AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 西洋哲学(近代)
BASENAME: 2020/09/07/185220
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DATE: 09/07/2020 18:52:20
CATEGORY: 哲学
CATEGORY: おすすめ
デカルトは、近代哲学の父と言われるフランスの哲学者。
「われ思う、ゆえにわれあり」とする考え方や、
人間を心と体のロボットであるとする二元論が有名で、
数学としては代数のスタイルを作ったとか、
デカルト座標や解析学を始めたことが有名である。
僕が好きなのは「方法的懐疑」という考え方で、
1.それが真実だと思わない限り受け入れない
2.小さな部分に分割して考える
3.単純なものから複雑なものを推論して考える
4.全てがきちんと正しいものかきちんと検査して取りまとめる
という、「誰にでもできる合理的な懐疑の考え方」を述べた。
これを、「全てのことを疑う」と言う。
デカルトの本は哲学書のわりには読みやすく、薄いので、
僕も方法序説を読んだことがあるが、
逆にカントやヘーゲルは小難しく分厚いので、
入門本や解説本が必要である。
特に、ヘーゲルは何も知らずに読むと「何を言っているか分からない」。
話をデカルトに戻すと、
兵士だったデカルトはヨーロッパ中を旅してまわり、
また科学者としても解剖学などたくさんのことを学んだが、
「唯一役に立ったのは数学だけだ」と語っている。
当時デカルトが住んでいたオランダは、交易などの関係で進んだ場所だった。
詳しくは方法序説 (岩波文庫)が参考になります。
スピノザはオランダの元ユダヤ人の哲学者。
彼の著書「エチカ」は、普通の書物とはちょっと違う。
全てが公理と定理の形式で書かれた「数学的書物」なのである。
また、その中で登場する考え方は、
全てが「神」に基づく。
神の存在や神とは何であるか、ということが、
全て数学的な定理によって記述されている。
しかしながら、エチカは当時の神や宗教の考え方とも異なり
「この世界そのものが神である」という独自の汎神論に基づく。
これは当時のユダヤ人社会では「異端的な考え方」とされ、
スピノザは当時のユダヤ人社会を追放されてしまう。
エチカには、受動感情のコントロールなどのように、
人間の生きていく上で必要となる考え方が多く書かれており、
現代社会では、アランの幸福論やパスカルのパンセと並んで、
精神的啓発書として並んでいることもある。
デカルトと並ぶ、大陸合理論の哲学者である。
ライプニッツは、ドイツの合理論の哲学者。
モナド論と呼ばれる、
「全ての物質は単子によって成り立つ」
という理論(モナドロジー)が有名で、
他にも「予定調和」という、
「全てのことは神によって予定的に正しく起きる」という、
運命論のような人生の宿命論を、
予定的(その時適したタイミングで調和されて起きていく)とした。
ベーコンは、イギリス経験論の哲学者。
近代の哲学では、「経験論と合理論の対立」ということが起きており、
主にイギリスを主とする「イギリス経験論」と、
フランス、オランダ、ドイツなどの大陸を主とする「大陸合理論」が
どちらが正しいかで争いをしていた。
合理論では、「人間の数学的知性から
ものごとは経験がなくても考えられる」とするが、
経験論では、「人間は経験から分かったことしか考えられない」とする。
ベーコンは経験論の創始者と言える人物で、
人間が持っている経験的な思い込み(イドラ)を
4つのイドラとし、
「人間であることによる思い込み」
「経験に由来する思い込み」
「伝聞による思い込み」
「権威による思い込み」とした。
ロックはイギリス経験論の哲学者。
人間の心は最初は「白紙」であり、
自分で経験したことしか心にはそもそも存在しないとした。
まさに、「知性は全て経験的に作り上げられたものである」。
また、社会についても同様で、
「普遍的な社会文化など存在しない」とした。
つまり、今のこの社会が当たり前だと思っていても、
歴史とともに社会の文化は変わっていき、
未来においては変わってしまう、ということである。
ロックはこれを突き詰め、
アメリカの政治哲学リバタリアニズムの土台を作った。
ヒュームは、イギリス経験論の哲学者。
人間の持つ認識をよく考え、
認識を「印象と観念」としながら、
それを単純なものと複合なものとして、
複合観念(たとえば赤ん坊に翼の生えた天使)などは、
