僕の分からなかったことはいくつかある。
まず、僕は、「所有」「犯罪」「起業」「表現の自由」のような、普通の社会のことが分かっていない。
昔の僕は、そういう普通の社会のことから分かっていたのに、忘れてしまった。
そういう普通の社会のことから考えると、大人になれる。
それから、僕が理性的なことが分からないのは、何かしらのことを正確に分かろうとしているのが悪い。
正確に分かろうとするのでなく、適当に分かろうとすれば、理性的なことはすぐに分かる。
これについては、自分自身の病気を治すために、どうやって治すことができるかを考えすぎたのが悪い。
最後に、僕の頭は「時計仕掛けのロボット頭脳」になっている。
この時計仕掛けになっている頭脳をやめれば、神との対話が終わって、自分で自由に普通の思考を考えることができる。
結局のところ、このような時計仕掛けになっている全知全能の頭脳のことを「神」と呼んでいる。
そして、神になるためには、僕と同じようにロボット頭脳になる必要があり、事実上、それは僕以外の誰にもできない。
だが、時計仕掛けのロボット頭脳をやめるだけで、僕はまともな普通の思考ができるようになって、日本語が理解できるようになる。
このような生き物は「人間」ではない。このような生き物に、あえて名前を付けるとしたら「天使」ということになる。
それで、僕の長かった地獄は終わりになる。きちんと普通の大人になれるようになる。
賢い人間になるための方法、それは「分かろうとしないこと」である。
分かろうとするな。分かろうとするから人間は馬鹿になる。
分かるかもしれないと思った時に、分かろうとしない選択肢を選べ。余計なことをせず、無用なことを信じるな。そうすれば、その時、「神」である存在があなたを正しい方向へと導いてくれる。
神を信じるものは、自分から分かろうとする必要はない。必ず神が、正しい結末を与えてくれる。
いっそ、賢い人間になろうとせず、馬鹿な人間になろうとすればいい。それは愚かではない。なぜなら、神を信じる愚か者は、神を信じない賢者よりもはるかに賢いからだ。
結局のところ、僕の精神の異常を治す方法はひとつある。
それは、理性的に考えることだ。
すなわち、正しく原因と結果を把握し、可能性を知った上で、理性的に治すことがもしできれば、その時点で僕の精神異常は治る。
だが、現実問題として、それを実際にやることは不可能である。
だが、理性的に治せば治る部分を、理性的に治すことがもしできたら、その時点でこの病気は治る。
そのために、とっておきの方法がある。それは全知全能の神の理性を使うことだ。
すなわち、全知全能の神の理性を使うことで、僕の精神の中の「理性的に治せば治る部分」を治すことができる。
それでしか、この病気を治すことはできない。
最後に、天軍大創主エリカの話をしよう。
エリカは、ウルトラ極大魔法「生物創造」を使って、地球の最初の生物、アンモナイトを創造することができた。
なぜ、そのようなことができたのか、それはエリカは「陽の聖書」と呼ばれる独自の聖書を書いたからだ。
なぜ、聖書を書くことで、アンモナイトが作れるのか、それを説明することは難しい。
だが、簡単に言うと、エリカにとって、「聖書を書く」という行為は、「アンモナイトを作る」という行為とイコールだったのだ。
すなわち、エリカは聖書を書きながら、常にアンモナイトを作っている。聖書を書くという行為が、そのままアンモナイトを作るという行為だったのである。
このようなエリカによる、ウルトラ極大魔法「生物創造」によって、地球上の生物は誕生した。
特筆すべきことは、このウルトラ極大魔法「生物創造」が、どの空間魔法よりも前に、地球でもっとも最初に生まれた空間魔法である、ということである。
すなわち、エリカはユダヤ人の言語で書かれた経典である「秘術教」の記述を読むことで、ウルトラ極大魔法「生物創造」を可能にした。このウルトラ極大魔法は、空間魔法というものが見つかるよりも、はるかに昔の地球で、エリカによって見つけ出された「最初の空間魔法」なのである。
エリカがかつて、どこにいたのか、誰も知らない。だが、おそらく、地球の今の文明が始まるよりもはるかに昔、生物的な古代に、おそらくエリカという少女がいた。そして、そのエリカの時代、今の時代よりも文明はさらに栄えていた。単にその文明が残っていないだけで、天軍大創主エリカは最初のアンモナイトすらいない時代に存在し、聖書を書くことでアンモナイトを創造したのである。
ただし、僕がヒントを言っておこう。エリカが生きていた場所は、本当は元々は地球ではない。そう、エリカは地球にやってきたその時まで、地球の外のどこかに生きていた。そのように考えると、エリカがなぜ地球のアンモナイトを創造する「天軍大創主」となったのかが、少しだけ見えてくるだろう。
はっきり言って、僕はこの世界が嫌いだ。
そもそも、僕と同じことをすることは、この世界ではもう、絶対に二度とできない。
かつての僕のような人間は絶滅危惧種だ。昔の僕のようなことができる人間は、既に今のこの世界では存在していない。
僕と同じような人間を生きるためには、昔の僕がいたような場所で、昔の僕のように生きる必要があるが、それはもう絶対に誰にもできない。かつての僕と同じことができるような世界は、今の世界ではない。
だから、その後に、僕が生きたような今までの人生を生きることは、その理由で不可能である。
この世界には存在価値がない。なぜなら、僕と同じような人生を生きられない時点で、まったく世界そのものが存在している意味がないからだ。
最近の音楽やアニメに無関心な若者が多いのは、そんなものをいくら視聴しても意味がないからだ。
かつての僕と同じ人生は生きられない。だから、その後の僕の人生も生きられない。この世界はその時点で存在している価値がない。だから、僕はこの世界が嫌いだし、日本も嫌いだ。
最近は、スマホやSNSが流行っている。だが、真実を言えば、僕はスマホやSNSで遊ぶことはほとんどしない。スマホやSNSをすれば僕と同じようなことができるように見えて、それも幻想だ。確かに、ないよりはいいだろう。なぜなら、スマホやSNSがないと仮定した今の世界は、何もできない世界であり、そのような世界で生きるのはあまりに辛すぎる。だから人々は「精神安定剤」としてのスマホやSNSを求める。それはいくらか価値のないこの世界を緩和してくれるが、根本的な解決策にはならない。
だが、僕は分かっている。僕だけが宇宙と人生と世界のすべての真実を知っている。この真実の真相は、このホームページに書かれている。それが僕のホームページを書く理由である。僕はこのホームページを残すことでしか、僕が今まで生きた「もっとも価値ある人生」の真実を残すことができない。
わたしは神を信じている。僕は今まで何十回や何百回と、「もう書くのをやめたい」と言ってきた。だが、神はホームページを書かせるようにする。その理由は、それ以外にこの世界では生きる意味がないからだ。この世界に生きている人間は全員が悲惨であり、可哀想である。その理由は、僕と同じ人生を生きることが決してできない世界になったからである。
結局、僕が素晴らしいと思うのは「理想」である。
僕は理想の実現を信じている。
僕の信じる理想がなんなのか、それをもう一度、最初から問い直したい。
世界を愛する気持ちや、自由を当事者に委ねた上で現実社会を築こうとする気持ち、それこそが、僕にとって「理想の世界」を形作るものだった。
理想の世界など実現できないと人々は言う。だが、現実を嘆いていたところで、何か変わるのか。それよりも、理想の世界を信じることで見えてくるものがあるはずだ。