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=八章 白の都(3)=

【3.心理学についての会話】

心理学と心の治し方

ケビンは、「狂った人間は、おかしくなっていると言うより、何も出来なくなっている。

何か、出来るようになれば治る。

でも、それは難しい。

全てが終わって、もう何も出来なくなった人間が、狂う人間が多い。

そういうわけで、何も出来ない中で、おかしなことをいつまでも続けながら、何もしない人間になる。

狂った人間が治るわけがない。

本当に何もしないでいると、普通の人間になる。

狂った人間は、まともな人間になるのは諦めて、何もしない方が良い。

不思議と、何もしないでいると、本当に治る人間が多い。

狂った人間は、子供時代に原因がある人間が多い。

歩き回る人間は、子供時代に陸上でマラソンをやっているとか、そういう理由でおかしくなる。

子供時代おかしい人間は、すぐにおかしくなる。

治らない。

むしろ、一度死のようなことを経験すると治る人間が多い。

本当に怖い体験をすると、誰でもおかしくなる。

それは、死なないと治らない。

普通、そういう人間は、死んで終わりだ。

死ぬと、すぐに楽になって、まともな人間になる。」と言った。

ポールは、「虫も、ある意味では一番優れた生命だ。

幼虫から成虫に変わることが出来る。

ダーウィンが進化と言う発想をしたのは、虫を見て思いついたのかもしれない。

そして、生命力が強い。

ゴキブリは、本当に、全ての生命の中で、一番生命力がある。

虫も賢い生命だ。

人間が強いのは、集団で社会やものを作った時に限られる。

丸腰になると、明らかにライオンやトラの方が強い。

人間は弱すぎる。

あとは、鳥は飛べるし、魚は泳げる。

水の中では、自由自在にすいすいと泳ぐのが魚だ。

魚は、そういう、空間を支配する自由な生命だ。

人間は、一人では生きられないが、動物なら、一人でも生きられる。

あとは、植物は、アスファルトにも花が咲くぐらい、強くて、適応力がある。

どこからでも再生し、光の場所に適応して伸びる。

そのように、柔軟性が高いのが植物だ。

あとは、シマウマや羊は、楽だ。

牧草なんか、いくらでも生えている。

草を食べるだけで生きられる。

ライオンなんか、獲物を頑張って捕まえないといけない。

獲物が弱いとは言うが、ライオンは辛い。

ライオンは、強く見えて、一番悲惨な生命だ。

生物学は、体の構造、細胞分裂、遺伝などが分かる人間が多いが、分類と名前を普通覚える。

生き物の名前とどんな生き物なのかを知っている人間が多い。

そういうわけで、高校の生物は、あまり意味が無い。

賢いとは言う。

生物学の体系のことは知らないと悪い。

生物は、地球の一部だ。

むしろ、地球が生物の一部なのかもしれない。

他の星にも生物は居るかもしれないが、同じ生物は居ないだろう。

動物でも、植物でもない、おかしな生命が居る。

それは、人間よりはるかに馬鹿か、人間よりはるかに賢いか、だろう。

僕が色んなところで知っている範囲から言うと、そういう賢い生命は、意識の次元やオクターブのようなものが違う。

プレアデス星人や、オリオン星人などが居て、それ以上は、どんどん高次元になって、最後には一番高い存在である、神へと行きつく。

それらは、本当に色んな体験をしているだけで、理性のようなものはそんなに違わない。

ただ、地球人にはあまり意味はない。

本当の宇宙の主人公は、それら、もっと高い宇宙人だ。

ゲームソフトの主人公のようなものだと思えば良い。

地球はクソゲーで、プレアデス星人は面白い大作RPGだと思えば良い。

あとは、人間より低い生命は、光のような生命だ。

光にも、色んな光がある。

良く分からないが、虫よりももっと低い、単純な生命が光だ。」と言った。

エリックは、「おかしな人間は、実は、あまりおかしくない。

失いのが怖いだけで、そんなにおかしくない人間が多い。

一度、本当に失う体験をすると治る。

何故か、不登校になるとか、そういう、本当に失う体験をすると、狂っているのが治る。

いつまでも失うのが怖い人間は、治りたいと思うようになる代り、失うことへの恐怖と感情が矛盾して、おかしく悩むようになる。

その、悩む力が賢い人間が多い。

成功への執着はそのように生まれる。

だから、失うことを恐れないこと。

何を失っても良いと言う人間は賢くなる。

失うのが怖いなら、子供時代の自分と今の自分を比較して、何を失ったのかを良く考えてみると良いだろう。

心理学者の言う夢判断のように、眠る時に見る夢を考えると、今の自分が昔と比べて、何を失ったのかが良く分かる。

現実の自分がもう忘れていることでも、夢の世界に見えることは、自分が失った、取り戻したい願望のようなものが見える。

それこそ、学校を失った不登校の少年は、どんどん全てを失って、最後には理性的な思考能力すら失ってしまう。

それは、子供時代のゲームに問題がある。

学校よりも、ゲームの方が好きだったのが間違っている。

ゲームには理性が無い。

楽しいばっかりで、ちっとも賢くない。

本当は正しい、学校の教育のようなものの方が良かった。

そのせいで、あとになってゲームが嫌いになって、出来もしない勉強をやりたがるようになる。

極端な例になったけど、ある意味、これも心理学だ。

昔と今を比較すると良い。」と言った。

ポールは、「そこで言えるのは、あらゆる自分の今の行動や経験が、昔のことをベースに、それを心理学的に書き換えたものになる、と言うことだ。

子供時代、ゲームで沢山の楽しい時間を無駄に費やしていた人間は、ネットで意味の無い色んなことが有るばかりの人間になって、狂ってからも、何か楽しいことを常にしたい、そんなに沢山のことを全部やりたい、と言った、狂った人間になる。

その原因は、どうでも良い、生活のライフスタイルにあることが多い。

いつも、そういう、何から何まで行動して、体験して、充実した毎日を経験していた人間が、いきなりおかしくなって、本当におかしく意味のない沢山のことをいつまでもするようになる。

