実を言うと、9月9日に父親が脳出血で倒れて、入院した。
なので、今まで父親にやってもらっていた分を、残りの家族でやって生きなければならなくなった。
そのために、さまざまなやるべきことがあり、ホームページを一時的に閉鎖したが、生活の目途が立ったと思ったので、ここにもう一度公開する。
次の更新がいつになるかは分からないし、もしかしたら消すことになるかもしれないが、一応ここに残す。
そのような中で分かったのは、「人格を鍛える」ということである。
すなわち、小学生が学校で勉強して賢くなるのは、人格を鍛えるということをやっているからであり、大人が算数をしても同じことはできない。
僕が歩き回ったり、脳がおかしくなったりするのは、人格を鍛えたいからだ。
過去の不登校時代の僕は、知性はあったが、インターネットのせいで著しく人格が馬鹿になっていた。そのせいで僕は、その後の地獄を作り出したのである。
人格を鍛えるということをすれば、このような僕であっても賢くなれるし、歩き回ったりする必要はなくなるということが最後に分かった。
人格を鍛えるための有効な方法、それは文章を書くことだ。すなわち、僕は不登校時代に、Linuxやオープンソースのせいで、賢くなった代わり人格が馬鹿になった。だから、その後の狂った執筆期間は間違っておらず、馬鹿になった人格を賢くしようと努力した結果だった。
このような中で僕が読んだ本が、田坂広志さんの「死は存在しない」だ。
宇宙の歴史のすべてが量子真空の中の「ゼロ・ポイント・フィールド」に記録されていて、過去や現在や未来の予測がそこからできる、神秘的な現象はそのせいで起きる、ということを書かれた本である。
この本を読んで、僕は今までの自分の人生に起こったことについて、「明確な説明」を与えられたような気がした。
「神と対話した」という僕の言葉の意味を、これまで深く説明できなかったが、この田坂広志さんの説明を読むと、なんだか、深く、説得力を持って理解できた。
最先端の量子力学の仮説を交えながら、科学と宗教の架け橋を作る田坂広志さんのことを深く尊敬するとともに、次の時代の作家として、僕が担うべき役割に気付かせてもらった。
過去と現在と未来は同時に存在している。物質は波動にすぎない。ゼロ・ポイント・フィールドには、永遠の宇宙全体の記憶が記録されている。未来は確率分布として存在し、過去を変えることもできる。
そして、最後に、僕は「死」というものが自分の経験から理解できた。死はまともな状態だ。すなわち、馬鹿な人間は生きているから馬鹿になっているのであり、死ねば普通のまともなことが分かる。それが分かったため、僕は父親がいなくなっても、まともに生きられるようになった。
父親からの引継ぎが上手くいった理由は、ひとえに神のおかげだ。神を信じたせいで、このような緊急事態もなんとか乗り越えられた。あとの人生を、ただ普通にまともに生きるために生きられればそれでいい。僕は多くは望まない。だから、これからも僕は生きていきます。