会社の世界観です。
会社とは、金儲けの集団です。ここで、金儲けとは、契約と取引によって、労働と価値を交換することを意味しています。
資本家は、対価として金を与える代わりに、条件として労働者に製品の生産活動、すなわち労働をしてもらいます。
消費者は、会社の製品を得られる代わりに、対価として金を与えます。
ここで、消費者の金は、そのまま直接与えられるのではなく、生産手段を持っている「会社」を通じて与えられます。ここで、「搾取」をすることで、資本家は何もせずに利益を上げることができます。
資本家とは何か。それは、「生産手段の所有者」であり、「消費者や顧客の金を労働者に渡す仲介者」です。
自由な中で、労働者は会社と契約を結びます。そのため、お金が欲しいなら、代わりに労働をする必要があります。
そして、ものが欲しいあるいは働いてほしいなら、代わりに対価を払う必要があります。
ここで、メリットとして言えることは、
・会社は自由な中でさまざまな製品を作る会社があり、国のような中央組織が計画しなくても、自由に取引と契約が生まれ、どんどんものが生まれていく。
・需要と供給の関係から、価格はものが増えれば安くなり、欲しい人が増えれば高くなる、という風に自動で調節される。
・会社は自由に作ることができ、経営者は国のような上に従う必要が無く、自分がやりたいような労働や生産を自己責任と自分の持つ資本で行うことができる。
ということが言えます。逆に、
・中央が支配しないために、不必要なものがたくさん生まれる。
・金儲けのことしか考えないために、環境を破壊したり、消費者を騙したりする。
・搾取によって、資本家だけが生産手段を独占して儲け、消費者と労働者を不当に低く扱う。
といったことがあります。そして、これらの全ては「条件と取引」によって行われます。
しかしながら、生産と労働の形態について、会社以外の仕組みが考えられないわけではありません。
ソ連が計画経済でやったように、所有権を否定して平等な生産と分配を行う仕組みは、ソ連がはじめてやったわけではなく、古くから平等な経済のスタイルとして存在するものです。
また、帝国の皇帝は、実は巨大な力を持っていること自体が、多くのことができる証であり、悪いことばかりしているように見えて、「悪徳を行使することで善をしている」ような場合が多々あります。荘厳な宮殿を作ることで文化に貢献したり、錬金術を行うことで科学力が向上したり、さまざまな征服活動をすることで国の富を増やしたり、といった「王侯貴族の悪徳」は、マキャベリのように時には善であると見做されることもあるのです。
また、現代の経済学では、単にカネだけで生産を行い、全てを自由放任に任せて、警察と軍隊だけの夜警国家にするような政治家はあまり居ません。リバタリアニズム(自由至上主義)という考え方もありますが、これはアナーキズム(無政府主義)と同列の過激な考え方です。多くの資本主義の政府は、外貨を稼いで、国のお金を増やし、経済成長を景気回復手段(減税、金融緩和、あるいは公共事業など)を行うことで、国全体を豊かにする、もっと言えば国の経済規模を大きくすることで、国全体の資本を増やして、弱者にも恩恵が得られるようにします。
ただし、ここには格差の問題があります。国の全体の富をもし100とするなら、99を金持ちがひとりで持っていると、残りは1しかありません。これでは、国の全体の富が1であるのとあまり変わらない、と言えます。ですから、平等な分配も必要です。ですが、平等な分配を行う際には、国全体の富が大きくなければできません。税金による福祉政策をしようものにも、財源が必要だからです。国の全体の富のパイを大きくする必要もあれば、合理的な手段で全員にある程度の富を分け与えられるほどの公正な政策が必要とされます。
このためには、単に奪い合うだけの競争ではなく、新しい分野に「初期投資」を行うような、「ビジョンのある計画」を立てなければなりませんが、これは政治家にさせることは難しく、多くはスティーブ・ジョブズのような先見のある経営者が起業によって行うものです。最近の経済が停滞しているのは、そうした「カリスマの天才経営者」がどんどん少なくなると同時に、フロンティア(未開領域)そのものが無くなってきている、ということが言えます。残る未開拓の市場はアフリカぐらいしかなく、技術にもめぼしい技術はSNSやスマホぐらいしかないのです。その上で多くのパイの大部分をGAFAのような巨大企業が全部持っていっているため、日本の末端の労働者には、100のうち1や2程度しか降りてこないのです。いくら金融緩和や円安政策をしても、大企業が儲かるばかりで、そもそも何も作らずに儲けたお金は、あぶくのように消えていくのです。