それは、子供時代のゲームが悪い。

狂った人間は、そういうところを覚えていない。

昔のライフスタイルを覚えていないのは、今と全く同じことをしているからだ。

そういう風に、総合的、普遍的にライフスタイルを考えると良い。

そこから、自分が心理学的にこの世界と人生で何をしているのか、が分かる。」と言った。

ケビンは、「心理学は悪くない。

でも、もっと普通の心理学を考えた方が良い。

臨床より、発達、学習、欲求、行動原理のような、普通の心理学が良いだろう。

それを、経験と環境から良く分かること。

昔は、僕もインターネットでそういう心理学のことを環境的に分かっていた。

だが、そういう人間は、狂うことが多い。

狂った人間は、誰でも、そういう心理学によって狂った人間になる。

そういうところが変わらないのが人間だ。」と言った。

エリックは、「そんなに全部のことをしない方が良い。

自分の決めた、1つのことだけの方が良い。

そんなに色んなことをあれもこれもは出来ない。

そういう人間が馬鹿になる。

皆より賢くなるよりも、皆より馬鹿になった方が賢くなる。

馬鹿は賢い。」と言った。

ポールは、「自分がしていることなんか、昔から何も変わっていない。

そういう理由で、子供時代におかしかった人間が、本当におかしな人間になる。

変わるためには時間が必要だ。

でも、変わらなくて良いこともある。

昔賢かった人間は、今でも賢い人間しか居ない。

でも、その行動や結果には、最初考えていなかった問題や矛盾が沢山出て来る。

学校に行くことをいつまでも拒んでいると、本当に学校のような普通のことが何も出来ない人間になる。

人間は、そういう風に狂う。

悪いものが好きな人間が悪くなる。

昔頑張りすぎた人間は、あとで頑張りたくて辛くなる人間が多い。

人間は変わらない。」と言った。

ケビンは、「あとは、親の教育方針が悪い。

子供は、賢くなると、キモくなる。

親も、学校も、子供をキモくして賢くさせるから、賢い人間はどんどんキモくなる。

それが、オタクのようになって、果ては狂人のようになって、狂うようになる。

それは、性的衝動と言うよりは、親が子供をキモくして賢くさせるのが悪い。

そういう人間が多い。」と言った。

エリックは、「そういうわけで、賢いを目指せば目指すほど、馬鹿な狂った人間になる。

狂った人間が賢いだけなのが、分からない人間が多い。

そういう、馬鹿なことを言わない賢い人間が、治らなくなる。

色んな馬鹿なことを言うしかない。

それで治る。」と言った。

ポールは、「狂った人間が悪くなるのは、悪い人間が賢いからだ。

誰でも、狂った悪い人間がヒトラーになる。

そういう、最初からヒトラーが本当に多い。

それこそ、誰でも、そういう悪くなることによって賢くなる。

それが間違っている。

何をしてもヒトラーになる。

そういう人間は、神を信じると治る。

神だけが唯一ヒトラーに勝てる。」と言った。

ケビンは、「ゲームをするよりも、もっと他のことをした方が良い。

何もしない方が、まだ賢い。

ゲームは、そういう風に、おかしな何もしない人間になる。

それから、キモイだけは賢くない。

キモイが賢いだけが人間だ。

キモくなると、人間は分からなくなる。

そういうわけで、賢いから分からない。

キモイを全部消すと、ただ、この現実世界がありのままに分かる。

それも賢くない。

キモイ方が賢いから、解決しない。

何も治らない。

だが、分かる前と、分かった後では、気分が違うはずだ。」と言った。

