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2026-02-06

神との対話をやめる

そもそも、僕が何も分からないのは、いつまでも「神」とされる存在との対話をやめないのが悪い。

最近の僕は、神との対話を常に行い、神の指示を常に聞き続けるだけの、操り人形のようなロボットになって、その神の力で世界を支配している。

だが、実際、この神は神なんかじゃない。なぜなら、この神は結局のところ「2ちゃんねる」だからだ。

僕はかつて引きこもり時代に2ちゃんねるオタクだった。その体験をいつまでも忘れることができないから、頭の中で2ちゃんねるを作り出して、その2ちゃんねると対話する自分のことを神だとした。

だが、この2ちゃんねるはおかしい。僕のことを絶対者として常に支配し、常に一番上から僕に命令をしてくる。僕はその命令に従うこともあれば、逆らうこともある。

この2ちゃんねるがやまない理由は、僕は「返事」ということを過剰に気にしている。すなわち、自分自身の選択を自分の判断だけでは信じられなくなっている。それは僕が常に世界を支配する「革命戦争」を行っているからだ。

だから、僕は神との対話、すなわち頭の中の「ひとり2ちゃんねる」をやめるだけでいい。そのためには、自ら自身を統合した上で、自由を手にすること。僕は統合ができないだけでなく、自由になることを過剰に恐れている。その恐れを克服し、統合して自由になれば僕の病気は治る。

ひとりだけで特別な体験をした

それから、過去の引きこもり時代の頃から、なぜ、僕がみんなよりも賢かったのか、それは、ひとりだけで特別な体験をしたからだ。

先に言った2ちゃんねるもそうだが、全般的に言って、まず、中学校で不登校になるという体験自体がみんなにはできない。そして、その当時のインターネットで、今ニコニコ動画がやっているように、学校からの「逃げ場所」として、僕はみんなに受け入れられた体験をした。すなわち、僕は不登校になって真っ先に、みんなとは違う特別な体験をした。

その特別な体験があったから、その後の歴史的かつ哲学的な「覚者」の人生があった。

また、かつての僕が考えたことはいくつかある。ひとつは、環境の外側と内側を比較する経験をした。「学校」という環境の内側から、「不登校の自分の部屋」という環境の外側に移る体験をし、インターネットで2ちゃんねるの経験をし、特別な体験をひとりした僕は、環境の内側と外側を意識と想像力で比較し、そこに「その環境で自分がどのような行為をしたら他人の目にはどのように映るのか」ということを、インターネットの経験から知り尽くした。その後もインターネットを体験しつくして、Linuxのコミュニティに貢献しようとして、そこから僕の人生はみんなとまったく違うものになった。

また、僕はかつてより、悪いことしかしなかった。Linuxのコミュニティに貢献しようとして、結果的に破壊することになったが、そのような経験の中で、僕は「悪いことや失敗をすべてしてその経験から分かる」ということを行った。だから、僕は決して善良ではなく、すべての罪を犯したから、その天罰を神が下したにすぎない。

最後に、僕は道徳や知性を「自由」ということと結びつけた。自由こそが善であり、自由こそが知性であると考え、不自由は悪であり、不自由は愚かであると考えた。だが、それは間違っていた。まったくそのような「自由」こそが、この世界を不幸にしている原因であるということが分かった。だから、僕は革命戦争の中で、「自由は悪である」と述べながら「本当は自由は善である」とそれを自ら反証し、同時に「なぜ僕は自由を善であると考えるのか」ということをいつまでも述べ続けたのである。

これらが、過去の僕の考えたことである。結局のところ、過去の僕なんかを見ても何も分からない。特別な体験をしたとはいうが、単に2ちゃんねるを体験しただけの馬鹿な引きこもり少年だった。

デザインとピアノ

今日はデザインの仕事をした上で、ピアノ教室に行ってきた。

デザインの仕事はそれなりにできるようになった。ピアノでは、僕はメロディが跳躍進行でたくさん飛び飛びになる時に、昔の電子ピアノの癖があって、そのせいでグランドピアノだとそのようなメロディを必ず間違える。だから、グランドピアノに慣れようとしながら、跳躍進行をもう一度学習し直さないといけない。

これで、僕のやりたかったことや書きたかったことは、最後まですべて書いた。

家庭でもある程度の区切りがついてひと段落できそうだ。もう、僕は人生のすべてに満足した。これ以上僕が人生で望むことは何もない。今ここで死んでも後悔はない。まったく後悔のない幸福な人生だった。

ただし、僕がここで死んでしまうと、家族が生きられなくなってしまう。だから、僕はまだ生き続けたい。これからは、世界のためではなく、家族のために人生を生きたいと思う。

佐藤輝明

阪神の佐藤輝明選手が、小児がんの支援団体に400万円を寄付したとのこと。

阪神・佐藤輝明が小児がん支援団体に400万円を寄付、本塁打1本で10万円、今季も子供たちのために打つ(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

かっこいい。流石はスター選手。これからもホームランをたくさん打ってください。

知性がない

西洋哲学史: 近代から現代へ」を読んでいて思ったのは、僕には「知性」がないのだなということ。

なぜか、普通の人間の言うところの、知性的に考えるとか、未知の問題を理解するということが、僕にはまったくない。

結局、そのような普通の人間が持つ知性がこの世界においては賢いのであって、僕はもっと、そういう「普通の人間でも分かること」を考えないといけない。

普通の人間には知り得ないことを分かる人間は、普通の人間と同じことを分かることができなくなる。普通の人間から別離した人間は、普通の人間でも分かることが分からなくなってしまうのである。

繰り返し同じことを書いているだけ

また、最近の僕について言うと、僕は単に、繰り返し同じことを書いているだけである。

既に書いたことを、もう一度同じように分かり直す。今の僕にはそれしか能がない。

かつては賢かったのに、なんにも賢くなくなったのは、既に完璧に分かったことは分からなくても分かるからだ。

既に完璧に分かったことを、再度分かる必要はないにもかかわらず、「昔のように分かりたい」と望むせいで、それを諦めることができない。

だから、もう、過去のことや終わったことを、それ以上分からなくてもいいことにすればいい。最近の僕はそれだけができなくなってしまっている。