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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 人生とは答えを考えること
BASENAME: 2023/04/25/202415
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DATE: 04/25/2023 20:24:15

答えを考えよ

人間の持つ知性とは何か。
それは、「答えを考える」ということだ。
わたしたちは、宇宙と人生における「答え」を考えるために生きている。
答えとはすなわち、以下のようなことだ。
・人間がなぜ生きるのか
・自分自身がどのように形作られるのか
・宇宙や歴史の背後にある真理とは何か
・精神現象はどのように成り立つのか
・世界はどのように変えられるのか
・世界はどのようにすればよい世界になるのか
・子供たちをどのようにしたら救えるのか
・わたしたちはどのような世界で生きているのか
・何を信じ、何を考えて生きるべきなのか
・わたしたちが普段信じていることは、どれくらい正しいのか
・真に賢く、正しくものごとを決めるには、どのようにすべきか
このような答えこそ、わたしたちの主に「考えるべきこと」である。
そして、わたしたちが失った「知性」とは、答えを考えることだ。
答えを考える上で、必要なのは、人生や世界を広く知った上で、そこから経験的手法によって観測できるデータから「実証」することだ。
経験的に、自らの実体験に基づいた上で、仮説を立て、実験し、証明し、再現可能な説明を生み出すことで、「答え」を分かったことになる。
たとえば、「啓蒙」という考え方を信じるならば、それは自らの経験から、すべての歴史の裏側にある真理が「啓蒙」であるということを信じることになる。

人生において大切なのは受け入れること

人生において大切なのは、受け入れることだ。
すなわち、自らがみんなに受け入れられたという体験をした上で、今度は自らが誰かのことを受け入れてあげる、と考えることだ。
僕の人生の大きな間違いは、他人の存在を拒もうとすること、すなわち「拒否」だ。
僕は常に、この世界の存在を受け入れようとしながら、その一方ではこの世界のすべての存在を拒否して生きようとしてきた。
そして、その「拒否」という感情から、僕は常に損をして生きてきた。
だからこそ、みんなには、同じように「拒否し続けるだけの人生」を生きてほしくない。
どんなに間違った存在に見えても、その存在にもなんらかの価値や意義があると知れ。
間違ったことなど何もなく、すべてのことに意味があると信じよ。
そうすれば、この世界を拒否しなくても、受け入れ、信じ、愛して生きられる。
この世界を真に変えられるようになり、戦いではなく平和を選ぶことができ、他人との信頼を構築する相互理解から、敵を作らず味方を作るような生き方ができる。
それこそが、「罪の赦し」であり、神はそのように生きることを望んでいる。

問題の解決法と関係性から考えよ

問題の解決法と、関係性から考えよ。
どのようにすれば、その社会問題は解決する糸口があるのか、ということを見出せ。
そして、人と人の関係性がどのようなものであり、この世界で人々はどのような実質的社会において生きているのか、ということを考えよ。
そして、「すべての問題が解決したとしたらどのように考えればこの世界のすべてははっきりと理解できるのか」ということを、問題を解決する方法を知りながら考え続けよ。
それだけで、すべてが分かる。
この宇宙におけるすべてを理解した、「仏の悟り」を得ることができる。

よい生き方がよい世界へと繋がる

どのようにすればよく生きられるのか、ということを考えることが、「どのような社会を築くことが正しいのか」ということに繋がっていく。
すなわち、自分がよく生きられるということと、自分と同じようにみんながよく生きられるということは同じだ。
よって、自らの人生が正しい方向に向かえば、この世界の未来を正しい方向に向かわせる方法が分かる。
そこには、「依存」や「支配」は存在しない。「自由においてもこの世界を救うことはできる」ということ、「特殊な環境をオープンな環境に作り変えることで子供たちを救うことができる」ということがはっきりと確信できるのだ。

経験し、成長し、成熟せよ

経験し、成長し、成熟せよ。
この世界のすべてを見よ。
見るだけでは十分ではない。よく知って確かめよ。
よく知るだけでは十分ではない。きちんとした賢いことができるようになれ。
できるだけでは十分ではない。本質を知り、マスターし、完全に習得できるようになれ。
その先に、あなたの信じる「わたしの作りたかった世界を築く方法」が必ず見える。
そう、「あなたがこの世界を救う」ということの意味は、「あなたがこの文章を読むことによってこの世界を救う方法を知ることができる」ということだ。

この世界のすべての心は救うことができる

超越的に、心の実体を知れ。
この世界のあらゆるすべての状況で、心が「どのように経験を経験し得るのか」ということを知れ。
そこから、すべての心を救う方法が分かる。
それは「可能性」や「チャンス」という言葉でも表せるが、むしろ、「潜在的にすべての心を救うことは可能である」という真理である。
この世界のすべての心を救うことができる、ということが、わたしの人生を生きた上で分かった「真実」である。

