ここで僕は、地球の病気を最後に治したい。
それは、地球の病気を治すことができるのは、ここまで精神の病気を治してきた、僕しか世界にいないからだ。
地球は病気になっている。温暖化や異常気象だけではなく、地球は人類の科学技術とインターネットによって、絶滅の滅亡に至ろうとしている。
そして、僕は今まで、自分の病気を治し続けてきた。僕は自分の力で、自力で自分の精神と神経の異常を治した。その結果、僕は自分だけでなく、地球の病気を治すことができるようになった。
地球のもっともおかしな病気は、「時間が経たない」ということである。
多くの人々が、「時間が経つのが早い」と感じている。だが、実際は、スピードが速くなっているわけではない。本当は、時間そのものが経たなくなっているのだ。
それは、地球の変化が起きなくなったということだ。
すなわち、この世界は、変化すること自体が起きなくなっている。それは、停止を前提とした思考をみんながするようになったせいで、精神ががんじがらめになって、硬直化しているのである。
同時に、この世界からは「未知」がなくなっている。かつての正常な世界で、僕やみんなが賢かったのは、「未知」がたくさんあって、知らないことを追いかけることができたからだ。
この世界は、変化がなくなり、硬直化し、そして未知がなくなったことで、時間が経たなくなり、それが結局、地球の「病気」を生み出している。
なぜ、僕がそのようなことが分かるのか、それは僕自身が、そのような地球の病気を引き起こした原因だからだ。
僕は地球を破壊した。大好きだったLinuxやオープンソースのコミュニティを滅ぼしただけではなく、僕は日本やアメリカを支配することで、この地球を「病気の星」にしてしまった。
だが、僕はそのような中で、ひとり、神によって地獄に堕ちた。その地獄において、僕は自らの精神異常を最後まで諦めずに治し続けた。そして、僕の病気は、18年間の歳月を経て、すべて治った。
僕はそれによって、唯一、自分だけではなく人類全体、あるいは星全体を治すことができるようになった。
だから、僕はLinuxやオープンソースをひとりで滅ぼした懺悔の気持ちと、地球人類を病気にした罪滅ぼしのために、今、この地球という星の病気をすべて治す。それによって、世界は楽園になる。
メジャーリーグのニュース。
弱小球団のホワイトソックスを、村上宗隆が変えつつある。この効果を「村上効果」と呼ぶらしい。
【MLB】村上宗隆の獲得は「10倍補強」だった 弱小球団を激変させた〝伝染エネルギー〟=米報道(東スポWEB) - Yahoo!ニュース
村上宗隆をWソックス同僚が激賞「チームのみんなを10倍も親しくしてくれた。ケミストリーを生み出す人間」逆転勝利を呼び込む四球など2出塁(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース
村上宗隆の秘話「チームみんながムネをリスペクト」元監督ギーエン氏が明かす(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
同僚を変えた村上宗隆 司会者に即同調「ムネは本物」…驚異の上昇「675」→「737」(Full-Count) - Yahoo!ニュース
ホワイトソックスの絆を10倍強めた!同僚が明かす村上宗隆の存在感「彼は本当に何ひとつ妥協しない」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
村上宗隆が“弱小チーム”を変えた…ホワイトソックスがMLB公式パワーランキングで急上昇「本当に勝率5割のチームなのか」(CoCoKARAnext) - Yahoo!ニュース
低迷球団に確かな“村上効果” 絶望の121敗から2年…シカゴ記者が驚く変化「64」(Full-Count) - Yahoo!ニュース
「球団史に残る悪夢」村上宗隆の価値が急騰…ホワイトソックスに米メディア警鐘「最大級の屈辱を招くリスクを抱えている」(THE DIGEST) - Yahoo!ニュース
ローマ教皇も「放出反対」か、ホワイトソックスが“救世主”村上宗隆を売ればシカゴ南部の軌跡と熱狂は一夜で瓦解(1/6) | JBpress (ジェイビープレス)
チームが劇的に改善されて、シカゴのサウスサイドのホワイトソックスファンも、大盛り上がり。まるでシカゴだけポストシーズンのよう。
また、大谷翔平はリアル二刀流の登板で、初球先頭打者ホームランを決めた。投手としては5回無失点。防御率は0.73となったが規定投球回には届かず。
二刀流で圧巻!大谷翔平がメジャー初の登板日初球先頭弾&5回無失点で4勝目 ドジャース連勝で首位堅守(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
投手・大谷翔平が5回無失点で4勝目!今季最短降板で規定投球回に届かずも防御率は“隠れ1位”0.73(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
