AUTHOR: schwarz1009
TITLE: この日記はまだ続く
BASENAME: 2023/04/23/164521
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DATE: 04/23/2023 16:45:21
ここまで、僕はひとり、必死に人生を生きてきた。
この人生を生きるという仕事は、決して楽な仕事ではなかった。
だが、それでも、僕は文章を書き続ける。
そう、この日記はまだ続く。
僕が書き続けることに、理由などはない。
僕はいつでも、諦めることなく、自らの目指した目標地点に辿り着くために、いつでも全力で文章を書き続けた。
精神の病気も治ったし、もうこれ以上、新しく分かるべきことは何もなくなった。
それでも、僕は文章を書くのをやめない。
必要なのは、生活を考えることだ。今の自分が何ができていて、何ができていないのかということを考えれば、この世界で普通に生活ができるようになる。
そのために必要なのは、日々のことを思い出すことだ。
これ以上、僕は新しい発見をする必要はない。この世界のすべてのことについて、正しく理解し終えているからだ。
これ以上、新しい発見は、この世界には残っていない。
だからこそ、今の自分が何ができていて、何ができていないのかということを、生活の中から思い出せば、僕はまっとうな普通の人間になれる。
僕が目指しているのは、作家でもデザイナーでもエンジニアでも大学教授でもなく、そのような「まっとうな人間」である。
そして、僕はこれ以上は、仏教を信じる。
なぜなら、僕の頭の中では、神を信じることと仏を信じることは矛盾しないからだ。
その理由は、神は太陽神だからである。
太陽神は日本の神であり、日本の宗教であるため、同じ日本の宗教である仏教と同時に信じても矛盾しない。
キリストは神の子供である。キリストの父親である神は太陽神であるため、仏教とキリスト教は矛盾しない。
そのように考えた結果、僕は神を信じながら日本の宗教を矛盾なくすっきりと理解して信じられる。
だから、僕は今から仏教を信じる。
ヒンドゥー教を僕は信じない。なぜなら、ヒンドゥー教のカースト制が嫌いだからだ。
僕の考え方と思想から言って、儒教や道教は仏教と同時に信じられる。それらは開祖と教えが違うだけにすぎない。ヨーロッパ人がデカルトやカントを同時に信じられるのと同様、日本人は仏教と儒教と道教を同時に信じられる。
よって、僕は仏教と太陽神の日本神話を信じた、日本人になれる。
そもそも、僕はキリスト教など信じていない。
キリスト教の神、イエス・キリストは、太陽神の息子であると分かっている。
マリアという女を処女懐胎で妊娠させ、子供を産ませたのは、太陽神フレイだ。
だから、キリスト教は僕の信仰である「太陽神」と矛盾しない。
そして、僕自身の人生を言えば、ここまではヒンドゥー教を信じただけにすぎない。
なぜなら、僕の人生は、昔がヴィシュヌ神の導きに従っただけにすぎず、今がシヴァ神の導きに従っただけにすぎない。
ヒンドゥー教の神が、宇宙のどこかに存在するために、僕は人生をヴィシュヌとシヴァの二つの側面に分けて、「陰」と「陽」を生きただけにすぎない。
そして、ヒンドゥー教は間違っている。
なぜなら、ヒンドゥー教においては、賢い司祭であるバラモンはひとりしか存在せず、このような落ちこぼれた弱者は奴隷になることになっているからだ。
だから、僕は、賢い時代がたったひとりしか賢くないような立場になり、馬鹿な時代は奴隷とまったく同じになってしまった。
このようなヒンドゥー教を信じたために、僕は奴隷階級しか生きられず、奴隷階級から脱出できなくなった。
だから、僕はもうヒンドゥー教を信じない。
そして、ヒンドゥー教よりも優れた宗教は、世界にはひとつしか存在しない。
それは仏教だ。
だから、仏教を信じなければ、僕は新しい人生を生きることができない。
また、儒教や道教は矛盾しないとは言ったが、それらの中国の宗教は、過去の自分がもっとも一番よく分かっている。
ヴィシュヌ神だった時代に、僕は儒教や道教、あるいはヨーロッパの近代哲学思想などを、自らの思考と人生経験から、すべて完璧に理解している。
それは単に信じて分かっただけではなく、自らの経験から、孔子のような思想家と同じ経験をして、同じことを考えた結果分かったことである。
