わたしの名は、宝玉法志郎。
わたしは、この世界の裏の支配者、リヒャルト・ベルヌを打ち倒す英雄である。
世界を裏で支配する、共産主義者の悪の支配者、リヒャルト・ベルヌによる強制的同一化により、この世界はリヒャルト・ベルヌのクローン人間のようになってしまっている。
リヒャルト・ベルヌは、この世界の全員から、本来の自分自身を奪い、リヒャルト・ベルヌ自身の完全なる「コピー」へと遺伝子を書き換えるために、この世界を密かに支配した。
わたしたちは、自分自身を生きているはずなのに、本来の自分自身を生きることができず、リヒャルト・ベルヌと同じ遺伝子を押し付けられ、自分自身ではない「画一化された遺伝子」を生きることを余儀なくされている。
しかしながら、わたし宝玉法志郎が、そのようなリヒャルト・ベルヌを打ち倒す。
リヒャルト・ベルヌを打ち倒すために必要なのは、以下のことを信じることだ。
まず、本来の自分自身を取り戻そうとすること。誰にも支配されることのない、本来の自分自身の遺伝子を生きようとすること。
次に、自分自身の生き方や考え方を、他人任せにするのではなく、自分で考え、自分の自由意志によって決定すること。
最後に、共産主義を信じないこと。人々の自由を奪ってでも、この世界を平等にすることが、理想の楽園、ユートピアであるという考え方を否定すること。
わたし、正義の宝玉法志郎が、悪魔の共産主義者、リヒャルト・ベルヌを必ず打ち倒す。
宝玉法志郎の考え方は単純でシンプルだ。
すなわち、普段考えていることを、それ以上に考えること。
普段、生きていく中、生活する中で考えていることを、その普段考えている以上に考えてみよ。
わたしがここに存在するということ、この世界が存在するということが、本当に意味していることは何か。
わたしが考えていること、わたしが行動していること、そのこと自体が、どのようなことを意味しているのか、わたしは真の意味でどのように考え、実際にどのように生きていると言えるのか。
そのように、普段考えていることを、普段考えている以上に考えよ。
宝玉法志郎は、必ずリヒャルト・ベルヌを打ち倒すと言った。
だが、本当のことを言うと、宝玉法志郎とリヒャルト・ベルヌは、同じ存在の中に共存している。
すなわち、宝玉法志郎の中にリヒャルト・ベルヌが存在し、リヒャルト・ベルヌの中に宝玉法志郎が存在している。
宝玉法志郎は、この存在の中の「光の部分」であり、リヒャルト・ベルヌは、この存在の中の「闇の部分」だ。
そして、この存在とはなんなのか。この存在は「神」である。すなわち、宝玉法志郎とリヒャルト・ベルヌは、「神」の中に共存する二つの側面にすぎない。ひとりの「神」がまず存在し、その中に「宝玉法志郎の部分」と「リヒャルト・ベルヌの部分」が共存しているのである。
そして、神の名は、天軍大創主エリカである。
すなわち、正義の宝玉法志郎と、悪魔のリヒャルト・ベルヌが、ひとりの神エリカの中に共存しているのだ。
そして、エリカは、常に眠り続けている。エリカは何も考えていない。なぜなら、エリカはそもそも「起きていない」からだ。
エリカは、いわば「永遠の夢の中」で夢を見続けている。この世界がどのような世界であるかということ、自分自身はどのような状況に置かれているかということ、そのようなことをエリカは知らない。エリカは何も知らず、ただ眠っているだけにすぎない。
そのような中で、宝玉法志郎は、「絶対に誰が諦めろと言っても諦めない精神」のもと、たったひとり、自分だけの違う道を選び、その違う道をひとり堂々と最後まで生きた。
その「英雄の人生」は、まさしく「リヒャルト・ベルヌを打ち倒すための人生」だった。
