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=七章 黒の都(2)=

【2.神と涼子との対話-哲学と社会的考え方】

哲学史

(作者注記:自分は哲学をきちんと勉強していないので、ここから先、ウソになってしまう内容があります。例えば、現象学は関係の学問ではなく、意識の学問です。ここの哲学史は、西洋の哲学史を書いたと言うより、自分の考え方を哲学者の名前を借りて整理した、と言えると思います。それから、これ以後も、色々と間違った内容をこの神とのテレパシーの部で言っています。例えば、吉田茂が経済成長を起こした、と言うのはおかしいです。吉田茂は、戦後にアメリカとともに経済優先で従属的な態度を取った政治家であって、それ以後の総理大臣、特に田中角栄のようなたくさんの色んな総理大臣が、この国を発展させてきたのです。そういうわけで、この大学の部は無責任ですが、注意してお読みください。)

涼子には、「あなたには、哲学のことを教えよう。

ソクラテスの本質は、自分の内側から真実を知ることが出来る、と言うことだ。そして、何も知らないことを知っているものが、最も賢いと言った。人間の矛盾をついて、議論する、ソクラテスの対話集を、弟子のプラトンが残している。

プラトンは、元は誰もがイデア界に居て、その想起によって新しいことを知ると言う。イデア論は、この世界のことを本当の世界であるイデア世界の幻影であると考える。それは、遺伝子のようなものでもあるが、宇宙人や惑星のようなものを考えている。プレアデス星人の方が、本来的な宇宙の存在であり、本当の世界であるのかもしれない。そして、イデア論は、遺伝子のように、生命や善悪の型のようなものを考える。真実の世界に美しいイデアの型がある。この世界のものは、その型の不完全な模倣に過ぎないと言う。

アリストテレスは、人間と社会と自然のことを、実地的、可能性的、能力的に考えた。生物学から社会学まで、全ての科学の祖として、最初に科学の体系を作った。プラトンのイデア論をものの実体の中に含まれる形相としながら、森羅万象の全てを考えた。

ソクラテス、プラトン、アリストテレスは、古代ギリシャの大哲学者だ。

アウグスティヌスは、プラトンを発展させて、悪の起源を考えた。

トマス・アクィナスは、アリストテレスとキリスト教を融和させて、人間は理性だけでもある程度は進めるが、最後まで進むためには、信仰が必要であると言った。

アクィナスは、キリスト教の教義を作った人間だ。神はビジョンを持っていて、天使は全てを見通す知性を持っている。アクィナスによって、神や天使はそういうものになった。

デカルトは、正しいと分かっていることだけを信じ、そこから導かれたことだけを信じる、と言う、正しい考え方を考えた。そして、確かなのは我が思う故に我があることだと言う。デカルトのように自己を考えることで、全ての哲学が出来る。デカルトは、検査すること、疑うこと、部品化すること、推論することから、正しい考え方のようなものを提示する。人間のことは、精神と肉体の二元論だとした。デカルトは幾何学と代数学を融和し、数式を図形から解析するような、数学の解析学にも大きな功績を遺した。

デカルトは、著作を読んでいると、知性がある。きちんと考えないと分からない。不思議なことに、デカルトだけは読める人間が多い。きちんと考える、神のような人間がデカルトだ。デカルトのおかげで、本当にそういう人間が増えた。

デカルトは、中世の宗教の時代に生きた人間だが、科学的で理性的な考え方によって、この世界の考え方を発展させた、知と科学の革命家のような人間でもある。

デカルトは、兵士としても生き、ヨーロッパ中も旅をした。その経験もあるのだろう。

デカルトは、数学者で、死体の解剖が出来るなど、医学の知識もある。だが、デカルトは、既存の学問を好き好まなかった。ほとんどは意味がないとして、数学だけを好き好んだ。デカルトは、中世の封建社会から、近代の絶対王政へと至る、近代化の始まりのような時代に生きた。デカルトがフランスから、ドイツなどを経て、移り住んだオランダは、当時、文化的、交易的に進んだ場所だった。デカルトに続く、スピノザもオランダ人だ。

スピノザは、自然とは神であると言った。そこから分かるのは、神とはこの宇宙の意識であり、常に、感じなくても、人間には、神が沢山関与している、と言うことだ。あなたは神であり、あなたの恋人も神であり、神と人間が違うのは、神は全てである。あなたの思っている理想を、神も理想だと思っている。神は、あなたが望み、あなたがする範囲でしか、あなたに関与しない。神が出来ることは限られている。それぞれの神の一部がして良い範囲でしか、神は関与しない。そして、スピノザは、神の数学の定理を作った。スピノザは、あらゆることが神の属性であると同時に、神の一部であり、数学的な定理である、と言う、独特の神と自然と数学の世界観を考えた。