エリックは、「だから、ブッダの話を良く聞きなさい。

聞くだけではなく、自分で同じことを分かろうと、努力しなさい。

ブッダは悟っている。

本当に全てが分かった人間がブッダだ。

僕らの力で、君たちをそこまで高めることが出来れば良いと思うが、僕らのレベルを持ってしても、ブッダには敵わない。

ブッダの言う賢い人間には誰でもなれるが、それでブッダを超えたことにはならない。

ブッダは仏だ。

これくらいは、序の口だ。」と言った。

ポールは、「仏教の通り考えると、本当に心が治る。

1つ1つ執着を消していると、あらゆる全ての苦を消滅させることが出来る。

ブッダは心理学の哲学者だ。

ブッダから見ると、あらゆるものは、完全に苦しかない。

それこそ、苦を消滅させていると、誰でも知性が消えるが、ブッダは、そういう、何で知性がついて、何で知性が消滅するか、のようなこともきちんと分かっている。

そういうところが分かると、哲学が出来る。

そういうわけで、ただ苦を消滅させれば、それで良いわけではない。

そこが分からない人間は、狂人や廃人になって、狂った人間になる。

それは、本来の自分に戻ることでしか、治らない。

ブッダの真理が悪いわけではないが、馬鹿な人間が真理を分かっても意味が無い。

そこが分からない狂った人間が多い。

真理は悪くないが、馬鹿な自分が悪い。

不思議と、そういう賢い人間になるために、インターネットを見ている人間が多い。

インターネットでパソコンや社会の文明や歴史のようなことが分かると、そういう真理が分かる。

そういう、パソコンで分かる、と言う発想が悪い。

そういう人間が多いから、パソコンが一番悪い。」と言った。

ケビンは、「人間は、誰もが、なっているものになっているだけだ。

そういうわけで、なるものを変えて、正しいものになれば分かる。

そのためには、感情のコントロールをして、常に間違ったことをしないこと。

だが、間違ったことは、たまにはしても良いことが多い。

判断基準を自分の中で作って、経験的指標を持つ。

それが悟りへの道だ。」と言った。

エリックは、「狂った人間は、分からない人間が多い。

学校が悪い。

学校のせいで、誰でも分からない人間になる。

きちんと分かってしまえば、分かる人間が多い。

そんなに機械のように分かっていると、本当に機械的な人間になってしまう。

機械は馬鹿だ。」と言った。

ケビンは、「心理学をしたいなら、どの経験が、どの経験、感情、認識に関係しているのかを、良く考えること。

それに、経験心理学と言う名前をつけよう。

そして、何が普通で、何がおかしいのか、何がまともなのか、決めて考えること。

それから、知りたいなら、皆の延長線上の経験を考えて、何がどうなるのか、必然的に考えること。

狂った人間は、分かるのが怖い人間が多い。

恐れを克服して、分かるようになれば良い。」と言った。

エリックは、「アスペルガーは、他の人間より賢い病気だが、これが酷くなると、自閉症になって、うつ病や強迫性障害になる。

それが自閉症なのかもしれない。

そういう人間は、日本語が分からなくなる代り、本当に天才になる。

逆に言えば、アスペルガーに戻ると、自閉症が治る可能性がある。

ただ、それはありえないことを言っている。」と言った。

ケビンは、「本当に達成や成功が出来なくても、取り組み続ければ、賢くなる人間が多い。

本当にプログラミングが出来なくても、挑戦し、取り組み続けていると、本当に賢い人間になる。

