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2025-10-15

昔の僕

昔の僕が賢かったのは、幼少期からの人生経験、特にコンピュータについて、新しいことを知ることで、今まで知っていたことを深く知る、ということをしていたことである。

たとえば、僕はファミコンを通じて大きくなった。幼少期には既に社会にテレビゲームがあり、ファミコンやスーパーファミコンについて、小学生ぐらいの頃には完全にやっていた。

ほかにも、Windows 95以降のOSで、たとえばペイントで迷路を描いたりしていたし、ワードやエクセルも使えたし、プラモデルのミニ四駆が大好きだった。また英会話、ピアノ、書道を習っていた。

その頃は、コンピュータは完全に「遊ぶため」にあった。子供時代友達が多かった僕は、ゲームを遊ぶためだけのために使っていた。

だが、中学校に入ると、今までの小学生時代の子供がクラスメイトの中にめっきり少なくなり、自身も引っ込み思案になって、僕はいじめられるようになった。

そのせいで、僕はネットゲームにはまり込むようになった。ネットゲームの中での友達と、僕は親密になっていった。同時に、強くなるために剣道部に入ったし、試験勉強と暗記が得意で、数学の試験などは勉強をほとんどしなくても、授業で理解しただけで高得点を取っていた。ほかの科目も教科書の単語を暗記することで、ほとんど80点台以上のオールAの成績だった。

その後も僕の転落人生は続く。ネットゲームが好きだった僕は、PerlとCGIについて学びたいと思い、学校の勉強が無意味に思えたため、中学校三年で不登校になった。だが、不登校になったからといって、そのせいでPerlやCGIが勉強できるわけもなく、Delphiで2ちゃんねる専用ブラウザをいくらか改造しただけで、それ以上は何もできなかった。

だが、その後も、コンピュータについての飽くなき好奇心は続き、引きこもりになって誰にも僕の人生を知られない中で、僕はWindowsの境界線を越えて、LinuxとUNIXの世界へと舞い込んでいった。

そのような中で、僕はGentoo Linuxに出会った。Gentoo Linuxのハンドブックを読んだことで、普通の大学生ならFreeBSDの管理をキャンパスですれば分かるようなことが、一通り分かった。そして、僕はその知識を元にWikiを書くようになった。

何を言いたいかというと、そのようなコンピュータの経験が、過去の経験を少しずつ深く広くしていったことで、僕は数学的な体得ができるようになったということだ。

まずはゲームから始まり、ネットゲームやインターネットを知り、Perl/CGIとDelphiでプログラミングの基礎を学び、Windowsのフリーソフトに詳しくなりながら、はてなのようなサービスやインターネットの掲示板で、エンジニアの常識のようなことを知った。そして、Linuxとオープンソースのハッカー文化を知ったことで、僕はコンピュータというものについて、誰よりも経験豊富になった。

そのようなやり方は、何もコンピュータだけのことではなかった。あらゆる人生経験について、僕はそのように、過去のことを塗り替えて深くしていくことで分かった。哲学や数学についても、単に学校で教わったり、教師だった父親や母親に教わるだけではなく、僕はどんどん新しいことを自分で思いついて、世界を知ることによって広く、深くしていった。科学のようなものを自分で作り、統合的な公理主義の数学を作り、あらゆるすべてを「環境の変化」から証明した。すべて、そのように昔は分かっていた。逆に言えば、そのような考え方をすれば、僕と同じことは誰でもできる。

実現性

僕はたまに「自由」というが、実際はそれは自由でもなんでもない。なぜなら、僕が信じていたものは「実現性」だからだ。

価値観の変転や独立性、環境の変化の可能性と証明、あるいはメタ的な社会や手段・機会といったものは、僕は「実現性」と呼ぶべきだった。それを「自由」と呼んだのが間違いである。

影響力についても、自由意志の尊重についても、僕は実現性を高めるということを誰よりも信じた上で、その実現性の向上と拡大において、どのようにそれを行うべきか、誰よりも知っていた。

