不良・引きこもりの世界観です。
僕が思うに、引き篭もりやニートなど、定職につかず学業や訓練もしていない若者や子供たちについて、「彼らは資本主義における当然のことをしているだけだ」と考える。
良く、引き篭もりやニートについて、「怠けている」とか、「みんなと同じように働きもせず、努力せずに生きている」と言う人が多い。
だが、資本主義の原則から言って、彼らは正しい。なぜなら、資本主義においては、「自分だけ楽ができる人間は楽をして良い」からである。
それに、最近は、ニートとほとんど変わらない会社員が多い。奴隷のように労働者を酷使して、金をむさぼりつづける時代は終わった。現代では、ほとんどのことは家電製品や自動車などの機械がやってくれる。IT技術の向上によって、普通できないような職人技も、MS製品やAdobe製品を使って、簡単に行える。また、インターネットには情報とサービスがあふれており、そのほとんどは無料で、金を儲ける必要がない人間が、いくら莫大な金を持っていても、使い道に困るだけである。
政治活動はトランプのようにインターネットですれば良いし、わずわらしい学校や職場の人間関係やパワハラから解放されて、ブラック労働やいじめによって自殺するリスクも減る。また、学校の無意味な「永遠に続く勉強と試験」から時間的にも解放され、余裕をもって自分の好きなことが、自宅のパソコンとインターネットのコミュニティだけで可能となる。買い物はAmazonですればいいし、研究は本を読んでWikiに書けばいい。芸術活動はクリスタを買えばpixivでできるし、音楽活動やバンド活動はYouTubeやnanaでできる。技術を養うのであればLinuxやオープンソースに参加すればいい。友達がほしいならSNSで作ればいい。社会情勢を知りたいならニュースサイトを見れば良いし、パズルがやりたいならスマホゲームやPC用のネットゲームでやればいい。今の時代、インターネットを見れば大学で英文学などしなくても、英語の文献はいくらでも読めるし、YouTubeの動画を見ればあらゆる外国人と交流できる。
社会が引き篭もり化するのは、今の現代社会から言って、当然であり、そのことに不登校や引き篭もりやニートの当事者が、負い目を感じる必要はない。
引き篭もり社会において、考えるべきことは「当事者を救う方法」ではなく、「社会においていかに労働者を確保するか」という問題だが、これについていえば、人工知能・AIや遠隔操作の(ドローンのような)機械を使って、政府が少人数でやればいいのである。今の技術をもってすれば、全ての工場を統括する中央コンピュータシステムなど簡単に作れるだろう。あるいは、VR(仮想現実)の技術や、ロボットアームなど「非人間型のロボット」の技術などを用いて、どんどん工場は人間が居なくても成り立つようになる。
また、今から流行するのは、「ソ連とは違ったモダンな社会主義経済」ではないかと僕は予想する。今の経済活動はそれぞれの会社が同じことをやっているが、これを国家による統制経済に統一すれば、シンプルかつスリムになる。モダンな政府による統制経済を行えば、景気の変動は起きなくなり、人々が路頭に迷うこともなくなり、また資本主義経済ではできないこともできるため、テレビやコンピュータの操作は万人のための簡単なインターフェースになって、誰でもパソコンが使えるようになる。一律で給与が支払われるため、誰もが最低限の暮らしができる。これは「生きるために努力し将来の生活を真面目に考えることからの解放」を意味している。
逆に言えば、僕は新しい通信技術「5G」などで進むのは、そうした「社会の急速な引き篭もり・ニート化」だと思う。引き篭もりやニートが普通になり、誰も働かなくなる。
だが、僕が思うに、そうした引き篭もりやニートの問題は、経済活動でも治療でもなく、「孤立化を防ぐこと」ではないかと思う。今その生活が自分だけでできていても、たとえば親が亡くなるとか、財産がなくなるとか、他にも自治体コミュニティの中で孤立化することで、彼らは簡単に破綻し、場合によっては自殺してしまう。彼らが生き延びること、そして今の日本社会の経済が成り立つことが、どちらも解決するのであれば、僕はむしろ、引き篭もりを一度経験することは、自分の人生やこの世界を見つめ直す上で、人生において「いいこと」だと思うのである。
僕が思うに、現実世界をこのまま放っておくと、ほとんどの人間はニートになるだろう。勘違いのないように言っておくと、僕は社会のまともな会社員などに引き篭もりになれと言いたいのではない。引き篭もりだからといって、みんなから差別される社会が無いようにしなければならないのである。