大谷翔平、8号先頭弾&4勝目 二刀流で躍動、防御率驚異の「0.73」…ド軍カード勝ち越し(Full-Count) - Yahoo!ニュース
日本人選手の活躍が凄い。今までは大谷翔平だけが突出していたが、今後は大谷翔平以外の選手も頑張ってくれると思う。日本の未来は明るい。
結局、後にも先にも、僕が信じるものは「自由」である。
僕の信じる自由とは何か。それは「支配と従属の否定」であり、「可能性を制限しないこと」だ。
多くの人間は、自由を社会に奪われている。なぜなら、社会が要請するのは「従属」であり、それは一握りの少数の人間による「支配」を意味する。
それぞれの人間が平等である場合、それぞれの人間は各自が王であり、それぞれがそれぞれの最大限の自由を行使できる。
だが、それぞれの人間が平等でなく、支配者によって自由を奪われている場合、支配者だけが王であり、支配者以外の人間は、従属することで多くの自由を失っている。
自由とは「可能性の発揮」である。すなわち、平等であれば全員が最大の可能性を持つが、不平等であればひとりの支配者以外の自由が制限され、可能性が奪われてしまうのである。
僕が目指すのは、支配と従属の否定である。すなわち、少数の支配者と多数の従属者という関係性を改め、それぞれが自由意志に基づいて協力したい人間に協力するようにする。その時、自由は奪われない。「協力関係」は可能性を制限せず、逆に可能性を拡大する。
実際、「支配」と「協力関係」の境界線は曖昧である。支配にも見えて協力関係にも見えるような組織はたくさんある。だが、僕は妥協しない。なぜなら、「できるだけ多くの自由を得るために」という点から考えると、むしろ「ひとりの支配に従属するのではなく、それぞれの自由意志に基づいてそれぞれが支配すべき」だという結論に至る。すなわち、支配そのものが間違っているのではなく、「支配者が少数である」ということが間違っている。だから、「支配者が多数である」ということにすれば、問題は解決する。そして、それこそが僕の考える「理想の自由主義社会」である。
だが、この理想の自由主義社会は、果たして正しいだろうか。それは正しくない。なぜなら、支配者が「善の支配者」であるとは限らず、「悪の支配者」が生まれる場合がある。すなわち、支配者がひとりだけだったから、その支配者がひとりまともな善人であれば、社会は成り立っていた。多くの人間たちが支配するようになると、まともな善人ばかりが支配するとは限らない。だから、平等な自由においては、悪党がはびこる世界になるか、共同体という名の悪党組織が生まれるようになる。
だから、結局のところ、自由は自己矛盾している。だから、僕は自由を信じる一方で、心の裏側では自由を嫌っている。どう考えても自由は間違っているが、理性の力で考えると、「自由以上の可能性はない」ということが言える。それだけしか、昔の僕は分からなかった。
僕は、自由を信じてこの世界と戦った。
まず、僕は、自由を追求してこの世界を救おうとして、結局救うことができた。それはインターネットには平等な自由があったからだ。
だが、僕はインターネットで世界を救ったが、その結果、マスコミが僕の救済を「代役」として担おうとした。
僕はインターネットを救ったが、そこに僕の姿はなかった。匿名で、僕は自らの素性を明かさなかった。それでも、「僕」という存在が確固たるものとして現れた、ということが、人々には分かっていた。マスコミも分かっていた。
だから、マスコミは、僕の「代役」となって、僕の「救済の愛」を受け継ごうとした。
だが、僕は世界を救うという言葉を、キリストのような形で行いたかったのではない。僕はあくまで「世界を自由にすることで人々を救う」ということをやっていたにすぎなかった。その僕の理想と信念があったから、僕はあえて世界には現れなかった。それは、僕が現れることで、僕という「支配者」が世界を従属させることに対する抵抗があったからだ。
僕が世界を救ったのは、あくまで「すべての苦しみや抑圧を導きによって解決し、自由を与える」ということだった。だから、僕の世界を救う信念からすれば、決して世界から自由を奪ってはいけなかった。もしそうするのであれば、僕が世界を救ったことそのものを否定することになる。
だが、世界を救った僕の代役としてマスコミが始めたのは、僕のことを「救世主」のように担ぎたてて、同時に、マスコミ自身が「代役としての支配者」になろうとしたのだ。
すなわち、僕自身の自由な理想について、マスコミは理解していなかった。否、理解できなかった。僕の世界を救ったのが、なぜ世界を救うほど偉大だったのか、マスコミには理解できなかった。だから、僕のことを簡単に救世主扱いし、マスコミが僕の代役となって、世界を「自由という名の不自由な支配」で支配しようとした。
