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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 同時に複数のことを考えよ
BASENAME: 2023/04/09/163414
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DATE: 04/09/2023 16:34:14

同時に複数のことを考えられる人間が賢い

同時に複数のことを考えよ。
人間は、同時に複数のことが考えられる人間が賢い。
子供の時代には、そのように、同時に複数のことが考えられる人間が多いのに、大人になると、そのような考え方を忘れてしまい、知性を失って、一度にひとつのことしか考えられなくなってしまう。
同時に複数のことを考えれば、どんなこともきちんと分かるし、何よりも精神をどのようにすれば治せるのかということが分かる。
だから、同時に複数のことを考えよ。
同時に複数のことを考える知性は、何よりも効果的な、どんな病気も治る、大人の万能薬である。

世界観

考えるべきことは、世界観だ。
存在と視点から、認識を考えよ。
環境と成長から、人々の世界を分け隔てるものを考えよ。
そのように、何かしらの土壌や何かしらの世界があり、その上に存在する存在や視点、あるいは行動や作用や関係性を考えれば、なんでも正しくモデル化して考えられる。
そのような知性こそ、正しい知性である。

可能性がその状況でどうなるのか

可能性がその時その状況でどうなるのかを考えよ。
心、記憶、行動、反応、認識、そして関係性のような可能性が、その時どうなるかを考え、「そのような状況ではどのような社会が生まれるか」ということを考えよ。
そこから考えれば、どんなことでも事前にすべて予測できる。
そして、あらゆるすべての問題を、解決済みとし、問題を解決し終えた視点からしか分からないことを知ることができる。

モデルを作れ

モデルを作れ。
個別性と普遍性を一般化して考えた時に、「世界モデル」を考えることができる。
この世界モデルは、経験的な推論によって得られる、「思考に先立つ経験」が成り立たせる、潜在的な成立条件の世界を抽象化したものだ。
世界モデルから、この世界のすべては正しく説明できる。
あらゆるすべてを、まるで心のニュートン力学のように、完璧に把握し、解明し、説明することができるようになる。
宇宙のすべては、自ら自身にある「独自の公理主義」から再構築できる。
すべての根拠を知った人間は、「人間の理由」をすべて掌握し、場と意識を与えることで、この世界すべてを体験的に共有することができる。

共有は楽しい

共産主義者を否定するようなことは言ったが、それも正しくない。
なぜなら、基本的にこの世界で楽しいこととは、「共有」だからである。
この世界でもっとも楽しいのは共有であり、インターネット上でツールとメッセージを共有することだ。
だから、社会主義は必ずしも間違っていない。社会所有を目指すのは、「みんなのものを共有する」という観点から言って正しい。

概念の経験可能性

概念の経験可能性を考えよ。
概念の経験可能性とは、概念そのものを経験する可能性ということだ。
繰り返し学習し、反省する中で、人の経験は「概念」へと収束する。
そこにあるのは、「概念を経験する」という可能性だ。
同時に、この世界のあらゆるすべての可能性を、存在的な客観視から考えていくと、これもまた、「概念」へと可能性が収束していく。
そして、可能性をすべて考え、経験する中で、精神そのものが純化されていき、意識が高くなっていく。
その状態こそ、宇宙のすべてが分かった聡明な状態である。
だが、狂った精神は、いずれ自らに逆らい、まるで「自分が賢くすべてが分かっているということが、諸刃の剣となって自分自身を苦しめる」というように、コントロール不能になって自らを制限し続けるようになる。
だが、そこで諦めず、精神を治すための知性を作り続け、可能性のすべてを分析して検討し続ければ、必ずいつか精神は治って楽になる。

自らの中に世界はあり、自らの中に神は宿る

自らの中に世界はあり、自らの中に神は宿る。
人生において、世界は自らの外側ではなく、内側にある。
自らの世界の外にある世界は、本当の世界ではない。
真の「世界」と呼べる存在は、自らの外側ではなく自らの内側にある。
そして、神もまた、自らの心の中へと宿る。
自らの心の中に世界は存在し、その自らの世界が神へと変貌する。
神とは、自らの中にある、「精神内世界存在」である。

みんなそれぞれ違う世界で生きている

考えるべきことは、「みんなそれぞれ違う世界で生きている」ということだ。
そして、世界は単に存在しているだけではなく、自らの生きた世界から、新しい世界と人生が作り出される。
そこには、嘘はない。勘違いや思い込みはあっても、自らの人生に嘘をついて生きている人間はいない。
だから、それぞれの心の内にある世界を考えることで、人の心の内がどのように精神現象として存在しているかということが分かり、この世界を別の世界に変える上で、人の心がどのように影響するかということを捉えることができる。
そして、「知識を知る」ということは、「新しい人生を決める」ということにほかならない。知識は経験や発見も含む。知識と呼ばれる一般的な「知」が、人間の人生を決める。そして、権力や支配すら、知であると呼ぶことができる。知は世界と人生を支配する。

