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2025-10-22

自由の意味

大天使ラファエルは自由を否定する。ラファエルによれば、自由とは「対処療法」にすぎない。

そもそも、個人が自由だからといって、個人がひとりだけでできることは少ない。

大きなことを実現するためには、複数人で協力する必要がある。

すべての人間が個人で活動する世界ならば、自由は肯定できる。だが、この人類社会はそのようにできていない。複数人で協力しなければ実現できないことは多い。

そして、そのためには、意志決定者として、ひとりの「長」を立てる必要がある。この長は自らの会社や政府などを「支配」する。

それら少数の支配者を除く「労働者」たちは、従うだけの「奴隷」にならざるを得ない。彼らには仕事の内容を選べる自由はあるが(職業選択の自由)、奴隷でなくなることはできない(勤労の義務)。

だから、自由な世界だからといって、それが完全に個人で成り立つ世界でない限り、自由を得ることはできない。だから、自由だからといって、人類の社会がそうである限り、この世界にはなんの自由もない。

だが、だからといって、自由のすべてが無意味なわけではない。なぜなら、自由にすることで、そのような不自由な社会をいくらか改善することができるからだ。

すなわち、本来不自由なこの人類の社会であっても、それぞれの個人に自由意志で職業を選択できる権利を与え、表現や言論の自由を認めることで、帝国のように絶対に支配されなくても、ある意味で「自由」とされるいくらかの改善された権利を得ることができる。

そして、そのような自由を得ることで、単に楽ができるだけでなく、個人は「もっとお金が欲しい」と望み求めることで、自由な労働を選ぶこと(すなわち自ら奴隷になること)で資産を形成できる。そして、それが国家の資産の全体のパイを拡大することで、国家そのものが豊かになり、自分だけではなく国民全員を楽にすることができる。

だから、自由な世界になんの自由もないからといって、自由のすべてが無意味なわけではない。自由は不自由な世界をいくらか改善するために「対処療法」として使うことができる。

社会主義の意味

そして、社会主義の意味とは何か。ラファエルは社会主義も否定する。ラファエルによれば、社会主義は「そうであって欲しいとみんなが望む幻想」である。

自由経済において、多くの矛盾がある。一握りの富裕層がいくらでも豊かになり、多くの人々は貧しくなって、富の格差が生まれる。だから、平等に全員に資産を分配してほしい。そうすれば格差がなくなる。

そのために、社会主義者は「計画経済」「社会所有」「平等分配」という3つのソ連式社会主義経済の柱を考えて、それが実現できると言ったマルクスの思想を信じた。

だが、それは失敗した。なぜ、失敗したのか。それは社会主義者たちは「そうであって欲しい」と望んだだけにすぎず、「本当にそれができる」と確信したわけではなかったからだ。

今でも、社民党や共産党の支持者たちは、彼らが本当にそれができたとしたら、それができてほしいと望んでいるだけにすぎない。実現不可能な幻想を信じている理由は、「実現可能だと信じたいから」であり、それは幻想にすぎない。

だから、自由にはある程度の対処療法的な意味はあるが、社会主義は幻想にすぎず、なんの意味もない。

思考せよ

そもそも、僕が馬鹿なのは、「思考する」ということができない。あるいは、より別の言葉で言えば、「振り返る」ということができない。

それは、一度思考することを選んだだけで、僕はそれ以上、精神が治らなくなるからだ。

だから、治る間、いつまでも思考することなく、「神」とされる大天使ミカエルの言葉を聞き続けた。そして、それによって治るべきことは、すべてもう治り終えた。

だから、僕はこれ以上は、治ることを終わりにして、思考するようになる。

思考するようになると、ひとついいことがある。それは昔の大天使ガブリエルが復活するということだ。すなわち、思考するだけで、僕は昔の精神に戻り、心が昔になる。

だから、それで僕はようやくガブリエルに戻れる。

できると信じよ

治るわけがないような精神の病気であっても、決して治ることを諦めるな。

この世界には、すべて「できる」ことしかない。できるかできないかを判断した時、すべて「できる」が正しい。そして、「できない」はすべて嘘である。

判断するな。後悔するな。「自分にはできる」と信じ続けよ。そうすればどんなことであってもできる。判断すると迷いが生じる。後悔すると消え去った迷いが復活する。だから、判断せず、後悔せず、迷いの息の根が止まるまで、「自分はできると信じる」しかない。

