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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 相対的に考えれば知性がつく
BASENAME: 2023/04/16/175900
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DATE: 04/16/2023 17:59:00

知性をつけるためには相対的に考えること

知性をつけるためには、相対的に考えることだ。
すべてのことを、「現象」と「発生」から考えよ。
その上で、原理となる原因や法則の解明、作るための目的と方法と手段、そして集団と個人の関わり合いから考えればいい。
そのように考えれば、数学的な知性がついて、頭は賢くなる。

勝ったものからいなくなるトーナメント

普通のトーナメントは、負けたものから退場していき、勝ったものが残って、最終的にひとりだけになるように勝ち進んでいく。
スポーツや将棋のようなゲームのトーナメントは、負けたものから退場していく。
だが、この現実世界は違う。
なぜなら、この現実世界は、逆に、「勝ったものから退場していく」からだ。
なんらかの手段と方法で勝ったものが退場し、負け続けているものが残るのが、この現実世界だ。
だから、すぐに勝つ必要はない。なんらかの手段と方法で、いつか勝てばいい。
最後のひとりに残るのは悪くない。なぜなら、その最後に残ったひとりこそが、人類の「神」だからである。

フレイは昆虫のような生き物

はっきり言って、フレイは遅れた生物だ。
幼虫時代と成虫時代のある、まるで、昆虫のような生物だった。
僕はそのような、昆虫のような生物になっているから、人間的な日本語という言語の知性がなくなり、分からなくなっている。
だから、今からは、昆虫のような生物であるフレイをやめて、人間的な、猫のような生物になろうと思う。

昨日の夜の夢

昨日の夜の夢は、悲しい夢だった。
僕の猫(飼い猫だったが、猫の個人情報保護のため名前は出さない)が、僕と一緒に寝ている。
だが、感触があるのに、その姿が見えない。
一緒に寝ているはずなのにその姿が見えないから、僕は猫の姿を探してしまった。
姿が見えないのに感触があるせいで、「おかしなものと寝ているのではないか」と僕は疑った。
だが、放っておくと、猫の姿が出てきて、姿を見ることができた。
そこで、一緒に寝ていると、また姿が見えなくなった。
だが、僕はそこで、猫の姿が見えない理由が分かった。
それは、僕の猫は2016年に死んでいたからである。
そう、死んだはずの猫が、僕のところに現れて、遊びに来てくれたのである。
僕はさまざまな苦しいことがあったために、この猫とのお別れをきちんとした形でできなかった。
猫を墓に入れてやったものの、なんとなく猫が死んだ実感がなかった。
だが、この猫の夢を見た結果、今までの猫との思い出が蘇り、僕は夢が覚めてから大泣きをしてしまった。
このように、死者の世界から、夢の中に猫が遊びに来てくれた。
そう、これは天国という死後の世界はあって、そこで猫が待っていてくれるという証明になっている。
僕が死んだ時は、再び猫に会えることを楽しみにしている。

まともに愛した存在が猫しかなかった

この夢で分かったことは、僕は猫なら愛せるということだ。
僕に恋人がいなかった理由や、恋愛をしなかった理由は、女性が嫌いなわけではない。
単に、青春時代にいなかったから、そのような経験がなかっただけである。
青春時代、不登校の引きこもりだった僕は、まともに愛した存在が猫しかいなかった。
ほかの存在はなかった。なかったのだから仕方ない。青春時代になかったから、そんなものは未来永劫なくなってしまったのだ。
だから、僕の理性を正常にしてくれるような存在は猫しかなかった。
そのことを分かっている神が、僕に猫を思い出すように促したのである。

リスクと対処策を覚えよ

もう、完全に終わったかのように見える僕の人生だが、まだ終わらない。
その理由は、相対的に考えれば、まだ考えられるからだ。
相対的に考えるとは、「かもしれない」という可能性を考えることだ。
そして、それは、リスクと対処策だ。
人間は、人生において、リスクと対処策を覚えることから分かる。
数学の問題を解く必要は必ずしもない。
必要なのは、リスクと対処策を覚えることにほかならない。
そして、リスクと対処策を覚えれば、さらに先に進むことができる。
最後に到達する地点がどこなのかは分かっている。
なぜなら、それはブッダが「仏の悟り」と呼んだ境地だからだ。
だから、そのような道を、すなわち「菩薩道」を生きるために人生はある。
それこそが、「本当の愛」を知るための、本当の学校の卒業だ。

