再利用と再思考から考えよ。あらゆるすべてを最初に初期投資して、建設的かつ合理的に頭の中に何度も再構築せよ。
理性を用いる前の段階として、理性に先立つもの、理性の前提となるものを全部考えよ。社会そのものについて、その環境を作り出すであろう、前提となる経験をすべて考え、その上で、あらゆるすべての決まりを決めること、決め直すことができるように、事前に完全なる「留保の構造」を構築せよ。
自由な知性について、まったくひとつも知性が失われることがないように考えよ。自由な世界において、可能性のすべてが制限されず、可能性が最大限になるように、ひとりの支配者でなく全員が考えるようにし、ひとりに従うのではなく全員が独立性を持って社会の一員であるようにせよ。ひとりが支配せず、全員がそれぞれ自発的に考えるようにせよ。
経験について、ひとつのことができる以上のこととして、なんでもできるかのような習得と経験を行え。広く社会全体を見た上で、視野を広げ、生きる範囲を拡大し、インターネットを上手く活用して、あらゆるすべての経験を包括して得るようにせよ。
素朴な発想から自らの世界を開拓し、それをひとつひとつ大きく拡大していけ。個人の自己意識の進歩と発展は、共同体感覚によって、対人関係の垣根を越えて、社会全体を築くような自由となる。そこにあるのは「あらゆるすべての社会を作るのは自分自身である」という確信である。
実際に存在するものだけでなく、可能性として存在するものについて捉えよ。
自分の内側に存在するものと、自分の外側に存在するものを比較せよ。外在的な自分を客観視するとともに、内在的な受動感情をコントロールせよ。
社会制度と心について、手段や方法だけでなく、目的を考えよ。カントのように、純粋理性における目的を正しく捉えた上で、「他人のことを手段として扱わず、目的として扱う」ようにせよ。
真実は世界には存在しない。真実は自分自身の生きた道にこそ存在する。あらゆるすべては道であり、道の途上にある。あるいは、自らの人生の道の中にあらゆるすべてがある。それだけを信じよ。
ライプニッツに反して、僕はすべてのものを個別性や同一性からは考えない。僕はすべてのものを「環境の一部」であると考える。すなわち、この世界において、完全に単独で存在しているものは存在しない。すべてのものが、ほかのものとの結合の中に存在している。だから、自らは社会の一部であり、世界の一部であり、地球の一部である。だから、言語的に見ても、「場合」と「部分」からしか、この世界を真の意味で把握することはできない。
歴史とは、そこに実在した意識である。すなわち、場と視点として、その空間に世界精神の意識が宿る。それこそが僕の神話の教えの中核であり、聖なる魂の世界精神においては、場に意識が宿る。
体得の段階として、原因と結果の法則性を知り、個別と共通の理由を知り、状態と存在の在り方を知り、社会や歴史的過程においてそれがどのように存在しているのかを知り、知識や経験と照らし合わせた上で、意識としてその対象と自分自身の自己意識が同一化することから分かろうとせよ。生み出すことができることは、変えられることであるとした上で、状態と環境の変化の仕方を知れ。それが僕の現象学だ。
地獄を堪えよ。
神は、正しいものには優しいが、間違ったものには厳しい。間違ったものは、そのような神による地獄を堪え続け、自らの罪を解決し続けなければならない。
自らの作り出した地獄について、それによって苦しめられるのも自分だが、それを解決できるのも自分であると悟れ。
そして、自ら作り出した地獄は、自らが解決しなければ、ほかの誰も解決してはくれないのだと知れ。
そのような中であっても、自分のやりたいことや、面白いと思ったことをやれ。自分がやることを他人に指図される必要はない。みんなにとって都合が悪くても、自分にとって都合がいいことのほうを優先せよ。そして、その上で、自らが面白そうだと思ったことを究めれば、それこそが自らの地獄における「救い」となるだろう。その救いこそが、神の用意した「運命のアイデンティティ」である。
あらゆるすべてのことを、文明的、歴史的、そして体系的に考えよ。学校の与える科学の構造ではなく、自分自身で作り築いた、自分だけのオリジナルの科学的構造を作れ。そのために、聖書を書け。
神々の神話を作れ。そこにあるひとりひとりの神々を、自らの分身とせよ。
すなわち、「量産型の自分」とBUMP OF CHICKENが言うように、自らと同じ存在を、それぞれの個性として分割して、その上でさまざまな登場人物の人生とせよ。
古代ギリシャの格言が言うように、「汝自らを知れ」という諺を体現せよ。自ら自身を知ることこそが、宇宙のすべてを知ることであるとせよ。それこそが、大銀河フォル・コンチェルトのすべてだ。
すべてのことを、言語的に考えよ。論理的な言葉だけではなく、想像力を使った詩や小説の文学の物語を作れ。あらゆるすべての言語をマスターした時、その人間は世界すべてのあらゆるものごとについてマスターしている。言語的なすべてのエキスパートこそが、あらゆるすべてにおける先生の先生、すなわち万能人となる。
まさにそれこそが、全知全能なる宇宙の絶対者である、創造主、あるいは神である。神はロゴスであり、言葉としてその人間に現れる。だから、神の姿を見ることはできないが、神と対話することはできる。
精神を治す真の方法、それは「統合」である。統合することで、二つに分かれて分離した精神が再びひとつになる。統合するだけで、治らない精神の異常はすべて必ず治る。
中国について、以下のようなニュース記事を読んだ。
「高市だけは許さん!」追い詰められた習近平が日本叩きに走る本当の理由…“ソ連化”する実体経済はボロボロ、共産党内部からも突き上げ(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース
僕が思うのは、中国人は、自国の将来を素晴らしいものにしようとか、あるいは人類の未来を明るいものにしようとか、そんな考え方は皆無なのだということ。
半導体とかAIとか宇宙開発といった、かっこよくて最先端の国であるかのように見えるものばかり過剰に投資して、国民の生活は考慮せず、ただただ独裁者の見栄だけが優先される。
不動産投資についても、GDPを大きく引き上げるために簡単で容易な発想だから行っているにすぎず、未完成のマンションが廃墟と化していたとしても、幹部から一般庶民まで、何も思わないのだろう。
中国なんかと付き合わないほうがいい。日本は人類の未来のことをきちんと考えている。それをどうこう言われる筋合いはない。