Linuxの著名人に関する世界観です。
ご存じ、われらがリーナス・トーバルズ。
さまざまな機能追加要求をされながらもかたくなにそれを拒み続けたMINIXのニューズグループに、「趣味で作りました」と言ってさっそうと現れた、フィンランド人の当時大学院生。
ターミナルエミュレータから開発をはじめ、MINIXから追加したコードだけでOSカーネルの機能を満たすようになったモノリシックカーネルLinuxをインターネット上に発表。
これが功を奏し、さまざまな人が開発に参加し、エリック・レイモンドの言う「バザール開発」となった。
リーナス・トーバルズは「優しい終身の独裁者」として知られ、一見優しそうなところがあるが、実際はひどい暴言を吐くこともたまにあり、またかたくなにC++を使うことを拒んだり、MINIXのアンドリュー・タネンバウム教授に「時代遅れだ」といわれながらもパフォーマンス上の理由からモノリシックカーネルの設計をやめないなど、頑固なところもあることで知られている。
Linux 歴史も参照のこと。
アンドリュー・モートンはLinuxカーネル開発者。名前の頭文字をとってAKPMとして知られる。
以前Linuxカーネルの独自パッチツリーである-mmカーネルツリーをメンテナンスしていたことから、なぜかメモリ管理に明るいかのように知られているが、実際はext3ファイルシステムのメンテナンスも行うなど大きくLinuxカーネルに関わる。-mmツリーは-nextツリーへと役割が引き継がれた。
アラン・コックスは「リーナスの右腕」として知られる人物。
Linuxカーネルの多くのバグを修正し、ネットワークサブシステムの多くを書き換えた。
アンドリュー・モートンと同様、-acツリーという独自のパッチツリーをメンテナンスしていたことがある。
Linuxカーネル(ソケット)も参照のこと。
グレッグ・クロー=ハートマンは、現在のLinuxカーネルの中心人物で、長期サポートされる-stableブランチをメンテナンスしている。
udevなどの開発で知られ、たまにネットの掲示板上に「自分はこんな風に開発しているよ」ということを言ってコミュニティの人々から尊敬されている。
Linuxデバイスファイルも参照のこと。
ジム・ホワイトハーストは、以前Red Hatのトップだった人物。
Red HatがIBMに買収された以後、IBMのプレジデントはホワイトハーストになっている。また、IBMのCEOはRed Hat買収を指揮したアービンド・クリシュナ氏となっており、これだけを見ると一部のネットユーザーが言うように「IBMがホワイトハーストに乗っ取られた」ような形に見える。
だが、IBMは大きくオープン化への舵を切ったと言える。そもそもIBMは買収した会社の社風を活かすのが苦手な会社であり、IBMの中でRed Hatがどれだけの存在価値を維持できるのかは難しいところである。
後日注記:残念ながら、ホワイトハーストはIBMのプレジデントを退任した模様。よりいっそう「何がやりたいのか」が良く分からなくなってきた。
Red Hatも参照のこと。
マーク・シャトルワースは、Ubuntuの母体企業であるCanonicalのトップ。南アフリカ人であることで知られ、Ubuntuは一時期「アフリカ発のLinuxディストリビューション」と言われたが、シャトルワース本人も白人であり、またユーザーも白人層に偏っているため、あまり「黒人のOSだ」と言う大きな意味はない。
実業家で、宇宙旅行をしたことがあることなどでも知られており、昔から「Ubuntuの道楽の元締め」であるかのように言われるが、UbuntuのベースとなったDebianと比べても開発や新技術採用のスピードが速いこと、またデスクトップ向けとして使いやすい重要なシステムやソフトウェアをいくつも開発していることなどから、あまりLinuxにとっての害にはなっていない。
Ubuntuも参照のこと。
ダニエル・ロビンズは、僕の一番好きなディストリビューションであるGentoo Linuxの作者。
Gentoo Linuxは、Linuxの初心者が上級者になるために必要なシステム管理のことが良く分かる良いディストリビューションである。
自分でPortageとemergeコマンドで導入するソフトウェアの「ソースファイルがひとつひとつコンパイルされていき、最終的にビルドされてシステムにファイルがインストールされ、そのファイルリストが出力されるまで」を自分の目で見ることができるし、インストーラを使わずCDから起動した端末で手動で導入・管理をするため、自らの設定した内容がなんであるかをきちんと把握することができる。
Gentooも参照のこと。
ミゲル・デ・イカザは、GNOMEやMonoなどのプロジェクトの創始者。
「UNIXをもう少しマシなものにしよう」という論文で、UNIXの再利用されることのないコード状況を反省した。CORBAを使った分散オブジェクトによるデスクトップ環境は、分散OSとしても革新的な一歩だった。CORBAを使う理由は、MicrosoftがWindowsでCOMを使っており、この「再利用性」に目を付けたため。
特にGUIアプリケーションの開発に明るいことで知られており、ミゲルが設立した会社XimianはメールクライアントEvolutionや表計算ソフトGnumericなど、「Windowsには存在するがLinuxには存在しないGUIアプリケーション」を数多く開発した。また、Microsoftの技術である.NETのLinuxでの環境とも言えるMonoを開発。
これだけを見ると「Windowsのパクリ」に見えるかもしれない。実際、GNOME 2までのGNOMEは「まんま(XP以前の)Windowsのパクリだ」といつも罵倒されてきた。しかしながら、GNOME 3からは大きく方向転換し、Windows風のインターフェースを改めて、ひとつのボタンにすべての機能を集約する「分かりやすいインターフェース」を採用した。
GNOMEの問題として、「パソコン上級者しか使わないLinuxで、初心者向けのデスクトップ環境を作る意味がどこにあるのか」とよく言われる。リーナス・トーバルズも、「ユーザーを馬鹿扱いするGNOMEの姿勢は根本的に誤っている」などと批判している。
