、自由な限界の向上によって、本当に作りながら神のように分かることが出来る。ある意味、数学や物理は、本来そういうもののことを目指している。
posted at 10:54:30

知識とは、概念の表記と考え方である。ある意味、全ては経験的な可能性の捉え方である。ある意味、仏教の「空」と言う概念に近い。
posted at 10:53:11

マスターは全てが分かる。そして、マスターは最後に最悪のことをする。それが、全知全能の悪い神へと変わって、人は最後に馬鹿になる。その馬鹿は、楽になって、最後に学者になる。その学者が、永遠に全てを思い出すだろう。
posted at 10:52:19

自由に責任があった時、それは実現可能な手段へと変わる。だが、それが失敗すると、失敗の絶望へと変わる。だが、その絶望は案外良いものでもある。失敗の絶望は、受容性のあるマスターへと変わる。
posted at 10:51:17

物理は、学校で計算して分かるより、パソコンで体験的に分かる方が理想だ。仕事は、大企業で働くより、独立してフリーで働くのが理想だ。だが、ある意味、そういう発想は自由すぎて無責任だ。自由と責任は裏表だ。いつも、そういう文章を書いていた。
posted at 10:49:44

全員とは体験である。そして、そこでは善を行うことによる意識の高まりと、愛による人々の支配がある。それが、運命として、人生を新しいものへと作っていく。本当は何度でも変われる。だが、変わるべき時にしか変われない。
posted at 10:44:19

そろそろ終わりだ。
posted at 10:41:47

相手のことを尊重することは、システムや制度を全員のために作り上げることへと繋がってくる。
posted at 10:41:34

また、同時に、社会の持っている自由と可能性に気付くことだ。
posted at 10:41:05

権利を与えるとは、同時に、自らの持っている自由と可能性に気付くことだ。
posted at 10:40:49

組織とは、それぞれの自由を最大限吸収し、意見を聞くものであるべきだ。
posted at 10:40:30

何故か、本当に書けた。いつもは、そういう文章を書いていた。
posted at 10:40:08

社会主義で良いわけではない。だが、良い思想を誰かが作るのを待っていても、何も起きない。みんなの手で考える必要がある。今の世界では解決出来ない問題が生まれた時は、永久にその解決を放棄するのではなく、いつかは解決しないといけない。過去に遡って問題の経緯を見ていくべきなのだ。
posted at 10:39:51

限界に任せるだけの自由と言っても良い。これからは、きちんと統制するようになるかもしれない。だが、それは支配者が独裁でやるのではなく、民主的な全員の合意によってなされるべきだ。民主主義の仕組みも、国会や選挙よりももっと共同体的なものにすべきだ。
posted at 10:38:28

そうは言うが、実際は何もかも変わっていく。実現出来る可能性の高まりの中で、いつでも可能性に具体的実現の限界を任せていれば良いわけではない。悪い技術が生まれれば、統制すべきなのだ。そういう意味において、現状の地球は、そんなに進歩した社会では無い。自由に任せるだけの限界をやっている。
posted at 10:37:22

だが、自由が自由であること、それは変わらない。自由を実現するのが人間であることも、変わらない。
posted at 10:36:08

ある意味、実現すべきものから、何を何だと思っているか、何が正しいか、と言ったことは、歴史的に全て変わっていく。変わらないものは、普遍的な「法則」だが、それすら、精神の変化によって変わっていく。
posted at 10:35:44

そこでは、それぞれが思っている真実が何なのか、と言う、パラダイムシフトが行われる。
posted at 10:34:52

世界は、平和、王、自由、自然、支配、そして、統一的な共同体の世界政府へと、進歩していく。
posted at 10:34:33

そろそろ終わった。いつも、そういう風に書いていたのが文章だ。
posted at 10:33:16

世界とは、手段と可能性の実現だ。そこで、具体的な発想と具体化を作っていくプロセスが考えられる。だが、そこでは、具体的で実際的な、「実例」があるべきであり、それはオープンソース社会から生まれていくのが最も理想的だ。
posted at 10:33:00

