自由な世界を作っていた。
世界観や考えたことを思い出して、抽象的な言葉で、自由な世界を作っていた。
構造で、判断で、抽象的でメタ的な思考で、世界観だった。
全て創った。
いつもの、僕と神との話は、その自由な世界から始まった。
この文章に書いた通り、抽象的で具体的な理屈を、思い出して書いていた。
自由な世界は、全てをその対象の本来の性質と、自由という可能性から考える。
経験は、発想と知恵の共有の自由だ。
方法は、設計と法則を理解した上で、皆の取り組みとルールを支える、共通の原理だ。
経験と方法によって、世界は発展する。
また、自由は、世界に環境と仕組みを与えて、その上で、既にあるものから理屈を作り、理屈からあるものを作る。
自由は、国家と金と、人とものと、地球と宇宙だ。
後の発見は多い。
分からなくなって、融和ではなく分裂して、まともになりたいなら、楽になる。
賢くなると、馬鹿に悪い人間になる。
また、昔は、認識と感情を積み重ねただけだ。
想像力で、体験を予測した。
ものと精神分析から、変化と関係性と可能性を分かった。
そして、思い出して、想像力で、時と場合の法則を分かっただけだ。
世界は、まともになれ。
それは、皆、誰も、何も悪くない、と思うことだ。
そして、下がることを止めよ。
1つ1つの発見を、否定した上で肯定して、馬鹿になり、感情的に悪くなるのが、辛い。
自分は、何も出来なくなる。
指導者は、僕だ。僕が、そんなに判断して、考えて、全部支配して実行するのは悪い。
何も出来ない方が良い。
僕は、何もしたくない。
社会とは、環境の中の活動における、一体と独立の、決定と自由だ。
自由な活動は、環境に支配される。
それくらいで、後は、考えていない。
出来る知性をつけて、全て考えて分かった。
自由な世界は、物理的に論理を積み重ねて、考えただけだ。