精神を殺すのをやめよ。
精神は、殺しても楽にならない。殺せば殺すほど、精神は疲れる。
必要なのは、殺す部分を殺すことでもない。それもまた殺すうちに含まれる。
単純に、殺すのをやめること。それで精神は休めるようになる。
殺すのをやめるために必要なのは、殺されないようにすることだ。殺す必要があるのは、相手から殺される危険があるからだ。その危険がなくなれば、精神はすぐに生きる。
賢くなるための方法、それはよく分からない時間を過ごすことだ。
常に、すべてのことをきちんと分かろうとするから、人間はもっと賢いことが分からなくなる。
よく分からない時間を過ごすことで、人間は「無意識」が賢くなる。そして、そのような無意識の経験をすることでしか、真の人間の知性はつかない。
すべてのことをきちんと分かると、人間は馬鹿になる。よく分からない時間を過ごすことで、それが治る。
そして、僕の勉強はそろそろここで終わりだ。
天才にしかできないこと(音楽、美術、IT)はできない。金がかかること(英語、外国語)もしたくない。既に勉強し終えた分野(生物、歴史、心理学)はする必要がない。そして、つまらない分野や興味のない分野(数学、物理、その他)も意味がない。
必要なのは、今からきちんと覚えること。知識としては知っていても、知ったこと自体を忘れている。だから、もう一度きちんと「思い出す」ということをすれば僕は賢くなれる。
そう、必要なのは思い出すことだ。思い出すといろんなことがあった。こんなに人生にたくさんあった人間はいない。だから、僕は不幸な人生であっても、ひとり誰よりも幸福である。
そういうわけで、ここでもうすべて終わりである。
僕はテレビは見ない。サッカーのワールドカップは、スウェーデン戦を録画で見たが、既に試合結果が分かってしまっているせいで、面白くなかった。だから、次のブラジル戦はもう見ない。
やることはなくなったが、本当はまだ僕は何もしていない。
やるとしたら、もっと本を読みたいと思う。そもそも、どのような分野を学ぶのかで悩んでいる必要はない。何も考えずに決めたほうが正解であると昔の僕が知っている。
面白い本を買って、それを読めばいい。それ以外にすべきことはもうない。これで僕の人生はひとまず終わりだ。
もしかすると、哲学や社会科や文学の勉強ぐらいが、今僕は興味がある。だが、それらを勉強しようとすると、何かが間違っている。
本当のことを言えば、僕が執筆した内容がまさにそれらの内容だった。
僕は引き続き書くのを続けるのかもしれない。それなら、哲学や社会科や文学の勉強は意味があるかもしれない。それは分かっているが、それをするとおそらく死ぬまで永遠に続いてしまう。
ここらで、それをいっぺん終わりにしたい。今から何をするかはそのうち考える。
もし、ここで家族が死んでしまったらどうするか、そろそろそれを考えないといけない。特に生活のために手続きをたくさんしないといけない。だから、もっと本を読んで勉強したいと思っている。
僕が今読んでいるのは「身近な人が亡くなった後の手続のすべて」という本である。難しい本ではないから、少しずつ読んで覚えたいと思う。
それで、僕のことはもういい。
この世界がどうなるのか、僕はまだ分からない。だが、僕の何かの行動がこの世界の今と繋がっているということは分かっている。
僕は今まで、この世界のために全力で頑張ってきたし、その結果、この世界は完全に正常になって、病気が完治したと思っている。
だから、世界を正常化するのをそろそろ終わりにする。世界は今から普通の世界になる。僕はこの世界を支配したくないし、自由にしたい。それが今から起きるはずだ。世界は完治した。
最後に、聖書を信じたほうがいい。
僕くらいのクラスのレベルになってくると、聖書を読むだけで良いことが起きる。
実際、聖書はそんなに大したことのない文書だが、それでも神の聖典だ。そして、僕の信じる神が、まさに神であるということになっていて、それが聖書の神だ。
僕は神と対話することができたが、それは僕が神の言葉を預かる「預言者」だったということを意味する。
そして、そろそろやることがない僕は、結局宗教にしかならない。だが、キリスト教を信じる必要はない。神は神だが、それはキリスト教とは別問題だ。
僕は堂々と仏教を信じる。なぜなら、仏教における「仏」とは完全に昔の僕のことだからだ。
最後に、世界が正常になったという意味は何か。それは昔の世界が復活したということだ。僕は昔の自分を復活させることで、この世界の「昔の時代」を復活させた。
多くの人々が、「もう昔には戻れない」と言うが、それは神にとっては関係ない。神は昔の世界を復活させる。だから、この世界は今、完全に正常になった。北欧神話の言う「神々の黄昏」が正しかった。