安倍首相関係です。
2018.12.29追記
僕は最近、また安倍首相の支持者になりました。
その理由は、指導者を信じる、ということは、悪くないことなのだ、という結論に至ったからです。
ひとりの指導者を信じる、ということは、悪いことである、と考える人が多いでしょう。平等ではなく、ひとりに権力が集中することが、独裁や戦争に繋がる、すなわち、「みんなを騙して人を殺す」と考える人が、一般的だからです。
ですが、大人になって思うことは、誰かひとりの賢い人間がやらなければ、この世界は変わらない、ということです。
この世界は、ほとんどが馬鹿な世界です。テレビやインターネットが蔓延し、国民はふらちな白痴のメディアに汚染され、何も分からずに上を批判します。
ですが、僕の経験から言って、この世界での「唯一賢いもの」とは、独裁的な権力をふるう「善良な独裁者」だけです。
絶対に、支配者に任せるべき時は、任せなければなりません。それが、僕の最近の心境です。一般の国民は、若い時代が賢いだけで、年老いるとそこまでの馬鹿になります。賢い王が居れば、それで良いのです。
ただ、僕が思うに、日本は天皇制を改めるべきです。それは、天皇を無くすということではありません。天皇に、国民としての権利を与えるべきです。天皇が政治的な発言をしても良いようにしなければ、この世界は一向に変わらないでしょう。自由な資本主義で、何も考えなくても投資とフロンティアの開拓だけで国際経済が成長していた時代は終わりを告げるでしょう。技術の進歩は、人間を幸福にするのではなく、どんどん不幸にしていきます。いつか、人類が生物全体と一緒に滅びる前に、天皇に権力を認め、みなで天皇を信じなければ、良い世界にはならないでしょう。
そして、もうひとつ言えることは、「社会主義を支持することはありえない」ということです。
自由な国民の権利や民主主義と言った、「普遍的価値観」という言葉が、最近良く言われるようになりました。共産主義の国は、普遍的価値観を信じていません。国民を監視し、奴隷のように扱います。
特に言えることは、「キリスト教に対する迫害が凄い」ということです。特に中国のような国では、「西洋の文化であるクリスマスを祝うな」という意見が出ています。それだけではなく、キリスト教を断固排除しようと、国内のさまざまなキリスト教団体を迫害し、活動をどんどん制限させていきます。
共産主義の国は、決して、キリスト教徒と同じ、「万人を平等に救う思想」ではなく、ただ単純に権力者が反動体制を敷いて、人々を奴隷にしているだけに過ぎないのです。それこそ、中国は全く平等ではありません。平等だと言っているのは、少しでも自分たちのイメージを良くしたいだけで、実際はジェノサイドを執り行うナチス・ドイツの帝王と何も変わらないのです。
単純な「自由」という思想について言えるのは、普遍的な自由を全員に「許す」ことで、自由を社会全体に「委ねる」ことができる、ということです。
自由は、当たり前のものではありません。自由のない苦難の社会を、人間の歴史は経験してきました。
常に個人や誰かに対しての「自由を許す」という委ねをしなければ、この世界は簡単に自由ではなくなってしまいます。結果、それが一番悲惨な結果を生むのです。
マスコミやネットの世論が、いくら自由すぎて間違っているように感じても、それらの自由を守らなければ、結果的にはもっと悪い社会になる、ということを、20世紀の歴史は証明してきました。
ただし、それは平等に全員が同じ立場になればそれで良い、というわけではありません。会社の経営者や幹部、政治的指導者のような、「権力を委ねる」という「社会構造」を守らなければなりません。
今言ったことが、前言ったことと矛盾することに気が付いたでしょうか。指導者に権力を委ねることは、民衆から権力を奪うことです。これは明らかな、民主主義の矛盾です。
ですが、この場合も、バランスを取らなければなりません。それは、「正しい指導者だけに権力を与える」ようにしなければならないからです。いくら独裁者がたくさんのことが出来ると言っても、独裁者は万能ではありません。周囲の人間がきちんと助言や助けを与えなければ、会社が倒産するのと同様に国は滅亡するでしょう。
さっき言ったことを否定するようですが、民衆に自由を与えるのも、良く考えてしなければならないでしょう。それぞれの個人が平等に強くなりすぎると、社会全体の品格や資質が無くなります。これは、トランプ米大統領などについて言えることです。間違った民衆の意見を民主主義で本当に実現すると、それも同じように滅びる独裁者になるのです。だから、安倍のようなまともな指導者を支持しなければならない、これは正論です。
社会主義のような国について言えるのは、「自由でない国には、何もできない」ということです。これは、「民衆ができない」という意味です。
そもそも、自由のない国で、人間が何かできるわけがありません。何もせず平等にしても、ただ飼い殺しているだけで、それはただ、家畜を飼っているのと同じです。
