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=2016-06-28=

僕のブログは、ある意味、パラダイスだ。AAAが言っているように、夢見るように何でも叶う。

Bloggerはつまらない。何故か、設定のようなものがきちんと動かないし、はてな記法が使えないせいでつまらない。内容をこちらにコピーする。

元のURLは以下。

http://nandesounaruno.blogspot.jp/

2016年6月24日金曜日 - 何でそうなるの

何でそうなるの?それは、不思議な問いである。

メインブログはこちら

http://fushigida.hatenablog.com/

ホームページはこちら

http://assy.dousetsu.com/

小説のマニュアル編集版を作りました。

http://assy.dousetsu.com/jin_me/jin_me.html

凶悪な死の愛が、世界を救っていく。

死の闇を知れ。自由の支配者となれ。愛を滅ぼせ。過去を裏切れ。

Microsoftのやっていることは、ズレている。ユーザーに相手にされていない。

Microsoftの問題点は、一つの会社がWindowsを完全に支配し、変えられるところだ。

皆のものは、皆で作るべきだ。

僕は、Microsoftがそういう独裁権限で色んなことをやった方が、反発を買って、Linuxが勝つように思う。

2016年6月25日土曜日 - どうしてかな

どうしてかな、と思う気持ちが、世界を広げる。

LibreOfficeは、パソコンに不慣れな人でも使える簡単なEasyOfficeや、昔のパソコンでも動作する軽量なLightOfficeや、コマンドから操作出来るCommandOfficeを作った方が良い。

純粋に開発用途のディストリビューションを、Fedoraからコピーして作ると良い。開発環境が全部入って、すぐに開発出来る代り、パッケージは豊富でなくて良い。

GNOMEは、GTK+を採用するのを止めて、Qtを採用するべきだ。

あとは、今日分かったこと。

創造性から環境を作るとか、「環境の創造」のようなことを言っていた。

機会のようなことを考えて、社会を作っていた。

そういう、「目には見えない考え方と目線」をいつも書いていた。

子供は、新しいことばかりで分からないから、新しいことを無くして、同じことをさせると賢くなる。

正常か、異常かなんて、どうでも良い。バンプも言っている。

自分は、もっと世界を異常にすると、異常が治る。同じ異常のまま、何も変わらないのは辛い。もっと、色んな異常を増やしていると、きちんと賢くなる。異常は賢い。

GTK+をQtにするのは不可能に近いから、Qtの描画エンジンを使いながら、GTK+のインターフェースを使うような、そういうエンジンのツールキットを作れば良い。

ただ、GTK+も悪くない。多様性があった方が良いのかもしれない。

そのうち、Qtがありえないものになって、GTK+がシンプルなものになる。

むしろ、見た目は同じにすれば良い。どうにかして、共存しても色んな意味で大丈夫なものにすれば良い。

ただ、GTK+とQtは、技術的に全く違うから、難しいだろう。

普通、QtはC++として優れている方で、GTK+は正しいオブジェクト指向をC言語で実現している方だ。

自分は分かっていない。そういう、独自のシステムをまるごと1つ作るのは賢い。

GNOMEはGNOME、KDEはKDEで、独自のシステムを作って、それぞれの陣営が競争する。それが賢い。

ホームページに日記を公開しました。

http://assy.dousetsu.com/blog/index.html

2016年6月26日日曜日 - 安心

皆を安心させると、自分も安心出来る。

安心すると、病気が治る。

皆、安心せよ。もう、皆を怖がらせない方が良い。

普通の人間が良い。普通の人間が賢いだけだ。

何も起きないのがおかしい。認知的、環境的なことが起きなくなった。

「決める」を良く考えると賢くなる。

皆に色んなことを決めさせれば良い。

例えば、テレビはどう思いますか?