そもそもがペテンであるとする。
また、人間の習慣を「よりよく生きるためのガイド」とした。
デカルトなどの合理論が
正しい推論すなわち「演繹法」を重視するのに対して、
イギリス経験論では
経験から分かってくる知性や発見である「帰納法」を重視するが、
ヒュームは経験から分かりながら推論を行って発見を行う、
「帰納的推論」を唱えた。
少し過激な主張が目立つところもあるが、
実際は「そこまで考えるか」というところまで考えられたことを言う、
賢い兄ちゃんのような哲学者である。
ルソーは、社会契約論の哲学者。
ルソーを含め、フランス革命の時代には、
革命思想の基本や基盤を形成する「啓蒙思想」が流行したが、
ルソーはこのひとり。
彼らは社会が原始や古代の最初の「自然状態」とは何であるかと考え、
「支配され抑圧されていることが当たり前だということは、
支配が正しく正当であることを意味しているわけではない」といった、
半ば過激な論評が特徴で、
ルソー自身も過激な人間として知られ、何度も逮捕状が出たことで有名である。
啓蒙思想には、ほかに
イギリスの啓蒙主義をフランスに取り入れたヴォルテールや、
三権分立を主張したモンテスキューなどが知られる。
カントは、ドイツ観念論の哲学者。
想定的な批判哲学として、アンチノミー、
すなわち二つの相互に矛盾する二律背反の命題から、
本当にどのように考えれば「次元を超えた考え方」ができるのか、
といった考え方が有名である。
カントは、先験的観念論という新しい考え方で、
合理論と経験論のいいとこどりをして両者を統合する。
また、理性批判を行うことで、
コペルニクス的転回(コペルニクスは地動説の提唱者)から、
純粋理性では当たり前だと思っていたことも、
本当は違うことが背景にあるのだ、ということを考える。
認識は経験のフィルターであり、色付き眼鏡であるとした上で、
知性が先天的なのか後天的なのかという永遠の問いに
「根源的獲得」という解を示し、
先天的(ア・プリオリ)には前提があり、
それは時間と空間であるとする。
また、有名なのが道徳律で、
「自らの意志によって、普遍的とされうる、
全員にとって正しいとなるかのような格率によって行動せよ」と言う。
他にも、悟性のカテゴリー、定言命法、仮象の世界などが有名だが、
僕が好きなのは「経験を可能にする」と言う考え方で、
これは経験と言うものを「可能性を形にする」と言う意味で考える、
社会哲学である。
ヘーゲルは、ドイツ観念論の哲学者で、近代哲学の完成者として知られる。
テーゼAとアンチテーゼBから
ジンテーゼCが生まれるという「弁証法」が有名だが、
彼の著作「精神現象学」は、
一見理解できないことを言っているように見えて、
人生において多くを考えた哲学者が見ると、
「人間の分かることや知りえることや
考えられること全部が正しく書いてある」、
面白い「人生と青春の教科書」である。
その内容は、自我や自己意識の発達から、
「自らのエゴが自由の中でどのように形成されていくのか」ということから始まり、
人間が環境と繋がっていて、
心理学が環境から作用的に生み出されていって、
恋愛と必然性から、
心胸の法則
(自らの理想はこうなんだと世界に発信するが、
世界から受け入れられない)とか、
徳の騎士
(自らが正義の徳であり、世間を正そうとするが、
逆に相手が正義であるため失敗する)とか、
あるいは事そのもの
(どんな個人のする事も、その事自体に意味があり、
批判できない)など、
意外と人間味あふれる人生論のようなことを言っている。
また、歴史論について言えば、
客観性、信仰、啓蒙、有用性、絶対自由、道徳性、神、そして良心など、
人生において少しずつ分かっていく
「人の社会性の形成過程」のようなことが書かれている。
僕は、そうしたヘーゲルの哲学が、
「自分の人生と重なるところがある」ため、とても面白かった。
詳しくは超解読! はじめてのヘーゲル『精神現象学』 (講談社現代新書)が参考になります。
キルケゴールは、実存主義の哲学者。
「ヘーゲルには全世界があるが、魂や心がない」とし、
あらゆることを網羅的に知識として考えるのではなく、
人生として生きること、すなわち「絶望」に向きあうことに意味があると言った、
「実存主義」の創始者である。
彼は、人生を
1.美的実存の段階
2.倫理的実存の段階
3.宗教的実存の段階
の三段階として、「可能性」が絶望を救うとした。
キルケゴールの後、サルトルやハイデガーのような実存主義の哲学者が続く。
特にサルトルは実存主義の代名詞とも言える哲学者である。