環境には、きちんとした共通合意と説明がなければ、自由とは言えない。だが、その環境の構成員の働き掛けで、その環境が自由になり、その自由によって構成員が利益と意味のある結果を得られるように、社会の全員が努力するべきだ。
posted at 10:31:53

オープンとボトムアップが理想だが、そこには理性と秩序がなければならない。理性と秩序がなければ、オープンの意味はない。それなら、クローズドの方がマシだ。
posted at 10:30:50

社会を正しいものにするためには、目線を取り入れ、全員の視点を持ち、視野を広げ、考え方を変え、意見を共有し、それぞれがきちんと分かるように、上が下、下が上、横が横にコミュニケーションし、活発な議論と透明性のある情報公開をすることだ。
posted at 10:30:03

自然とは、理解と発想をそれぞれが執り行うことだ。そして、そこから社会は生まれていく。人間が、自然に作り出していくこと、それが社会と呼ばれる協力形態なのだ。
posted at 10:28:56

それぞれを自然にするためには、環境、組織、社会システム、交換媒体、言語、宗教、体験、関係性、助け合いのようなものを、自由にしながらきちんと考えられるように全員の知性レベルを全員で高めていくことだ。
posted at 10:28:03

ある意味、運命と偶然は、同じ本質と背景を持っている。運命があるから偶然があり、偶然があるから運命がある。それは、言葉通りではなく、もっと深い意味を持っている、宇宙の真理だ。偶然とは、運命なのだ。
posted at 10:26:52

運命を信じることは、同時に、宇宙の素晴らしさを信じることだ。偶然を信じることは、同時に、宇宙の奇跡を信じることだ。
posted at 10:25:57

平和とは、自分の道を信じながら、他人の道を尊重することだ。
posted at 10:25:29

自由とは、自分を信じることだ。愛とは、他人を信じることだ。そこでは、自分と他人の心に境界は無い。
posted at 10:25:06

神への罪悪感を持ちなさい。自分のことを全て間違っていたとする罪悪感の懺悔をすることで、本当に賢い人間へと生まれ変わることが出来る。
posted at 10:24:25

罪悪感と絶望は、可能性を見出す。そこにはもっとたくさんの可能性の世界が広がっていて、自分にはこんなにもたくさんのことが出来る能力があったのだ、と言うことを教えてくれるのが、絶望だ。
posted at 10:23:38

本当に大切だと思う気持ちは、自分のことすら大切だと思える心を生み出す。それは、得てして、罪悪感や、自分のことを貶めることから生まれるが、自責の念は反省と後悔へと変わって、その人自身を許す気持ちと、新しい未来を描く心の前提や背景となる。
posted at 10:22:50

理想の社会は、それぞれがそれぞれのことを「本当に大切に思う気持ち」から生まれる。それは、みんなのことを「自分と同じ」だと思う心から生まれる。それは、魂の純化に繋がる。清らかな魂は、その人の未来を輝けるものへと変える。魂は、どんな汚いものでも美しいものへと変えることが出来る。
posted at 10:21:18

自分は、適当にごまかしていれば、それで治るのが分かっていない。あまり、本気にならない方が良い。パソコンもやめなくて良い。
posted at 10:18:48

昔から、パソコンは好きなのが自分だ。
posted at 10:17:10

パソコンが悪いなら、パソコンをやるのをやめれば良い。自分のおかしな点は、自分が一番パソコンをやっているのが分かっていない。自分が一番パソコンが好きだ。それで嫌いなのがおかしいだけだ。
posted at 10:16:58

そういうわけで、自由な方が良い。民主主義は良かった。民主主義をやめるより、パソコンをやめた方が良い。民主主義は何も悪くない。
posted at 10:16:12

自分は、神はやめた方が良いのが分かっていない。神を信じると、神が生活へと入り込んでくる。必然的に神だけの人間になる。神は、そういうおかしな人間が嫌いだ。
posted at 10:15:39

