新・日記2に戻る | 2019年11月の日記に戻る

=2019-11-17=

今から、この世界はまともで、平和で、自由で、平等な世界になる。

理想の世界において、何かを誰かが制限する必要はない。それぞれの人間が、世界においてどのように社会を築くべきか、きちんと知っているからである。

そう、平和にするために必要なのは、支配することでも制限することもでもなく、自由にし、経験可能にし、平和にすることである。

全ての争いがここに終わる。僕たちは勝利し、同時に敗北を受け入れる。勝利だけを目指していたのでは、妥協をすることはできない。僕たちは自らの権利を自ら失うことで、本当の意味で、全員が勝利する。

理想の世界とは、経験可能な世界である。そこには幾多の地獄と試練があるが、そのどれもが素晴らしく、讃えるべき価値のあるものである。この世界は、経験可能な自由とともに、ひとつになり、そして無限に可能性を増やしていく。変化を可能にする社会へと、変わっていく。創造性によって、永久にこの世界の時代は進歩していく。僕たちには全てができる。ひとりの支配者によって制限されない限り、この世界であなたが居る意味は必ずある。あなたは「社会における役割を得ることによって、自分らしい生き方をできる」ようになる。

自由には、二つの意味がある。すなわち、

1.経験可能な自由

2.可能性を実現可能な自由

この2つの自由を僕は自由と呼ぶ。そして、このためには、当たり前のことを疑う必要がある。そこで、確かに分かる「自由」の様相が見えてくる。この世界がどのように変えられるのか、環境がどのように成立するのか、この世界に自由とはどのような様相を与えるのか、行動と目的はどのように社会的に実証されるのか、そうした「自由の様相」の全ては、この2つの自由に根差している。

経験可能な自由と、可能性を実現可能な自由から、「社会制度の構築」を行うことができる。人々がどのように人生を経験し、どのように自由を行使し、その上でどのような自由が行使でき、この世界において「労働と生産」にどのように「参画」できるのかがここに「成立」する。人々は本当の意味で、自由な社会制度を構築し、この世界を変えられるようになる。その「人々による変化を促す自由な社会モデル」をここに構築できる。人々は自由に愛し、自由に経験し、自由に可能性を知り、自由に世界を変える。そのために、社会の構造を築くこと、そしてそれを目的として社会があるのである。

自由な社会の影響力の下に、心は正常になる。全ての自由を融和することで、人の感情には「絶対的愛」が生まれる。この世界を愛するその愛は、自らを支配者として、この世界を本当に自由な世界に作り変える。失敗や間違いは、必ず本人によって解決される。そう、これが僕の考えた新しい自由な精神論である。

自らの手で、新しい民主主義のモデルを作りなさい。その上で、自らが世界に及ぼした失敗の責任を感じて、最後まで自分の力で努力して、それを解決しなさい。

今、この世界における最後の改革が起きる。僕は、社会主義をやめ、新しい世界へとこの世界を連れていく。今のところ、まだ僕が大統領である。

僕は、「奴隷のように働き続ける意味が資本主義社会に本当にあるのか」と思う。

たとえば、老後の2000万円必要問題は、「老後になるまで、そんなに頑張って、何十年も働き続ける意味が、果たしてあるのだろうか」と思う。いくら稼いでも、貯金の貯まらない人も居るのである。一方で、金持ちは何もせず、何でもかんでも自由にすることができる。

平等は短絡的かもしれないが、理想としての平等を果たして諦めるべきだろうか?本当に、自由とはそんなに大切なものだろうか?なぜ、人は働くのだろうか?なぜ、人は努力するのだろうか?

実際のところ、人間は本当に頑張る必要があるのか、とも思う。最初から大学に入れるようにして、労働はロボットにやらせる社会が理想なのかもしれない。だが、働かない社会は、それはそれで正しいだろうか?なぜ人は、働くことで喜びを得られるのだろうか?

僕はそういうことを考える。それは、Linuxやオープンソースの世界を知ってしまったからである。彼らの方が、はるかに賢い。ソビエト式のモデルが間違っているのであれば、オープンソース式のモデルはどうだろうか?僕はオープンソースを社会に取り入れることを、真剣に考えても良いと思うのである。全員に平等にコンピュータを与え、その生産はボランティアによる労働で、作りたい人間が作る。これは、実際のところ、Googleが会社で行っていることと同じである。彼らは、もう儲ける必要がないほど金を持っているにも関わらず、それでも楽しみや興味の対象として自社の製品を作っている。それなら、いっそのことすべての会社をGoogleにするのと同じように、一律で給与を平等に与え、生産はやりたい人間がやりたいように、完全に自由にやるようにすれば良い。生産手段を儲けるために独占せず、全員にオープンに提供することで、人々はなりたい職業に自由になれるのである。

