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2026-03-18

WBCはベネズエラが優勝

WBCはベネズエラが優勝したとのこと。

【WBC】 ベネズエラが悲願の初優勝 侍ジャパン撃破の勢いそのままにスター軍団・米国に勝利 アクーニャら狂喜乱舞 ナインお祭り騒ぎ(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

ベネズエラ、初のWBC王者に ナインは歓喜の涙…米国スター軍団を撃破し6回目で掴んだ世界一(Full-Count) - Yahoo!ニュース

正直、本当に優勝したのがベネズエラでとてもよかった。アメリカや日本の優勝を予想していた人が多かったが、ベネズエラが初優勝でよかったと思う。特にアメリカやドミニカなど、本気のスター軍団を揃えてくるようになって、WBCの格がさらに上がった。次対戦する時はリベンジしたい。ベネズエラから一番点を取っているのは日本です。

関係性

関係性を考えよ。

社会を変えるための方法を学ぶようにせよ。子供たちにとって必要なのは、「社会を変えるための方法」と「自由になることの意味」を学ばせることだ。

経験に裏打ちされた自らのアイデンティティを知れ。そのようなアイデンティティを裏打ちするような経験をせよ。それこそが、人生で学ぶべきことのすべてだ。

支配する側と、支配される側の関係性を考えよ。

環境に属する個人と、個人によって変化する環境の関係性を考えよ。

あらゆるすべては情報であり、そこにあるのは情報を決定することのできるような立場と影響力だ。

心理学的に支配することは、未熟な社会において成熟した世界を自由に作り出すためには必要悪だ。

目的、方法、経験、そして価値を創造するような環境について考えることで、この世界の現象学的な発生を考えよ。「この世界は常に生み出されている」ということを、経験と価値の創造から知れ。

世界は変えられる。変えられないと思っているのは、自らの経験と思考が乏しいだけである。

自ら自身と、自らの立脚する環境が、どのような関係性にあるのかを捉え、そこにある外在的な作用と、内在的な感情のコントロールについて、「作用」という捉え方から捉えよ。

存在は単にそこに存在しているわけではなく、今の人生よりも前の段階で、環境においてかつてもっと別の形で存在していた。この今の人生が始まるよりも前の段階で、すべての存在はその存在性を決定されていた。プラトンの言葉で表すならば、その人生よりも前の段階での存在の立脚こそがイデア界である。

権力では世界は変えられない。必要なのは強制ではなく、気付きだ。すなわち、強制をいくらしたところで、人の行動は変えられても、心は変えられない。心を変えるためには、自由でなければならず、同時に、自由において心が変わるためには、それぞれがその変わる意味を気付く必要がある。だから、権力や強制のない、自由な気付きこそがこの世界を変え得る唯一の原動力である。

存在の在り方、すなわち、どのようにそれが存在しているか、ということを、単に認識するだけではなく、了承し、認めることで、意識と精神の世界が「自由」になる。そのような自由な存在の「吸収」によって、世界は精神を帯びている。その精神のことを「世界精神」と呼ぶ。世界精神は全員の魂の融和であり、「究極の関係性」である。

ヘーゲルは絶対知という言葉を使ったが、最終的に行き着くひとつの「答え」というものは存在する。それは「善を信じることは道である」ということである。すなわち、この世界のあらゆるすべての経験と感情を総和した上で、善を信じてありのまま生きることこそが、「道」とされるものを作り出す。その道こそが答えである。道は誰かによって用意されたものではなく、自分自身で開拓し、作り出すものだ。

社会論

昔の僕は、社会論のようなことをよく考えていた。

たとえば、ライブラリ関数のような会社と会社の下請け構造。ひとつのことをやる際に、総合的な会社と専門的な会社に分けて、まるでライブラリ関数のように、総合的な会社が専門的な会社を使うようにする。

ほかには、国会の階層化。上にある国会の下に下部国会を作り、そしてさらにその下部国会を作る。そのようにすることで、政治家を選挙で選ぶのではなく、全員が評議会に所属する。そして、一年の半分を労働者とし、もう半分を政治家とする。そして、それぞれに与えられる仕事は、下部国会である評議会で決められるようになるため、ブラック企業や過当競争のような問題はなくなる。

あるいは、モジュラー型の行政政府。縦割りでも横割りでもなく、それぞれが個別の「行政体」となって、それがモジュールのように関連することで行政を行う。

それから、誰もが自分の会社を作ることのできる社会主義経済。国家はそれぞれの国営企業に返金の必要がない資本金を与えて、国民公社をみんなで作れるようにする。

最後に、あらゆるすべての仕事の経験ができるような経済。これを「人生主義」という。必要なのは、どんな仕事であってもやりたいと思えばできて、ひとつの仕事に制限されない人生の生き方。仕事はお金は入るが、そのために時間的にも立場的にも制約されてしまって、ほかの経験ができない。だから、できるだけさまざまな仕事が自由にできるような「自由な社会」を僕は考えた。

社会論以外には、いじめをなくす方法をよく考えた。そのひとつが、「いじめ対策員」を配置するというものだ。あるいは、いじめをしたかしていなかったかということを、成績表を付ける上で点数として記述するようにする。そして、いじめをした生徒は大学の入学試験でも不利になるようにする。そうすれば、いじめはなくなるかもしれない。