それこそ、聖書は大量に多すぎて、すぐには全部読めない。

それでも、いつもいくらか聖書を読んでいると、本当に分かるようになる。

そういうわけで、馬鹿に見えて、そういう発想が賢い。

プログラミングや聖書に取り組むのは悪くない。」と言った。

ポールは、「その対象だけではなく、その対象を見ている、自分や周りの人間のことを考えること。

ハイデガーの存在論も、そういうことを言いたいのだろうと思う。

自分が何を考えていて、何を知ろうとしているのか、考えれば、認識論の哲学も出来る。

心理学の言う、心的現実のような考え方も分かって来る。

心的現実とは、それが起こったかどうかには関わらず、それを信じて、考えている自分の、心の中の現実を考える。

要は、それを考えるだけではなく、それを考えている自分の、考えそのもののことや、自分のことを考えるんだ。

考えの考え方を事前に作る、と言う発想は、カントのようだ。」と言った。

エリックは、「聖書には、ユダヤ人の歌やたとえ話、イエス・キリストの言葉が書いてあるが、ダビデの賛歌が多いだけに見えて、終末のことが書いてある。

イエスが言うように、終わりの時代では、人々は不遜なものや向う見ずなものになる。

それは、おそらく、平成を言いたいのだ。

ノストラダムスも、そういうことを言っているのかもしれない。

聖書を信じていると、精神の病気が治る人間が多い。

聖書は馬鹿では無い。

イエスは、求めるものには与えられると言うが、その人が求めたものは、常に与えられている。

自分が求めたものが与えられているだけなのに、分からない人間が多い。

ブッダが見ると、そういう、執着心のようなものは、無明や煩悩のようなものから生まれてくる。

そういうわけで、こだわりを無くして、常に自分のことを批判すること。

自分の望みを変えて、正しいことを望もうと努力して、自分を変えて、強く信じながら、全てのことを疑うこと。

先入観や思い込みの無い態度が、賢くて知ったかぶりの無い、正しい推論的考え方の無い人間を作る。

宗教も、哲学も、物理学も、そういうところが同じだよ。

きちんと比較して実験すれば、仮説や構造のようなことも分かって、未知や真実のことも良く分かるんだ。」と言った。

ケビンは、「運命は、同時に、裁きなんだ。

その人間が、本当に望んでいること、今は望んで居なくても、それを望むことが正しい、と言うような、本当の望みが、その人にとって起きる。

そういう体験は、人生の最初から、既に決まっている。

そういうわけで、運命はきちんと起きる。

科学を信じていた人間が急に宗教家になって、自由が好きな人間が次第に自由が嫌いになる。

だから、馬鹿を馬鹿にしちゃいけない。

馬鹿は、賢い人間が多い。

それこそ、馬鹿が馬鹿に見えて、今の自分の方が馬鹿なこともある。

それは、人生を生きながら、放っておけば誰でも分かる。

分かっていないようで、分かっている。

狂っている人間も、放っておけば、全部終わってから治る。

ただ、その終わりは、簡単には起きない。

最後まで、あらゆる森羅万象を全部知ってから終わるんだ。」と言った。

ポールは、「自分を中心にして、環境が変わり行くのを考えること。

狂った人間は、そういう、何を考えるべきなのか、が分かっていない。

ただ、自分の今していること、自分の今考えていること、自分の今居る場所を考えれば良い。

本当に、分かり続けているだけで、そういうものが分からなくなって、狂ってしまう。

きちんと、自分の行動と位置を分かること。

