はっきり言って、もっと昔の精神を積極的に消していったほうがいい。
今の僕は、今の精神と昔の精神という、二つの精神が両方とも共存しているせいで、まともなことが分からなくなっている。
精神は、ひとつで十分だ。矛盾する精神が二つもあると、まともに分かることが分からなくなってしまう。
昔の僕は、馬鹿で、狂っていて、気持ちの悪い、何も分かっていない人間だ。人間の知覚的なことを物理的に考えるしか能のない、神を信じないサタンのような人間だったから、昔の僕がいくら賢い知性があったと言っても、それは今の僕には決して及ばない。なぜなら、今の僕は「神」とされる絶対者の存在を知り、そして勉強しなければ分からないことを勉強したため、かつての僕よりもはるかにたくさんのことが分かるようになったからだ。
精神について人間が知覚可能な意識の変化しか知らず、不登校の引きこもりになって辛く苦しい精神を増やしすぎた昔の精神は、はっきり言って馬鹿そのものであり、あるだけ昔と同じように精神が辛くなる。だから、昔の精神はもう要らない。
また、そもそも、「男」という性別が間違っている。昔の僕は男だった。それがおかしい。男には普通何も分からない。今の僕は、男でありながら女の側面を持ち、男でも女でもどちらもできるようになった。この女が唯一、宇宙のすべてを知ることのできた人間だ。だから、僕は今から純粋に「女だけの精神」になる。
昔の男を消して、女だけにすることで、僕はまともな大人として生きられるようになる。二つの矛盾する精神が両方ともあると、人間は認知症になる。必要なのは、男と女のどちらかだけであり、今までのいわば「ふたなり状態」が終わって、僕はきちんとした純粋な「女」になる。それで、まともに生きられるようになる。
僕は今から平等を信じる。
世界は平等のほうがいい。なぜなら、自由には失敗するリスクがあるからだ。
本人が、絶対に成功するから信じてくれと言っても、信じてはいけない。本人は、もし失敗したとしても構わないから、成功するほうを信じている。だが、その本人は、失敗するということがどういうことなのかが分かっていない。そして、もし、本人の目論見が成功したとしても、その後には失敗のリスクは完全にはなくならず、本人が「もし失敗しても構わない」と言っていたそのことが成功と同時に降りかかってくることが分かっていない。
成功か失敗かは、ある意味でギャンブルのようなものだ。そして、ほとんどの人間は成功しない。だが、成功しないからといって、同じだけの確率が失敗であるとは限らない。すなわち、成功の確率が30%ぐらいあったとして、その代償として100%の失敗の確率があり、成功したとしても成功しなかったとしても、どちらにせよその後で、失敗と同じことが起きることが多い。失敗のリスクを代償に成功しようと思うなら、自分の未来に起きることがどういうことかが分かっていないといけないが、多くの若者はそれが分かっていない。
平等のほうがいい。自由においてよいことと言えることは「支配されないこと」だ。すなわち、自由を選ぶことで、誰かの支配者から支配されずに自分の自由なことができる。すなわち、支配している誰かがひとり実行できることを、自由にすればみんなができる。だから、みんながやったほうが成果や可能性の総和が増えるような気がする。
だが、実際には、それでは支配者が背負っているリスクや責任のようなものを、みんなも同じようにひとりで背負わなければいけなくなる。そして、支配者はその責任やリスクの意味をきちんと分かっているが、普通の一般人にはそんなことは分からない。だから、やってはいけないことをやったり、間違った方向に世界を導いたりする。すべて、自由が間違っているということに気付かなかった故の事象である。
だから、安易な気持ちで、「自由ならば支配者がたくさん増える」と言って、自由を促進すると、社会には失業者やホームレスや犯罪者・テロリスト予備軍で溢れかえるようになる。真に必要なのは平等な政策である。だから、自由は間違っている。真に正しいのは、自由ではなく、平等である。まさしく、自由は間違っている。