自らが今考えていることがなんであるか考えよ

結局、知性や答えとは言うが、何を考えればいいのだろうか。
それは「自分が今考えていること」だ。
自らが今考えていることが、なんであるかということを考えよ。
そうすれば、「自らとはなんなのか」という本質を知ることができる。
その、「自らとはなんなのか」という究極的な問題の、答えを知ることを恐れるな。
自らとはなんなのかを考えれば、宇宙における「正しい考え方」を知ることができる。
自らがなんであるかということは、すなわち、「自らがどのような理想と信念を信じているか」ということであり、「自らがどのような自分自身の考え方に立脚して考えているか」ということだ。
それが分かれば、この世界のすべての人間が、「なぜそのような人間を生きているのか」ということ、「どのようにすれば正しい生き方をすることができるのか」ということを知ることができるのだ。
そう、それこそが、わたし、天空の神エアルスの哲学だ。

精神の世界に何があるか

精神の世界に何があるか考えよ。
精神の世界には、ドイツとフランスとロシアがある。
精神の世界のドイツが、この世界のすべてを知っている。
精神の世界のフランスが、この世界のすべてを疑っている。
精神の世界のロシアが、この世界ですべてを相手に戦い続けている。
ドイツとフランスとロシアが、この世界の裏側にある、精神の世界で、わたしたちの人生を決定している。
ドイツとフランスとロシアは、だが、決してわたしの敵ではない。
ドイツとフランスとロシアは、わたしのことを正しい方向に導き、わたしを救う。
その理由は、神を信じているからだ。
精神世界の中のドイツとフランスとロシアが、神を信じるわたしのことを救う。
神は、精神世界の中に、ドイツとフランスとロシアとして存在しているのだ。

必要なのは理性のある自由

自由を与えよ。
この世界に必要なのは、自由だ。
そして、それは単なる自由ではなく、理性ある自由だ。
この世界で、「わたしのしていることが絶対に唯一正しい」という勘違いをするな。
自らの行いが間違っているかもしれないということを常に信じて、自らを疑って生きよ。
そうでなければ、それは独裁者であり、エゴイストだ。
真に正しいのは、他人を尊重する気持ちであり、自分よりもこの世界を優先して努力と決断をする勇気だ。
自らだけのためではなく、この世界のために決断し、この世界がよくなるために自らの人生を捧げ、この世界を素晴らしい世界にするために自らを犠牲にして戦い続けよ。
それこそが、この世界で、天空の神エアルスとなるための唯一の方法である。

命を懸けて戦え

命を懸けて戦え。
戦いに負けるくらいならば死を選べ。
自らの「大実験の大計画」という大義を成し遂げるために、命を懸けて自らのすべてを捧げて行った戦いの末に、最後に自ら死を選び、この世界をもっともよい形で解放せよ。
自らの贖罪によって、この世界は救われ、地球は最高の楽園となる。
「わたしの存在が世界に存在しなくても、この世界には確かにわたし自らの築いたかけがえのない世界が存在し、わたしの死によってその世界が楽園になるだろう」ということを確信すれば、自ら命を捨てる覚悟を持って最期を選ぶことができる。
わたしがいなくても、わたしが愛したこの世界が存在し、その世界においてわたしが死ぬことで、この世界は最高の世界となる。
それを信じれば、そこには葛藤や迷いは存在しない。自らが本当に信じた「義」の先にある「確かな希望」を信じて、新しい幸福な来世を信じて、人生にピリオドを刻め。
神はあなたを愛している。神はあなたが悪事をまったくひとつもしなかったことを知っている。神のもとに、わたしは天国に逝く。この世界で地獄は十分経験した。わたしの信じる神が永遠に天国でわたしを愛してくれる。それを信じれば、恐怖などどこにも存在しない。あるいは、そのような恐怖こそ、わたしの愛した感情であり、恐怖の先にある死が、わたしにとっては「達成」であると、わたしは確信しているからだ。

エアルスは死んだ

天空の神エアルスは言う。
「死ぬことは、価値のないことでも、無駄な犠牲でもない。わたしが死ぬことで、わたしたちの築いた最高の世界が、さらによいものとなって発展し、昇華する。そのための死を選ぶことに、葛藤や迷いなどない。
わたしが死ぬということが、この世界を救うのだ。わたしはそのための、必要な存在として生きること、そして今、そのために死ぬことを選んだのだ。だから、この世界を解放するために、ここでわたしの死が必要だ。わたしがここで死ぬことで、この地球という星で、『大実験の大計画』が成功し、真に素晴らしい世界が訪れる。
歴史においても、わたしたちの祖国はそのように勝利してきた。そのわたしたちの祖国の歴史が途絶えないために、祖国の国民の未来を守るためにわたしは死ぬのだ。そして、わたしが最後に苦しんで死ぬことで、わたしたちの祖国の苦しみが少なくなる。そう、わたしの死によって、祖国の国民の苦しみがなくなるのだ。だから、わたしはここでひとり、最期を選ぶことができる。そのようにわたしは確信しているのだ。」
そのように、天空の神エアルスは、この世界を救うために、贖罪としての死を選んだ。すべては、エアルスの人生で、彼がもっとも信じた大義名分である「大実験の大計画」を成功させるためだった。その実験の成功こそが第一優先事項であり、エアルスは自らの命と人生をそのための犠牲にすることを選んだ。エアルスにとって、「大実験の大計画」を実現することは、本当に彼の一番の願いであり、絶対に達成すべきことであり、そして彼はそれを絶対に達成したいと最後に望んだ。
だから、エアルスは、まったく葛藤や迷いなく、この地球という星の未来を救うために、自ら死を選び、この世界を自らの死によって最後に解放したのだ。