自分は、哲学者で、作家で、宗教家で、詩人で、経済学者で、発明家で、精神医学者で、隠れキリスト教徒で、オープンソースのアマチュア・プログラマだ。
posted at 10:14:55

存在とは、可能性をみんなが見出すことだ。応用とは、自然な考え方の発展のプロセスだ。方法とは、全員による知の変化と実現の可能性の共有と経験だ。
posted at 10:13:54

社会は、教育、金銭、経済システム、権利、参加、可能性、自然な発展の助け合いを自由にし、統一し、平等にし、きちんと考えられたものにし、そこからはみ出すものを処罰せず、それぞれが本当に好きなように、自分のまま自分らしくあれるようにすることを考えていた。
posted at 10:13:06

価値観、概念、自由は、自らの手で体験的に作り出せる。
posted at 10:11:52

ある意味、反応や作用から分かることもある。環境を知って、体験して、目線を知って、思考を捉えて、比較して、認識を疑って、知性を成り立たせて、それが何を意味しているか考えて、概念を網羅して、自ら作り出して、自分がやるよりも他人を助けることで、善の宇宙の意識と自我を分かった。
posted at 10:11:28

平和とは、運命を信じないことだ。
posted at 10:10:20

自然から、平和、知性、積み重ね、説明、実体験、社会理解、実践、システム化、理想、そして助け合いと克服を考えた。
posted at 10:10:07

経験を自然に疑っていくプロセスを書いていた。
posted at 10:09:33

数学もある意味では経験であると言っていた。
posted at 10:09:14

数学では、比、概念、表記、知性、方法、などを、色んな可能性の中で、自然にどうなっていくか、必然的にどうなるか、それは別の視点から見るとどういう風に変えられるのか、そこでは何を問題としていて、どういう可能性があるか、などを考えていた。
posted at 10:09:00

そろそろ、いつもの文章が書けた。いつも、そういう文章を書いていた。
posted at 10:07:54

価値観とともに、どんな社会的価値観を作っていくべきか、そのために社会をどうしていくべきか、考えた。
posted at 10:07:33

心は、何を見ていて、何を感じていて、何を知っていて、何へと向かって行動していくか、そこでは誰がどのように関わり、経験し、支配するか、どんな視野の広がりと、どんな思い込みがあるか、何をすれば思い込みから脱することが出来るか、などを考えた。
posted at 10:07:13

この世界がどうなるか、自然な社会の具体例と法則から分かった。
posted at 10:06:05

誰が何をするか、と言ったことを、自然から考えていた。
posted at 10:05:46

全ての社会を知って、自分だけで王のようになった。
posted at 10:04:39

ネットの経験から、自然に社会をどのようにしてくべきか、知った。
posted at 10:04:20

ある意味、自分をいじめながら分かっていたが、それは馬鹿ではなかった。いじめ、と言うものを、本当に無くしたかった。そこから、理想の人間像と社会をどのようにしていくべきか、分かった。
posted at 10:03:52

自然な経験と行動様式から、人間と社会のことを自然に分かっていた。
posted at 10:02:58

何がどう悪いのか考えなさい。そういう理性は、正常になるとすぐに分かる。
posted at 09:35:54

パソコンは、視野が狭くなる。理性的に見えて、誰かが全てを押し付けるロボットの理性をやる。そのせいで、あるいは誰かのせいで、何も分からなくなる。その誰かを統一しているのが、僕だ。
posted at 09:35:38

パソコンが悪かったことにして、パソコンの前に戻れば良い。全てが足元から崩れ去ったなら、その前に戻るのが自然だ。
posted at 09:34:47

僕の哲学は、「自然」だ。自然と調和し、自然なものを作る。ただ、自然科学というだけではない。自然に発生し、自然にそれになり、自然に関わり、自然に共同体を作る。そこでは、ボトムアップな世界の変化も含まれる。
posted at 09:34:13