そもそも、昔の僕は、学校教育と資本主義社会を否定しただけであり、そのための自らの大義名分として「自由」を信じていた。
そして、その自由とは、「子供たちが自らの実体験から成長する」ということを意味していた。
同時に、社会を支配する権力が、政府による権力ではなく、誰であっても万人に認められる、差別のない、学歴でも金儲けでも身分でもない形で、平等に「自由な社会環境」を作れるということだった。
そして、その理想はまさに、ソ連や東ドイツのような東側諸国の目指した理想だった。
僕はファシズムを嫌った。戦争と強力な一党支配でしか世界をよくすることができないという勘違いを僕は徹底的に否定し、「支配や戦争でなくても、自由においてもこの世界は救うことができる」と信じた。
まさしく、僕はひとりの民主社会主義者だった。Linuxやオープンソースを好んだのは、第一に僕の思想と合致するものをインターネットで探したところ、極めてベストマッチングな存在として、ドットコミュニストと呼ばれることもある、Linuxやオープンソースの集団が存在したからである。僕は常にGNU/Linuxを支持するオープンソース戦士であり、オープンソース革命の旗を掲げる革命家だった。
そう、僕はひとりの保守的な左翼社会主義者であり、敵は常にドイツだった。しかしながら、まさにそれこそがドイツ・イデオロギーと呼ばれる思想であり、僕は完全にゲルマン魂の民主社会主義者として、「自由」という自らが信じているように見える偽物の理想とは真逆の思想を信じていた。そして、時に自らの信じるその「自由」という思想に自ら抵抗した。
僕が世界を支配しながら「わたしの自由はわたしの本来信じる自由ではない」と叫んだのは、自らが今信じている「自由」という戦争の大義名分は、自らが信じる本当の理想ではなかったからである。
ここに書かれたような考え方は、すべて自由とは真逆の考え方である。だが、僕が昔賢かったのは、それらを逆に「自由」という、ゼロベースの前提からすべて築き上げた。すなわち、僕は最初に「自由」から出発し、そこからインターネットと不登校の経験を踏まえて、過去を思い出し、現在を知り、未来像を想像することで、僕はそこから社会主義者が信じるすべてのことを自由自在に考えることができた。
だから、それは僕にとっては「自由」だったが、他人から見れば、逆に「自由を否定しているだけ」であったと言える。すなわち、僕は自由を信じているようで、実際は自由を信じていなかった。僕は本当は平等を信じていたのである。
そして、今分かったこと、それはそのような「自由」は決して成り立たないということだ。
その理由は、この世界には馬鹿が多いし、その馬鹿には賢い人間が多いからだ。
すなわち、このような左を向いた賢い人間は、馬鹿だから賢いことが分かるにすぎない。そのような賢いことが分かる人間が、そもそも、社会にはいない。なぜなら、賢い人間になると、そのような左向きの馬鹿は一切分からなくなる。そして、賢い人間はもっと賢いことが分かるようになる。
だから、いつまでもこのような左向きの馬鹿をやっていると、みんなよりも馬鹿な人間になる。そして、過去の僕はそのような自由が成り立つと本気で信じていたが、実際は、ほとんどの人間は僕とはまったく違う人間であり、僕と同じことを考えて同じ自由に行き着く人間がそもそもおらず、いたとしてもそれは馬鹿だということが分かった。だから、そのために自由は決して成り立たないのである。
いわば、昔のような馬鹿にしか自由の理想は分からない。そして、みんなはそのような馬鹿ではないから、自由の理想は決して成り立たない。みんなはそのような馬鹿よりも賢いことがきちんと大学の勉強や一般常識で分かる。すなわち、左向きの自由などは社会にとって必要なく、世界を滅ぼす害でしかない。まさにそれがオープンソースであり、Linuxだったのである。