親が死んだ時がリスク

そういうわけで、僕がリスクについて考えた結果、考えられる最大のリスクは、「親が死んだ時」だと思う。
まず、親が死んで一番困るのは、僕は車の運転ができない。
なので、買い物に行ったり、職場に行ったりすることが不便になる。
職場では送迎が出るので、朝きちんと目覚ましで起きて、弁当を入れて、朝食を食べて歯磨きをすれば、なんとか職場には行ける。
問題は、職場以外の場所に行くことである。
趣味の市民農園、ピアノ教室、英会話教室、その他もろもろの場所(放送大学などスクール系)には、簡単には行けなくなる。
また、買い物が問題だ。まず、食べ物を買ってこないといけないが、母親が病気である関係から、すべての食べ物が食べられるわけではない。また、食べ物以外にも、洗剤、歯磨き粉とブラシ、衣服、家具なども必要だし、壊れたものを買って来たくても、簡単にホームセンターに行くことができない。
それから、食べ物を自分で作るのが問題だ。僕は料理のスキルがない。コンビニ飯で済ませると金がかかるし、糖尿病のような病気にもなりやすい。どうにかして、料理ができるようになったほうがいい。健康的である程度美味しい料理を作りたい。
ほかには、ゴミ出しが問題だ。ゴミの分別をしたことがないため、プラスチック関連のゴミや資源ゴミなどの分類が難しい。実際にゴミを出したことがない。
ほかには、いろいろと、障害者の免許証や健康保険証などの確認、保険の確認、銀行の口座の確認、あるいはハンコの確認などをしておいたほうがいい。お金が必要だったり、お金を払わないといけなかったりする。役所の手続きができないと銀行の申請ができない。役所や税務署にはどのようにすれば行けるか考えておいたほうがいい。
そんな感じかな。風呂を入れたり洗濯をしたりすることはできるようになった。洗濯物は乾燥機にかければ干す必要はない。掃除は普段からあまりしていないが、まあ、雑多な家事はなんとかなるだろう。
貯金がないわけではないが、お金に困った時が大変だ。あるいは、僕も恋愛をして結婚する可能性がある。その時に仕事やお金をどうするか考えておいたほうがいい。大学に行く可能性もないとは言えない。放送大学を卒業したいなら、それなりにお金は必要となる。仕事の見つけ方や働き方について僕は何も知らない。学歴はなくても、資格を取る可能性もなくはない。そのためには、自分ひとりで教師なしに勉強するための方法を知っておくことが必要だ。
何よりも、約束事をきちんと守らないといけない。放送大学やさまざまなスクールから来る手紙にはきちんと目を通すようにすること。一度、お金を払い忘れた時に、放送大学を除名されかけたことがあった。そのような失敗から学んで、手紙には目を通すこと。また、電話は適当にかかってくるし、郵便や配達も来るし、訪問者が来ることもある。今の僕はそれらに対してきちんと対処しているとは言えない。また、法律も守ること。法律を守らずに生きていると刑罰を受けたり莫大な支払いを強要されたりするリスクがある。自分の生活に関係する法律はきちんと知っておこう。税金の申告や補助金の申請ができないと、損をするのは自分だ。
それから、支出管理をきちんとすること。光熱費、すなわち電気・ガス・水道にかかる代金、それからインターネットやスマホの通信代金など。あるいは、父親が使っているネットサービスがなんであるかぐらいは知っておいたほうがいい。僕の家が普段何に対してどれくらいのお金を払っているのかを僕は知らない。そこらへんを、親が死ぬまでに確認しておこうと思う。
あとは、医療関係だ。僕の通っている病院に行って、診察を受けて薬をもらうためにどうすればいいか。また、歯が悪くなった時に歯医者に行く方法も考えておいたほうがいい。僕は足に後遺症があるため、専用の靴を履かなければならない。今のところ専用の靴は父親に作ってもらっているが、自分でも作れるようになっておいたほうがいい。
それから、パソコン関係にも問題はある。まず、パソコンが壊れた時に、新しいパソコンを買って設定することができるかどうか。それから、インターネットサービスで、父親が使っていたサービスを、父親が死んだ時にどうするか。ISPやモバイル関係の契約の確認。それくらいは分かっておかないといけない。
僕は結婚していないので、子供の養育や教育については今のところ考えていないが、いつまでも女性のことを好きにならないとは限らない。女性が好きになった時にどうするか。どのようにアタックして、どのように女性を手に入れるか。そんなことも考えておかないといけないかもしれない。子供ができたら、子供にどのような人間に育ってほしいのか。そこらへんは妄想だ。
それから、気候について。冬の寒い時は、ストーブのために石油を買ってくる。夏はクーラーやエアコンをつける。それらにも金や手間がかかる。きちんと着れる服が十分に用意できるか。自分に合うサイズの夏服と冬服が、きちんと用意できて、きちんと購入できるようであること。それから、雑多な品物を買う場所のことを考えておこう。なんでもコンビニとスーパーだけで買えるわけではない。百円ショップやドラッグストアが近くにあることは大きい。また、衣替えについて。布団やこたつをきちんと季節に応じて変えること。足の悪い僕にとっては簡単な仕事ではない。
あとは、毎日のルーティンから考えれば分かる。職場に持っていく弁当を作るために、それなりの食べ物を買ってくる。夕食は作るかあるものを買ってくる。トイレや風呂も綺麗に掃除して、食器の水洗いもきちんとする。服を着替える。朝食もきちんとトーストを焼いてジャムをつける。そういう、毎日何をやっているか、きちんと親のやっていることを思い出して考えないといけない。
もちろん、職場に行ってデザインの仕事をすることは重要だ。いつまでも今の仕事が続くとは限らない。別の仕事になる可能性やリスクも考えなければ生きられない。
あとは、娯楽や趣味。今のところ、僕は歌手のライブにも行っていないし、ファンクラブにも入っていないが、そのうち入る可能性もある。それから、ホームページやブログにも今のところ金を払っていないが、払う可能性もある。その時にどうやって支払うか、どうやってライブ会場に向かうか。ほかにも、小説や漫画や専門書を購入したいなら、どこで購入するか。また、レストランでたまには美味しい料理を食べたい。それくらいの趣味や娯楽について、なんとかなるようにしたい。

まあなんとかなるだろう

まあ、なんとかはなるだろう。
本当は、なんでも自由にできた今までの時代が幸福だったから、僕はこれ以上、楽しいことや面白いことを何も望まない。
普通に生きることができれば、僕はそれだけで幸福だ。
だから、普通に生きる方法をよく考える必要がある。