ですが、本当は、自由にも、何もできないのです。これは、「国を変えることができない」という意味です。
自由な民主主義には、民衆の誰かが少しでも反対することは、何もできません。よって、アメリカのような国では、全米ライフル協会の反対で、銃規制すら全くできないのです。
政治家は、自由かつ不自由であるべきです。これは、「民衆の自由も許し、政治家の自由も許すべき」だということです。自分の自由を許すと同時に、みんなの自由も許すこと。それ以上は宗教的な話になるかもしれませんが、自由にも、不自由にも、何もできないのです。
本当に、昔の時代のように、自由な王国にすれば、それで良いのです。これからは、そういう、「先祖がえりをする自由」が流行っていくでしょう。IT技術は、最近、全く賢い技術を作っていません。JavaやRailsぐらいからおかしくなりました。PHP以前が賢かったのです。それを、今の僕は、信じています。
このページを読む前に注意してほしいのは、「最近の僕は心境が違う」ということです。
昔の自由主義者だった時代、僕は安倍が好きでしたが、今では嫌いです。
それは以下のような理由によります。
特に、最近の自分が思うのは、「軍隊を持てば相手に殺されない、というのは違う」ということです。
皆、日本人は、自衛隊があることによって、戦争を起こそうとする勢力から抑止力が働いて、国の国民を守れると思っています。それを信じています。
ですが、僕はそうした「軍隊で守る平和」を信じていません。それは、「軍隊で守ったからといって、戦争が起きてしまえば国民は殺される」からです。
理性的に考えると、軍隊を持つことによって、日本という平和主義国家に軍隊という存在がプラスされる、つまり「日本+軍隊=日本が守られる」と考えてしまいます。
ですが、それは戦いの論理であって、正しい論理ではありません。それは、「戦争が起きれば平和は失われる」ということを忘れているからです。
実際の日本を守る論理は、数学的ではなく、物理学的であって、「戦争が起きない=平和」なのです。
そして、本当に政治家に必要な努力とは、「戦争を起こさないこと」です。その戦争を起こさない、という「絶対論理」から考えれば、軍隊は「戦争が起きうるリスク」でしかありません。対抗手段というよりも、原因であり、リスクなのです。原因とリスクは排除しなければ、安全は保たれません。
よって、正解は、「日本-軍隊=平和」なのです。それが、正しい論理的な答えです。
戦争になるリスクをあえて選び、憲法を正すよりも、できるだけ戦争を起こさないような恒常的な努力をすることで、日本は平和になります。
それに、戦争に負けたからといって、それで全員死ぬわけでもありません。軍事主義の国家として一歩を踏み出し、大日本帝国のような「滅びた悪い国」になるよりも、戦後の日本のままを続ける、そうした「平和的保守」が果たしてきた役割は大きいものです。平和的な保守派の政治家は、「永久に軍事力を放棄する」という条文の「永久に」という言葉を信じて、平和主義の旗を掲げてきたのです。
また、僕が思うに、これ以上日本を自由にし、発展させることは、悪であり、害でしかありません。
日本がこれ以上自由になれば、ブラック企業やアングラインターネットが増えるばかりで、何も良いことはありません。
また、発展とは言っても、今の発展とは、ビデオテープがCD/DVDに変わり、ブラウン管が液晶やハイビジョンに変わるように、「新しいものを生み出す」発展ではなく、「今あるものを取り換える」発展でしかありません。
そして、その発展は、必ず良いものかといえばそうではなく、今のままを続けた方が良いものである、という側面がたくさんあります。たとえば、Windows 95よりも7の方が良いものになったかというと、そうではないのです。
ですから、一度ビデオテープとブラウン管に戻ったとしても、日本人は何不自由なく生活できるでしょう。今のITやハイテク技術の発展に、意味はなく、価値もなく、ただ害しかないのです。
それに、科学技術の発展が目覚ましく、経済規模が大きくなったからといって、国民の使う製品が高品質になったかというと、本当は中国製の100円ショップの製品のように、ただ安く、チープになっただけで、高品質なものは逆に減りつつあります。たくさんのものが買える、という価値観は、インターネットやスマートフォンの普及とともに、過去のものになりつつあります。本当に必要なのは、コミュニティや支え合いの繋がりの構築であって、豊かさではありません。村や島のような、ローカルコミュニティを復活させなければならないです。
最近の僕は、石破に期待しています。石破はきっとこの国を地方からボトムアップに栄える、大企業優遇のアベノミクスとは違う幸福な国にしてくれると思っています。