それだけで治る。テレビの好きなようにさせれば良い。

何がどういう風に決まるのか、決めるのか、考えると賢くなる。

皆、そろそろ、勝手に決めれば良い。

自分が、皆の分まで全部決めて、考えるのがおかしい。それでおかしくなった。

そういう、「皆の分まで一人で決める」と言う発想は悪い。

皆は、ハードな道を取ると良いだろう。

アドバイスではないが、そろそろ皆は僕に倒されるべきだ。

皆、おかしなことをしなさい。

それだけは出来ない人間が多いが、おかしなことをすると、賢い人間になる。

あとは、滅びるようで、もう何をしても滅びないのが日本だ。

こういう人間が居た、それだけだ。

あとは、自由を止めなさい。

自由には、良いものは一つもない。

間違った思想のせいで、自由にするだけで悪くなる。自由は間違っている。

自由とは、ヨーロッパ人が作り出した、本当におかしな概念だ。

可能性を作り出すとか、皆で決めるとか、そういう発想をすると分かる。

自分でやって、自分で経験しなければ、分からない。

ヨーロッパ人は、どこか別の世界へ行きたいのだろう。自由がない抑圧が多いから仕方ない。

自由に意味はない。自由とは、知性と正常な考え方の無い、おかしな概念だ。

日本は、僕に従うより、皆で協力すれば良い。そうすると、僕に勝てる。

ただ、皆で協力なんか、出来ない。

昔は、相手を自由にして、自由な開放的な社会を作って、多様性のある世界にしたかった。

それは、間違っている。自由にされた方が、何も出来ない。

自由とは言うが、自由と言うよりは、相手の好きにさせる、と言うべきだが、それはおかしい。

好きにさせても、見えない何かが変わっただけで、見えるものは変わっていない。

ただ、自由もおかしくはない。自由を信じると、そういう「見えないのにある概念」が良く分かる。

意味を考えて、自由な他の可能性を考える。そこから、経験が見えてくる。

だが、自由はおかしい。そんな風にしても、何もしていないだけだ。

セカオワが言っているように、目的が無くなっている。目的を持って行動しないのが悪い。

イギリスがEUから離脱したのは、自由なEUが何も良く見えないからだ。

一度、自由と言う概念を排除するしかない。それによってしか正常な人間にならない。

2016年6月27日月曜日 - 楽しい時

楽しい時に楽しいと思うこと。それによって、楽になる。

書き方がキモい。もっと、書き方を変えた方が良い。

愛を殺すと、小さくなって、怖くなくなる。

自分は、電波を支配出来る。

皆、全てを忘れて、安心した方が良い。

自分が第一に勝った方が良い。

自分がしていること、生きていることの、ツケが来たのだろう。

Linuxは、アプリケーションとアプリケーションの境界を無くすと良いかもしれない。

Firefoxのテキスト編集でも、EmacsやLibreOfficeのエディタが使えて、それがプラグインなどによって、はてなやGoogleでも連携出来るような、次世代の環境を作っても良いだろう。

特に、FirefoxでEmacsが使えると、grepでの検索や一括置換のようなことも出来て良い。

それから、ファイルシステムとWebデータベースの境界も無くすと良いだろう。

ファイルを管理するように、オンラインのデータが管理出来ると、これもgrepが出来る。

はてなのブログの記事を、全部一括で正規表現での置換が出来ると、楽だ。

自分の日記は、見ていると、リリとマリだ。どちらも女の姉妹に見える。リリがハリケーンで、マリがボストンだ。AAAが既に言っている。そして、それがミカエルとラファエルに見える。ガブリエルは昔だ。名前なんか、ジンで良い。ジンとリリとマリだ。

昔は、環境への適応と感覚から、場と心を捉えて、人の心になったりして分かっていた。

また、構造に考え方を適用して分かっていた。

そういう風に、色んな場所と、全員の精神になって分かる人間だった。

GUIのファイルシステムとプロセスやコンポーネント間の通信と、アプリとアプリの境界の無いコンポーネント結合を、美しい考え方と統一したグラフィックで実現すれば良い。

それは、UNIX的で、むしろ、もっとUNIXより発展している。

ただ、それは、Google Chromeのようにすれば良い。Chromeの拡張機能が、すでに出来ている。きちんとGoogleの検索結果にはてなブックマークの拡張を統合したり出来ている。

Google Chromeでは、はてなブックマークの拡張をインストールすると、Google検索の結果に、誰がどれくらいブックマークしているかの数値と、はてなブックマークへのリンクが表示される。

おそらく、Googleがやると良いだろう。

おそらく、GNOMEの理念はそういうものだったのかもしれない。

はてなは、はてなのデータベースをコマンドで管理するような、「はてなコンソール」や「はてなコマンドライン」や「はてなデータベース」のようなサービスを作れば良い。

ただ、それはある意味危険だ。操作を間違えると終わりだし、ハッキングされる可能性もあるから、本当にやるのは止めた方が良い。

それこそ、はてなブログに一括置換の機能をつければ良い。それだけの方が単純で便利だ。

昔の自分は、自由から可能性のある社会が生まれるとか、自然発生のようなことを言っていた。

そういう、アメリカのような知性をいつも書いていた。

あとは、可能性のあるものを作って、皆で発展させるなど、オープンソースやプラットフォームのような、共有、環境、改善、積み重ねのような、自然な共有理論のようなことを書いていた。