そういう風にしていると、狂っているのが治る。」と言った。

エリックは、「あとは、簡単だ。

認識と経験がどのように関係して、世界や他人と自分の関係性を考えれば良い。

基盤のようなことや、受け入れる、と言ったこと、あるいは、諦めるとか、執着を無くすとか、苦しみを知って解放されるとか、状態を真理で変えて行くとか、そういう風に考えれば良い。

仏教は心理学だ。

恐怖は、相手のことをきちんと許せば、誰でも治る。

同時に、自分のことも許す。

そのためには、相手より強くならないといけない。

自分が弱いと、相手を許せなくなる。

強い気持ちで恐怖に勝つべきだ。

そのためには、成長し、見つめ直し、謙虚な気持ちを持ち、正しく向き合い、許し、受け入れ、認めること。

そこから、仏教の八正道のように、正しい気持ちで行為や思念を持って、ものの正しい見方を知ることが出来る。

そういうものが、仏教的な真理なんだよ。

そういう風にしていると、まるでフロイトのように、精神分析を、ネットの実例と自分の実体験から出来るだろう。

そこでは、環境から自由になる、環境を自由に変える、と言った、自由が、心理学的な真理となる。

そして、意識の発展から、自在な意識を知って、キルケゴールのように、自分の人生を本当に豊かなものに出来る。

人生から悟りが開ける。

それは、ある意味、本当に自由で、平等で、全ての知と世界を知った、マスターの人生だ。」と言った。

ポールは、「心の裏にある、本当の心を知ること。

認識と経験が何に関係しているか、執着を無くすこと、から、何を原因なのかを解明して、その解決方法から考える。

哲学や心理学は、それに尽きる。

仏教は心の病院だ。

そして、人生を経験論的に知ること。

そこでは、ヤスパースと経験論から、経験と知性のこと、集団と個人のこと、絶対者のことを知ることが出来る。

それらは、仏教やデカルトだと思えば、誰でも出来る。

正しいことだけを信じながら、正しく心を治すことで、思い込みが見えて来る。

正しい推論をすることで、心を環境的、基盤的、法則的、未知的に知って、心の現象学を知ることが出来る。

ネットでソクラテスのように議論し、心と環境のことを推論し、変化を知る。

そこでは、社会の全て、人生の過去の全てが変えられることを知って、社会の可能性を知って、愛と経験の本当の意味を知って、社会を本当に変えられる、救世主のレーニンになれる。」と言った。

ケビンは、「それから、集団と個人を環境的に良く考えると良い。

理想の世界や、世界の文明のようなことは、環境と集団を考えて、客観視すると分かる。

自由を仮定し、留保することで、社会的な客観像が見えて来るだろう。

また、環境や論理の実例を良く知ること。

それも、ネットのような場所で、沢山の議論をして、自分の環境が変わったのを把握することで、変わらない世界と変わる世界の中で、実体験から哲学的な真理が分かる。

そこでは、全ては、決めること、決め直すこと、知性、可能性、なんだよ。

そして、環境を知ることから、確かめて、実験して、理性を批判することで、精神性と内面化が見えて来る。

推論や積み重ねもそこから出来るし、人生のこともそういう人間が分かる。

執着も消して、経験から正しい方法と結果を知る。

人間の自由から、社会のことや変化の可能性のことが分かって来るし、全員のことを吸収して、全員の延長線上にある、古代ギリシャ人のような、哲学的知の探索の経緯と開拓のようなことが、ソクラテスのように見えて来る。