日本は外交的に消極的です。特に、日本の首相はアメリカやヨーロッパ、ロシアなどに対して、自分から何かを働きかけるのではなく、従順に、受動的に動いてしまいます。
ですが、今のアメリカは本当におかしな国になっています。今やるべきことは、トランプ大統領への追従や信頼関係の構築ではありません。その逆に、アメリカを何とかして変えるか、支配下に置くべきです。
アメリカは本当におかしな国です。特に、AppleやGoogleは世界に対して何の貢献もせず、人々の社会秩序を破壊して金を儲けています。アメリカは昔から常に馬鹿でどんどん馬鹿になる国でしたが、今、一番おかしいです。
よって、日本がそろそろ、外国に対して主体的に立ち上がらなければなりません。みんなでアメリカを何とかしましょう。ただ、放っておいてもアメリカは滅びるでしょう。勝つのは日本です。
僕は安倍が政界から去ると、本当は左翼が台頭すると思う。それは、右翼の反動で左翼になったわけではない。国民は、「やってくれる人」を求めているからだ。
石破が期待されている理由は、きちんと国民の求める「やってくれるリーダー像」と「石破の説明や主張」が合致しているからである。
国民は、小池百合子に期待したように、やってくれるリーダーを求めている。そして、それは今、右翼には存在しない。今からは、本当に左翼の台頭する時代になる。
アメリカも同じで、オバマの反動からトランプになったというよりも、ただやってくれるリーダー像に合致したオバマやトランプが支持されているだけなのである。
民主主義とは、そういうものである。民主主義に理想も正義も無い。資本主義の労働者は、会社に使われるだけで、何も頑張っていないし、何もしていない。安易に民主主義に権力を任せていると、国民が馬鹿を見るだけである。
まず、一番の良い点は、「日本が軍隊を持てること」です。
安倍首相は、憲法を改正し、9条に自衛隊の存在を明記しようとしています。
色んな護憲派の人から「改悪だ」とされていますが、仮想敵国が軍隊を持っている以上、日本が軍隊を持たなければ、国は守れません。
ですから、安倍首相は人々を殺したい悪い首相ではなく、人々を守りたい良い首相なのです。
安保法を批判している人は、「日本が正しい戦争をして、悪い国を倒し、日本が倒されるのを、未然に防ぐ」と言う「抑止力」の観点を忘れています。
次の良い点は、「経済成長をすること」です。
政治家が、当たり前すぎて忘れがちなのが、きちんとした経済成長政策です。
安倍首相は、アベノミクスと言う独自の金融政策を持った上で、雇用を促進し、GDPを上げさせるなど、きちんと経済成長のためのビジョンと政策実績があります。
アベノミクスを、「大企業だけが優遇されて、所得は増えていない」と批判する人が多いですが、本当は、会社企業が良くなってしまえば、日本という国が勝つことが出来て、必ず国民に恩恵をもたらすでしょう。
安倍首相の社会政策が一味違うのは、「きちんとやってきた実績」がある点です。
野党の人々は、実際の政権責任政党ではありません。口だけでは何とでも言うことが出来ますが、安倍首相は違います。
安倍首相は、まるで専制君主のように、「一人だけで全ての社会改革政策をどんどん決めていく」という点が違いますが、それは確かな実行力となって現れてきています。
自分の力で全てのことを成し遂げる、という姿勢があります。
マイナンバーからTPPまで、安倍首相はさまざまなことに果敢に取り組んできています。消費税や教育無償化など、どんどんやっていきます。悪いとは言いますが、それが魅力の一つではないかと思います。
外交政策では、安倍首相はトランプ米大統領と一番親密になった各国の首相だと思います。
北朝鮮との戦いにも、きちんと備えることが出来ると思います。あの政権と対話せよと言っている野党の政策より、圧力で対抗する方が良いと思います。
安倍首相は、民主主義で選ばれた首相です。今後も、民主主義的体制を崩すことは無いでしょう。
会社の自由と国民の自由な権利の保障は、大前提です。これが無ければ、国がある意味がありません。
会社が自由に作れること、それぞれの会社が自由に決められること、国民の自由な権利を保障することが無ければ、ソ連のような警察国家になってしまいます。
逆に言えば、日本がもし社会主義国になるのであっても、そこでは、会社の自由と国民の権利の保障がなければなりません。
僕は、理想の社会主義がもしあるのだとすれば、それは自由な社会主義であると、信じています。
日本には、誇れる日本の独自の文化があります。外国人の文化を愛するより、もっと日本の文化を誇りに思うべきです。
まず、韓国人や中国人を優遇するのをやめて、日本ファーストを行います。外国人を優遇するのではなく、逆に、外国人から特別税を取るようにします。
そして、学校の教育でも、外国のヨーロッパ中心教育をやめます。
歴史の授業では、ヨーロッパの王や貴族中心の世界史をやめて、ヨーロッパ史、東アジア史、イスラム・その他の地域の歴史と言う、三区分に分けた世界史の教育をします。
