昔は、歴史のような社会の文明的な変化を考えていた。この世界がどのように変わっていくのかを考えた。
また、「比喩」のようなことを良く分かっていた。コンピュータは楽器や料理、絵画のようなものだと言っていた。
本当は、自分は数学をした方が良い。数学は、その対象のものを「絶対的な視点」から分かることが出来る。植物は伸びる葉緑素の光だとか、自動車はエンジンによって動くタイヤだとか、そういう風に、「その対象のものを、実像的に分かる」ことが出来る。
だが、数学は僕には出来ないだろう。ネットの数学の文章を読んでいても、自分に出来るような気が全くしない。むしろ、もっとコンピュータと経済学のことをした方が良い。数学の学習に王道はないから、学校で習うよりも、自分なりの考え方、たとえば定理と証明を覚えるなどといった方法で、分かることもあるだろう。だが、僕はもっと経済学のことがしたいと思う。特に、ミクロ経済学とマクロ経済学のことを知りたいと思う。
あとは、もっとピアノのことをやりたい。コードを覚えたいと思う。右手が簡単に弾ける僕は、左手をコードで弾けば簡単に演奏ができるし、作曲もできる。弾き語りも出来るだろう。
考え方を考えなさい。自分だけがやるのではなく、みんなのためを考えなさい。それに関係する個人や集団が、自分の手で環境の前提となる決まりを変えられ、自立できるのかを考えなさい。
目的と方法を考えなさい。何を目的に、どのようにすれば目的を達成できるのか、その目的とは何を意味しているのか。
それがそうである時、どうなるかを考えなさい。それがその時、いつ、なぜそのようになるのかを考えなさい。そして、なぜなのかを突き詰めなさい。それが何を意味していて、そこから何が言えるのか考えなさい。そこには、権限と変化の可能性の自由を考えられる。
環境や決まりそのものを変えなさい。全てのものは、決まりに隷属されるが、決まりの方を変えたり、決まりから解放されたり、決まり自体を決まりで無くしたり、「決まっている」という状態を変えることが出来る。
自分の知らなかったこの世界が本当は何であったかを知ることで、今まで知らなかったことからその意味を考えなさい。また、経験から、人々が何を考えているのか、それぞれの知識と世界の限界はどれくらいのレベルにあるのかを、実例を知って分かりなさい。経験から社会のことを知っていく。
みんなが社会や組織のことを変えられるようにすることで、みんなで自然な社会を作ることが出来る。そこではそれぞれが関与しながら共同体を分散して形成する。それぞれの発想を共有し、実現するための手段を与えていく。発想はそれぞれが生み出すと同時に、優れた発想を伝番しやすくしていく。それが自由の理想である。