昔は、思考的成長の段階のようなものを書いていた。
教育、自由な社会、アイデンティティ、共有、多様性、環境への適応、自由になる、価値観、などと言う。
そういう、成長の段階と思考の発展のようなことを、いつも書いていた。
世界のことを、アイデンティティや価値観のような形で全部分かっていた。この世界が全部分かる人間だった。
僕は、昔から世界精神を支配している。
ただ、支配しても、良いことを何もしない。だから、何か良いことをやりたいと切に思っている。
むしろ、倒したり反抗したりしても意味がない。もう少し、他人を倒すとか、反抗するとか、そういうことが無い世界にしたい。
ネットで反抗している人間が多すぎる。だから、そういう「反抗」を無くしたい。もっと、みんなで結束して良いことをするようにしたい。
農園と英会話教室に行ってきた。
英語は、大きな声で話すと良く分かる。
思考の段階を書いていた。
思考の自然で必然的な発展の過程を書く。
全ては、価値が生み出されるようになることだ。
全ては、どのように平和を成り立たせるかだ。
昔は、そのように、数学的な命題を書くことで理性を作っていた。
悪いことはしない、言わない方が良い。悪いことをするのが一番悪い。
昔は、文明的、システム的、歴史的、実存的な社会のことを、全貌を知った上で生み出すように書いていた。
行動とその反応から、人間側にある理性を分かった。
戦っていた。世界と戦って、狂う中で世界を変えていた。勇敢な戦士だった。
大人の問題は、大人は覚えない。子供時代に知ったことは良く覚えているのに、最近のことを忘れる。大人でも、最近のことを覚えようと努力すれば、出来るようになる。
オランウータンは馬鹿でない。人間より馬鹿に見えて、幼児レベルの知能はある。幼児レベルと言うと、結構高い。僕は猫を以前飼っていたが、猫の知能はそんなに低くない。人間の子供レベルの知能はある。人間は理性的に考える力があるだけで、目や耳や鼻は動物の方が良いし、動物は強い。能力も、人間は頭脳にあるが、動物は体にある。人間はそんなに賢い生物ではない。人間は応用力が利くように出来ているだけだ。
ある意味、オランウータンなどの動物はJavaのように「手軽に」生きられる生物で、人間はC言語のように「とことん考えて」生きられる生物だ。
昔は、この世界の全てのような文章を作っていた。
科学は、事前に考えながら部品をはめ込むように言葉で基礎を作って説明していけば、誰でも作れる。
大学は賢くない。生物のような科目では、大学はみんなを馬鹿にしている。知性の無い「分かる馬鹿」を押し付けている。それが間違っている。
人間は、同じままで、理解し、やり方をいくらか変えると治る。全部治すと辛くなるから、ポイントだけを考えて治すようにすれば良い。そうすると、精神はきちんと治る。
自分は、学問の概要だけを全部分かっても意味がない。もっと、深く、広く分からないと意味がない。
何か一つの分野に決めた方が良い。生物学は賢くない。何かをきちんとしなければ、生きている時間がもったいない。
自分は、数学をしないせいで、脳の「分かる部分」が無くなっている。何も分からない辛い人間になっている。
だから、数学的な分かる部分を作った方が良い。
人間は、方法で何が出来るのかを数学的に考え、何が何を決めているのか、何がいつ生まれるのか、何がいつ成り立つのかを考えれば分かる。
昔は、数学と言うよりはパソコンだ。だが、人間の活動や、多様性や環境のような具象的世界観を、人間の原理とともに分かっていた。
だから、数学をした方が良い。数学が分からないのはおかしい。
ただし、学校の数学的試験問題を説いたり、公式を覚えたりするのではなく、数学的な考え方に慣れて、吸収した方が良い。
不思議と、数学が出来ない人間は馬鹿ではない。こういう風に、文章を書いていると数学が無くても分かるようになる。
あとは、歴史をした方が良いだろう。僕は、歴史を頑張ったように見えて、歴史が一番出来ていない。
数学、物理、生物、そして日本史をすれば良い。他に賢い科目は存在しない。それくらいの高校の勉強をしたいとは思うが、そんなにマスターしたいわけではない。自分なりに分かってしまえばそれで良い。専門は哲学とLinuxと言うことにすれば良い。
自分の問題点は、高校なんか簡単だ。一つの分野を専門家ほどにマスターするのは難しいかもしれない。だが、高校の参考書をきちんと知っている人間は多い。高校で習えば、誰でもそれくらい出来る。僕はフリースクールで数学Iをしたが、簡単だった。プリントを何枚か解くだけで終わった。言ってしまえば、そんなものは馬鹿だ。
そうすると、むしろ、自分独自のことをした方が良い。数学は馬鹿だ。数学的考え方なんか、数学をしなくても、誰でも最初からある。そういう先天的な理性の方が賢い。