あるいは、僕はそのような中で、この世界を救うことができる方法を、ひとり、唯一分かっていた。抑圧の中で世界が苦しんでいる中で、僕だけは世界を解決する方法が分かっていた。そして、それを僕と同じように考えれば、誰でも僕と同じ結論に行き着くと分かっていた。

そして、僕は「環境」という独自の世界観をしていた。この世界を、環境における外部と内部の働きかけであると捉えていた。すなわち、外部から内部への働きかけ、あるいは内部から外部への働きかけこそが、僕の考える「自由」であり、その自由に基づいて考えることで、この世界は変えられる、救うことができると僕は確信していたのだ。

ほかにもさまざまなことを考えたが、それぐらいが基本である。ほかには、僕は自らの信じていることだけを信じれば、どんなことでも分かるのだと分かっていた。だから、信じたくないことを一切信じることがなかった。それでも僕は、「手放して他力に任せる」ということを知っていたため、決して自分だけの力で世界を変えようとはせず、神の力を信じて、世界そのものの力に任せることで世界をよくしようとした。自動判断をストップさせたのも同じ理由だった。

また、僕は歴史を「意識と価値観の変転」であると考えていた。そして、世界のすべてを「時間軸の違い」であると捉えながら、学校という特殊な環境に囚われることのない、「本当のこの世界の真実の姿」を追い求めた。そこにあったのは「決まりを決め直す」という真理だ。すなわち、決まりは世界でもっとも高水準なものであり、それ以外を考える必要はない。

さらに言えば、僕は「社会的な知性」をつけることに成功した。客観視をしたり、過去の自分のいた環境に今の自分の視点を置いてみることで、社会を築くということを心理学的に考えた。そこにあったのは「いじめの拒絶」であり、いじめられる理由をあえていじめっ子の立場から、「どうしていじめたくなるのか」ということを考えた。ネットの中でそれを考えながら、同時に、僕は社会的な知性を身に着けた。すなわち、「正しい社会を築くために心理的にどのように行動し、考え、成熟すべきか」ということを僕は考えた。本当はそれだけの子供だった。

その子供は、対人関係とそこにある自由から、あらゆるすべての社会を築けるようになった。ネットの経験をすることで、自らがいた環境は特殊な環境だったと気付き、本来の社会とはどういうものかを知った。そして、価値観の転換と独立性と環境の変化の可能性について考えることで、あらゆる宇宙のすべてを「直観」によって悟った。そう、そのように僕は「基本的な知性」を身に着けた。

何度も言うように、僕にとって自由とは「アイデンティティ」だった。すなわち、不安だと感じるのは、アイデンティティが形成されていないからであり、アイデンティティを形成することで、どんな不安もなくなって、どんなこともへっちゃらになる。そして、その上で、自らの奥底に眠っている、自ら自身のアイデンティティを形成することに成功し、それを「自由」と呼んで発揮することで、どのようなことであっても実現できる。そのようなことを、僕は神による「世界精神」によって分かったのである。

後日注記:さらに言えば、僕は世界を「いつどのように自由なのか」ということから考えた。それは「権限」という考え方だった。そして、人生におけるあらゆる本質を「包括」であると考え、自動判断について、経験に基づく認識と心の働きを機械的に考えた。そしてネットの情報と経験と知識を活用し、世界モデルと発想法を作っていた。本当に、ロボットのような、しかしながら天才的な人間だった。

2025.10.16編集

昔のことは忘れたほうがいい

最後に、これ以上、昔のことは忘れたほうがいい。

僕が馬鹿なのは、僕はあまりに昔のことばかり分かっている。その昔のことは必要ない。昔のことを分かろうとすればするほど分からなくなる。

そして、人間は賢くなるよりも前の時代が賢い。賢い人間は賢くない。賢くない人間が賢いのであり、賢くなるよりも前の時代が賢い。デザインの作業所に入って、それが分かった。

これ以上は、昔のことを忘れるだけで、楽に生きられる。普通の賢い大人として生きられるようになる。もう昔は終わった。これ以上は、昔を忘れるべきだ。