ライプニッツは、モナド論と言う宇宙の単子のような理論を作って、神の運命は予定的に起きる、ちょうど良い時にちょうど良いことが起きる、と言う予定調和を考えた。

パスカルは、人間を弱いが、考える知性のある、アシのようなものであると言った。

デカルト、スピノザ、ライプニッツ、パスカルは、大陸合理論と言う、合理主義哲学だ。

ベーコンは、帰納法という、経験に基づく考え方を考えて、イドラ論という、思い込みの社会的、環境的な分類のようなことを考えた。イギリス経験論を創始した。

ロックは、人間の観念は習得的、経験的であると言う。そして、社会の文化や時代のようなことも経験的であり、どの社会でも同じ普遍的な真実はありえないと言う。ロックは、社会哲学の分野でも多くの功績を遺した。アメリカの独立宣言などにも影響を与えた。ロックは、人間の経験は習得的であるとして、赤ん坊の先天的理性を否定した。

ヒュームの本質は、人間の捉え方と潜在的可能性の中から、帰納的推論と言う、正しい考え方の経験的な発見、のようなことを考えた。そして、頭の中を大掃除する。経験から感情で分かる、など、経験的知性のようなことを言う。そして、観念と観念が複合的なイメージのように形成する、複合観念のことをペテンだと言う。それは、人間の赤ちゃんと鳥の翼を複合化して、天使のような幻想を生み出す、と言うことを言っている。ヒュームは、自然法則のようなことを、帰納的推論の知性によって、捉え方を良く考えている。

バークリは、この世界は神の知覚世界であり、存在など存在しない、と言うことを言った。存在するとは、知覚されてあることだと言う。それは、この世界やものが存在する、と言うことが、知覚されてあることだ、と言うことであり、存在は存在しないと言うことだ。

ベーコン、ロック、ヒューム、バークリなどは、イギリス経験論だ。

ルソーは、世界の元々あった自由な状態を自然状態として、他の社会哲学者とともに、国家を社会的な契約だとする、社会契約論を作った。

カントの本質は、理性を疑い、批判哲学として、理性よりもっと正しい客観的事実や指標を知る、と言うことだ。カントは、知り得ること、と言う考え方から、前提条件、仮象の世界、悟性などを考えた。それは、考える前に、事前に考えると言う意味での、世界観の創造である。それが、カントの本当に言いたかったことだ。そして、認識は経験的な、フィルターのようなものだと言う。それは、ある意味、人間をロボットのように考えている。そして、経験を可能にするとか、経験に由来することを考えて、二律背反であるアンチノミーから宇宙の無限性、自由と法則、神の存在、ものの複雑性の矛盾と考え方を考えた。カントは、神や宗教を、社会の道徳的精神からの要請によるものだと考えた。

フィヒテは、自我のようなものを捉えて、宇宙の自我を考えた。

シェリングは、同一哲学を作った。世界にあるものも、自分の精神にあるものも、同一の現象の現れの違いであるとした。

ヘーゲルの本質は、弁証法的な、絶対を相対にし、相対を絶対にしていくプロセスの中で、法則と自己意識を捉え、青少年の成長のような、絶対知へと至る精神の成長の過程から、人生のことを分かった、と言うことだ。そして、普遍性から、社会の考え方を考えた。歴史のことは、世界精神の発展過程であると考えた。精神の成長と歴史の哲学者だ。

カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルは、ドイツ観念論であり、ヘーゲルが完成者だ。

マルクスの本質は、時の無い、発展の無い中で、あらゆる社会の完全な構造を作った。それは、決定者と従属者の関係から、必然性の世界を作って、世界を上部構造と下部構造にし、生産条件、手段、関係を考えた。社会の問題は歴史の必然であり、現代は疎外のような問題がある。そして、哲学は考えるだけではなく、世界を変えるべきだと言った。また、マルクス主義者は、疎外のように、人間が本当に人間らしく生きられる世界のことを考える。人間的な、人生や社会の、価値観やアイデンティティのようなものだと思えば良い。