経験論の言う、経験的な知性や社会構築の経験のようなことや、ヤスパースの言う、本来の自分に立ち帰る、集団の中に没しない、と言ったことも、そういう風にすれば分かる。

オーウェンのように、社会の実現のようなことも、良く分かるだろう。

基礎を作ることで、総合科学者のように考えることも出来る。

リベラルアーツのように、総合的な知を自由に知ることで、自分が自由になる。

専門を全部することは難しいけど、科学的知性と自分で作る基礎の構造から、横断して分かることも出来る。

そういう発想が、普通、哲学者だ。

そういうわけで、哲学者の言っていることは、全て繋がっているんだ。」と言った。

エリックは、「キリストは、誰もが入る広い門よりも、誰も入らない狭い門の方が、いのちの道へと繋がっていると言う。

それは、間違っていない。

ただ、正しく言うと、人とは違う人生の中で、皆と一緒に関わって生きた方が、賢い人間になる。

狭い門とは、誰にも関わらず、一人孤独に生きる、と言う意味じゃない。

自分の道を信じて、自分がリーダーシップを発揮しながら、皆の中で切磋琢磨して、自分の道を究める、そういう、自由な道の方が良いと言いたいのだ。

そういうわけで、自由は良い。

だが、狭い道をただ選べば良いわけじゃない。

自分の本当に良いと信じた、正しい道を信じること。

そのために、オープンソースや独自の心理学のようなことを実践するのは、悪くないだろう。」と言った。

ケビンは、「欲求や情動のようなことを良く考えるのも良い。

それも正しい心理学だ。

ネットの中で、人々が何を望んでいて、何をどうすれば分かるのか、を理解する。

ただ、それは、ある意味、一番狂っている。

そういう発想は悪いかもしれない。

人々の行為を分かって支配するのは良いが、ある意味、一番悪魔的な、UNIXのような発想だね。」と言った。

ポールは、「人間は、本当に何もしなくなると、すぐに治る。

ネットをしていると楽なように見えて、ネットには何も無い。

Linuxの周辺のネットなんか、ただ狂っているだけだ。

そういうわけで、何もしなくて良い。

何もしないでいると、治って賢くなる。

ただ、そんなに何もしないのが一番悪い。

それで何かをすると、良いことが起きる。」と言った。

エリックは、「経験は、スラムのような場所を経験して、そのまま、救世主のような体験をすると良く分かる。

そういう人間は少ない。

黒人に多い。

ただ、そういう、スラムは、最近、2ちゃんねるを見ていると出来る。

あらゆる経験をした上で、本当に偉大なことをするのが、スラムの救世主だ。

不思議と、昔からヒトラーのように多い。」と言った。

ケビンは、「辛い、判断しか出来ない人間は、記憶が無くなっている。

そういう人間が多いから、記憶を作ると治る。

記憶が無いせいで、頭が辛い人間が多い。」と言った。

ポールは、「決まりを良く考えていると、人格を吸収することが出来る。

人格的に、全ての人間になることが出来る。

ただ、そういう人間は狂っている。

最近、そういう人間が多い。

ネットを見ながら、うつ病の依存症のようになると、そこまでおかしな狂った人格になる。

環境的に、本当に悲惨な人間がそうなる。

ただ、馬鹿に見えて、そういう人間は、分かる人間になる。

融和して考えていると、ヘーゲルのように、全員のことや哲学のことが本当に分かる。

心を物理的に作用から考えられる。

感情のコントロールから、芸術や社会実現のことまで、まともに分かる。

そういうわけで、賢い人間は狂った人間が多い。

痩せた人間は、皆狂っている。

狂っているから、カッコいい人間が多い。」と言った。

ケビンは、「分からない人間は、思い込みのようなものが多い。

分かっていない人間が馬鹿に見えて、そういう人間がまともだ。