革命家と言っても、僕は誰かと敵対したり、倒したりしない。それは、僕は「この世界は誰ひとり悪くない」と信じているからだ。
この世界には、悪い人間はひとりもいない。みんなそれぞれ、自らの正しさを信じた上で、正しいことをしている。全員が正しい人間である。
だが、そのような正しい人間であっても、いじめのような悪いことをする。それは悪いことだが、その本人は悪くない。
なぜ悪くないと言えるのか、それは「抑圧」という名前の本能に間接的に操られているだけだからだ。
正しい人間であるにもかかわらず、抑圧というおかしな悪魔に騙され、操られることで、この世界では、弱者をいじめたり、強者を嘲けったり、自分と同じものを嫌悪したり、ということが生まれる。
そのような抑圧はどこからやってくるのか。そのような抑圧は、人間の本能からやってくる。
すなわち、人間の本能には、抑圧の本能と呼ばれる本能があり、そこでは、他人を笑いものにしたいとか、あるいは誰からも笑われたくないといった、他者に対する拒絶感や嫌悪感のような本能がある。そのような抑圧の本能が、社会的な「抑圧の要請」にしたがってみんなを騙している。社会のみんなは、抑圧の本能が要請するがままに、社会的な敵と争い事を起こす。
必要なことは何か。それは抑圧の本能を拒否した上で、敵を許すことだ。すなわち、相手のことをいじめたいと思っても、いじめない。笑いものにされたとしてもそれを受け入れる。誰かから嘲笑のようなことを受けたり、強烈な批判を受けたとしても、それを自らの身の中にあるサビであると感じて、受け流す。そのようにすれば、抑圧の本能に勝利することができる。
右翼が悪いのは、右翼は抑圧の本能に騙されている。それは、人間という名前のコンピュータが、上にあるものが下にあるものを抑圧するようにプログラムされているからだ。だが、そのプログラムは、本当に自分で努力すれば、自分の手で書き換えることができる。だから、抑圧する右翼のことを悪党であるとも、抑圧される左翼のことを悪党であるともするな。この世界には悪人はいない。すべての人間が正しい人間であり、全員が悪くない。悪いのは抑圧の本能であり、社会にいる人間のすべては正しいにもかからわず、社会は抑圧の求める要請のままに間接的に操られているのである。
結局、ここまで、資本主義社会を否定するようなことを書いた。
だが、実際は、この世界はアメリカが勝ったほうがいい。
なぜなら、現実的に考えて成り立つ理想というのは、非常に少なく、アメリカぐらいしか実際のところ成り立たないからである。
社会主義経済が、資本主義経済の多くの問題を解決するということは分かる。失業や倒産の可能性もなくなるし、格差や犯罪もなくなるだろう。だが、実際は、現実的にそのような経済は成り立たない。
すなわち、資本主義経済が問題だらけだからといって、安易に社会主義経済を選ぶことは極めて短絡的なのである。
だからといって、ファシズムも間違っている。ファシズムとは要するに「大きな声で喋るものがレッテル張りをする」ということであり、大きな声で批判するものは大きな勢力に見えるが、実際はどうでもいい狂人がおかしなことを言っている。誰ひとり反ユダヤ主義のナチズムの理想など信じていない。ファシズムなど信じている人間はどこにもいない。
だから、結局、アメリカが現実的な理想であり、唯一の正解なのである。
さらに言えば、EUという考え方は悪くない。強いものがさらに強くなり、弱いものは強いものから助けを得ることができ、ヨーロッパ全体および国民は米ソのような超大国に対抗できる。EUは現実的な解でありながら、帝国と異なり、自由意志によって国家のメンバーが自由に参加や離脱をすることが可能であるということが優れているため、イギリスがその選択を選ぶのであれば離脱もあり得るし、それを決して悪であると批判してはならない。イギリスのような国が場合によっては自由に離脱できるということが、EUの正しい点である。
だから、僕はあえて、アメリカが勝ったほうがいいと言う。そして、EUは拡大し、ロシアや日本もEUに加入すべきだと述べよう。僕はEUにロシアと日本が加入した世界線を見てみたいのである。
