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2025-10-18

神を信じよ

神を信じよ。

宇宙に君臨する、絶対的全能者である、「神」を信じることで、この世界のあらゆるすべての真理を知ることができる。

神の人生は正しい。神の通りに考えれば、どのような宇宙の謎であっても解き明かせる。

そして、神とひとつになることで、罪のすべてが消え去る。人間は常に罪人であり、神の助けなしには良いことは何もできない。だが、神を信じることで、すべての罪が救済される。

神、あるいは非存在的な意味における「魂」とひとつになる方法、それはロゴス的な意味で「自分自身を捨てること」、そして「何も望まず、何も求めないこと」である。これは、世俗的な成功を捨て、自らの人生を放棄しろというのではない。ロゴス的な意味において、「自分自身を捨てる」という言葉が意味するようなことを行えば、それだけで神とひとつになれるのである。

神を信じることでしか、あらゆる地獄は解決しない。そのためには、0か100かという思考をやめ、完璧主義を捨てるとともに、善良になることだ。すなわち、凶悪な人間がさらに悪を行って、悪人がさらに悪人になったとしても、それは決して成長ではない。それは堕落である。だが、自らの悪を捨て、善良なものだけを残した上で、イエス・キリストが言うように、「心の中の良い倉から良いものだけを出す」ということを行えば、悪人が善人に変わることができる。神は正しいものには優しいが、間違ったものには厳しい。そして、神の立場においては、悪人が心を改め、善人になることこそが「真の成長」である。

僕はここまで、ユダヤ教のような一神教を否定し、多神教を肯定する言説をしてきたが、それはもはや必要ない。これ以降、ユダヤの先人たちが口を揃えて言うように、僕は「宇宙における唯一ひとつの神」を信じる。そして、その神はイエス・キリストであると信じる。なぜなら、神であるとされる存在がもしいたとしたら、その父なる神の「息子」とされる存在が、確かにイエス・キリストだからである。

神を信じよ。神を信じるものは、神と同じ奇跡の力を手に入れることができる。能力も、才能も、良識も、すべて、神を信じることで与えられる。そのためには、悪を悔い改めて善になること、そして、自ら自身の作り上げた自分自身を捨てることだ。自分自身をいつまでも持ち続けようとするものは、新しい人生を生きることができない。今までの賢者の人生を捨て、世俗的な成功を捨て、自らの作り上げた過去の作品すら捨てることで、初めて人間は「神になる」ことができるのである。

哲学と歴史の勉強をする

最近、僕は、哲学と歴史の勉強をすることにした。

昔買った本である、「ドイツ古典哲学 (文庫クセジュ)」を、コペルニクスとケプラーの部分まで読んだ。

昔の僕は、哲学が大好きだった。これ以上、大学の勉強をしないのであれば、僕は哲学が好きだった時代に戻りたい。

昔の僕は、「過去の自分自身を思い出す」ということでしか、哲学の勉強ができなかった。

だが、今の僕は違う。さまざまな歴史的な常識を学んだ僕は、哲学以外のドイツ的な思想、たとえば神学やキリスト教神秘主義について、きちんと理解することができるようになった。

そもそも、僕の病気の原因は、「過去を思い出しすぎた」ということである。

あまりに、異常なほど過去を思い出したせいで、逆にそれ以外のことが思い出せなくなって、知性のような分かることが何も分からなくなった。

だから、一度、完全に昔を忘れる。それによって、この世界の「限界」が分かるようになる。

この世界のあらゆることを限界という考え方から理解すれば、過去の記憶がなくても、新しく「自分の思考で考えられる哲学者」になることができる。

哲学はやめたほうがいい

先ほどの本について、ヤコブ・ベーメのところまで読んだ。

残念ながら、哲学の本を読んでいて、哲学の勉強はやめたほうがいいのが分かった。

哲学を勉強していると、日本語が分からなくなる。すなわち、僕が日本語が分からなくなってしまったのは、すべて哲学が悪い。

そもそも、ヘーゲルの言う「精神」の哲学理論はすべて、カルト教団のようなことを言っている。ヘーゲル哲学の真理は、カルト教団の精神世界の真理と変わらない。

だから、僕はもう、哲学の勉強はしない。

そもそも、僕は、「考える」ということができなくなっている。考えるということができないせいで、大人としてまともに生きられなくなっている。

考えるための方法は、覚えることだ。もっと、特に日常のことや身の回りのことを覚えると、きちんと考えられるようになる。

そして、これからは勉強のためではなく、家族のため、特に親のために生きたいと思う。