新・日記2に戻る | 2019年9月の日記に戻る

=2019-09-03=

僕は今日、プログラミングに必要なのは数学ではなく、問題の解決の技法である、ということが分かった。

いくら、中学高校の数学を分かっても、それでプログラミングはできない。必要なのは、数学ではなく、問題の解決の技法である。

また、学校やテレビで教わったこの世界の常識は、多くが間違っている。そうした「大人の常識」の全ては、本当に分かった人間にとっては必要ない。

子供のように考えることで、「概念」が見えてくる。たとえば、生物が生きているという概念。生きていないように見えるものは、本当に生きていないのだろうか?生物とは、青空の青さのようなものではないか?

そう、今日はそのように、詩人のように考えた。

それがそうであることが、何を意味しているのかを考えれば、哲学者になれる。それがそうであること、その意味を考えることで、この世界がどのように変えられるのかが見えてくる。

当たり前のことを考えなさい。当たり前に、それがそうであることから考えていけば、全ては疑いから確信へと変わっていく。

つまらないことを言うと、僕は、死んだ後の天国とか、生まれ変わりとか、そういう「死後の世界」は無いと思う。僕の教える宗教では、死後の世界というものは存在しない。死ねば、意識が消えて終わりである。だが、そうだからこそ、今の自分のこの命を繋いでいく意味がある。死に意味が無いと知ることで、生きる希望になる。だから、僕の教えは、「死後の世界は無いからこそ、今の生きている自分の命を大切に、そして有意義に使わなければいけない」ということなのである。死んだ後で、死ぬ前に戻ったり生き返ったりすることはない。天国で健康な姿で生きられるわけでも、別の生物に変われるわけでもない。今の自分の健康状態で、最後までをまっとうし、その後には何もない。そう、それが正しい。幻想を抱いて死んだとしても、その人間は命を無駄にしただけである。死後には何もない。だからこそ命は大切であり、戦争や大虐殺を起こしてはならない。逆に、悪いことをしても地獄には堕ちない。だが、悪いことをしていると、自然にその人間の人生は悪くなる。脳はどれほど自分が悪い人間かを知っていて、悪い人間に対して報いが起きるように、「自らが自らに報いを与える」からである。また、天に神は存在しない。神とは狂った神経症の多重人格とのコミュニケーションに過ぎない。宗教はそもそもが神経症であり、ヒステリーである。