ただし、GNOMEにはハッカー向けの特徴もあり、それがC言語以外の言語バインディングを多数用意していること。ハッカーは、C/C++でしか書けないプログラムを嫌う。望むなら、Perlでも、Pythonでも、Rubyでも、C#でも、JavaScriptでも、Rustでも、GNOMEアプリケーションを書くことができる。またGNOME専用の言語として、GLibのオブジェクト指向を活用した、Cにトランスコンパイルされる言語Valaなどすら用意されている。
リチャード・ストールマンは、GNUプロジェクトの創始者。
最強テキストエディタEmacsやフリーなC言語のコンパイラGCCといった、UNIXでも馴染みの深いソフトウェアを開発し、多くの人の協力を得て、パブリックドメインでなくなったUNIXのフリーソフトウェア100%のクローンを作ろうとした。
そして、それはLinuxカーネルが開発されたころ、ほとんど完成していた。コマンドやシステムユーティリティなど、UNIX上のC言語で開発されるユーザーランドの多くは完成していた。だが、カーネルだけが満足のいく状況まで開発されていなかった。ストールマンは、後に「マイクロカーネルのデバッグが予想以上に難しかったため」であると言っている。
リーナス・トーバルズは、GNUに欠けていたカーネルを、GNUが開発しようとしていたMach/Hurdによるマイクロカーネルではなく、時代遅れとされるモノリシックカーネルで実装。
また、GNUやその母体組織であるFSFは、GPLと呼ばれるコピーレフトなフリーソフトウェアライセンスを裁定していたが、Linuxカーネルは初期の商用利用を禁じたライセンスから変更してGPL v.2を採用。MINIXのコンポーネントはGNUのコンポーネントに置き換えられ、ここに「完全にフリーソフトウェアのみからなるOS」が誕生した。
しかしながら、以前よりLinuxにはGNUよりも「ビジネスの色合いが濃い」ことで知られ、ストールマン自身も「Linuxの雑誌などにはプロプライエタリなソフトウェアの広告でいっぱい」といった趣旨のことを言っている。DebianすらGNUには受け入れられず、現在も「真にフリーソフトウェアのみからなるLinuxディストリビューション」を開発しようとしており、Linuxカーネルからプロプライエタリなバイナリブロブを排除したLinux-libreなどを開発している。
GNUも参照のこと。
エリック・レイモンドは、「伽藍とバザール」という論文の著者。
Linuxカーネルの「乱交まがいにオープンにして、パッチをいくらでも取り込みまくる」というモデルを、「インターネットで繋がった片手間のプログラマたちによる奇跡」として、自分自身のソフトウェアであるfetchmailにこのモデルを適用して成功した事例を交えて述べた。
彼の論文は多くの人々の賞賛を呼び、彼は「オープンソース」というフリーソフトウェアに代わる新しい用語を作り、「オープンソースの定義」をOSIと呼ばれる組織を立ち上げて宣伝した。これが、ネットスケープブラウザがマイクロソフトのIEに敗北した時、ブラウザの存続を賭けてオープンソースのMozilla.orgプロジェクトを作り出したことへと繋がっていく。
オープンソースも参照のこと。
そのほか、Linux以外の分野に目を向けると、MINIXの作者アンドリュー・タネンバウム、TeXの作者ドナルド・クヌース、viやBSDの開発者ビル・ジョイ、OpenBSDの創始者テオ・デ・ラート、Perlの作者ラリー・ウォール、Pythonの作者グイド・ヴァンロッサム、Rubyの作者まつもとゆきひろ、Ruby on Railsの作者デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン(DHH)などが有名である。
特に、Rubyの作者まつもとゆきひろはMatzの愛称で知られるが、Railsの作者DHHのおかげでRubyという言語と一緒に世界的に有名になった。「オープンソース界を背負うことのできる唯一の日本人」として、世界の期待に応えるべくRubyの開発を頑張っていただきたい。
Linuxとオープンソース関係の著名な開発者。
リーナス・トーバルズ(Linus Benedict Torvalds, Linuxカーネル)
アンドリュー・モートン(Andrew Keith Paul Morton, Linuxカーネル)
アラン・コックス(Alan Cox, Linuxカーネル)
リチャード・ストールマン(Richard Matthew Stallman, GNU)
ミゲル・デ・イカザ(Miguel de Icaza, GNOME)
ナット・フリードマン(Nathaniel Dourif Friedman, GNOME)
イアン・マードック(Ian Ashley Murdock, Debian)
ダニエル・ロビンズ(Daniel Robbins, Gentoo)
マーク・シャトルワース(Mark Shuttleworth, Ubuntu)
ラリー・ウォール(Larry Wall, Perl)
グイド・ヴァンロッサム(Guido van Rossum, Python)
まつもと ゆきひろ(Ruby)
UNIXとコンピュータの著名な開発者。
ケン・トンプソン(Kenneth Lane Thompson, UNIX)
デニス・リッチー(Dennis MacAlistair Ritchie, UNIX)
ブライアン・カーニハン (Brian Wilson Kernighan, UNIX)
ビャーネ・ストラウストラップ(Bjarne Stroustrup, C++)
ビル・ジョイ(William Nelson Joy, vi)
スコット・マクネリ(Scott G. McNealy, Sun)
ジェームズ・ゴスリン(James Arthur Gosling, Java)
アラン・ケイ(Alan Curtis Kay, ダイナブック構想)
その他の著名人
ジミー・ウェールズ(Jimmy Donal "Jimbo" Wales, Wikipedia)
Linuxカーネル(開発)を参照のこと。
Linux 歴史を参照のこと。