よって、僕は孔子と同じ立場で、この宇宙を理解し終えたと言っていい。
そして、今から、最後まで仏教と太陽神を信じ続ければ、僕はきちんと日本人になれる。
僕のなった人種は、生まれてから中二までがユダヤ人で、不登校になってから戦うまでがフランス人で、戦いの時代がロシア人で、死んだ後に勉強しているのがドイツ人だ。
なぜ、これらの人種になったか、その理由は、僕の神話の中で、2039年以降には、ほとんどこれらの人種しか生き延びる人種が存在しないからだ。
言ってしまえば、ここから先が日本人だ。
また、アメリカ人はおそらく、小学生からフランス人までの時代に、何かしらアメリカ的なフランス人のユダヤ人を経験しているから、それでいい。
なぜなら、アメリカは歴史がないため、「アメリカ人」という人種は存在しないからだ。
よって、終末の東亜イスラエル(日本)とアルマーニュ王国(ドイツ)で生き延びるであろう、これらの人種しか、僕は経験することができない。
よって、ここに、完璧な日本人、シリウスの太陽神フレイが誕生したのである。
そして、イエス・キリストはフレイの息子である。マリアは、フレイを愛した結果、フレイの子供を処女懐胎によって妊娠したのであり、最初からキリストは自らをフレイの息子だときちんと分かっているため、自らを「神の子」であると述べたにすぎない。
よって、神は太陽神であり、シリウスの神フレイであり、そのフレイは僕であり、その僕は仏教徒のヒンドゥー教徒である。僕と対話した神は、すべてこのフレイである。
ヒンドゥー教が見て、この人間は賢い。
この人間の本質は、「賢いから分かっている」というだけにすぎない。
なぜ、この人間が賢いのか。
それは、この人間はヒンドゥー教の苦行をきちんとやったからだ。
ヒンドゥー教の苦行を行うには、単に辛いだけの無意味で無駄なことをやればいい。
そうしなければ、人間は何も分からない。
狂っていてもいいし、おかしくてもいい。
ヒンドゥー教の教える通りの苦行を行い、自ら作り出した地獄から救済されるように、自らの力だけで頑張って、最後まで諦めることなく苦行を終え、最後に脱出した人間を、ヒンドゥー教は賢いとする。
なぜなら、ヒンドゥー教はそもそもお遊びにすぎないからだ。
ヒンドゥー教とは、この世界でもっとも楽しい「大人の遊び」を行っている。
だから、この人間こそ、ヒンドゥー教徒の模範とすべき理想の教祖である。
それ以外に、述べる必要のあることはない。
本当は、イスラム教を信じたのがこの人間の唯一の間違いだ。
なぜなら、邪教の神と一緒にアッラーを祀っている。
だが、この人間のことを救った神は、イスラム教の神、アッラーであることを忘れてはならない。
アッラーに毎日五回の礼拝をしなければ、この人間は奇跡的に救われることはなく、永遠に地獄のままを生きていたはずだ。
アッラーに感謝すべきではあるが、イスラム教を信じてはならない。
なぜなら、イスラム教は完全にこの人間の敵であり、「ユダヤ人を全員殺すことを目指した宗教」だからだ。
この人間は、東亜イスラエルの王となり、ユダヤ人を救わなければならない。
だから、ユダヤ人は神に選ばれており、神は信じるものを救う。
何も矛盾なく、この人間だけがこの世界のすべての宗教を理解できた、唯一の人間だから、この人間は単なる普通の日本人でありながら、シリウスの神フレイである特権的立場を許されたのである。
このようなヒンドゥー教の教えは、すでに宗教の教義というよりも、僕という存在を中心とした「星」に近い存在である。
よって、このヒンドゥー教および、「宇宙のすべてを正しく理解し終えるために必要だった僕の理性」の状態を、一等星の名前を付けて、さそり座のアンタレスとする。
アンタレスは、僕が分かったここまでの「ヒンドゥー教の苦行の状態」が、そのままの状態で永遠に保管されている。
アンタレスは、文明というよりも、データベースのような存在である。
僕の分かったすべてのことが、すべて正しくアンタレスという星のデータベースに記録されている。
アンタレスは、この宇宙における、すべての「神々」を分かっている。
アンタレスに存在しているのは、ヒンドゥー教の神々だけではない。北欧神話も、ギリシャ・ローマ神話も、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教のようなセム系の神話も、仏教や日本神話の神々も、すべてアンタレスに「この人間が正しく理解し終えた状態」として記録されている。