狂った方が賢くはなるが、すぐに馬鹿になる。

そういうわけで、本当に賢い人間は、狂わない人間が多い。

ブッダのように、本当に賢くなると、狂っているのが治って、本当に真実の意味で分かるようになる。

それは、地獄から仏まで、全ての体験を経験した人間がそうなる。

それをマスターと言う。」と言った。

エリックは、「環境的要因、必然性、必要性、因果性、経験、由来を考えることで、この世界を環境的な実現法則から考えられる。

そして、世界を変えるためにどうすることが出来るか、心理的な真理によって、人々のことを導くことが出来る。

自由だが、ある意味、悪魔的だ。

インターネットだと思うと良く分かるかもしれない。

そして、人間のことを、人格的、認識的に考えられる。

記憶、自己、関係、チャンスなどが分かる。」と言った。

ポールは、「狂った人間は、一度自由になって、もう一度元に戻ると治る。

何故か、ケロリと治って、楽になる。

辛いと分からないことが、一度自由になれば分かる。

そういうわけで、自由になる体験をすると、分かる人間が多い。

学校から離脱したり、ネットを見たり見なかったりする体験から、自由になって分かる。

ただ、そうでもない。

明らかに、それが一番狂っている。

ネットを全く見ずに、1つの取り組み続けると、分かる人間が多い。

哲学は、そういう人間の方が出来る。

ネットのオタクには何も分からない。」と言った。

ケビンは、「狂った人間は、精神が虚無になっている。

何をしてもおかしいのは、そこまでおかしかった過去を忘れているからだ。

覚えているようで、覚えていない。

それは、第一に、狂った人間は忘れるべきだ。

第二に、終わってから誰でもきちんと治る。

そういうわけで、治す、と言う行為は、精神病には本来必要ない。

治す、と言う発想を止めて、もっと良い自分になろうとすれば良い。

それで治る。

治す、と言う発想をすると、今のままの自分を出来るだけ変えないで、問題を解明しようとする。

だが、そうでは無い。

今のままを受け入れながら、必要な行動を新しいものへと変えていけば良い。」と言った。

エリックは、「子供は、幼少期の親が育て、教えた体験を、そのままやっている子供が多い。

学校では分からない。

子供は、親が育て、その通り育つ。

親が教えた幼少期の体験が、そのまま大人になる。

何も変わらない。

基本が全て間違っている人間が、狂う。

そういうわけで、不登校になるのも、学校に適応出来ないのも、親が悪いが、それは、親が悪い、と言うよりは、その子供が最初からおかしいだけだ。

悲惨な人間が多い。」と言った。

ポールは、「本当に辛くなったら、分かるのを止めて、休むこと。

そして、休むだけではなく、たまに使うこと。

それだけで、すぐに楽な時の自分に戻れる。」と言った。

ケビンは、「疲れているのは、血の循環が悪くなっている。

分かっていること、記憶、知性を消すことで、楽になる。

脳は知性、耳は記憶、脊髄は分かっていること、肝臓は病気、足は環境への適応、手は執筆が疲れている。

それを休ませれば治る。」と言った。

エリックは、「成長は悪くない。

狂った人間は、成長しない人間が多い。

それは、成長が、2ちゃんねるのようなものだからだ。

それから、今のままで良いと思った方が、楽になる。

今のままで良い人間は、変わらなくなる。

その方が、賢い。

あとは、まともな人間になりたいのに、それを言わない人間が多い。

まともな人間はきちんと分かる。

逆に言えば、まともでない人間は、何も分からなくなる。

まともな人間になりたい、と言えば良い。

それを、宣言すると良いだろう。

自分はまともな人間になる、と宣言すると良い。」と言った。

ポールは、「治さずに、放っておけば治る。

治せば治すほど、おかしくなる。

