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2025-12-16

社会主義経済は上手くいかない

20世紀の歴史で人類が学んだこと、それは「社会主義経済は上手くいかない」ということだ。

社会主義経済の問題は、「再分配のために強い独裁権力が必要」ということ、そして「平等な給与では誰も過剰に働こうとしない」ということが言える。

まず、社会主義の理念に基づいて富の再分配を行うためには、金持ちや富裕層など、力を持っている人間から、その富を強制的に奪わなければいけない。

政府が、富裕層から貧困層に富を再分配し、格差を是正するためには、指導者や政権が強い権力をふるう必要がある。

また、社会主義経済とはいっても、それをどのように実現するかという「モデル」はさまざまに存在する。さまざまなモデルが乱立するのではなく、ひとつの社会主義経済に統一しなければ、争い事が起きてしまう。だから、社会主義経済においては、ひとりの指導者が考える正しい政権の政策への「押し付け」が行われる。この点でも、独裁者による巨大な権力と、それに従う政権幹部の完全な従属というやり方になる。

それから、革命組織においては、誰だって、その中で台頭して自分が国の指導者になりたくなる。そのために権力闘争が起きる。そして、権力を手にしたとしても、ほかの勢力が台頭すれば、自らの勢力が負けてしまう。だから、政権内部での粛清が起きる。独裁的指導者に対してノーと言える人間がいなくなり、ヨイショされると同時に、都合のいい意見しか聞かなくなって、国の内情について誤った情報を信じてしまう。その結果、ロシアとウクライナの戦争のようなことが勃発する。

そのように、社会主義経済には、独裁権力ということが必ず結びついてしまう。

同時に、国民は、金儲けをすることができない。すなわち、自分で給与を得たいから、その分だけ働くということができない。そのせいで、みんな全員が貧しい暮らしになる。

それから、計画経済を実現するのは非常に難しい。国の中の会社をひとつ経営するのと、国の全部の会社を経営するのはまったくスケールが異なる。だから、計画経済は必ず破綻する。そのせいで、生活に必要なものを十分に生産できなくなる。

そして、働いても働かなくても同じ給与では、働く人はいない。貧しくて、給与が最低限しか得られないか、あるいは配給されるイモのような食べ物しか食べることができないにもかかわらず、たくさん働いても最低限働いても同じ給与であるために、誰もたくさん働こうとしない。その結果、国民は何もできずに飢えていく。ユートピアとは名ばかりの地獄になってしまう。

それこそ、経済モデルとして、社会主義経済のような、市場経済を無視した経済は成り立たない。成り立つのは、日本で言えば保険とか年金とか社会保障のような分野だけであり、そもそもが、平等な経済などが成り立つはずがない。なぜなら、平等な経済は「経済という考え方自体を否定しているから」である。経済は生産者と消費者の間で金を与え合うことによる助け合いという意味で成り立つものであり、社会主義経済はそもそもが上手くいかないのである。

だが、資本主義経済にも問題はある。それは成功すること自体が難しいということだ。そもそも、資本主義の経営者は、楽をして儲けているわけではない。何億円という多額の借金をして、なんとか事業を黒字にして、常に倒産に怯えながらなんとか借金を返せるだけの利益を生み出すことで成功している。すなわち、資本主義経済とはそれ自体が「リスク」である。そして、そのようなリスクを一般の普通の人間は選ばない。だから、公務員や大企業の社員になろうとする。そして、そのような公務員や大企業の社員になれない人間が、3Kのような悲惨な仕事になるが、それは「誰でもできる仕事が低く扱われる」からにすぎない。エンジニアのような専門的知識のある専門職のような仕事は比較的安定している。誰にもできて、リスクも選ばないのであれば、3Kのような悲惨な仕事しか用意されておらず、誰もが成功するのは難しい。成功は、能力として難しいのではなく、誰もそのような選択をしないという意味で難しいのである。

そして、今の世界はグローバルで動いている。グローバルと資本主義は相性がいい。だが、グローバルは新しい「国際カースト制」のようなものであるとも考えられる。楽に豊かに生きられるのは先進国だけであり、アフリカやアジアのような後進地域は至って悲惨な仕事で生きている。そのような奴隷のような仕事は、人間が生きる上で一定数必要であり、それを日本人がしたがらないから、アジアのようなほかの国の国民に、低い待遇で行わさせているだけである。

結局どうすればいいかというと、帝国を作らなければならないということだ。すなわち、社会主義経済は上手くいかないし、資本主義についても問題がある。正しいのは帝国であり、トランプのようなポピュリストはあまり間違っていない。だが、自国のことしか考えない「アメリカファースト」は、僕は好きではない。世界人類のことをきちんと考えた上で、そのリーダーとしてのアメリカでいてほしいと思う。

超越的な考え方

このような僕の考え方には、先に書いたことと反することがある。それは僕は理想を信じているということだ。

僕は「自由」ということを信じている。なぜなら、この世界を変えるために、支配や戦争は必要なく、自由においても世界を救済することはできると確信しているからだ。

僕が信じているのは、「自由な共同体」と「自由な共有」に基づく自由な社会である。

この世界は、それぞれの考え方が完全に異なるから戦うのではない。みんな、同じ理想を信じているが、その理想として、その理想をそれぞれがどのような信念であると解釈するかという、「解釈の違い」が起きているにすぎない。

この世界の全員は、人類として同じ理想を信じている。だが、人々は、常にそれぞれ異なる状況に置かれており、同時に、さまざまな環境的な理由があって、それぞれが何を何だと考えるかが異なり、同時に、どのようなことに注目して考えるのか、ということが異なる。

そこで言えるのは、肯定性と否定性である。民主主義者は、常に民主主義のよい側面を信じながら、それを社会主義の悪い側面と比較する。社会主義者は、常に社会主義のよい側面を信じながら、それを民主主義の悪い側面と比較する。

すべての人間が、そのように、肯定性と否定性の中で生きている。そして、相手のことを愚かで馬鹿な間違った人間であると信じ、相手を打ち倒すために、味方も敵もどちらも自分たちの言い分しか分からなくなるように洗脳する。あるいは、支配者階級にあるものが下層の人間を抑圧する。それがまさに、もっとも一番間違っている。

超越的な視点で、すべてのことをきちんと正しくひとりで考えた時、すなわち、洗脳も抑圧もない理性で、すべての肯定性と否定性を超越して考えた時、残るのは「人類を救う理想」である。そして、その人類の救済だけを信じ続ければ、この世界を救う方法は必ず見えてくる。かつての僕はそのようにこの世界を救ったのだ。

選挙で当選した国会議員が、国会で議論できるといっても、単に自らの政党の意見を述べた上で多数決で決めるだけであれば、そんなものはなんの意味もない。議論の裏側にある、真に正しい考え方や意見とは何か、それを見つけ出さなければならない。抑圧や洗脳のない、真に正しく、たったひとりのすべてを超越した人間が考えることこそが、真に正しい。それを知らないものが国会議員になったとしても、それはゴミのようなカスであり、民主主義の政治家はなんの価値もない職業である。

前田健太

前田健太が日本のプロ野球に戻ってきたが、入団したのは楽天だったとのこと。

【楽天】前田健太背番号は「18」 同学年の田中将大が通算11年背負ったレジェンドナンバー(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

広島じゃなくて、楽天か。なんだか残念だな。それでもマー君と同じ背番号18番とのことで、頑張ってほしいと思う。