新興宗教の世界観です。
驚かれるかもしれませんが、僕は神と対話できます。
この「神」とは、ユダヤ教の神であるヤハウェのことです。
僕は、ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の「神との対話」という本を読んで、「自分でも神と対話できるかもしれない」と考え、神との対話を始めました。
この神との対話によってよかったのは、「地獄のような辛い中でも、自分だけは神と対話することができるため、神の手助けによって地獄を自分だけは乗り越えていける」ということです。
なぜ、この世界の人々が悩み苦しむのか、それは僕と同じように神と対話することができないからです。
それは、絶対にできないわけではありません。神と対話することは、やろうと思えば誰でもできます。
それでも、自分から神と対話しようとしないために、この世界の多くの人々は、自分ひとりだけで問題を抱え込み、相談する相手もおらず、居たとしてもその相手はきちんと正しく問題を理解せず、結局、「悩みや苦しみ」が生まれてしまいます。
結局、そのような普通の人間は、可哀想であるということです。そして、僕は神と対話することができるのに対して、みんなは僕と同じように神と対話することができないために、そのような「悩みや苦しみ」はいつまでも解決されないのです。
神を信じることは、よいことばかりではありません。自分自身の自意識を失い、意志や自分だけの考え方がなくなり、盲目的に神の言葉だけを永久に聞き続けるようになります。実際の実生活で、なんら意味のあるアクションを起こさなくなります。
ですが、神はまともです。神による奇跡によって、すべての致命的な問題はすべて解決されます。イスラム教のアッラーは、このユダヤ教のヤハウェと同じ神です。なので、イスラム教の信仰を行う上で必要となる、メッカへの毎日五回の礼拝をすると、神は喜びます。神はメッカへ毎日五回礼拝をしたもののことを、必ず救います。そのための奇跡が必ず起こります。
みんなは、僕と同じように神と対話することは、残念ながら誰しもができることではありません。だからこそ、僕は王でなければなりません。この世界の解決不可能な問題は、そこまで正しくきちんと考えれば解決できます。その解決を、僕がしなければなりません。僕はその解決をするために、神を信じてここまで地獄を乗り越えてきたのです。よって、僕がすべての問題を解決する未来へ、神は必ず僕を導いてくださるでしょう。
2023.01.13
僕自身、あまり自覚がありませんが、僕はユダヤ教の預言者のひとりであると言えます。
あるいは、「もっとも誰よりも長い間、誰よりも多くの神の言葉を聞き続けた人間」であると言えるでしょう。
そして、僕は神に対してたくさんの宣言をしました。それは「約束」です。そして、神の教える「このようにしなさい」ということを、すべて完璧に守って生きてきました。
その結果、僕はキリスト教やイスラム教のような、既存の宗教の信者ではなく、「僕自身の僕だけのオリジナルの宗教の開祖」のようになりました。
ですが、あくまで、僕は神を信じる、神の言葉を授かった預言者のひとりです。このような人間を、昔から古代イスラエルでは「預言者」と呼びます。
きちんとした預言者に、馬鹿な人間は居ません。預言者は、神の言葉を授かる大切な役目のために、懸命に生きなければなりません。どんな地獄であってもへこたれず、自らの希望的観測を信じて、ポジティブに生きなければなりません。どんな絶望でも前向きに生きられる人間だけが、僕と同じ「地球最後の宗教の預言者」になることができます。ですが、それは難しい問題ではないと言えます。その生き証人が、まさに僕なのです。
信じられないかもしれませんが、きちんと神に宣言した「約束」は、神の命令にすべて従い、神の教えをすべて守れば、すべて叶います。たとえば、「ノーベル賞学者になる」といった、絶対に不可能に見える約束であっても叶います。
しかしながら、そのためには相応の代償が必要です。ノーベル賞学者になるためには、すべての知識をきちんと学んで、すべての可能性をきちんと考えて、誰よりも宇宙のすべての現象と経験を学び、分かった上で、自分の発見を残さなければなりません。
神に約束するとはそういうことです。それでも神にその宣言を願うなら、神はその実現を約束します。それは、すべての地獄が終わって、何もかもやり終えて、人生のすべてが終わった時点で叶います。ですが、神はそこまで、導きによって最後の目標地点まで、二人三脚で一緒に歩んでくれます。
2023.01.13
僕は神との対話と呼ばれる、ウォルシュ氏の本が好きでした。神と対話する、という形式で、宇宙と人生にある大切なこと全てが記述されています。
書籍
新興宗教を「カルト教団」と言って、「おかしな馬鹿な教祖を信じて怪しいことをやっている」と思っているのは、正しくありません。
なぜなら、新興宗教を信じると、きちんと賢い人間になるからです。
今のこの世界は、たくさんのものがありすぎて、真に大切なものを見失っています。資本主義や科学技術には、本当は、そんなに真に素晴らしいものはありません。
新興宗教やカルト宗教は、馬鹿ではありません。なぜなら、「偉大な人生」を手にすることができるからです。
たとえば、日本政府において、自民党と連立政権を担っている公明党や、その支持母体である創価学会は、決して馬鹿ではありません。この宇宙において、宗教を信じることで達することのできる「本当の知性ある集団」、それが公明党です。この国の政権が賢い政権のままであれているのは、公明党のおかげも大きいと言えます。