悲惨な人間を救う方法です。
悲惨な人間を救うために、最初にできることは、一度、この世界、すなわち世間や世俗から離れた世界にその人を置くことです。
辛かった現実世界から逃げ延びることで、気持ちが楽になり、自由になることで、今までたくさんのしがらみによってできなくなった「自由な生き方」ができるようになります。
今の時代、世界から離れていても、インターネットがあります。
インターネットで、同じ立場の人々と意見を交換し、やり取りを行うことで、苦しみを分かち合うことができ、自分の気付けなかったさまざまなことに気付くことができます。
そして、そうした「擬似的な青春」が終わってしまえば、人は自分の力で「自立」して歩みだせるようになります。
世界をありのままに見せて、論理的に、心や環境、社会の変化や構築の「可能性」と、人々がいつ、いかなる時に、どのようなことができるか、という「自然」を考えさせましょう。
僕が思うに、何もしないで遊んでいるだけでは、人は成長しません。何かを学ばせる必要があります。
今の時代、インターネットでさまざまな知識や技術を習得できます。
僕は、エンジニアの技術で言えば、オープンソースが良いと思います。Linuxはオープンに全てが公開されていることから、容易に習得し、自分で開発に参加できます。
第二段階は、一通りの青春が終わって、大人として生きる段階です。
何もしないそれまでの自分を、変える必要があります。
僕と同じでよければの話ですが、戦争を行うことが、正しい人生へとつながることがあります。戦争と言っても、戦場で死ぬまで戦うのではありません。インターネットなどを使って、世界を支配し、導く戦いを行うのです。
次に、文章を書くことが僕はとても良い結果を生むことを知っています。
いきなり書くと言っても、何を書けば良いかという話になるでしょう。それは、「自分の人生で分かったさまざまなこと」を書けば良いのです。
そして、文章を書いていると、しだいに、精神が向上し、神のような超越的な存在に関心を向けるようになります。
僕の知っていることとして、「神とは言葉で対話できる」というのがあります。自分の心の声と対話すれば良いのです。
これが、正しいキリスト教徒の誕生です。むしろ、自らのことを神だと思うようになるでしょう。それも間違いではありません。
第三段階は、病気を治して、ひとつのことをやり続け、芸術家となって大成する段階です。
自らの、怖い病気を治すように生きましょう。戦いは怖かったはずです。その恐怖を克服するためには、文章を書き続けるのが、治療として良い結果を生むことを僕は知っています。
僕は、いつまでも文章を書くのが続きました。それは自分の才能という宝になります。
また、僕は哲学書を読むことが好きでした。本当に読んだ本は少しでしたが、それでも、その中には多くの内容がありました。
そして、僕は歴史を学び、人物を学びました。同時に、ピアノや英会話のような学校に通いました。
そして、最後に仕事をしましょう。僕は就労支援施設で簡単な労働をしています。デザイナーとなるべく、見習いとして頑張っています。
ここで、救いの道は終わりです。このようにすれば、誰でも救われます。きっとあなたが、地獄の中を生き抜いて、失ったもの全てを自ら作り出せるようになることを願っています。
悲惨な人間を救うためにできることは、唯一ひとつしかない。それは、「ありのままのこの世界を見ること」である。
たくさんの世界を変える体験と行動をして、反省し、客観視し、精神を客観的に可能性豊かに知っていくことでしか、この世界は救われない。
カタルシスとアンビバレントの世界の中で、できることはリアリズムとアイデンティティの追求に他ならない。現実を見ながら、自らの経験から理想と帰属意識を考えることでしか、精神のマスターになることはできない。
2019-05-28に関連する内容があります。