ある意味、そうした社会の時代がすぐに訪れることはないだろう。だが、一昔前は、歩くことや走ることは必要で、長時間走るだけの仕事も存在した。今では、ウォーキングやランニングは楽しみのひとつとなっている。そう、無償で提供し、ボランティアが製造する、という社会は、僕はいずれ必ず訪れると思う。工場は、適切な生産システムの下で自動的に、超巨大な大工場が動くようになるが、そこでのシステム開発は、オープンなプロセスの下でボランティアが工場のラインを設計・実装するようになるだろう。競争や、金儲けは、一切、無くなっていく。また、歌手や芸能人はYouTubeのような「ネット上のプロモーションシステム」の下で、自分で自分を売り出すようになり、作家やデザイナーは完全に趣味の延長線上として、インターネットで作品を発表するようになるだろう。そう、それはほとんど、今の時点で実現していることばかりである。政治家による経済の仕組みは、指導者が支配する形ではなく、完全に国民が参加して、オープンかつ平等な下で執り行われるようになるだろう。義務教育は、インターネット上にたくさんの学校が生まれることで、実際のさまざまな学校集団と融和していく。そして、国と国は争わなくなり、全ての国は融和し、世界政府は治安の維持と経済の安定化だけを担当する。環境問題は、世界政府の指導者によって、最優先で保護することが可能となる。戦争は無くなり、一切の全ての外交問題は、「喧嘩両成敗」の下に、それぞれが妥協をすることで解決するだろう。

生産手段の資本家による独占を否定するからといって、ソ連モデルのように公社による独裁的な生産手段の共有と、逮捕による資産の再分配を行う必要はない。生産手段を人々にオープンに解放し、それぞれが「本当に自由に自分たちの製品を作れるような制度」を作る。そこでは、人々は生産手段を公開し平等に提供することの代わりに、自分の作るものに対してのコストは、自分の責任と能力で自己負担し、労働の全てはボランティアになる。そして、政府は全てを計画経済の国営企業で行うのではなく、そうした「人々が生産を行うためのインフラ基盤だけを提供」する。そのインフラ基盤の下で、適切にものごとが生まれるようにする「調整役」を政府が担当すれば良い。そして、多くはロボットが行うのと同時に、本当に「自分でやりたい人」のために工場を開放し、手作業でこだわってソフトウェアやハードウェアを作ることもできるようにすれば良い。そして、人々は自分のテレビやパソコンを簡単に作ることができるようになるだろう。

なぜそのようになるのかというと、それはパソコン業界のせいである。IT技術によって、全てのことはとても簡単になった。専門の技能がなくても、WindowsやLinuxを使うことで、誰もが簡単にシステムが作れるようになった。だから、生産手段を一部の専門的企業が独占する必要はもはやない。確かに、専門知識を得るための大学は必要だろう。だが、そうした「いくらかの少ない知識を持った人間たち」が、この世界で裏側のインフラを自由に使えるようになれば、彼らは可能な限りの低コストで、自分たちの興味のためにボランティアで製品を作る。

だが、僕はこの思想は、本当にやると悲惨なことになると思う。それは、彼らボランティアは、ITのことも自分の作ろうとしている製品のことも何も分からない。だから、中国のように、劣悪で低品質なものを大量に生み出すようになる。社会のことを何も考えないため、社会は崩壊し、環境を破壊し、全ては滅亡するだろう。オープンソースはそういう、最初から「終末の最後の時代の生んだ最悪の理想」である。ツイッターが標準的になった今、オープンソースはもはや必要ない。メーリングリストとニューズグループで作られたOSなど、誰も使いたくない。もう一度昔に戻るなら、Microsoftの時代ぐらいに戻りたいものだ。

コンピュータが可能としたのは、「システム構築の簡便化」だけではない。彼らはインターネットという「世界中のつながった、誰でも参加できるオープンな仮想空間」を作った。インターネットは、コンピュータ技術を楽しみにする以上に、僕は将来においてとても重要なものになると思う。それは、「インターネットをいかに利用するか」はまだまだ未知数だからである。だが、僕はそうした「未来のインターネット」は、おそらく、そんなに良いものにはならないと思う。それは、タリバンやISのようなテロ組織がインターネットを「支配と戦争のために利用する」からである。彼らはインターネットを最後の戦場として、アメリカのインターネットとイスラムのインターネットが互いに争うようになる。だが、僕はこうした「戦争のインターネット」は一時的なもので、そのうち、「インターネット憲法」が定められると思う。だが、憲法が決まってしまえば、インターネットは自由が無くなり、つまらないものになるだろう。今のように、オープンに参加し、何をしても処罰されないインターネットではなくなる。義務と法律がインターネットに生まれた時点で、インターネットの価値は無くなり、ただのコモディティ的なものへと劣化することだろう。ただ、それでも、インターネットの「世界中を繋げる可能性」は未知数で、無くなるわけではない。だから、たとえば、現実世界とは本当に全く違ったコミュニティができる可能性もあれば、現実世界の中で何かをするためにインターネットをもっと利用するようになる。こうした発想は、今、まさにどんどん生まれている。だが、今までの「Webページ」を使ったインターネットには限界があるかもしれない。もう一度、誰かが「本当の分散ネットワーク」を作る可能性はある。だが、単純にWebページを見るだけ、というスタイルそのものが変わってしまうことは避けたい。インターネットの良さは、ページをブラウザが表示するという、「誰にでも分かる単純な社会の仕組み」に存在する。これを複雑なアプリケーションにしても、それは流行ることもなく、インターネットそのものの分かりやすさや自由度を劣化させるだろう。