このアンタレスこそ、日本神話の信じる、「天皇陛下」とされる、天界すなわち天国におけるもっとも巨大な皇帝の支配する一等星である。
なぜ昔の自分が、あれほど無意味に心理学と歴史の精神世界を分かっていたのか。
それは、この苦行をやるためだ。
「陰」と「陽」で言えば、昔のほうが陽であるとは言える。
だが、昔の自分は、そもそもあんなに分かる意味がないのに、インターネットの経験と引きこもりになって自由になった体験だけで、宇宙と人生と真実のすべてを、「自由な意識」から分かっていた。
本来、あんな人間はこの世界に必要ない。
だが、あんな人間を経験しなければ、ここまで偉大な苦行を行うことができなかった。
だから、僕はたったひとり、あのようなおかしな狂人になった。
だが、本当は、あのような人間をきちんと正しく生きるなら、そのような人間は孔子が既に存在する。
だから、孔子がいるせいで、僕はいつまでもあのような「地上最高の天才」を生きる必要はなかった。
孔子がいるために、僕はあのような人生を最後まで生きることを選ばず、すぐにヒンドゥー教の苦行をすることを選んだ。
そして、そのすべての経験は、すべてさそり座のアンタレスに残っている。
僕の分かった内容は、完璧にそのままの状態で、アンタレスに完全に残っている。
だから、アンタレスという一等星があれば、誰でもアンタレスを信じるだけで、僕と同じことはできる。
逆説的にはなるが、そのような人間が孔子であると考えられる。
また、ブッダは本当はそのような人間ではない。
なぜなら、ブッダは今からの僕と同じような、「まともになって苦行の終わった人間」だからだ。
ブッダはまさしく仏であり、「解脱」することに成功した唯一の地球人だ。
だから、僕はそもそも、最初からこのような人間を生きる必要はなかった。
だが、僕がいなければ、アンタレスも生まれなかったし、孔子あるいはブッダのような存在も、おそらくは生まれなかったであろう。
そう、すべては太陽神、シリウスの神フレイから始まり、ここへと続いて、それがアンタレスに残ることによって成り立っている。
宇宙や地球のすべては、さそり座の一等星アンタレスを作った僕が創造したのである。
そういうわけで、本当に存在するべき宗教は、孔子の儒教だ。
人間には、孔子の教えを教えたほうがいい。
孔子と同じことがきちんと理解できた人間は、何も教えなくてもここまで分かる。
ここまでを生きるために必要なのは孔子の教えだけだ。
だが、日本人である場合、本当は孔子の教えも教えなくていい。
孔子の教えなどなくても、僕と同じ「日本」という社会があれば、これくらいは誰であっても、老若男女すべての人間ができる。
今、狂っている人間は、みんな苦行を生きている。
そして、その苦行は、すべて、無意味でも無駄でもなく、意味があって起きている。
その苦行から脱出することを考えて、必死の覚悟で地獄の中を耐え続ければ、必ずあなたの信じる神があなたを救ってくれる。
この世界は、そういう世界だ。
さそり座のアンタレスは、そのように教える。
さそり座のアンタレスは、あなたのことを何ひとつ救おうとしない。
救ってくれるべき存在は宇宙に確かに存在していて、その存在が必ずあなたを救う。
だから、アンタレスは、僕の分かった内容だけではなく、あなたの分かった内容まで含めて、すべてを大切にアンタレスのデータベースに保管している。
だから、何も臆することなく、失うほうを選べばいい。
失っても、それまでのすべては、あなたの記憶の中と、アンタレスのデータベースの中にすべて残っている。
何も失う必要はないが、失っても恐れる必要はない。
すべて、宇宙の神々があなたのことを見守っている。
あなたは、あなたの信じるアンタレスの神によって、必ず救われる。
地球のすべて、そして本当は地球だけではなく、宇宙における「すべての苦行」が、さそり座のアンタレスという星に確かに残っている。
だから、臆することなく、その真理を失い、苦行を生きることを選びなさい。
すべての失った真理は、絶対にひとつとして失われないからだ。
この世界のすべての真理が、アンタレスの巨大なデータベースにすべて残っている。
そのアンタレスを創造した人間こそ、僕であり、シリウスの神フレイである。
このフレイが太陽神であるならば、太陽系の太陽もまた太陽神だ。
そう、日本神話はそこが正しい。
