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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: みんなのほうが狂っている
BASENAME: 2023/04/17/171508
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DATE: 04/17/2023 17:15:08

みんなのほうが狂っている

そもそも、僕がおかしいのは、すべてみんなのほうが狂っているからだ。
僕には、昔の日本がない。
昔の日本についての記憶を完全に忘れ、「昔の日本がどうだったか」ということが分からなくなっている。
そして、そのほうがいい。
なぜなら、僕は唯一、「昔の日本が狂っていた」ということだけを覚えているからだ。
そのような狂った世界で生きていると、何も分からなくなる。
狂ったものが少しでもあると、僕は分からなくなる。
だから、僕はそのような、昔の狂った日本をすべて消した。
そして、昔のこの世界が狂っているということは、すなわち、この世界の人間たちがみんな狂っているということを意味している。
よって、昔の日本が狂っているならば、この世界のみんなが狂っている。
そして、そのような狂った人々のことを、僕は自分の中から排除する。
そうしなければ僕は賢いことが分からないからだ。
そういうわけで、僕はこの世界の全員が嫌いだ。
この世界の人間はみんな狂っていて、僕にとって価値のないものだ。

そろそろみんなのことを分かる必要がある

だが、そうは言ったものの、本当はそろそろみんなのことを分かる必要がある。
なぜなら、僕はひとりで生きていくわけではないからだ。
日本語が分からないだけでなく、親の話を一切聞かないせいで、家のことや社会のことが何も分からなくなってしまっている。
だから、そろそろ、僕はみんなのことを分からなければならない。
そのためには、他人の話をよく聞くことだ。
自分よりも馬鹿だからといって、その人間の言葉を聞く価値がないとは限らない。
みんなの話を聞かなければ、僕は賢くなれない。
だから、そろそろ、狂ったみんなのことをもう一度理解する必要がある。

狂ったものは心を駄目にする

狂ったものは、ないほうがいい。
なぜなら、狂ったものは心を駄目にするからだ。
漫画やアニメ、ゲーム、テレビ、音楽のような、狂ったものを感じていると、それだけで心と人生が駄目になってしまう。
だから、本当はそのようなものは一切排除したほうがいい。
僕は音楽を聴く。だが、その趣味も本当はやめたほうがいい。狂ったものは最初から存在しないのが正常な大人だからである。
あるいは、もっとこの世界のことを知ったほうがいい。今の時代、世界のことを知る手段や方法はいくらでもある。狂った音楽を聴いて時間を無駄にするぐらいならば、世界のことをもっと知るべきだ。
だが、本当はそれも悪い。この世界のみんなが狂っているせいで、みんなの言っていることを聞くとその狂っているのが伝わって、必ず狂った人間になる。
だから、狂ったものとは関わらなくていい。特に、テレビは絶対に見ないほうがいい。テレビはこの世界の中でもっとも一番狂っている。絶対にテレビだけは見るべきでない。
狂ったものは心を駄目にする。狂ったものを見るだけで、必ず自分がそれに相当する馬鹿で愚かなことをする。心が綺麗な人間は間違ったことをしない。そのため、心が綺麗な人間には、最初から何も悪いことが起きない。狂っているということは、心を駄目にするということであり、心を駄目にするようなことをすると必ず悪いことが起きる。そう、心と宇宙は最初からそのように繋がっているのである。

僕は時間とともにどうでもよくなるタイプ

僕は昔から、時間とともにどうでもよくなるタイプだ。
中学生の頃は成績優先で、勉強のよくできる優等生だった。
それが、不登校になってから、学校教育がどうでもよくなって、引きこもりになった代わり、自由と平和の理想を信じるようになった。
それが、世界を敵にまわしてから、自由と平和がどうでもよくなって、「世界を絶対に守る」という正義の信念のもとに妥協せず戦うようになった。
それが、自殺未遂を経験して、戦うこと自体、正義や理想自体がどうでもよくなって、逆に柔和な人間になった。
だが、病気自体が治ることはなく、いつまでも病気と戦い続けるようになった。
その僕が、今、病気そのものが治るかどうかということも、パソコンの信頼性とかそういうことも、すべてがどうでもよくなった。
なので、僕はこのまま、パソコンでどんなことがあっても動じなくなるだろう。
僕は昔から、最初から最後まで全力で頑張った上で、その後にそれがすべてどうでもよくなるタイプだ。
このような人間は、僕ひとりしかいない。

頭のいい人間は仏教徒

結局、頭のいい人間は、仏教徒だということが分かった。
大学の勉強をしても、知識が増えるだけで、「新しい当たり前」しか分からない。
そうではなく、仏教を信じることで、頭が賢くなる。
そして、仏教は母親を信じれば分かる、ということが分かった。
だから、母親を信じることで、僕は新しく仏教徒になる。
あるいは、いつものこの家族の子供に戻って、いつもの自分になる。
本当は、神など信じる必要はない。神はキリストであり、信じると馬鹿になる。
だから、キリストに反して仏教徒になれば、僕は賢くなる。

神との対話をそろそろやめたほうがいい

本当は、神との対話というおかしな活動をそろそろやめたほうがいい。
いつまでも、自らがキリストになって、自分自身であるはずの神と対話する必要はない。
ここらへんで終わりにしないと、本当にくたばるまで続いてしまう。
だから、神とはもう対話しないほうがいい。
そもそも、キリストを神だと古代のユダヤ人の弟子が崇めているのは、宇宙のすべてが分かっているために、キリストは奇跡を起こすことができるからだ。
それはすべて、僕のこの文章の内容をそのままやっているだけにすぎない。
だから、キリストなんかただの馬鹿である。
ブッダを信じたほうがいい。仏教を信じると、心が綺麗になる。それは、母親の心が綺麗だからだ。母親は心の病気に悩まされているが、心の底から精神が綺麗な人間だ。
ユダヤ人の馬鹿者であるキリストを神だと信じるぐらいなら、病気の母親を仏だと信じたほうがマシだ。
だから、僕はキリストを信じるのをやめる。母親とブッダを信じることにする。