キルケゴールの本質は、絶望のような、意識と経験の関係性である。経験と意識から、実存の段階が、美、倫理、宗教になることを知った。人生を内面化から分かった。

ショーペンハウアーは、それぞれが見ている世界の限界を、それぞれはこの世界の限界だと思っている、と言った。彼は、生の哲学を考えた。ニーチェに影響を与えた。

サルトルは、自由な人間の可能性を考えた。自由を、保留され、客体化され、集団化されるものだとして、自由を刑のようなものだと考えた。そして、マルクス主義と接近した。サルトルは、人間が何をどういう選択で選び、人生を生きて行くか、のような、人生の本質的創造を考えた。人生とは、自らが創造するものだと考えた。また、組織への参加を可能性の開拓であると同時に、束縛であると考えた。

ハイデガーは、人間のこの世界を心の中にあるものだとし、存在を意識と関心と言うことにした。そして、存在の了承と超越を考えている。ハイデガーは、時間と存在から、緊迫した文章を書く。本人は、意識で全て分かっている。それを意識と言っている。そして、人間と言う現存在は、可能性の発揮である、など、哲学的知性のようなことを言う。

ヤスパースは、限界状態と言って、集団の中に没せず、人間の姿としての、本来に立ち帰るべきだと考えた。そして、超越者や包括者の存在を考えた。

キルケゴール、サルトル、ハイデガー、ヤスパースなどは、実存主義だ。

ウィトゲンシュタインは、人間の本質を言語だとし、全ての理解は言語的な制約を負っていると考えた。そして、明晰な言葉の構造を作った。ウィトゲンシュタインをやると、全部の哲学が出来る人間が多い。純粋に方法的な、哲学的方法・経験のようなことを言う。

ウィトゲンシュタインは、哲学的に全ての哲学を複合している。そういう側面がある。

ウィトゲンシュタインは、分析哲学だ。

フッサールは、現象学と言って、この宇宙にある沢山の存在を、関係的な現象だと考えた。例えば、光の波の現象は、関係的な現象かもしれない。全体の反射なのかもしれない。また、知を方法的かつ厳密的なものだと考えた。厳密に考えながら、方法的な部分では、学問は学問では無い、とする。それは、例えば、物理学を宇宙の学問では無く、宇宙のことを考える方法の学問である、と言うのと良く似ている。フッサールは、全部の認識と経験を捉える。あらゆるものを捉えて、独自の科学を作っている。

フッサールは、現象学だ。

ニーチェは、キリスト教を否定した。キリスト教を、あまりにも来世的で、現実の世界を無価値なものと見なしていると言った。彼の思想を見ていると、哲学の基本が分かる。ニーチェは、馬鹿に見える人間が多いが、彼のように考えると、哲学は誰でも出来る。

ニーチェは、真理など存在せず、人は権力への意志によって、立ち位置から世界を解釈しているだけだと言った。ニーチェは、世界と常識を否定する自由の側面がある。

現代哲学は、パース、ジェームズ、デューイなどのプラグマティズム、ソシュールやレヴィ・ストロースなどの構造主義、デリダやフーコーなどの現代思想が存在する。

デリダは、脱構築と言う、科学の構造の作り直しのようなことを考える。

フーコーは、知を権力だと言って、この現代社会での規則や訓練のようなことを考える。

デューイは、価値多元論や、教育を民主主義の学校にすべきだと言う。それは、人間が自分の手で、自分に合った教育が受けられるようにすべきなのを、暗に意図している。

そして、功利主義、啓蒙主義、進化論、社会契約説など、様々な哲学が他に存在する。

また、仏教などの宗教にも、哲学的なところがある。神学者の哲学者は多い。

哲学は、芸術や文化の思想でもある。ルネサンス、バロック、古典主義、ロマン主義など。

そして、政治思想でもある。空想的・科学的社会主義、あるいは、新自由主義など。

この、哲学史の考え方や知識は、どこの本にも書いていない代り、哲学の大学的な考え方から言って、正しくは無い。正しくは無いが、このように考えると理解出来るだろう。それこそ、哲学者はこんなことは言っていないが、このように考えると良く分かる。

哲学の総合的な知識として、関係と経験を考えなさい。環境、世界観、思考、認識の中で、どの認識がどの認識になるか、何をするか、などを考えなさい。また、社会がどのように変化していくか、何が何になるのか、から考えなさい。環境の因果性を考えることで、人々が何を思い、何を知り、何を考え、何を行為するかが分かる。そこから、ものごとを正しく見る、正しいものの見方のようなことが分かるだろう。そして、環境とモチベーションから、何をどういう風にすべきか、生きるべきか、のようなことが分かるだろう。社会の実現から、どんな社会が実現出来るのか、経験と可能性のようなことが分かるはずだ。

そして、インターネットを使って、沢山の経験をしなさい。社会を経験して、大人になって、成長して、体験して、知り尽くすこと。世界の広がりから、会社のような社会経験まで、色んなことが分かる。色んな人間との絆を培う。中国の孔子のような人間になる。」と言った。