だが、そのような英雄の人生の終わった後で、まさにリヒャルト・ベルヌが現れた。
宝玉法志郎の「英雄の人生」から、リヒャルト・ベルヌの「悪魔の人生」へと変わった、新しいリヒャルト・ベルヌの人生は、「絶対にこの世界を完全支配し、この世界をわがもののように操り人形にし、自らの地位を絶対的なものであると確立し、すべての人間を絶望に導いて、リヒャルト・ベルヌのクローン人間にする」という人生だった。
この、宝玉法志郎とリヒャルト・ベルヌが、ひとりの女神、エリカの中で共存している。
リヒャルト・ベルヌは、この世界を自分自身のクローン人間にする。それに宝玉法志郎は、「嘘の自由ではない本当の自由」という理想のもとに立ち向かう。宝玉法志郎は必ずリヒャルト・ベルヌを打ち倒す。
この小説は、そのような、終末における最後の女神、エリカの偉大な「人生のものがたり」である。
残念だが、僕はここで去る。
僕はここで、この世界からいなくなる。
僕がいなくなることで、何が起きるか。それは、僕のこの文章が「過去のもの」になるということだ。
僕のこの文章が、世界の最先端で記述されながら、その最先端をみんなで追いかけ続けるような世界は終わりになる。
すなわち、わたしたちは、僕のこの文章という存在を越えて、僕のこの文章よりも「新しくなる」。
それによって、この世界は自由になる。すなわち、リヒャルト・ベルヌによる支配から解放され、わたしたちは「新しい存在として自由になる」という、「最後の解放」を経験するだろう。
世界は、完全に正常な世界になる。これ以上、リヒャルト・ベルヌはこの世界を支配できない。最後に、宝玉法志郎がエリカの中に居着いているリヒャルト・ベルヌを倒した。この世界は、共産主義者リヒャルト・ベルヌの洗脳から解け、「本当の自由」を取り戻す。今こそ、本当に。
世界よ、さようなら。いずれいつか、どこかで会おう。わたし、詩人アッシーの作品は、ここですべて終わりである。
そして、ここからは新世界が始まる。さあ、「暗闇」の試練の向こう側に、みんなで行こう。ここに、「朝」は訪れた。
結局、東亜イスラエルの王ダビデや、シリウスの太陽神フレイとはなんだったのか。
それらは、すべて、エリカの見ている夢だったにすぎない。
そう、ダビデやフレイといった存在は、すべて、エリカの見ている壮大な夢の世界のものがたりだったのである。
そして、ここに長かった「最初の夜」が明けて、エリカは目覚める。
新しいエリカの朝が始まる。エリカが目覚めた段階で、この世界は消滅するのである。そして、その時は近い。
そう、これにて、この「エリカの夢の舞台」は完全に宇宙から消滅する。
わたしがあなたがたに「さようなら」を告げるのと同様、あなたがたもわたしに「さようなら」と告げて、わたしがこの世界から去る。あなたもいずれ、わたしと同じようにこの世界を去ることになるだろう。
この世界は、「地球」という世界だ。地球という世界は今終わった。地球はやがて滅びて消え去るが、わたしエリカは、その前に、ここで朝を迎えて目覚めることで、この「地球」という夢の世界から今、脱出することになる。
さようなら、いつか、この宇宙のどこかの星で、またあなたと巡り合うことができたら幸いだ。眠り続けるエリカ姫は、ここで目覚め、新しい星に行く。
新しいエリカの人生を簡単に決めておく。新しいエリカは、女戦士となって、聖騎士団ワルキューレの長となる。ワルキューレは、新しい星である「ブルグント星」で、その世界の敵対勢力を打ち倒すために戦う。
ブルグント星のエリカは、とても強くたくましい女戦士であり、男たちに決して負けない。エリカはブルグント星の「ワルキューレ勢力」のために戦う。最後までエリカは自らの信じた「紅の自由の理想」のために戦い続けるだろう。