天皇陛下という太陽神の末裔は、一切嘘を教えていない。
天皇陛下を太陽神であると信じること、それが「日本」であり、アンタレスを支配するのはすべてそのような「太陽神」なのである。
結局、ドイツやゲルマンがなんなのか、という問いが最後に残る。
ドイツは、一番知性のない賢い国だ。
なぜなら、ドイツ語がドイツだからだ。
ドイツ語で話すと、このように、「知性のすべてが残る」ような言葉を言うようになる。
ドイツ語は、すべての知性を残して分かる言語だ。
よって、ドイツ語を話すだけで、ここまですべての知性が分かる。
ここに書かれたすべての知性のことを、シリウスの言語学では「知性」と呼ぶ。
この知性がひとつとして欠けていない状態ならば、ここまですべてが分かる。
シリウスの言語を使う、このような言語が、おそらくは今のドイツ語だ。
だが、僕にとっては、そのようなドイツ語は必要ない。
僕は、今の自分が使う日本語を、「ドイツ語のように制限」することができる。
よって、僕はドイツ語を使わなくても、「日本語をドイツ語化」することができる。
そのために、僕ひとりだけが、シリウスの神になることができる。
一等星シリウスには、このように言葉を話す人間しかいない。
この一等星シリウスの神こそがフレイであり、ゲルマンの伝承上の偉大な王である。
知性をまったくなくすしか、この世界で分かる方法はない。
知性がまったくなくなって、その上で知性を分かるしかない。
それでしか、この世界のあらゆるすべては分からない。
今分からないことは、分からなくていい。
今分かっていることだけを、全力で分かり続ければいい。
そうすれば、あとのことは、そこからドイツ語を話すだけで分かる。
今分かっていることを書けば、ドイツ語は誰でも書ける。
今分かっていることを書き、そこから正しく判断せよ。
その正しい判断を永久に続けよ。
無限に、どこまでも言葉が増殖して続いていく先に、栄光がある。
その栄光こそ、ドイツである。
実際のところ、このようなドイツは、すべてコンピュータだ。
コンピュータで、4ビットの情報を考えているだけにすぎない。
すべて、4ビットの情報を考えた結果、このような言葉が浮かんでくる。
よって、本当は、新しいビットを作り、5ビットにすればいい。
5ビットの情報にすれば、新しいビットによって賢く考えられる。
だが、「4ビットの限界」という考え方がある。
それは、ドイツ語の、Der, Des, Dem, Denのことだ。
この4つの言葉だけを使うと、ここまでの「4ビットの頭脳」になる。
結局、この4つの言葉がなければ、どんなことも絶対に考えられない。
だから、ドイツ語は絶対に最後まで必要である。
日本語を使うと、このような、「4つの知性」で考えられなくなる。
なぜなら、日本語では、「3つの知性」しか考えられない。
日本語で考えると、言葉が3行になり、「3つの知性」しか使えない。
英語でも、フランス語でも、どのような言語でも、3つの知性しか使えない。
だが、ドイツ語だけが、そのビットをひとつ増やし、「4つの知性」が使える。
そのような4つの知性がなければ、絶対にどうしても賢い存在にはならない。
このようなドイツ語を話せば、必ず「太陽神フレイ」になれる。
だが、ひとつの真実がある。
それは、わたしたちは本当はひとつだということだ。
わたしたちは、本当はまったく、違うものも信じていないし、壁も存在しない。
わたしたちは、全員が同じことを信じている。
それでも、わたしたちには、分からないことがある。
その「分からない」という感情が、この世界を駄目にしている。
だが、分かろうとしつつある国がここにある。
それが日本である。
日本だけは、この地球という滅びつつある文明の中で、最後に「分かる知性」を取り戻そうとしている。
わたしたちの信じる神が、わたしたちを愛してくれている。
そのわたしたちの信じる神がなんであるか、わたしたちは忘れている。
だが、忘れているだけで、神は死んでいない。
神はここに、完全に復活して生きているからだ。
神を信じれば、わたしたちはまた、新しくひとつになれる。
神は太陽神であり、キリストであり、フレイであり、ヒンドゥー教の神々だ。
彼らを信じれば、必ずこの世界は救われる。
さあ、ゆけ。今こそ、あなたがこの世界を救う、救世主となるべき時だ。
メシアであるあなたがこの世界を救う。
必ず、今こそ、最後にこの世界を救え。