思い込みが何もなくなった状態が涅槃

涅槃とは何か。
涅槃とは、思い込みが何もなくなった状態だ。
自らが世界をすべて知り、経験と学習が概念的な可能性となり、潜在的な成立条件を知り、思考に先立つ経験をすべて知った人間は、すべての世界を知っているため、思い込みや勘違いのようなものが何ひとつなくなる。
そのような、思い込みや勘違いのすべてがなくなると、人は「涅槃」といって、自らの人生経験そのものに根を生やして、そこに確固たる土台と基盤を作るようになる。
そこでは、すべてが自分を中心として起きている。宇宙のすべては自分が中心であり、歴史のすべては自分に対して起きている、ということが、宇宙における「仏の境地」から悟りの体験として実感して得ることができる。
そこでは、「宇宙と自分は合一」であり、「神と自分は合一」である。すなわち、宇宙とは自分であり、自分とは宇宙であり、神とは自分であり、自分とは神である。
そのような悟りを得られた段階で、この世界のすべてを「救済する方法」が分かる。
そして、救済する方法は、唯一ひとつだけではなく、無限の可能性の中でたくさんの具体的な計画が存在し、その計画の中からひとつを選べばいい。
だが、真に救世主と呼ばれる人間は、救済する方法が分かっただけでは不十分だ。実際にこの世界を救うために、計画を立てて実験をしなければならない。これこそが、僕の行った、「大実験の大計画」である。そして、この計画と実験に基づいて、この世界の人類は「新人類」へと進化するのである。すべてはそのための啓蒙活動である。

知とは経験に基づく共通の合意

知とは何か。
知とは、経験に基づく共通の合意である。
そして、思考に先立つ経験をすることで、自ら自身の中に、世界から知った知識と知性の内容を、再構築することができる。
その時、前提条件が生まれ、モデルが生まれ、潜在的な概念の経験可能性が生まれる。
そして、その時、この世界すべてを完全に理解して、「仏の悟り」を得ることができる。
あらゆる人類と世界のすべては、「知」という考え方、そして「自ら知を作る」という考え方から、すべて繋がっている。

すべての立場と決断を超越したもっとも高い視点に立て

すべての立場と決断を超越した、もっとも高い視点に立て。
可能性のもっとも高み、すべてのことをもっとも自由にできる場所から決断せよ。
全員の立場やしがらみを超越して、もっとも自由な立場から考えよ。
この世界において、もっとも影響力の高みから決断できるような、誰よりも高い場所から決断せよ。
そのようにすれば、宇宙における「もっとも大切で考えなければならないことは何か」が分かる。

世界構造を作れ

世界構造を作れ。
構造がなければ考えられないようなことも、構造を作れば考えられる。
行動や人間関係以外のことを考えるためには、一度、全部を網羅した構造を作らなければならない。
空想的社会主義のような、国家全体の成立条件を考えるためには、自らが世界から知った社会に関する経験と世界観を統合し、ひとつの「構造」に仕立て上げる必要ある。
そして、そこから、奇跡のような楽園を作る方法が見えてくる。
社会や心や人生の構造を、いくらでも作りなさい。
自ら作った世界構造こそが知性であるということを、その人生が証明するだろう。

僕の人生は最高の人生だった

僕はそろそろ死ぬ。
その理由は、十分すぎるほどセックスしたからだ。
動物を見ても、普通、卵をたくさん産んだ動物は、その後にすぐに死ぬ。
僕も同じで、十分にひとりだけでセックスしたために、後は「死」しか残っていない。
これ以上、僕は恋人も作らないし、結婚もしない。
ひとりだけで十分セックスと同じことをしたから、セックスしなくても僕は満足した。
だから、僕には女は必要ない。
また、僕には大学も必要ない。大学で教えていることは、僕の研究している内容とレベルが変わらない。あるいは、僕のレベルよりもはるかに低い。
だから、僕は大学などには入らない。
結果、僕は結婚もしないし、大学にも行かなかったため、お金には困っていない。
本や書籍やインターネットを読み、英会話とピアノの教室に通いながら、ホームページを執筆し、デザインと農業の仕事をしている僕は、まさに「いたれりつくせり」であり、「贅沢の極み」である。
だが、欲しいものは何もない。そもそも、これ以上、本や書籍に書いてある内容自体がもう残っていない。僕はすべての種類の本を読んで、すべてのことを知っている。これ以上知りたいと思うこともないし、学びたいこともない。
あとは、作るべきことを作るだけで、それ以外にすることはない。デザイン作品を作り、文章を執筆していれば、僕の人生は充実した人生だと言える。
神とともに地獄も乗り越え、自らの思考だけでブッダのレベルまで考えた僕にとって、分からないことなど何もない。僕は自らの執筆した小説で、宇宙の星々のことや地球の終末の滅亡のことすら知っている。宇宙のすべてがあった、最高の人生だった。

このまま詩人になる

なので、僕はこのまま、現状を維持するだけだ。
僕はこのまま詩人になる。
僕の性格は変わらないため、またどうしようもない文章を書くだろうが、僕は後悔はしていない。
僕は昔の自分から何も変わっていない。いつもこういう人間だった。
そのうち、また偉大な発見をするだろう。だが、その偉大な発見は、ひらめきだけでは得られない。きちんと勉強して経験を知っておかなければひらめきは生まれない。だからこそ、文章を書くことを続け、勉強することは継続していきたい。