また、市場経済とは、単純に売り、買う全てのことに当てはまりますが、多くが「安いものだけを買う」ようになり、生産者側も「儲けるためにコストをカットする」ということだけになりがちです。
このため、こうした単純な市場経済をもっとより良いものにするために、たとえば、お金ではなく商品券や専用カードなどを配布したり、製品に品質保証のラベルを付けたり、あるいは労働者が資格を取ったり、労働基準法で最低賃金を決めたりなど、「法律側からのアプローチ」というものがあります。
ですが、こうした「市場経済を捻じ曲げる」ような政策には注意が必要で、単純な市場経済の売り買いの「単純さ」を破壊してしまいます。
特に、そうした最たる例が、近く導入される消費税10%と併せて、「日用品は8%に据え置きし、ぜいたく品だけ10%にする」という「軽減税率」です。
僕は、軽減税率は天下の悪法だと思っています。ですが、これは野党のチャンスだと思います。軽減税率はおそらく、日本経済を一瞬にして倒壊させるほどの混乱をもたらすかもしれないと僕は思うからです。逆に、すんなりと普及する可能性もあり、それは国民がどれだけ適応できるかにかかっています。
もし、軽減税率が混乱と失敗を生めば、これは自民・公明の責任です。ここで、野党が選挙で大勝し、軽減税率を廃止する可能性もあります。あるいは、国民はこうした混乱を冷めた目で見ていて、「消費税を上げるだけなのになぜこんなに混乱が必要なのか」という冷ややかな目と、たかが消費税、どうでも良い、という傍観する視線があると思います。
また、ポイント還元制度は、一部のIT強者だけに利益をもたらし、何も知らないお年寄りなどのIT弱者から、不当に差別されてお金を払わされていることにもなります。
実際のところ、経済学でも、こうした市場経済を捻じ曲げるような仕組みを法律で導入することは良いことではありません。特に、社会主義的なこうした政策は、多くが消費者をがっかりさせる結果になります。それは人々がお金、というものを単純に考えていて、「お金というものは単純であるべきもの」だとしているからです。単純に、紙幣とコインを与えて、それで何でも手に入るなら、こうした「余計な心配」が必要なくなります。僕は、その方がはるかに良い国、良い社会になると思います。それが「シンプルな自由」であるお金の仕組みを、経験から国民は知っている、あるいはそれに飼いならされているのです。
全体のパイを新しい事業で増やして、それをみんなが生きられる程度に公平に分配し、自分の生活が成り立つぐらいのお金が入ってくるようにし、安定した仕事が楽しい職種に就けること、これを目指していかなければ、いくら経済学でお金をジャブジャブ増やす方法を考えても、良い国にはならないでしょう。さらに言えば、ただ金を支援金として与えるだけではなく、自らの手で「稼げる」ようにしていかなければ、支援したお金もすぐに尽きてしまいます。自立的に人々が自分の力で儲けられるようにしていくこと、そのためには、透明性のあるビジョンと、自らが協力して参加できる組織のあり方が必要です。労働者から経営者まで、みんなが同じ目標に向かってビジョンを共有し、「労働者が自分の手で会社の未来を開ける」ようになった時点ではじめて会社は成功するのです。
企業には「ヒト・モノ・カネ・情報」の管理業務がある。総務・人事・経理はこの「ヒト・モノ・カネ・情報」を管理する。
役職 | 説明 |
---|---|
総務 | 会社の総合的な事業を担当する。 |
人事 | 会社に勤める人(社員)を管理する。 |
経理 | 会社で使用したお金(経費)や資料(決算書など)を管理する。 |
後日注記:「ヒト・モノ・カネ」とは言うが、その通り金と人とものの管理のためにこのような業務の分け方が一般的である。特に、会社は金をきちんと管理しなければならない。
2024.05.05編集
仕事は基本的に納期とノルマです。納期を守ってノルマをこなさなければなりません。
例えば、スタジオジブリのような有名アニメ会社は、華やかな環境に思えますが、実際は過酷で、決められた納期を守るために作品をそれまでの間に仕上げる必要があります。宮崎駿監督も、とても大変なハードワークだと言っています。
