菜種油・あんどんの世界観です。
歴史と理科に詳しい父親の話を参考にしています。
昔の日本には、電気が通っていなかったため、夜中の灯りには火を使うことが一般的で、ろうそくの火やあんどんを使いました。
あんどんには、菜の花(アブラナ)の種から採れる油を使いました。
火を使った灯りを実現するには、ほかの油を使うこともできますが、すすや匂いが出ることがあるため、すすや匂いの少ない菜種油を使います。
田んぼを使った稲作には、稲を刈ってから次の稲を植えるまでの間に、田んぼを別のことに使える時期が存在します。なので、稲作が行われない間に、菜の花畑にして菜種油を採ります。
米は年貢米として武士に持っていかれますが、菜種油は油問屋に売ることで、貴重な農家の収入源になります。
油問屋から油売りに油が売られ、それぞれの家や屋敷では、夜中の灯りとして菜種油を使ったあんどんを使いました。菜種油は貴重品であり、もったいないので夜間には最低限のあんどんしかつけず、夜中になれば日が沈むとともに寝て、日が昇ると起きます。菜種油は菜の花から採れる種であるため、動物にとって美味しいので、放っておくと猫や狸など動物に食べられることがあり、火をつける時に注ぎ、火を消すと器に戻します。
菜種油は、貴重品であると同時に、毎日必ず夜があるため、常に大きな需要がありました。油売りは、五日市(毎月5日に行われる市)や八日市のような毎月行われる市で、各所を回って油を売りに行きます。油売りはたくさんの場所でさまざまなことを聞いており、それを油を売っている間に話します。昔はニュースや新聞がなかったため、油売りが多くのことを伝達することが、噂話などを含めてニュースの伝番の役割を持っていました。油を売っている間、どうでもいい与太話をするため、道から逸れてどうでもいいことをすることを「油を売る」と言ったりします。
あんどんは中に火を灯すところがあり、周りは竹や紙でできているため、少しひっくり返すだけで簡単に火事になります。そのため、たとえば江戸のような密集した場所では、昔は火事が頻繁に起きました。火事が頻繁に起きるため、そもそも町人は多くの資産を持たず、タンスと食器やちゃぶ台などしか持っていませんでした。いつ火事になってそうした資産が失われるか分からなかったためです。
昔の地震で怖かったのは、建物が崩れることではなく、火事になることでした。たとえば、大正時代の関東大震災では、多くの家屋が火事によって失われました。
また、ろうそくは菜種油を使ったあんどんよりもさらに貴重であるため、仏壇やお墓参りなど、本当に必要な時にしか使いません。菜種油を使ったあんどんは、明るいとはいえ本を読むことはできないぐらいの明るさでした。「蛍を集めて本を読む」などの逸話が昔話に残っているのは、あんどんでは本を読む灯りには十分ではなくても、蛍を集めれば夜間に本を読むことができたからです。
電球については電球も参照のこと。
昔の日本の生活については昔の日本の生活を参照のこと。