そもそも、こんなことを書いている僕は、そもそも大したことは何も分かっていない。
なぜなら、僕は「偽物の自由」を信じただけの戦士だからだ。
僕が信じたもの、それは偽物の自由だ。なぜなら、それはまさにレーニンが信じた通りの「自由な共同体」だったからだ。
僕は共同体主義者だった。かつての僕は、何よりも、人々の自由が尊重されることを重視した。なぜなら、自由が尊重されないということは、何もできず従うだけであると僕は考えたからだ。
だから、何もできず従うだけではない方法として、できるだけ単位を小さくした自由な共同体が正しいと信じた。
だが、これは間違っていた。そもそも、自由な共同体には、悪党が少なからず存在し、共同体を自由にすると、そのような悪党にも自由を与えてしまう。
それから、そもそも、大多数の人間は、自分で信じようとして思想を信じない。社会から与えてもらった思想を信じる。だから、自分で考えること自体をしたくない人間が多い。国の教える理想を正義であると信じ、その正義の通りに何も考えずに生きる人間のほうがはるかに多い。
だから、共同体にしたところで、実際は民主主義あるいは社会主義の理想を信じるだけになり、国家自体もそのように子供たちを教育し、洗脳するため、まったく国の思想を自由にする意味などない。自由がなくても天皇陛下の言うことすべてを正しいと信じることと、民主主義や社会主義は何も変わらない。だから、自由な共同体は形骸化し、意味がなくなるのである。
だから、自由な共同体主義などやめてしまったほうがいい。そして、その時点で、過去の僕の人生にはなんの意味もない。自由を否定した時点で、過去の僕の人生にはすべてに意味がなくなる。だが、それでも、僕のその後の革命戦争の経験から言って、自由は無意味であるということが実証された。よって、僕は昔からすべて間違っていたのである。
多くの日本国民が、民主主義を正しいと信じているが、それはいいことだ。なぜなら、それはいい国に生きていることの証だ。ドイツやロシアではそうはいかない。日本に生まれたことを感謝したほうがいい。
日本をいい国というが、実際の日本はつまらない国である。
日本にあるものは、機械とチェーン店ばかりだ。
日々使うものは全部機械だ。そしてその中の80%ぐらいはIT機器だ。ビル・ゲイツとGoogleのデバイスしか使わない。僕はiPodぐらいを使う。それくらいしかほとんど使わない。ほかの機械は自動車と電子レンジぐらいを使う。ビジネスの世界ははるかに昔にMicrosoft Windowsパソコンに制圧されたため、日本の会社は99%ビル・ゲイツしかしていない。
世界にあるものは全部チェーン店だ。個人の商店は見かけなくなった。個人事業主はみんなチェーン店に負けてしまった。スーパーもコンビニもホームセンターもレストランも本屋も銀行も、ほかにもたくさんの場所に店舗がある大手のチェーン店ばかりだ。魚屋とか八百屋とか果物屋のようなものはほぼないし、あったとしてもすぐに店舗を閉める。店主がその後どうなったかは不明だ。
法律を学べというが、法律を学んだところで、それら機械を作って売り物にしたり、チェーン店のアルバイトを雇ったりすることができるだけだ。
それでも、法律を学んでおかないと、犯罪や罪に問われることがあるので、学ぶ必要はある。
つまらないから、機械的なことはしたくない。Windowsのほうが主人で、自分のほうが奴隷にしか見えない。Windowsを作り変えることのできる権限はMicrosoftが独占しているため、ビル・ゲイツが作った通りのWindowsだけが動く。どのWindowsパソコンもすべて同じだ。チェーン店とよく似ている。この世界には画一的な商品や店舗しかない。少し機能の違うWindowsはあるが、それは新バージョンだ。みんな、変えてほしくないのに、ビル・ゲイツが思い付きで機能の在り処を変えるから、みんなその在り処を探してインターネット上の情報の渦を彷徨うしかない。