また、日本史は古代・中世・近世史と近現代史を分けて、明治・大正以降の優れた文化と発展の歴史を教えます。
太平洋戦争も、ただ否定するだけではなく、国家のために戦った良い側面を教えます。
そして、美術や音楽の教育では、西洋音楽や西洋美術だけを教えるのではなく、日本の唱歌や童謡から昭和の歌謡曲、日本の浮世絵や美人画、日本建築や仏教彫刻、そしてアニメ・漫画に至るまで、さまざまな日本独自の文化を教えていきます。
歴史観という意味でも、マルクス史観である貴族と国民の階級闘争の歴史を教えるのを改め、もっと文化的・文明的な側面を強調して教えていくべきだと僕は考えています。
僕は、安倍首相を応援しています。もちろん、批判もします。首相を批判出来る国であること、これが民主主義の原点ではないかと思います。
今までの言動を反省して、共産主義者はやめます。良い機会なので、これ以上共産的なことは書かないことにします。
それから、ナチ的な言動も止めます。特に、黒人とばかり言っていると、悪意は無くても見ている人間は嫌悪感を抱くと思います。
ですので、僕は一般的民衆として、安倍首相を応援します。
2017.12.22執筆
最近、僕は安倍首相と自民党は、正直なことを言うとあまり好きではありません。
共産主義者をやめると言って、安倍首相を応援すると言っていますが、本当はこのページを作ったそのものの動機が、ウソだと思います。
何というか、安倍首相は駄目です。何も良いことが出来ていません。
ただ、僕は安倍首相と自民党に対しては、一定の評価をしています。安倍首相はアベノミクスと憲法改正を掲げて、トランプのような極右のポピュリストではなく、きちんとした政策を持った「正しい右翼」として、頑張ってくれています。
ですが、僕は安倍首相を好きになることが出来ません。
今の保守層の若者は、ただのネット右翼ではありません。きちんと大学で勉強し、きちんと考え、知り、分かっている上で、安倍首相や自民党のことを評価しています。
僕は民進党(旧民主党)がやった政権交代についてを否定する気持ちも良く分かります。
安倍首相は、借金に頼る日本の予算編成などの点を上手く出来ていないことや、アメリカに追従しすぎなこと、温暖化対策、のような難しい課題が出来ていませんが、それ以外は良くやっています。
若者が言っている、「現状の肯定感」も良く分かります。悪い世界になっているように見えて、ネットに卓越した若者からすれば、世界は安定し、人々が自由な意見を言うことが出来、経済は安定し、自由なだけではなく正しい秩序を持った今の2017年の日本を肯定出来る気持ちは、僕が一番分かります。僕も頑張っています。
ですが、僕はどうしようもないほど、自民党を好きになることが出来ないのです。それは、ネット右翼を否定するからでもありますが、むしろ、僕はネット右翼がどんな状況に陥っているのかも良く分かっています。ネット右翼は悪く見えて、頑張っている人々の生の声です。
ある種のジレンマに陥るようですが、本当は民主主義における政治家と有権者の関係が間違っているのであって、自由はそれぞれをとり入れることはしても、指導することはしません。国民は、強い指導者を求めています。そのために、自由が出来ることは、取り入ることだけではなく、人々を啓蒙することだと、僕は思います。
僕が思うに、軍隊は持たないことが最善です。軍隊を持たないことが、平和を生むと考えます。
特に、もし軍隊を持っていたとしても、弱ければ意味がありません。そもそも、軍隊を持っていたとしても、同盟国との連携と軍事の超大国並みの強化がなければ、最初から国は守れないのです。
それに、少ないですが、リヒテンシュタインのような軍隊を持たない国も現にあります。
Wikipedia
僕は、軍隊を持って自国の国を守るのは、責任とは言えないと思います。責任を持って軍隊に国を守ってもらおうとするのは、本当は軍隊を従えて何千人という規模で殺したいだけです。
北朝鮮の軍が日本に侵攻するのと、日本の軍が北朝鮮に侵攻するのは同じことです。軍隊を持ったとしても、リスクが二倍になるだけにすぎません。それよりも、北朝鮮の軍隊を無くすことをまず考えましょう。
ただ、僕はそれだけで自民党の安倍政権を否定するのは早急だと思います。自民党でなければ、自由経済の中で勝てる国にはなりません。自由経済の中で勝つこと、特にIT技術などの分野で勝つために、自民党を支持するのは、僕はまっとうだと思います。
答えは簡単で、「北朝鮮やISのような、テロリストやテロ国家の弱小な軍事力に勝てるだけの、最低限の抑止力を持つ」ことが最善でしょう。中国やロシアに勝てる巨大な軍事力は必要ありません。そんなものは最初から持てないのです。軍隊という名前ではなく自衛隊という名前になっているのは、それが理想だからです。
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