要は、まともな人間が賢い。そして、自分の頭を賢くすれば良い。数学や生物なんか、何も教えていない。自分の手でこの世界で理性や生物のことを知った方が賢い。
あふれた情報はつまらない。ネットは見なくて良い。むしろ、テレビを見た方が良い。テレビには庶民が映っているだろう。馬鹿とは言うが、テレビしか賢いものは無い。
自分の頭を賢くさせるなら、数学のような言葉を作れば良い。それが一番昔の自分が出来る。あとは、この世界にある何かを知り尽くせば良い。それで、大学と同じだ。
昔のように、数学的基礎を作ってさまざまなことを知っている人間は、考えれば哲学者ぐらい分かる。
自分は、学校の勉強が出来るぐらい、頭が賢くなりたい。
そして、あり得ない職業に就くと賢くなる。キリストが言っているように、誰も選ばない道に良い道がある。
むしろ、ライターで良い。文章を書くのが好きなら、ライターになるのが良い。
大学は、生物学なんかしなくて良い。本当は、経済学をした方が良い。経済学で放送大学を卒業すると、新聞社に就くとか、ライターの仕事とか、そういう仕事に就ける。
やることが無いなら、生物学も良いが、本当は経済学をした方が良い。それが一番良い。
生物の良い点は、体の仕組みを知って病気が治るからだ。息抜きに生物の勉強をしながら、本気で経済をすれば良い。生物学と経済学は、面白い人間が多い。
いつも病気を治したくて、心理学のような考え方をいくらでも作っていたが、大学の経済学を学ぶなら、心理的な病気はすぐに治る。
何もしていないどころか、意味がないことしかしていないから、病気になっている。
経済学の勉強をして新聞社に入るのなら、もう全て出来る。この世界にある全ての分野が出来た。
不思議と、仕事は出来ないかもしれない。だが、昔の自分が、仕事や職業のような発想を、全部分かっている。全ての職業を経験した。
あとは、もう、全ての分野が出来るだろう。
僕は今29歳だが、経済学を学ぶのにはちょうど良い年齢だ。デザインも出来て、プログラミングやLinuxのことも深く出来て、本当に良かった。
あとは、むしろ、家にいくらか経済学の本があるので、それを読もうと思う。大学まではしないかもしれないし、新聞社には入らないかもしれない。だが、道が決まって、夢が出来た。とても幸福で、安心出来る気分だ。毎日、何にも取り組まずに、流れ去るように人生の時間が過ぎていくのが一番辛かった。
僕にはもうやるべきことがある。経済学の道を、一人で進もう。今まで考えた、ソ連のような国は忘れた方が良い。明らかに意味がないのが自分でも分かっている。
経済学では、誰かが得をしても誰かが損をするために、問題を解決出来ないことがある。これを「利害関係の対立」と言う。だが、僕はこれについて、「自ら損をする方を選ぶ」と言う考え方が必要だと思う。自分が損をしたとしても、長期的に見れば全体の利益になって、最終的には自分の行動も評価され、栄光を得ることが出来る。世界中の国が、自分たちの「得」のために戦っているが、本当は自分たちが「損」をしても、相手に対して利益になるならば、「全体の利益」を取るべきなのだ。
だから、きっと自由とは今のところ利害関係の対立になっているのはそれぞれが損をしたくないからであって、本来、人生として、「自ら損をする」と言う考え方は、むしろ、宇宙にはたくさんあると思う。自ら損をすることで、戦いに終止符を打つことも出来れば、戦いたくない戦いで勝利のために貢献することも出来る。それが、僕の言う「菩薩の戦い」であり、その損をするための戦いをすることが、結果的に自分にも良い結果を残すことがある。それを、僕は「無償の愛の行為」だと言いたいと思う。
おそらく、独裁で利害関係を解決することは出来る。だが、一人の指導者が独裁的に権力を使う意味があるだろうか?本当は、そうした「権力」や「金」のせいで、利害関係の対立がどんどん生まれている。だから、それぞれが自ら損をする選択肢を選ぶしかない。それによって、きっと世界は救われる。本当の民主主義は、「得の民主主義」によってそれぞれが利害関係を考えるのではなく、「損の民主主義」によって民衆が悪い方を取るものを裁かなければならない。民衆が利害関係の対立を裁かなければならない。制裁を与えなければならないのだ。ただ、それはおそらく、既に資本主義とは言えない、新しい主義になってしまうだろう。
今の自分に必要なのは、今までを振り返る余裕と、あとは、迷子にならないようにきちんとした案内役を作ることだ。それが正しい。
僕が思うに、EUと日本で何か新しい同盟を作れないかと思う。日本はEUと一緒が良い。あるいは、ロシアと日本の同盟も良い。相互に補完する、素晴らしい関係を築ける。