今から、僕は「人間の心」を復活させる。
僕が馬鹿なのは、僕はそもそも人間の心がなくなっている。心を完全に失ってしまっている。
その理由は、僕は神を信じることで、心が「聖なる神の心」になっているからだ。
この聖なる神の心では、人間の知性はつかない。日本語の理解力がないだけではなく、どのような人間的なことも理解できないほど知性がなくなっている。
それでは生きられないように見えるが、それでも僕は、神を信じる「奇跡の力」でなんとか生き延びてきた。
だが、人間の心を復活させるだけで、神との対話は終わる。ロゴスとなって神が現れたのは、本当は自分の文章力のことを神だと言っているに過ぎない。
必要なことは、「信じること」「余計なことをしないこと」である。それが正しいと分かっているのに、そうではない無難な選択をした時、それは間違ったことをしている。正しいことの反対の選択肢は間違ったことなのが分かっていない。だから、余計なことをしないということこそが信じることだ。正しいことを正しいと信じ、間違っていることはする前から否定すること、それを賢明な人間という。
また、僕の精神障害は、エクソソームで治る。
いつでも治せると思い込んで、治らないまま異常を放置し続けていると、何をしてもその異常は治らなくなってしまう。治そうとしても、治すことができなくなる。
そのようなおかしな神経障害は、エクソソームで治る。
足や頭や心など、すべての治らない異常については、エクソソームを投与することで、その異常を治そうという方向に体が促される。だから、エクソソームで僕の精神障害はようやく治る。
ようやくすべてが治ったから、ここからは人間の心を復活させる。それと同時に神が死ぬ。人間の心と神の心は矛盾する。だから、神のような奇跡はここで終わりになる。
人間の心が復活すると、癌が治って、子供に戻れるようになる。大人は賢くない。大人は誰でもそれ以上治らなくなって変えられなくなる。子供になることで、日常のことを覚えたり思い出したりできる。それは心は今の自分のことを思う部分だからだ。