何故か、治さずに放っておけば、再生する。

それで、分かるアンテナが復活する。

それで、天使になる。

ただ、そういう発想は、止めた方が良い。

天使は辛い。」と言った。

ケビンは、「狂った人間は、感情の動作が出来ていない。

良いものには笑って、悪いものには怒って、キモいものは跳ね除けて、欲しいものは捕まえるべきだ。」と言った。

エリックは、「殺そうとすると、死ぬ。

狂った人間は、それが怖い人間が多い。

テレビや日本のようなものを殺そうとすると、死ぬ。

それから、狂った人間は、それだけで死ぬ。

狂ってしまうと、死なないと治らない。

普通、すぐに死ぬ。

死なない人間は、何かがおかしい。

狂っているのを、そんなに頑張らない方が良い。

あとは、そんなに治っても意味が無いんだ。

治らない方が治ることは多い。

出来るだけ治さない方が良い。」と言った。

ケビンは、「まともな人間は、認知行動や認識の裏側を考えれば治る。

でも、狂った人間は、それだけでは治らない。

もっと本質的な、何かを考える必要がある。

何かが本当に間違っている。

環境的要因や、人間関係、執着などを考えると、分かるようで、分からない。

気づけば分かるとは言うが、それは全てでは無い。

分かり得ないようで、不可知では無い。

何か、大切なものに気づいていないんだ。

それは、馬鹿なものを賢いと思っている、そのことが問題なこともある。

それは、えてして、親が悪い。

親が馬鹿なのに、親を賢いと思っている。

親も、自分が馬鹿なのに賢いと思っている。

そういうわけで、精神病のほとんどは、親に関する認識の病気だ。

親が、何か間違っている。

それこそ、親以外は、違わないのが、学校のクラスメイトだ。

親を批判的に考えると良いかもしれない。

それこそ、親が教師なせいで狂う人間が一番多い。

そんなに親が賢いように見えて、教育的な親になるのはおかしい。

親に意味が無いことを教えられて、洗脳されるのが悪い。」と言った。

ポールは、「子供と大人の違いは、子供にはアンテナがあるが、大人にはアンテナがない。

そして、今しか出来ない、と思うのはやめて、いつでも出来る、あるいは、出来なくても良い、と思うこと。

今しか出来ない、と思う人間が狂う。」と言った。

エリックは、「環境への適応が怖いのは、2ちゃんねるが怖いからだ。

成長や経験や認識が怖いのも同じだ。

一番怖いものは2ちゃんねるだ。

本当に馬鹿になる。」と言った。

ケビンは、「生き返って、魂を復活させること。

それだけで治る。

あとは、悪い方が、何も起きなくなって、楽になる。

良い人間は辛いが、良いことが起きて成功する。」と言った。

ポールは、「自分に良いことを信じ続けて、自分を信じて分かるのは良いが、自分に悪いことを信じるのも悪くない。

その方が分かる人間が多い。

どうせ悪いことが起きるから、しない。

そういう風に信じる人間が、子供に多い。

あとは、ロボットで分かるのが悪い。

学校やパソコンなど、ロボットで分かると、分からなくなる。

自分の分かる、正しい根拠と方法のようなことを、自由な視点と経験から分かること。

自由の方が良い。

ロボットで分かっていると、狂う。

ロボットは、人間を狂わせている。

小学校が一番悪い。」と言った。

ケビンは、「皆が怖いのは、この世界は狂ってしまうように見える。

皆、そういう、世界が狂うのが怖い。

右翼やマスコミのせいで狂っているように見える。

ただ、そうではない。

狂っても良い。

狂ってしまえば、あとは自動的に起きる。

世界は、狂って良い。

見ていると、狂うしかない。

それでしか、賢くならない。」と言った。


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