また、工場のような単純労働では、ノルマがあります。毎日数千個の部品を作って、それで少ない給与がもらえます。多くの現場で、正社員は管理しているだけで、多くをパートや外国人実習生が行っています。
オフィスのビジネスマンも楽ではありません。WordやExcelでデータ入力の仕事を期限までにしなければなりません。営業や企画も大変で、ノルマの数だけ成果をあげなければ給与を減らされます。
彼らはとても大変なハードワークをしていて、資本主義だからといって楽に仕事ができるわけでは決してありません。資本主義が楽で、社会主義が辛いという右翼の考え方は嘘です。
ほかに言えることは、競争やコスト削減は決して社会のためになっていません。つぶし合う大人の意識が格差と差別を生み、またコスト削減によってどんどん製品の品質・クオリティが下がっています。これに深刻な人手不足が重なって、日本の会社はこのまま行けば何も作れなくなると思います。
僕は、非正規雇用の増加だけは何とかすべきだと思います。
非正規雇用は、働いても、働いても、報われません。きちんと8時間働いているのに、生活は苦しいままで、正規の雇用との格差と差別がそこに生まれます。
左翼の政党が言っている通りです。8時間普通に働けば、生きられる社会にしなければいけません。
僕は、社会主義的な労働の施策を取ることは、間違っていないと思います。自由にすることで、「いつまともな報酬が得られなくなるか分からない」という、不安定さが生まれるのです。必要なのは、歩合制による自由労働ではありません。誰もが平等に「安定して生きられる権利」がある、そんな社会にするためには、僕はもっと左翼の政党が勝たなければいけないと思います。
後日注記:そもそも、自由主義の労働のことを「自分で働いた分だけ給与や報酬が得られる」と思っている人が多いですが、実際にはそれでは安定した仕事が無くなり、生活のために安定した収入を得ることができなくなってしまいます。平等な福祉厚生政策とのバランスが必要です。
ブラック企業は、産業の増加による働き手の不足、つまり人手不足が原因です。
ブラック企業を無くすためには、産業構造を抜本的に変える必要があります。意味のないサービスをやっている会社を全て消し去れば、ブラック企業は消滅するでしょう。
法律で、労働基準法を作ったり、労働環境を変えることも必要ですが、意味のないサービスを消せば、すぐに良い社会になります。
後日注記:最近の日本では、ブラックをブラックだと言わなくなりました。人手不足がとても深刻で、人々は何時間も何人分・何仕事分も働かなければなりません。貧乏人はダブルワークやトリプルワークが普通です。このままでは日本経済はもう破綻するでしょう。
会社というものは、そもそもが利益追求の組織です。会社の目的とは「より稼ぐこと」です。
これに対して、政府は税金で行われる代わり、より公的な責任があります。それは憲法や法律に定められた人権を保障するために活動しているからです。
言ってしまえば、会社というものは、儲かればそれで良いのです。儲からないことをするよりも、儲かることをする、それが会社の大原則です。
ですから、かんぽ生命のような郵便局で行われているノルマの達成を社員に課す組織が生まれるのは、郵政民営化をしたことが大きな要因です。彼らは、儲けなければクビにされたり降格されたりします。こうした公共のサービスは、まだまだ、公営化してやっていかなければならない部分もあります。
問題はかんぽ生命だけではなく、資本主義の会社の多くが、社員にノルマを課して、詐欺まがいのことをやっています。こうしたものは全て、「利益追求」とそれが行き着く「競争・市場原理」によって生まれています。IT化やアメリカ社会の模倣の結果「自分たちのアイデンティティ」も失った現代の会社は、社員を奴隷のように考え、パワハラをしながらブラック的労働をさせるような結果になっています。
こうした利益追求の組織から離れた組織として、NPO法人のような非営利組織があります。こうした法人は、職員の生活を満足させる程度の最低限の利益を上げて、公的な目標のために活動しています。環境保護や動物愛護、子供たちのための施設のようなNPO法人は、利益にならないことでもやりたい人々にとっては良い環境です。ですが、職員が満足に集まらない場合は、少ない給与でハードワークをしなければなりません。
