これから、一年かけて、僕は休む。
日本の敵を倒す。もう終わったようで、まだ多い。
昔の僕は、ほとんど影響力だけを考えていた。
最近の昔は、文章は、影響力の世界を作っていた。
自由に変えると言う発想が多かった。
本質を自由に分かっていた。
権力は嫌いだったが、自由は好きだった。
コンピュータは、オペレーションと計算だ。
Javaのクラスライブラリは、必要性の整備だ。
ネットでは、一体感が多かった。
哲学は、世界と人間をきちんと分析すると分かる。
構造主義のように、社会の中の関係を構造的に考えれば分かる。
ヘーゲルの言う知と対象が同じであるとは、法則や力のように、対象を捉える時に含まれているものが、知の本質に属しているからである。
構造主義とヘーゲルは、違うようで、同じだ。
社会と人間と知をきちんと捉えて、分析しているだけだ。
ヴィトゲンシュタインは、分析哲学で全ての哲学をしている。そのようにすれば良い。
昔は、自由を正しいと思っていた。
出来ることを極力増やすべきだし、関係、経験、行動、構築を全て自由にすべきだと考えていた。自由な理性で、意思、目的、結果、手段、理由を分かっていた。
そして、経験を書いていた。適応し、学習し、意思を知り、手段を作り、目的を知り、構築し、改善し、高め、能力を増やすことが大切だと言っていた。
そして、色んなことを言っていた。
貨幣経済と改善主義が自由だが、平等の方が本当に自由なこともあると考えていた。
自由とは、組織を作り、改善することだが、組織では本当に自由なことは出来ない。自由な手段と時間の自由があるべきだと考えていた。
皆が世界を改善する自由が良い。平等の方が、自由なこともある。独裁者は悪いが、独りで考えることが賢いこともある。もっと、賢い人間を沢山生む土壌を作るべきだ。皆で世界と方法を改善せよ。
あとは、自由な理性と経験を書いていた。
発想から自由自在に実現し、行動と経験から世界を知る。
想定と認識から具体化し、自由な関係を成り立たせる。
そして、宇宙を法則と体験から知り、実感で全てを分かる。
そういう、自由な理性と自分の分かることを書いていた。最近、分からなくなった。
最近は、単純に神を信じて従っていたが、社会の構造を作って、発想した。
世界各国の文化や、品質保証などの経済政策が発想と構造で分かった。
全て分かっている。
本当に、哲学者のように、そして、王や革命家のように、全て分かった。
社会の中の関係は、昔良く考えていた。構造主義は、昔にも最近にも多い。
教育を考えたり、システムやコンピュータのことを考えたりすることが多かった。
最近は、失敗しなくなった。昔は、失敗の経験で良く分かっていた。間違うことが怖いなら、それでは何も出来ない。
自由な関係を良く考えていた。
成り立たせて考える思考力と知性があった。それが、理性だ。
あとは、社会の可能性を考えていた。自由な可能性と決定といつも言っていた。
考え方は、目的、協力、構築、発生を考えていた。
意図を作り出すのをいつも分かっていた。体験と思考を考えていた。
あとは、言葉の羅列が多かった。発想、作用、思考、実験、反応で全て分かっていた。
モデルとは、心理と社会のことを言っていた。
そういう、自分だけの心理学と考え方が多かった。
認識とは、正しく考えるための方法だ。
抽象性とは、共通性と変化に正しい方法論を付け足したものだ。
コンピュータは、スクリプトやデータなどの、テキストが動く機械だ。
昔から、コンピュータや数学、哲学のような、視点を変えた発想が多い。
日本語、英語、中国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語のように、言葉で分かる知恵が多かった。
特に、フランス語やロシア語のようなデカルト的、意味的な考え方は、一番多かった。
語学と宗教には、知恵がある。ドイツ語と聖書で分かる人間が多い。語学は、賢い。
歴史や哲学は、そろそろ分かった。数学やコンピュータ科学は、昔分かっている。
だが、そういう、昔で良い自由の知識はおかしい。
もう一度、一から考えて、学び直せば良い。
カントは、欲望に縛られることが無いように、と言っている。そういうことが分かるためには、もっと、最初の馬鹿に戻って、初心に帰った方が良い。
そういう知恵が分かりたいなら、語学と文学が良い。哲学と歴史とキリスト教は、そういうところが賢いから、すれば分かる。