世界を変えるなら、自分の言ってほしいことや、言ってほしくないことを言えば、賢くなる。

お前は、賢い。

お前は、よく頑張った。

だが、お前は、馬鹿過ぎる。

お前は、何も出来ていない。

そういうことを言っていると、怒るようになる。最近、そういう人間が居ない。

自分が怖くて哀しいのは、何か出来るはずだった、と思っているからだ。

本当に、何も出来なかったが、もっと最初が違えば、もっと良いことが出来るはずだった。

それが、哀しみから恐怖へと変わった。何も出来ない地獄になった。

皆を怖がらせて、支配して、抑圧を与えて、馬鹿にしたくない。

本当に何も出来なかった。本当は、あらゆる問題を解決して、導けるような人間のはずだった。

そういう、「何が出来るはずだった」と言う感情が、自分の奥底で、不安と哀しみになっている。

2016年6月28日火曜日 - 出来る発想

昔は、色んな「出来る」や発想を分かっていた。

森羅万象のことを、「自由」から考えていた。

怖い時、混乱した時は、落ち着いて考えれば良い。

コントロールはしない方が良い。その方が自分の今していることが分かる。

政治は、地方分権と直接民主主義をやると良い。それが一番、国民の意見が反映される。

見ていると、アメリカやイギリスは、昔の日本だ。何故か、今の日本は未来になっている。

英語は、何についてしゃべっているのか、シチュエーションを考えると出来る。

そういうわけで、テレビや映画を見ていると、出来る。

テレビが怖いのは、まともな人間が怖い。まともになると、死んで、もっと狂う。

まともでない、今の自分が賢いだけだから、テレビなんか、見なくて良い。

英語は、いくらか自分で話していると出来る。

普通、WhatやHowとDoしか言わない。そういう、「問いかけと応答」を分かると出来る。

良く考えると、theなんか言わないし、そんなに長い文章も言わない。

itを使うとは言うが、そんなに使わない。ほとんどは、5W1Hしか言わない。

自由な中で、助け合い、共有するような、自然の真理のような自由を書いていた。

環境を作っていた。

平和を感じること。平和が良い。

自分を疑うこと。

分かり直すことで分かっていた。

日本は、江戸時代に比べると、平等になった。本当に平等な国になっている。

学校が賢い。学校が平等なのは、教育格差を作らないためでもあるが、そういう、近代的な平等で知性のある社会を目指しているからだ。

細胞は、分裂と遺伝子が賢いが、それは全体としての調和がとられた中でのみである。

そういう風に、分かり直しながら、自分を疑うと、賢くなる。

そんなに意志が無くて、ロボットのように従うのはおかしい。もっと反抗した方が良い。

Googleは賢い。本当に、IT企業の中で一番賢い。

Googleは、「絶対にファイルが消えなくて、フリーズしないOffice」を作れば良い。そして、簡単に複雑なことが出来るような、「テンプレート・メソッド」を作ると良いだろう。

一括置換のような、「簡単にファイルを操作出来るコマンド」のような機能がつくと良いと思う。

共産党が言っていたが、アベノミクスは、政府による操作によって景気を向上させるために、実体が無く、もろく破綻しやすい。野党は、そこを責めると良いだろう。アベノミクスは賢く見えて、何も賢くない。実体のない、蜃気楼のような経済政策だ。

自分は、普通でないことを考えれば良い。

社会経験のような文章が多かった。何から何を分かって、どんな社会がそこにあって、どうするべきなのかを、理性的に考えていた。本当にレーニンのような人間だった。

僕は、平和な愛を呼ぶ。

ここから先、平和な愛が皆を連れて行く。

平和な愛は、悪いことを何もしない。

平和な愛は、そこに存在しているだけで、人間を癒して、安心出来るようにする。

図書館で、臨床心理学の本を借りた。

自分は、統合失調症の多重人格障害になっている。

何故か、論理的な思考力が無くなっている。

そして、おかしな対話をする。

交代人格が主人格になって、主人格の方が自分に対話する神になっている。

交代人格を消して、ただ、適応や分かるのを止めると、戻れなかった主人格に戻れる。

それで、楽をすれば良い。そういう楽が出来ない、おかしな新しい病気になっている。

何故か、アスペルガー、引き篭もりのせいで、そうなった。

それから、テレビと戦ったのが悪い。そのせいで、PTSDになっている。

良く分からないが、パニック障害やトランスジェンダーのような症状もある。自分はありえない。

自分の問題は、主人格がない。そういうわけで、適当な主人格に戻れば、まともになる。

僕は、交代人格が行ったり来たりするだけで、主人格がない。それが一番おかしい。

だから、きちんと自分を作れば良い。強迫性神経障害は、それで治る。強迫観念が悪い。

テレビと戦ったのは、そうすることで、その前が消えるからだ。全部消して、何も無くなりたかった。

主人格を作ると、すぐに治った。

頭は、最初と最後を行ったり来たりしているだけだ。それを消すと、ロボットの時計が治る。

この世界が治る。不思議と、病気になった自分を治すことで、この世界を治した。

もう全部消えた。

座っていると治るから、立ち歩かず、座っていれば良い。

タリバンを上手くコントロールすると、勝てる。それは、本当のタリバンではなく、自分のことだ。

自分は、皆を言いくるめたいのがおかしい。

昔の自分は、分からせることで、分かり合えると思っていた。

テレビが悲惨だ。テレビは、狂った時代のままだ。

自分が現れると、安心出来るように見えて、また、皆が自分を倒すかもしれない。

それは、止めてほしい。自分のことを、倒さず、戦わず、助けてほしい。

そして、平和的に、友好関係を築いて、良い世界にしたいと思う。