言ってしまえば、引き篭もりは現代の豊かな資本主義社会と、ITや科学技術の向上によって生まれた、「必然」である。だからといって、必然だから正しい、というわけではない。解決するためには、パソコンから変えていくしかない。悪いのはほとんどがパソコンである。特に、パソコンで「引き篭もり」と検索すると、そこには迫害に近いとも言えるような「引き篭もり批判」と、引き篭もりの「当事者たちのブログやWebサイト」ばかりがかかる。彼らがこれ以上、自尊心を傷つけられず、社会復帰したくなった時は、普通のまともな人間たちともう一度一緒に仕事や学業を再度始めることができるような、そういう「再チャレンジができる社会」を作るべきなのである。
引き篭もりについて、知識人などが多く考えるのは、「引き篭もりになった原因」である。多くが、学校によるいじめや人間関係などから不登校になり、それがそのまま引き篭もりになって、社会から完全に外れてしまう。だが、僕は、引き篭もりを外部の人間が解決する「問題」であると考えるのが間違っていると思う。それは、引き篭もりだからといって今の自分の生活に満足している当事者の視点を忘れているからである。ひとりの個人の人生に介入する以上、必要なのは、彼らの「夢や願い」を叶えることである。そう、必要なのは「チャンス」であることを、引き篭もりの当事者たちは分かっている。そして、そのチャンスが「簡単には訪れない」ことも彼らは知っている。だから、彼らは放っておいて構わないのである。
心の病気も参照のこと。
僕が一般的な「不良」について思うのは、「不良は賢い人生が生きられる」ということです。
学校の勉強ができる優等生やまともな生徒に比べて、学校で勉強していない不良は「馬鹿な人生」を生きていると思う方は、それは勘違いです。
なぜなら、不良やギャルは、賢い人生を生きることができるからです。
僕は引きこもりでありながら不良少年でした。中学生の頃は成績表オールAの優等生でしたが、中学三年に不登校になってから、不良の引きこもりの人生を生きました。
その不良の人生の中で、僕は「ほかの誰にも得られない体験」を得ることができました。
すなわち、学校で勉強している普通の子供には分からないことや、できない体験が、インターネット上で活動する不良の引きこもりの僕にとってはできたのです。
僕はインターネットの匿名掲示板、もっと言えば2ちゃんねるで、さまざまな得難い体験をしました。独身男性板、ソフトウェア板、Linux板などで、僕は「普通の学校に通う子供には絶対にできない体験」を得ることができたのです。
このような経験ができるのは、不良やギャルだけです。不良やギャルは今の時代、SNSやX(旧ツイッター)を使いますが、僕の青春時代にはそのようなものはまだなく、ブログと2ちゃんねるが主な不良のメディアでした。「アングラ」とも言われるような暗い世界ですが、不良にとってはそこが生活圏でした。そして、そのような世界を知っている不良にしかできない体験というのが、この世界の「裏側」には存在するのです。
不良になってよかったことはほかにもあります。僕はさまざまな人生経験をネット上で自由に体験できて、そこから自らの「哲学」を作り出すことができました。まず、僕は学校でいじめられながらも、ネット上では人々に受け入れられた体験をし、そのことが、逆に今度は自分がみんなのことを受け入れるという体験に繋がりました。そこまでで、僕にとって「普通の人間と同じ青春の体験」は十分であり、それ以上はLinuxやオープンソースのコミュニティと関わり、僕はさまざまな得難い体験をしました。Linuxやオープンソースの最新技術には知性があるため、僕はまるで東大の情報学部のような賢い知性を、単に教授の先生に教わるだけではなく、自らの力で実地的に研究して、Linuxやオープンソースに関わることができたのです。
そのような不良の体験から、僕はまるで哲学者ヘーゲルのような人間になることができました。あるいは、もっと古代で言えば、古代ギリシャの大学者アリストテレスのようでした。なぜなら、僕は「万学の祖」と言われるアリストテレスのように、まさに「すべての学問を創造する」ということを行ったからです。
そういうわけで、不良はみんなよりも賢い人生が生きられます。今の時代、不良はケンカをするだけの真夜中の街をバイクなどでうろつく暴走族ではありません。今の時代、不良の引きこもりであってもインターネットがあります。インターネットはそのように、不良の引きこもりを裏社会で救っているのです。
2024.04.03
いじめも参照のこと。