ただ、数学や物理学は、出来た方が分かる。コンピュータや工学も悪くない。
そして、知識が分かるために、色んなことを考える。森羅万象を考えれば、アリストテレスのように分かる。
哲学は、言語学であり、論理学だ。
言葉は、何かを指して言い、その意味するところに違いがある。
正しく言葉の語彙と文法を考えることで、何でも正しく言い表し、比較することが出来る。
あとは、最近は、スピノザのような、定義と演繹による分析が多かった。
そういう言語学は、言語の意味モデルとハイデガーの言う存在論から理解出来る。関心や意識を考えれば分かる。
また、分かっている、分かっていない、の比較や、環境と方法から分かることが出来る。
アリストテレスのように、またカントのように、全てを作って、理性的に考えれば、言語は分かる。
そんなに言語を分かっていると、普通のことが全部分かって、ヴィトゲンシュタインのように、全ての哲学が出来る。
精神分析と関係の考え方で、言語を考えることが出来る。仏教なども多かった。
ただ、良く考えると、単純な世界把握と意味や方法論が多かっただけだ。
人間を良く考え、問題と意識の考え方を良く考えれば良い。主題などを考える。
主観と客観が多かった。言語は、全て分かって、ネットを使ったりしながら分かっていた。
全体像を見て、照らし合わせる。自由なモデルを作る。それくらいが賢かった。
あとは、感情と想像力で分かっていた。
人間を把握して、環境を知って、問題を解決して、理由を証明して分かった。
デカルトと全く同じだったが、馬鹿だった。デカルトは、科学や医学など、色んなことを知っていながら、独りその上で考え、経験したりして分かった。僕も、色んなことをして、考えて、経験した。僕は、そういう体験の中で、自分の言語は、分かっている。
論理的に考えて、意味を増やし、視点を変えれば分かる。
あとは、Linuxで分かる。そういう言語学が多かった。
色んな場合を想定して、人間を考えれば分かる。
目的、原因、意思、所有、疑問、行動、関係、意味するところなどを考えれば良い。
論理的に考えると、分析出来る。そういう哲学が多かった。
あとは、人間やものの属性や視点を考えれば分かる。
そして、構造を知れば、自分の言語すら作ることが出来る。
人間と人間の関係、場と状態と状況の関係を考える。
ソシュールなどでも見えてくるように、言語学をすれば哲学が出来る。
あとは、自由にする、出来る、今していることの全ての意味、などを考える。
また、言語を考えると、色んな哲学的なことが分かる。
赤ちゃんの記憶は白紙だとか、全ての年表の記録を物語にするとか、色んなことが分かってくる。
哲学は、言語だ。そのため、コミュニケーションと弁論術で、本当に良く分かる。
インターネットは、最近、そのように哲学者を生み出している。
最近は、普通の人間に哲学者が多い。
経験を良く考えて、全部経験すれば分かる。想像力から、知識を得る。
経験せよ。経験を知り、自由な考え方を得、学習と習得をし、何がどうなるのか考えよ。
経験から、全てのことが、あらゆる角度で分かる。
経験は、平和であり、世界を変える。経験の道によって、自由な未来を灯せ。
あとは、理性的に、階層的に、連結的に分かる。
UNIXは、コマンドとパイプとスクリプトだ。単純なプログラムの関係で操作出来る。
全ては、そういう、自由な世界だ。
自由とは、経験し、理性的に考え、可能性を広げ、能力をつけ、影響力を与え、手段を構築し、共有し、応用することだ。
自由とは、参加し、組織を作り、支配し、抑圧と戦うことだ。
あとは、世界と関わって分かった。ネットで色んな経験をした。皆、全員、自分の師で、先生だった。全てを吸収して、世界のことが全部分かった。
そして、ニーチェのような発想が多かった。サルトルみたいに、色んな人間のことを聞いて、皆のことを分かっていた。仮象の世界だった。
社会のことが全部分かった。推論、証明、解決のように分かった。
色んな社会を知って分かった。世界観が広がり、世界がどうなっているのか、何故そうなるのか、どうすべきなのか、未来はどのようにすべきなのか、分かっていた。
学校を思い出し、ネットを見て会話し、コンピュータの世界を知ることで、分かった。
社会は、愛だ。愛と不安など、感情的なことが、経験とネットと空想で分かった。照らし合わせて分かった。