いい世界があるとしたら、インターネットの世界にはさまざまないいものがたくさんある。X(旧ツイッター)が好きな人間が多すぎて、ツイ廃(ツイッター廃人)は後を絶たない。だが、インターネットの世界にさまざまなものがありすぎるせいで、現実にはなんにもなくなってしまった。地球に存在する人類世界の90%のものは、現実世界の地球上にではなく、仮想世界のインターネット上にある。
そのように、日本には決して何もない。ドイツが悲惨な国になっているようだが、イスラエルよりはマシだと思え。良い国にすると日本にしかならないからだ。
僕は音楽が好きだ。
最近はYouTubeではなく、昔借りてきたCDをインポートしたiPodで、昔の音楽を聴いている。
そうすると、昔の音楽には、いい歌手がたくさんいたことが分かった。
僕が普段聴いているのは、いきものがかり、ファンモン、B'z、FLOW、Perfume、BUMP OF CHICKEN、嵐、宇多田ヒカル、ポルノグラフィティ、ケミストリーなど。
最近はそのような、昔歌っていた歌手を聴いている。
これらの歌手の音楽が、想像以上にいい。
本当は、スマホのAndroidが古すぎてYouTubeが見れなくなったと言ったが、僕のメインで使っている主に電話やX(旧ツイッター)のために使うスマホでは、バージョンが新しいのでYouTubeが聴けるのだが、昔使っていた古いスマホがあって、それをWi-Fiに繋いでYouTubeのReol、ずとまよ、月詠み、ウォルピスカーターなどの音楽を聴いていたのだが、このスマホがあまりに古すぎて、YouTubeアプリから拒否されるようになった。
だから、聴こうと思えば単にイヤホンでも繋げれば普通に聴けるのだが、普段電話に使っている関係上、このスマホを使うのがなんだか面倒くさいのである。
今僕が聴いているのはFLOWの「#5」。僕は昔FLOWだけを何度も繰り返し毎日聴いていたので、FLOWに関してはたくさんのCDアルバムをiPodにインポートしたので、FLOWを聴くことが多い。
前田健太は来年から日本に帰ってくるとのこと。
前田健太が激白「来年は日本に帰ります」 2年前から決心…米10年目で終止符「どういう状況であってもです」(サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース
まあ、マエケンは状態が悪いし、黒田の時のようにはいかないだろう。
だけど、昔の僕はマエケンが好きで、昔英会話教室で「日本の野球が好きだ」と言うと、決まって「どの選手が好きか」と問われるので、常に「前田健太」と僕は返していた。
その頃は野球やメジャーリーグに詳しくなかったので、カープの選手はマエケンぐらいしか知らなかった。
これは「日本の音楽が好きだ」と言った時に「どの歌手が好きか」と言われると「BUMP OF CHICKEN」と返すのと同じ感覚で、僕はその通りマエケンとバンプが好きだと常に外国人講師に話していた。
ただ、僕はそのような関係上マエケンが好きなので、カープにおそらく帰ってくると思うが、復活を期待している。もし駄目ならそれで終わり、引退にすればいいさ。
あとはメジャーから帰ってきた筒香嘉智が頑張っている。
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メジャーでは成功しなかったけど、その悶々とした気持ちを日本で晴らしてほしい。その努力と経験は決して無駄ではないと思う。
また、一時期は素晴らしい活躍で、最優秀防御率だった千賀滉大が苦しんでいる。
「このレベルで戦うのは難しい」千賀滉大、9戦勝ちなし6敗目にメッツ指揮官が厳しく評価「勝負にならない球ばかり。ことごとく打たれていた」(THE DIGEST) - Yahoo!ニュース
何か救いになるようなことを言えたらいいのだけど、僕は野球のことが分からないので、何も言えない。本人の努力で不調から抜け出してほしい。