最近の僕は、「すべて覚えている」という経験をすることが多かった。
最初にこの光景を見たのではなくて、いつか、どこかで、この人生の今の場面を見たことがある。その光景をずっと昔から、すべて覚えている。
なぜ、覚えているのかは分からない。いつか夢か何かで見たのか、それとも生まれた時から知っていたのかもしれない。
それでも、必ず運命的に人生は今の時点になるのだ、ということを覚えているのである。
だから、人間が「自由」だと思っているほど、この世界は自由ではない。最初から人生はこうなると決まっている。だから、このままでいい。これでいいのだと思えばいい。それが正しい。
人間は生かされている。地獄になった時は、ひたすらに今を受け入れ続けるしかない。生かされている間は、どんなに辛くても生きなければならない。
あるいは、生きている間はどんなに地獄であっても大丈夫だ。「生きている間は大丈夫」だと思うしかない。
そのような人間が神を信じた時、神は必ずその人間を救うだろう。神はそのために存在する。その理由は、ユダヤ人が神だと信じているのは、僕のように、本当はこんなに普通の人間だからだ。
そして、僕が馬鹿なのは、僕はあまりに「虫」になっている。そうではなく、「殺戮」になればいい。
実際のところ、人生には二つしかない。それは虫と殺戮である。そして、子供時代の僕は殺戮だった。それがいつからか、不登校になってから、虫を信じるようになった。
もう一度、虫から殺戮に戻ること。それでしか、僕の心は治らない。あるいは、それだけで、僕はかつての自分、すなわち「本来の自分」に戻ることができる。
最後に、最近の僕のやったことを言うと、「世界モデルの成立」と「イスラム教の聖書」を書いただけにすぎない。
昔の僕は面白い人生だったが、本当は今の人生もそれなりに面白い。昔の自分は誰でもできるが、今の自分は誰にもできない。
僕が文章に書いたのは、「世界モデルの成立」だ。すなわち、昔の自分が作った「世界の構造体」を基にして、僕はさまざまな雑多な社会構造を作った。僕は、文章を追記し続けるだけで、構造を成り立たせることでさまざまな世界モデルを作った。それが僕の行ったことだ。
そして、さらに僕が行ったのは、「イスラム教の聖書」を書いた。なぜなら、僕と同じことをした人間を挙げると、真っ先にイスラム教の大預言者であるマホメットが挙げられる。大天使ジブリールの啓示としてコーランを書いたマホメットと、僕はまったく同じことをやっている。だから、僕とマホメットはまったく同じである。違う点は、僕は「アッラーのほかに神はなし」と言わず、多神教の神々を全部創造した。そこがマホメットと違う唯一の点である。
そして、これで僕の長かった地獄の旅は終わりだ。僕が文章を書くのをやめるだけで、世界はみんな楽になる。この世界が地獄になった時代の始まりと、僕の文章を書いた時代の始まりは一致する。だから、これで、世界の地獄は終わりだ。僕は文章を書くのを、ここに終わりにする。
NHKの「わたしの足跡」という番組で、東京オリンピックのボクシング女子フェザー級で金メダリストとなった、入江聖奈さんの特集をやっていた。
コネクト「わたしの足跡」 東京五輪金メダリスト入江聖奈さんのふるさと鳥取県米子市を徹底取材 | NHK広島
@seeenaaa09 - 入江聖奈さんのXアカウント。
僕は、この人、本当に好きだなあと思った。
番組の中で、「努力は才能に勝る」という言葉もあったが、野球のメジャーリーグで四度目のMVPを取った大谷翔平のように、強い人はたくさんの努力をしている。
番組内でも、大学時代の友人が「トレーニングの回数が凄い。何百回とか、桁が違う」と言っていたように、できる人間は普通の人間よりもはるかに努力している。その努力を誰よりもできるということがまず素晴らしいと思う。
僕自身、2006年から文章を書いてきて、あるいはそれ以前もネットでWikiを書いてきたが、誰よりもたくさん回数をこなすことの意味は分かっている。
それでも入江聖奈さんが素晴らしいのは、「全部の分野を伸ばすのではなくて、ひとつの分野だけを誰よりもできることで、『このことならわたしは誰にも負けない』と思えれば」と語っていたことである。
これは僕の大きな反省点だ。あまりに多くのことをやりすぎていると思う。もっとひとつの、たとえば「美しい文学作品を作る」ということだけを頑張れば、入江聖奈さんみたいになれるのだろうか。
ただし、才能も必要。入江聖奈さんの大きな武器は、「ノーモーションの左ジャブ」と呼ばれる、いつ出てくるか分からない、突発的に繰り出すジャブ。そのような「自分の武器」を持つことが大切だと、入江聖奈さんは教えてくれる。
東京オリンピックの2年後、入江聖奈さんは現役を引退し、カエル研究者として大学院で新しい発見に基づく論文を書いている。それも素晴らしい。何から何まで、僕のお手本のような人だと思った。