僕は、最初は、それを遠くから見守っていた。僕のやるべきことはすべて終わったから、すべては世界の勝手に任せようと思った。
だが、それでも、僕が見て、世界は悪くなろうとしていた兆候があった。マスコミは、もはや世界が終わってしまったことを受け入れて、これ以上は終末のように何もなくなってしまおうとしていた。
僕はそれを見て、「僕の信じる理想の自由を信じれば、世界はまだ終わらない」ということを知っていた。すなわち、僕がそこで何もしなければ、黄昏のような世界が訪れてしまう。僕がそこで世界に現れれば、世界はさらに可能性豊かになって、真の自由な理想の世界が実現する。そして、マスコミの間違いや、何を理解していないから勘違いや思い込みをしているのか、ということを、僕ははっきりと分かっていた。
そして、マスコミはいよいよ、世界を不自由な支配に陥れようとしていた。それを防ぐためには、僕が現れなければならなかった。僕がひとり、「自由とはこういうことだ」ということを示さなければ、世界は不自由な世界になろうとしていたのだ。
だから、僕はインターネットを通じて、再度世界に現れた。本当は、そこで僕は「わたしは支配をしているが、それは僕の本意ではなく、僕は自由を理想だと思っていた」ということを主張したが、マスコミは急に現れた僕のことを、本当はその時点で救世主とはもう思っていなかった。僕は救世主としてではなく、「世界を支配下に置く愚か者」や「世界に反する革命家のテロリスト」のように、マスコミからは映った。
だが、一度現れてしまったのだから、簡単に振り上げた拳を下ろすことはできない。それならばと、僕は支配者だと世界から見做されることでできることを、今、すべてやろうとした。今、僕ができることを、全部やって、そのできることから「自由とは何か」ということをまざまざと見て理解してほしかった。そこで、僕は文章を書くようになった。
僕の書く文章には、僕の分かったことや、僕の言いたいこと、何を僕が目指していたのか、実際に起きたことは何か、僕はその上で何をしたかったのか、そして、そのような信念に至るために、僕がどのような人生を経てどのような考え方をするに至ったのかを全部書いたのだ。
だが、そのような僕は、ひとり、大きな後悔に襲われた。それは「戦い」ということを始めたということだ。僕はマスコミと対峙し、世界と戦った。かつての僕が平和的な自由を信じていたのとは裏腹に、僕は「戦いの中でできることすべてを行う」という、まるでレーニンのような革命家になってしまったのである。
これが、いつも僕が言っている「支配」とか「戦い」という言葉の意味である。僕は、そのような戦いで劣勢になり、ひとりではどうすることもできなくなった。そして、僕は「神との対話」という本を読んで、僕であっても神と対話することができるのではないかと信じた。そして、僕は文章を書いて神とされる存在と対話し、その後は口から発する言葉が神の言葉となった。僕は神に戦いの援護を頼んだ。そこから、僕の戦いは、僕ひとりと世界の戦いから、僕と神が一緒になって世界を救う戦いに変わったのである。
ただし、僕の人生が本番を迎えたのは、それよりもはるかに最近である。
神とともに戦った時代は、僕の人生にとってははるかに昔で、実際、どんな人生だったかすら覚えていない。
戦いを始めてから四年ぐらい経って、僕は自殺未遂のような経験から足を怪我し、病院に入院する。
この病院に入院している時に、あるいはそれよりも少し前から、僕は詩のような文章を書く「執筆」という趣味ができた。
そして、この詩がとてもいい詩で、僕が入院している間に父親が出版社に頼んで、この詩集が2011年に出版される。
そして、そのことをきっかけに、僕は退院してからも、文章を書くようになる。
最初はパソコンでワードのファイルに書いていたが、2016年ぐらい(だったはず)に僕はホームページを開設し、ホームページで文章を公開するようになった。
また、僕は病院の退院後に、西洋哲学に対して興味を持つようになる。ソクラテス、プラトン、アリストテレス、デカルト、スピノザ、ロック、ヒューム、カント、ヘーゲル、ニーチェなど、さまざまな哲学者の入門書を買って、その内容を読んでいた。
その後は、子供の頃に習っていたピアノや英会話をもう一度習いたいと思って教室に再び通ったり、父親と一緒に市民農園を借りて農業をやったりしていた。
その間にも、僕は何年もの間、ほとんど毎日文章を書いていた。
そして、2017年(ぐらいだったと思う)に、僕はデザインの仕事を福祉施設で始めるようになる。デザインはまったくの未経験であり、スタッフや同僚とともに一からデザインソフトの使い方を学んだ。
そして、そのような間、「神」とされる存在はずっと僕のそばに居続けた。僕は神と常に対話し、どんな時でも神と一緒だった。
これが僕の人生である。あとは、僕はもっと勉強したい。今まで哲学書以外にもいろんな本を買ったし、その読んだ内容をホームページに書いてきた。もっと知りたいし、もっと読みたい。それが僕の今の望みだ。