また、オープンソースのようなネット上のコミュニティも、全く利益を取っていません。こうしたネット上のコミュニティは、参加者が好きでやっているため、楽しければそれで成り立ちます。意味は全くなくても、楽しければそれでいいような、最近はそういうコミュニティがネットの内外で増えています。子供たちに食事と世代を超えた地域のきずなを培う「こども食堂」もこうしたもののひとつではないかと思います。こうした「みんなで楽しく働く」のような無給とボランティアを前提とした労働環境は今後増えていくでしょう。どのように彼らの生活を保障するのかが、新しい時代の社会の課題になると思います。オープンソースのプログラムを開発しても、楽しいと言われるだけで、全く金は入りません。ホームページを趣味で作るのと同じで、逆に自分からリソースや手間を提供しなければなりません。ですが、そうでなければ、きっとそこまで多くの「善意の貢献者」は現れなかったでしょう。
昔は、「競争原理主義」とか「市場原理主義」というのが叫ばれ、「競争することで社会が発展する」といったことがまことしやかに叫ばれていました。
この競争原理主義とは何だったのか。僕は、その問題を紐解くカギは「企業のブランド価値」にあると思います。
昔は、SONYや松下といった会社の企業が、一種のブランド価値を持っていました。「その企業にしかできないこと」が確かにあり、SONYはSONYらしく、松下やナショナルはナショナルらしく、それぞれの会社のできることをして、競争していたのです。
ですから、ナショナルのやったことを、「SONYならばこのようにする」といって、SONYらしい製品を作る、こうした「ブランド価値」が企業にあったのです。
それが、IT技術の発達などにより、企業のサービス化が進み、「日本の大企業なんかどれも同じ」であるかのように、アメリカ企業のITサービス化がなされました。アメリカ企業は、大胆に自分の会社しかできない、「Googleらしさ」や「Facebookらしさ」を打ち出したのです。
これは、アメリカの会社においては、ブランド価値の追求の結果であり、先ほどと矛盾しませんが、日本企業から見ると、「相対的な日本の会社のブランド価値」がどうでも良いもの並みに低くなり、結果、SONYも松下も似たような類いの「何もできない日本企業」になった、ということです。
また、最近のIT企業というのは、実がありません。ただ過当競争のようにたくさん出来ては消えるだけで、楽天やソフトバンクのような会社は、会社としての「実」が無く、結果「長期的な企業価値」よりも「短期的な利益追求」のようになってしまい、結果、日本企業は新しい実のない企業の過当競争と、昔のブランド価値の低くなった日本企業になってしまい、このような「競争に何の意味もなくコスト削減とブラックばかり起きる社会」が生まれ、「競争なんか何の意味も無い」という最近の風潮を作り出したのではないでしょうか。
実際のところ、今のSONYに、かつてあった情熱や先進性のようなものは無くなってきています。逆に、東芝や松下だから安心できる、という人も居ません。GAFAのようなアメリカ企業も、同じ道を辿ると思います。Googleのようななりふり構わず悪いことをする会社ばかり増え、どんどん競争原理主義はつぶし合いと滅びの原理主義に変貌していくでしょう。
労働組合とは、労働者の労働条件や賃金の改善のために労働者が入る組合のことで、基本的に賃上げと労働条件や労働環境の改善を主張する。
労働基準法において、労働者を働かせることができるのは1日8時間まで、1週間40時間までと決まっている。また労働時間が6時間以上になる場合は45分以上、8時間以上になる場合は1時間以上の休憩が必要。そして最低で毎週1日、4週間で4日の休日が必要。ただし時間外労働協定(36協定)というのがあるので注意が必要である。
2024.05.12
ストライキとは、労働者が会社に対して労働環境を是正することを要求するために集団で労働を拒否すること。憲法上、正当なストライキは処罰されません。
2024.05.12
海外の政党では、社会民主主義政党が自らを「労働党」と呼ぶことがあるが、これは労働者のための政党という意味。労働者の労働条件の改善を主張する社会民主主義政党である。
ただし実際はマルクス・レーニン主義の共産党だったりする。極左政党ではなく極右政党の場合もある。
仕事を参照のこと。
株式市場を参照のこと。
経営・マネジメントを参照のこと。