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2025-10-12

佐々木朗希

もう終わりだと言っておいて申し訳ないのだが、佐々木朗希について良記事を見かけた。

ロバーツ監督「ロウキは自己流だったから」ドジャースの奇跡…佐々木朗希を復活させたのは、プロ経験なし“30歳の投手オタク”だった「ロッテ時代から動画を見ていた」(Number Web) - Yahoo!ニュース

佐々木朗希の球速復活の原因とは?「すべてを殺していた」サポートしたヒル氏が舞台裏明かす(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

へえ、そういうことだったのですね。

佐々木朗希の球速が戻って、ロブ・ヒルというトレーナーには感謝を申し上げます。わたしたちの佐々木朗希のフォームを修正してくれて、本当にありがとうございました。

朗希、よかったね。メジャーに行って大正解、ドジャースで大正解でした。

異常なままのほうがいい

最後に、本当のことを言うと、僕は異常なままのほうがいい。

異常なまま、疲れ知らずで精神がおかしな状態を維持し続けていると、それで逆に、どれだけ頑張っても疲れることのない、馬車馬のように働ける精神になる。

だから、僕の場合、治ったほうが辛くなる。精神が楽になると、それによって逆に辛くなるから、僕はもうこれ以上、精神を治そうとしないほうがいい。

そもそも、一度異常な状態を再現して、その状態を治すことを行うと、それが一番精神が治る。それは、できなかったことができるようになったからだ。それ以上は治らない。これ以上は何もすべきでない。

世界を滅ぼそうとすると哲学ができる

それから、哲学をやりたいなら、世界を滅ぼそうとすればいい。

世界を滅ぼすこと、それが「世界を救うこと」だと勘違いした昔の僕は、自己矛盾したナチ嫌いの左翼になりながら、哲学的な真理を完璧に全部自分の力で考えて分かった。

そのために必要なのは、唯一、「自由を否定する」ということだ。

そもそも、昔は自由を信じていたと思っているのは、本当はおかしい。昔は自由を疑っていただけだ。あらゆるすべての自由を疑った上で、「真の自由という名前の不自由」を信じていたのが昔の僕だ。

だから、自己矛盾せずに考えるのであれば、「自由を否定する」ということが、昔の僕が行っていたことだ。それを「自由」と勘違いしたせいで、最近の革命時代の僕は馬鹿になったのだ。

終わり

そういうわけで、僕はここで終わりである。

最近、普通に家事ができるようになったが、それに加えて、足が痛くなってきた。この足が痛くなってきたというのは、黄色信号のサインだ。もう、僕はこれ以上何もできなくなるかもしれない。

だが、あらゆるすべてのことができた人生だったから、僕は満足しているし、後悔もやり残したことも何もない。

天国では僕の飼っていた可愛い猫と、死んだ祖母が待っている。だから、僕の人生はここで終わりだ。あとは何もしなければいい。これ以上、したいこともすべきことも、何もない。これで終了だ。

僕は神を信じている。天国にいる神が、僕の未来を正しく導いてくれる。もう、悪の内容はすべて消え去った。善だけを残せばいい。そうすればいいことがある。