経済学

神は、涼子に、さらに、「あなたには、また、経済学のようなことも教えよう。

社会のことは、自由に考えなさい。それぞれが、それぞれのしたいように社会を作れば良い。それが自由であり、同時に平等だ。そして、警察と軍隊だけの、最低限の小さな政府の自由な国(夜警国家と言う)は、現代的な福祉国家より、理想的なことがある。そういう、右翼的な自由も、ある意味では賢くて、理想なのだと考えると良い。管理された共同体よりも、自由な無政府主義の方が良い。自由な社会にも、良い点は多い。国営化されたものよりも、民営化されたものの方が良いことも多い。全て、自由な意思の下で選べるべきだし、ものは自由に作れた方が発展する。意思決定も皆で行うべきだし、政策は皆の判断力の手に委ねるべきだ。教育は皆の手で行うべきだし、経済学者のフリードマンが言うように、社会保障も必要ない、と言うことも出来る。フリードマンは、自由な経済学者だ。白人でも、黒人でも、共産主義者でも、同じものを作るなら、同じように、差別無く受け入れるべきだと言った。自由はある意味で平等だ。

自由にも優れた点は多い。発展するし、努力にも報いがあるし、色んなものがあるし、色んなことが出来る。王と金の自由にすれば実現力もある。そして、柔軟性も高い。国会を作って、代表を皆で選ぶことで、国会は全てのことが出来る。市場経済は、ある意味、全員に全てのものを与える。アメリカのように、弱者にも成功のチャンスがある。平等には、何も出来ない。何も罪を犯していないものを逮捕する。集会の自由もない。そういうところが悪いのが、社会主義国家だ。ある意味、社会主義を戦争で倒す右翼も、正しい。

ある意味、日本は一番良い国だ。経済力が高くて、犯罪が少なくて、国民の学力が高い。外国人から見ると、戦争で強かったように見える。日本は、外国から見ても良い国に見える。特に、黒人から見ると、後進国の人種でも日本のように勝てるように見える。科学技術力も高いし、仏教と言う独自の賢い宗教を信じている。賢い文字である漢字を使う。

自由を許しなさい。それぞれが、本当に出来るようにしてあげること。許すことによって、自由が生まれる。それぞれが出来る可能性と、取り得る状態を知ること。そこから、社会を変えられることが分かって来る。そして、そのために、どのような社会にしたらいいか、を考えなさい。経験的に、その社会のどの経験が、どうなるのかを考えなさい。

哲学をやりたいなら、認識を考えるのが良い。あなたが認識出来ていることが、この宇宙が存在していることの理由であり、証明である。そのように、他者の認識を考えなさい。

組織のことは、チャンスだと思いなさい。あなたが、組織で何かをするチャンスだ。協力の可能性から、あらゆることを事前に考えて、出来るようになる。

自由な社会では、良いことも出来る代り、悪いことも出来る。良い社会にすることも出来るが、悪い社会になることも多い。自由とは、そういう、もろ刃の剣だ。だから、不用意に自由にしてはいけない。良く考えて自由にすること。悪い組織や、悪い集団に、自由を与えてはいけない。そして、良く考えて、本当に賢いことをすべきだ。そのために、建設的かつ、創造的に考えなさい。そこでは、努力と反省をして、皆の意見を聞いて、それぞれが出来ることを発揮して、きちんと作りなさい。そういうものが、自由だ。

それから、競争より、一致団結して、結束した方が良いことはある。全体主義にも良い点は多い。ファシズムは、そういう意味で言えば、亡びた国を救う、悪くない思想だ。

考えなさい。考えることを止めてはならない。森羅万象の全てを考えなさい。人間、精神、労働のことを、経験しながら、思考しなさい。そして、全ての労働を経験し、精神の力で、本当に偉大なことを成し遂げなさい。挑戦し、成長し、反省し、悔い改めなさい。

ネットで社会の構築のことを経験すると、意識による社会の変化が分かる。創造的な体験を全てしながら、世界の未知を知ること。人生のことが実存主義のように分かる。人間がいかにして創造されていくか、人生や社会には何が必要か、宇宙の根拠とは何か、のようなことが分かる。多様性と共有と独立から、資本論のような共同体の理論が生まれる。経験から、教育や社会がどのように変わるべきか、可能性が分かる。哲学をやっていると、子供になれる。子供の方が出来るのが、哲学だ。子供時代に色んなことを経験すると良い。