僕が思うに、SNSのようなものはそのうち流行しなくなる。逆に、2ちゃんねるのようなシンプルな仕組みを持った掲示板サービスに対して、専用ブラウザのような「高度なことも必要に応じてできる」ようなソフトウェア技術は発達する。IRCで良いじゃないかという意見はあるかもしれない。だが、僕は「シンプルなSNS+専用ブラウザ」という発想が良いと思う。SNSは高度かつ複雑になりすぎている。シンプルに使える、一目で分かる新しいSNSに対して、たくさんの機能を提供する専用クライアントがあれば、僕はそれが正しいと思う。そして、サーバー側は、アカウントとデータの管理しか行わない。ビューは単純なものを表示し、データベースの中のデータはどこからでも、どんなクライアントからでもアクセスできる共通のものを更新・管理する。そして、クライアント(専用ブラウザ)の側から強力な機能を提供する。たとえば、全てのSNSを見て、その中でどんな書き込みがあっても最新の情報をスマホに通知するような、そういう仕組みをクライアントとして提供する。まさに、これが昔の2ちゃんねる専用ブラウザである。サーバー側は可能な限り単純化し、データの保持と提供しか行わない。クライアント側は可能な限り自由にし、何でもクライアント側のアプリケーションでできるようにする。サーバー側のシステムも、クライアント側のアプリケーションも、全てオープンソースにする。オープンソースにしない商用の業者がアプリケーションを作っても良いが、オープンソースのものも必ず用意する。

また、サーバー側のブレイクスルーとして、たとえばP2Pのように分散ネットワークにすることも考えられる。クライアントを専用アプリケーションにするのであれば、今のWorld Wide Webの仕組みを継承する必要はない。誰もが簡単にページ(ホームページと同じ)やグループ(掲示板と同じ)や、ニュース、ブログ、つぶやき、拡散・シェア・通知の機能などを、この「シンプルSNSサーバ」に実装し、クライアントがそれぞれの独自の「操作スタイル」から操作することができるようにする。つまり、データベースには、その投稿の内容と、その投稿がどんな意味を持っているかという情報を管理し、常に更新されるようにするための「P2Pサーバ」(そもそもP2Pはサーバー・クライアントシステムではないため、この名称は適切ではない)となり、クライアントは、P2Pサーバの適切なデータを操作するものとなる。それぞれのノードが常に情報を発信し、全てのプラットフォーム(Windows, Linux, Mac, スマホなど)に対してオープンに公開され、どんな風にその情報を整形して操作しても良い。インターネットと違う一番大きな点は、サーバーを構築する必要がない、ということ。レンタルサーバーを使って、有料でサーバーの費用を負担する必要がない。それぞれのノードは「共同体自治区」を形成する。自分の共同体自治区に含まれている人々の情報は、自分が共同でホストする。サーバーをレンタルせずとも、情報をP2Pで発信できる。動画サイトも漫画サイトもフリーソフトのダウンロードも可能にする。ただし、Winnyを目指しているわけではなく、匿名通信や第三者の仲介を基本にはしない。

ただ、本当のところを言うと、このネットワークでは自分たちの共同体自治区を共同でホストするだけを今までのWebサイトと同等に行うため、クライアントプログラムの実装を少し工夫すれば、匿名ネットワークや第三者が介入するアップロードやダウンロードの仕組みは実現できる。だが、これは全く逆のこともできることを意味する。すなわち、犯罪者のWebサイトや犯罪ファイルのようなものは、自分たちの共同体自治区から締め出してしまえば良い。たとえば、子供たちが見るページの共同体自治区は、その子供たちが使うアプリケーションが共同でホストするため、「自分たちの意に合わないサイトは全て消す」といったことができる。だが、これはある意味危険である。中国人が政府の批判を書くために、匿名ネットワーク機能をONにした上で、少しでも政府寄りのメンバーを全て排除することができる。おそらく、Winnyの開発者はそういうネットワークを開発したかったのだろう。