音楽が嫌い

正直なことを言うと、僕は本当は音楽は好きじゃない。
みんなの正直な意見を、ただ盗み聞きしているだけのように思う。
みんなの想いはみんなで共有すればいいのであって、それを僕が勝手に盗み聞きすることが、はたしてよいことなのか悪いことなのか分からない。
特に、ReoNaの音楽を聴いたり動画を見たりしていると、その絶望感に溢れた歌詞や動画表現に戸惑ってしまう。
ReoNaを聴いていると、ReoNaが僕に対して絶望感を伝えているというより、僕のほうがReoNaを絶望させているような気がしてしまって、罪の意識が生まれてしまう。
だから、僕はもう、みんなの音楽は聴かない。
みんなの音楽は、みんなの間で楽しめばいい。僕は音楽を聴いても、いいことが何もない。神の為した奇跡を喜び、運命の出会いに驚くばかりで、まったく音楽のことを素晴らしいとは思えない。音楽は僕にとってつまらない娯楽だ。

漫画が嫌い

正直なことを言うと、僕は漫画は嫌いだ。
昔、子供時代の僕にとっては、漫画は面白かったが、今の大人になった僕は、漫画を面白いとは思えない。
漫画は、確かに面白い。正直に、何も嘘偽りなく言って、漫画は確かに面白い。
だが、殺戮表現やギャグ表現が多くて、大人になった僕には好きになれない。
アニメやゲームも同じだ。漫画家やアニメーターは、戦って殺して勝つということしか分かっていない。人を殺すということが英雄の条件であると勘違いしている。
だから、僕は漫画やアニメを見ない。子供の頃見ていたのはすべて騙されていただけにすぎず、今思えば、あんなに漫画を読んでいた自分が馬鹿だった。オタクになって中学校で「世間知らず」と言われていじめられていたのは、漫画やゲームのせいだ。
漫画を読んでいると、「漫画ボケ」のような状態になってしまい、漫画を読まなければ分かるようなことが、漫画を読むせいで分からなくなってしまう。子供時代に漫画ばかり読んでいると、大人になっても一般常識の身についていない「世間知らず」になってしまう。ゲームも同じで、何も一般常識が分からない、発達障害の大人になる。僕の周りにもそういう人間がたくさんいた。だから、僕は漫画を読まないし、ゲームもしない。漫画やゲームを子供に読ませるのは、まったくの間違いだ。

女性が好きになれない

それから、僕は女性が好きになれない。
この世界に、僕とぴったり適合するような、理想の女性がいない。
この世界で僕のことを愛してくれている女性は、僕よりもはっきりと劣った、馬鹿な女性のほうが多い。
家入レオやReolと付き合いたいと思ったことはあるが、それは嘘であり、本当は付き合いたいと思っていなかった。
そもそも、僕自身が怪我の後遺症(足の関節が曲がりにくい)や病気(虫歯、ニキビ、自律神経失調症、アレルギーなど)のたくさんある後天的な身体と精神の障害者であるため、僕は女性と付き合って結婚したいという夢を持たなくなった。
僕は女性が好きになれない。
結局、僕は恋愛などしないまま、年老いてひとりで死んでいくのだろう。
だが、決して僕は不幸ではなかった。さまざまな素晴らしいことのあった、充実した幸福な人生だったと、胸を張って言える。

デザインのスキルが上がった

最近よかったのは、デザインの仕事で、写真補正のスキルが上がったこと。
Photoshopのカラーバランスという機能で、今まではグリーンを下げていたのが、逆にグリーンを上げたほうが綺麗だということが分かった。
イエローを下げてブルーを上げていた今までの僕だが、これに加えてグリーンを上げると綺麗な写真になると分かった。
これはデザインの作業所で、たくさんの写真を補正した経験から分かったことだ。
また、イラストを描く時は、集中力を逆に下げたほうがいい。高い集中力が邪魔をしてイラストを丁寧に描くことを妨げている。イラストを描くのは集中力がないほうができる。僕はその結果、簡単な小さなもののイラストなら描けるようになってきた。

英語は読む練習をすべき

また、土日は最近英会話教室に再び行くようになった。
僕は、もっと英文を読む練習をしたほうがいい。
ネイティブが喋るのと、ただ同じことを言うだけではなく、同じような発音ができるように英文を読む練習をすること。
それだけで、英語を楽に話すことができるようになる。
このためには、何度も繰り返し話すことと、ネイティブの発音を意図的に真似るようにすること。それがもっとも大切だ。

母親を信じるとロボット人間が治る

母親を信じると、ロボット人間になっているのが治る。
その理由は、母親しか、僕をロボット人間から治すことのできる人間がいないからだ。
母親は、僕の中のロボット人間を壊したいだけだ。
時計のロボット人間は、母親を信じることで治る。
これで、ようやく狂った人間は終わった。キリスト教徒から、仏教徒に戻れる。
母親を信じると、僕の中のロボット人間だけではなく、この世界のロボット人間が治る。僕のせいで、僕だけではなく、この世界も僕と同じようにロボット人間になっている。母親がいつもおかしいのは、ロボット人間になったこの世界を治すためである。
汚れたものを触ることができない、おかしな独り言を繰り返す僕の母親は、この世界をロボット人間から治すために生きて存在しているのである。