そして、社会の変貌や文明の変化を、ロシアやバビロニアのように考えること。古代ギリシャやローマのようでもある。ドイツやフランスのようでもある。文明を考えなさい。

また、時の流れの中で、今と昔がどのように関係しているか、今で言う昔は、時間を良く考えて、どういうものとして今あるのか、そういう時間のことを考えると良いだろう。ネットも、ある意味、今と言う時間の共有であって、哲学的で自在な場の意識の共有だ。それを支配する、と言う発想も出来るだろう。システムの中で、Perlの掲示板を考えられる。ネットを知ることで、社会の文化の変化が分かるだろう。哲学は、ネットで出来る。

哲学と並行して、コンピュータのことをやると良い。UNIX、Perl、Lisp、Java、C++、のようなことを知りなさい。コンピュータ技術の歴史が、哲学へと繋がる近道だ。また、音楽や芸術のようなことをやっても良い。ピアノを弾ける人間は、数学や哲学が出来る。

人間の心理や精神のことは、ネットで実験し、推論していると良く分かる。モデルにして、学習と行動の実験から、認識や人格や感情の裏側を分かる。そこから、人間のことを全て知られる。大事なのは、1つ1つを積み重ねて、確認し、膨大な情報を知り尽くすことだ。そこから、人間が何を知り得るかとか、経験を可能にするとか、などの、カントの言っていることが分かる。相反する二つの命題の証明と矛盾を経験から良く考えれば良い。

相対的な関係とプロセスを良く考えて、集団と個人における行動と因果性を考えなさい。相手のことを、自分と同じ人格を持つ、一人の主体的な個人であり、環境だと考えなさい。主体性を知ることで、デカルトやヘーゲルのような、自己の存在と成長が見えて来る。相手を環境だと考えることで、まるでヒトラーのように、心理学で人間のことを支配出来る。それは、悪い目的だけでは無く、良い目的にも実現出来る。社会のことを本当に良い社会にして、人々に明晰な知と導きを与えられる。この世界を良い世界に導くことが出来る。

それから、戦いなさい。戦いの中で分かることは多い。この世界を支配して、自分にしなさい。悪く見えて、そういう強くて自由な右翼は悪くない。戦って勝ちなさい。ただ、滅ぼすのは良くない。滅びの中で、一人耐えながら、世界を導くこと。滅びてしまうのは仕方ないが、その中で、出来ることを全部やること。それが、イスラエルの理想の王だ。

可能性と自然を肯定することで、世界のあらゆる仮象が見えて来る。そして、文章を書くのなら、可能性と自然を全部書きなさい。社会のことを、共生社会のように、環境と人生と社会構築から全部創りなさい。アリストテレスのような、可能態と現実態や、目的因のようなことを、社会的に考えて、書きなさい。スピノザの神の定理や受動感情のコントロールのような精神現象、ウィトゲンシュタインの言語構造のような文章や、ロックの経験知性論や、ヘーゲルの精神現象論や成長論や「事そのもの」の理論のような文章を書きなさい。王になりたいなら、王よりも、作家の方が偉大なことが出来る。

社会のことを全部創りなさい。そして、心理から社会を構築し、実現し、導きなさい。

世界を支配する王となって、何も分からなくても、出来ることを全部やりなさい。

経験から、立場を超えて分かりなさい。場と視点を考えなさい。立場を吸収しなさい。そして、環境の共有から、変えられるようにしなさい。全てを実現出来るように考えなさい。

認識が経験的に変わることを比較して分かりなさい。経験から認識を変えなさい。

自由な社会の可能性と契機と許可から、社会をそれぞれが変えられる、それぞれに適した社会を作る、皆で社会を作る、と言った、コミュニストの自由のようなものを考えなさい。

社会の変化を分かりなさい。それを支配しなさい。

モデルと説明から、考えなさい。環境を作る、と言うことは、社会を作ることだ。自由なく法律を決めてしまうと、それは奴隷だ。そのように、モデルから説明しなさい。自立的に、環境の構成員が、環境を自由に変えられること。自由を委ねること。それが自由だ。

数学と経済学だけを考えると、良く分かる。心理学的な経験と併せて、哲学者になれる。

自由から、人生経験と社会のことを考えなさい。そして、あらゆる経験を持ったマスターになって、自由から、人間のこと、経験のことを、完全に掌握して分かりなさい。

あなたは、イスラエルの王になりなさい。全てを実現する、社会実現の王になりなさい。

そして、哲学者と経済学者になりなさい。この宇宙のことを、考えて全て分かりなさい。知ることから、社会学と数学を作りなさい。

あなたの新しい名前は、フレイヤだ。北欧神話の最も美しい女神だ。」と言った。


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