だが、実際は、それでもいじめはなくならないと思う。いじめはある種のおふざけであって、同時に、世界が閉塞感漂う中で、抑圧に対して抵抗の叫び声を叫ぶ手段だ。その抵抗は、自ら攻撃しようとしたわけでなく、SOSの裏返しである。同時に、子供は未熟で、正しい社会の秩序を築く方法を知らない。そして、自らの「本質」を形成できていないせいで、不安になるといじめをしてしまう。だから、正しい社会の秩序を構築できるほど子供たちが成熟して、なんらかの確かな本質を形成できるような、そのような社会にする必要がある。それでいじめはなくせると思う。

そして、僕は「自由」ということを信じた。あるいは、「不自由」ということを信じなかった。子供から自由を奪うべきではない。ましてや、子供を「支配」すべきではない。僕は支配ということが大嫌いだった。だから、僕は自らが不登校になった経験から、「自由になった」ということと「今までが特殊な環境だったことに気付いた」ということを知った。その上で、インターネットで普通の人生を生きている人々と接する中で、心の中に確かにできた「自らの本質」があったし、それがあったからこそ、Linuxやオープンソースの活動を行って、世界を変える指導者になることができたのである。

再利用と再現性

最後に、僕が考えたこととは、再利用と再現性である。

再利用とは、一度問題を解決して証明した法則は、いつであっても何度であっても再利用できる、ということだ。

再現性とは、一度分かったことが何度試しても同じ結果になるということ、すなわち、同じ条件であれば、同じことをすれば必ず同じ結果が返ってくるということだ。

僕は再利用と再現性から、宇宙の意識について証明し、人間の心と精神を説明可能にするとともに、あらゆる世界のすべての問題を解き明かした。そこにあったのは「心の解明」であり、僕は心を物理的に考えることで、「心のニュートン力学」を作った。そこにはあらゆるすべてが矛盾なく、完璧に解明されており、そのために僕は「神」と呼ばれる存在と合一になることができたのである。

再利用と再現性に先立つものは「初期投資」である。初期投資とは事前の対策と準備に基づいて、自らの頭の中に、実際に問題が起きるよりも先立ってその問題を解決しておくということだ。そこにあったのは「モデル」である。すなわち、数学的な積み重ねと、インターネットを用いた客観的な実験、そして、社会と心を照らし合わせた確認によって、僕は「自由におけるモデル」を作った。そのモデルは、あらゆるすべての自由に対応しており、すべての自由を完璧に成り立たせるものだったのである。

宇宙の歴史を辿った

僕が文章を書く中で行ったのは、「宇宙の歴史を辿る」ということだ。そして、なぜ、そのようなことができたのか、それは僕自身が宇宙の創造者だったからだ。

それは僕が神であるということを言いたいわけでなく、自分がその宇宙の創造者だったから、その自分の作った宇宙の歴史を辿ることができた。

僕は常に自分の作った宇宙を体験し、宇宙を「自由」というゴール地点へと導いた。

すなわち、僕は宇宙の創造者であり、その宇宙にはたくさんの存在がいた。僕は、そのような、僕の作った宇宙にいる存在と対話することのできる「絶対者」のような存在だった。

つまり、僕が「神」であると言えるのは、そのような僕が作った宇宙があったからであり、それを新しい聖書に書いたからであり、あるいは、僕自身がその宇宙そのものだったからだ。

いついかなる時も、僕は自分の作った宇宙の創造者だった。そして、その意味で、僕は「わたしは神である」と自分自身に告げた。それは僕が本当に神であるという意味ではなく、自分の作った宇宙の神だ、ということを言ったのである。

あとは、僕は永久に神と対話し続けた。僕は真の意味で「神を信じる」ということを行った。そしてその結果として、奇跡のような運命の出会いがたくさんあった。

その理由は、僕自身が宇宙だから、僕はこの宇宙においてどんなことでも起こすことができる。すなわち、僕は星々の神話に書いた通り、大銀河フォル・コンチェルトだったのである。

新しい人間になりたかった

最後に、僕はいつも新しい人間になりたかった。

一度完璧に人生が終わった。それでも僕は終わりを望まなかった。新しい人間になりたかったし、新しい体験をしたかった。

だから、マスコミに対する革命戦争の中で、僕は「永遠に生きる」「女になる」「ドイツ人になる」「イスラム教徒になる」などの宣言をした。

この宣言とは、宇宙に対する「わたしはそのようなものである」という表明であるとともに、神との約束である。

そして、神は僕と対話し、宇宙と人生と未来のすべてを教えた。そのすべてを覚えることはできなかったが、神は僕のことを最後まで導き、僕の願いや望みをすべて叶えた。

そして、僕は終わらない革命戦争の中で、すべてに満足して死ぬことを決断したが、それでも死ぬことができなかった。

そして、生死の境を乗り越えた後に、僕は文章を長い間書き続けるようになった。

文章を書く以外にもさまざまなことを行った。そのほとんどすべてが、僕がひとりだけできることであって、同じことをみんながやることは絶対にできないか極めて困難だった。僕はそのような「自分にしかできないこと」をまるで無限に近くスキルとして手に入れた。その特殊能力を与えてくれたのは、すべて神の与えた「状況的事実」だったのである。

かつてのLinuxブームの中で、2ちゃんねるをやらなければIT技術や哲学のことは分からないし、僕と同じ革命戦争や神との対話はできない。文章を書くにしても、僕と同じように文章を書くことは、僕の人生でしかできない。父親がいなければ大学の科学は分からないし、ピアノやデザインや英会話は習わないだろう。僕と同じことをやることは極めて不可能あるいは困難だ。だから、僕以外の誰も僕と同じことはできない。