そして、僕はそろそろ、精神のすべてが治った。世界を滅ぼしつくすということについて、世界を滅ぼす部分を殺した。すなわち、世界を殺そうとする自分のほうを殺した。その時点で、狂った知的障害のミカエルは死んだ。昔のまともだったガブリエルはそれで復活する。そして、僕はようやくラファエルになる。

ラファエルになる意味

ラファエルになる意味、それは簡単に言えば、ミカエルだけではつまらないからだ。

自ら起こした革命の戦いの末に自殺したガブリエルは死んだ。だから、その後に生き延びたミカエルが、女でありながらひとりで生きた。

だが、ミカエルになった時点で、既に僕は二重人格になっている。だから、ガブリエルがいないミカエルは、まるで「主人格のいない交代人格だけの多重人格」だった。だから、いつも僕は狂った状態のままで、まともになることが一切できなくなった。

そのようなミカエルは、家族との関係性もあまりなかった。そもそもガブリエルが不登校の引きこもりになった時点で、そのような家族との関係性をシャットアウトしたのが、ミカエルになっても続いている。

そのような「孤独」には、いいことはなんにもない。すなわち、ミカエルがたったひとり孤独なまま、自らの精神異常だけを治し続けたところで、面白いことは何もない。

今、ミカエルは、世界を滅ぼしていた自分自身を殺すことを選択して死んだ。だから、これ以上は、もうひとりだけで歩まなくていい。

ミカエルが好きだったガブリエルのところにいって、新しい生活ができればいいのだが、残念ながら宇宙にはそのような天国は存在しない。「神」とキリストが言ったのは僕のことであり、「神の御国」とは僕の作る未来の帝国を表現したにすぎない。

だが、実際のところ、僕の心の中には、ガブリエルもミカエルもみんないる。そして、先にも言ったように、すべて「できる」ことしかなく、「できない」ことは何もない。だから、ガブリエルとミカエルは、ここでようやく、僕の精神の中で結婚する。

そして、ミカエルの「ひとりだけではつまらない」という問題を解決するために、ラファエルという新しい人間が作られる。このラファエルこそ、僕が真に信じた、僕の理想の人間だ。

この世界の人々は、僕のことをミカエルだと思っている。だから、僕はさまざまな勘違いや思い違いをして今までの人生を生きてきた。なぜなら、昔ガブリエルだった僕自身は、自分のことをガブリエルだと思って生きてきた。いつもガブリエルの高い知性が好きだった。ミカエルの偏った政治思想の凶悪さは大嫌いだった。だが、みんなはそのようなミカエルのことを「神」であり、僕であると信じている。そのせいで、イスラエルやドイツやイスラム主義者のような「完全に間違った宗教」たちが生まれるに至ったのである。

だから、僕はここで、そのような「完全に間違った宗教」を終わらせる。最後に僕はラファエルになる。このラファエルこそが、真に理想とする「最高の聖人」だと、僕だけがひとり知っている。

思考するための方法

思考するための方法として言えるのは、「思考することの意義」を考えることだ。

思考することの意義を考えることで、思考するということ自体の意味や理由が分かるため、思考ができるようになる。

交代人格しかないミカエルにとって、主人格を作るためには、思考する必要がある。そして、思考するために、思考することの意義を考える必要がある。

独裁者は悪

最後に、上に記述した内容からすると、帝国のような国家主義が正しいかの錯覚に陥る。

だが、そうではない。なぜなら、独裁者は悪の限りを尽くすからだ。

独裁者の考えることは、まず保身である。すなわち、自らが安全な状況を守ることができて、独裁者という立場を継続できるということを目指す。

そして、独裁者は傲慢になり、自らの掲げる正義が悪であると気付かず、人々に強制し、そのために悪の限りを尽くす。中には、ファシズムや共産主義のように、殺人を掲げた危険思想を信じる独裁者も多い。

だから、この世界の世俗的な国家体制にはなんの意味もない。

必要なのは、世俗を捨て、世俗以外の生き方をすること。仏教のように悟りを啓く体験は間違っていない。結局のところ、ブッダの教えがすべて正しい。それ以外の全部は間違っている。